午前5時17分起床。浅草はくもり。

今朝気になった記事。 一度(↓)の記事を読んでみてほしい。なにかがおかしいことに気づくだろうか。

談合か、3社同額入札 情報漏れ?滋賀県が調査


滋賀県発注の道路改修工事をめぐり、県内の三社が千円単位までまったく同じ金額で入札、うち一社が抽選で受注していたことが九日、分かった。 /三社の入札額は、工事内容を事前精査する必要がある「調査基準価格」と同額で、いわば下限ぎりぎり。県は非公表の基準価格が漏れ、談合が行われた可能性があるとして調査している。

(中略)

自治体の入札制度に詳しい五十嵐敬喜法政大教授(公共事業論)の話 三社の入札額が調査基準価格と同額というのは奇妙で、全く新しい談合だろう。非公表の基準価格まで漏れてしまえば現在検討されているどんな対策でも何の意味もない。価格を知る人間を一人にするくらい大胆な防止策がなければ今のままでは打つ手がない。(引用:Chunichi Web Press ) 

たぶん、これを書いたからといってなにも変わらないだろうが、この記事(特に五十嵐敬喜法政大教授)に対しては、強烈なズレを感じていて、朝から気分が悪いので、あえて書いてしまう。

まず、そもそも下限ぎりぎりで(それも3社も)応札した入札を、談合というのだろうか、という違和感がある。

では、オンブズマンがよくいう、予定価格の95%以上の落札は談合の疑いが濃い、というのはなんなのだろうか。

ただでさえ安い予定価格があって、その加減ぎりぎりで3社が応札していることをして、全く新しい談合だろう、という五十嵐教授も、論理破綻しているのじゃないだろうか。

全く新しい談合っていったいなに?

そもそもなぜ、談合は〈悪〉といわれなくてはならなかったのだろうか。

談合による高い価格維持によって、税金が無駄に使われるから(という推測)が、その根拠ではなかったのか。

今回の場合、3社が「調査基準価格」と同額で応札しているわけだが、もし談合が成立しているのであれば、複数社が同じ価格で応札することはないだろうし、そもそも談合が成立しているのなら、こんな低い金額で応札する必要もない。

仮に談合があったとしても、これは破綻した談合であり、むしろ談合反対を述べるなら、喜ばしいことだろう。

五十嵐教授は、たぶん官製談合の疑いをいっているのだろうが、これは官製談合にもなっていないではないか。

つまり今回の問題は談合の問題ではない。

今回の問題は、単純に情報漏洩の問題として捉えるべきものだろう。であれば、それはよいわけはないのできちんと調査すればよいだろう。

それを「談合」の問題としてしまうところに、この手の方々の単純思考故の悪意が見えてくるのだが、そんなすりかえがおこなわれていることに、発言者自らが気づいていないことが問題なのだ。

まあ、それに気づくような思考回路を持ち合わせていれば、こんな記事にはならないだろうが、まったく底が浅いとしかいいようのない、不快な報道である。

ついでに書いておくが、私はコミュニティ・ソリューションとしての談合(つまり話し合い)を、人間の本性としての互恵的利他性から派生したESS(進化的に安定した戦略)だと考えている。それは人間なら、必ず選択する問題解決方法である。

ただそこに官製が介在すること(官製)や、政治家が介在すること(ヒエラルキー・ソリューション)、それも贈収賄的に介在することが問題なのだとすれば、

システム(制度)理論的には、コミュニティ・ソリューションとしての談合と、ヒエラルキー・ソリューションとしての談合は、区分して考えなければならないだろう。

そうしなければ、余計な法律だらけになってしまって、社会的コストは高くなるばかりでしかない。

そしてこの問題と国家の財政問題をごちゃ混ぜに考えてもならない(のだが、現状はそれを考えている人たちの脳みそがチャンプルー状態なので、出てくる議論もチャンプルー状態である)。

このあたりの研究は、この国ではまだまだ未熟なのだと思う。談合を単純バカボン的に批判すること自体、ちっとも近代的でも科学的でもないわけだ。(笑)