午前6時30分起床。浅草は晴れ、そして鹿児島も晴れ。本日は鹿児島県建築協会のIT委員会出席の為鹿児島へ飛んできた。つまりこの記事は鹿児島から投稿しているのだけれども、まあそんなことはどうでもよくなってしまうのがインターネットなわけで、だいたい着ない機内で書いてきた本日のはなしにしても、出てくるのは茨城県河内町の米なのであって、地勢学的にはぐちゃぐちゃなのである。


閑話休題。先日、浅草松屋の地下食品街に行ったら、茨城県河内町の「おかずのいらない か06092704 (1).JPGわちのお米」(こしひかりの新米)の試食販売をしていた。

薦められると嫌と云えない私は、ラップにつつまれた、少し冷めた小さなおにぎり状のものを食べてみたのだが、なんとなく「うまいな」と感じたので、試しに1.4Kg入りで1050円のものを買ってみた。

昨晩それを炊いてみたのだけれども、「おかずのいらない」と云うベタなコピーは、それなりに本当であって、なるほどいい米なのである。

06092704 (7).JPG特にこの米は冷めてからがおいしい。残ったご飯を塩おにぎりにしておいて今朝も食べたのだが、もしかしたら内で常食しているミルキークイーンよりもまいかもしれないと思った。

この米を販売している株式会社ふるさとかわちは、第三セクターであって、河内町も出資している。ホームページには町長の挨拶まである。(笑)

その河内町から、新米ができたからと、わざわざ浅草まで出てきて販促するその心意気やよろしなのである。それは立派な情報発信であり、自己言及であり、偶有性を孕んだコミュニケーションなのであって、そのおかげで私は偶然にこの米の存在を知ることになったのだし、茨城県の河内町という存在を知ったわけで、つまり私と河内町は、偶然につながったのである。

これは私の云っている偶有性のようなものであって、これがなくなったら、DNAで将来がきまってしまう映画「ダカタ」の世界であってね、つまり神が居るとすれば、私は偶有性に宿っていると考えている。だから神頼みはいつでもいい加減な結果しか与えてくれないのだ。(笑)

またまた閑話休題。

今後この米を私が食べ続けるかどうかはわからないが、少なくとも、あと10kgぐらいは買っておこうかな、と私に思わせたのは事実なのであって(ネットで販売している)、河内町はなかなかいいタマをもって、パトリを経済に接続させようとしているなと思う。

三セクの会社の運営にパトリ(円環の内部)がたずさわることで共同体性(円環)を確保し、そしてひねりとして、「おかずのいらない かわちのお米」をつくり(実際この米の製造過程はかなりひねられている)、外部との偶有的な接続を試みていることは素晴らしいと思う。

国の政策は、安倍政権になっても地方に対して冷たいだろう。そしてパトリとしての地域は、否が応でも自助努力(頑張りってやつですな)で経済活動に接続せざるを得ないのも確かなのである。