FROM MOMOTI.COM

サイボウズOffice10へのバージョンアップをやりませんか。

2019年03月03日|お知らせ


2006年05月22日(月) 

「結晶知能」革命。

「結晶知能」革命―50歳からでも「脳力」は伸びる!

「結晶知能」革命―50歳からでも「脳力」は伸びる!

作者: 佐藤眞一
出版社/メーカー: 小学館
発売日: 2006/05
メディア: 単行本

この本は一昨日の移動時間中に読んでいたものだ。副題から団塊の世代を狙った企画モノであることがわかるが、読んでみると(あたしは)かなり面白く読めた(もっともあたしも50歳に近い歳だけれども)。言ってみれば日常版「考える技術」のススメ!のような内容であり(ボケ防止ともいう)、あたし的には若い方々にも推薦できる内容だと思う。

流動知能と結晶知能「結晶知能」とは聞きなれないことばだ。この本では〈流動知能/結晶知能〉という二分法を用いてそれを指し示している。(図:『「結晶知能」革命』:p18)

流動知能

まず「流動知能」とは、新しいものを学習したり覚えたりするような、経験の影響を受けることが少ない、むしろ生まれながらもっている能力に左右される知能である。

つまりそれは遺伝的なものであり、あたしの「考える技術」では「オタク的才能」と名付けているものに近い。そしてこれは若いうちにピークを迎えてその後年齢とともに下降していく。

結晶知能

一方「結晶知能」は、一般的知識や判断力、理解力など、過去に習得した知識や経験をもとにして日常生活の状況に対処する能力である。

この能力は、60歳ごろまで徐々に上昇し、 その後は緩やかに低下していくために70~80歳になってもそのレベルは十分に高いらしい。

つまり、この知能は高齢になっても習得・実装することが可能であり――だからボケ防止になるのね――あたしが「考える技術」と呼んでいるものとよく似ている。このように人間はこのふたつの知能を補完的にハイブリッドさせて考えたり、判断したり、創造したりしている。

またこの「結晶知能」が「考える技術」よく似ているのは心理学的「結晶知能を高める10の要素」をみればすぐにわかる。

  1. 頭が硬直しないように「興味を持つ!」
  2. 経験をムダにしないように「やる気を出す!」
  3. 思考力を高めるために「批評する!」
  4. 結晶知性のベースを作るために「こだわる!」
  5. 心の窓口を広げるために「柔軟思考する!」
  6. 脳を目覚めさせるために「負荷をかける!」
  7. 新たなものを生み出すために「アレンジする!」
  8. 知識を定着させるために「言語化する!」
  9. 本質をつかむために「洗練させる!」
  10. 総合的な能力を高めるために「表現する!」

この表現では抽象的すぎると思われるかもしれないが、具体例はかなり詳しく本の中で紹介されているのでご自分で確認してただければと思う。

でも人間は、わかっちゃいるけどやめられない――それはわかっていてもできない、と同じ意味である――のであって、このような要素を実生活に実装できるのであれば、たとえ若くても「結晶知能」が高まる可能性があることは理解できてきても、そして「やる気を出せ!」と言われても、やる気が出ない人だっているわけだし、継続できない人だって多いことをあたしは散々目にしてきた(そういうあたしも似たようなものだ)。

それ(やる気がない)が、若い人たちや年寄りにではなく、所謂「中年」に多いのは、あたしが今の仕事を通じて経験的に感じてきたことだ――若い世代と年寄は「やる気を出す!」人が多いし、継続される方も多い。なぜ中年はダメなんだろうというのが、あたしがIT化のコンサルテーションをしていく中で「考える技術」を「考える」きっかけになったものだ。

仮説は、「仕事のせい」である。仕事が「考える技術」や「結晶知能」、創造性を必要としないのなら、彼(女)らは、「やる気を出せ!」と言われてもやる気は出ない。それは「組織のせい」(若しくは中景のせい)と言換え可能だろう。組織にその意思(ミーム:meme)がないのなら、そこに働く個にそのやる気が生まれないのも当然だろう。

若い人たちはまず仕事を覚える必要がある。若い人たちは仕事を覚えるために「流動知能」を使いながら「結晶機能」を身に付けようとする。仕事を覚えようとするならば、黙っていてもやる気を出すしかない。それにオタク世代であることが幸いしている。「興味を持つ!」「こだわる!」「アレンジする!」それは今という時代の若い人たちの特権的な特性だと思う。

そして年寄は、良い時代に生まれた、としか言い様がないのである。勤勉なのである。それが身体に染み付いている。歩く(生きている)資本主義の精神なのである。それしかとりえがないのであれば、これを高めるしかない。自分を知っている。

しかし中年はことごとく中途半端なのである。仕事はまがりなりにも一応出来たりする。その仕事に「考える技術」や「結晶知能」は必要ないと思っている(若しくは言われなくてもそんなものは実装していると思っている)。であればそんなことやっていられるか、なわけだ。ご愁傷様としか言えないのかも知れないが、あたしはそうも言っていられない。

やる気がないのはあたしの関知するところではない、と開き直ってしまえばよいのだろうが、建設業のIT化、特に事業者団体ベースなんていうものをやっていると、そう簡単に開き直れないのも事実なのである。この辺りは書くと終わらなくなりそうなので、今朝はここまで。

投稿者 momo : 2006年05月22日 08:51 : Newer : Older

このエントリーのトラックバックURL

https://www.momoti.com/mt/mt-tb.cgi/785