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2006年12月31日(日) Tweet
無意味という自由。
意味を取っ払ったところに出てくる無意味、いわいゆるノンセンスというものは、結構人間にとって大事なんじゃないかなと僕は思うんです。(谷川俊太郎)
午前7時50分起床。浅草は晴れ。
今年は何をしてきたのか
こうして、今年とか、平成18年とか、2006年と名付けられた年も終わってしまう。今年なにをしてきたのか、と、ありていなことをいえば、たいしたことはしていない、としかいいようがない。
それでも、強いてというか、格好をつけていうならば、それはただ無意味であることの強調を繰り返してきた――のかもしれないなと思う。
「交換の原理」からみれば、その外側のことばかりを考えてきた。つまりお金儲けには(直接的には)関係のないことばかり。
人生の手ざわり
けれども、そういう無意味な時間を、一緒に費やしてくれる方々も少なくなってきた。
たぶん来年はもっと少なくなるだろう。
みんな仕事のことで汲々としている。
けれども、無駄なこと、意味の無いこと、ノンセンスなことを失うことは 『ノンセンスというのは人生の手ざわりというものを教える。』(鶴見俊輔) ただそのことだけで、結構人間にとって大事なんだろうと(私も)思う。
経済成長を優先すること、効率化を優先すること、合理化を優先すること。
そういう圧力は日増しに高まってきている。
それと同時に、公共事業も、地方も、田舎も、じじいもばばあも、そして子供たちも、そんな経済効率性からは無意味な人たちは――人生のざらざらとした手ざわりを教えてくれるものたちは――、ぺしゃんこにされてしまう。そんな来年がやってくる。
投稿者 momo : 2006年12月31日 09:37 : Newer : Older
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