午前6時20分起床。浅草はくもり。

梅安冬時雨―仕掛人・藤枝梅安(7)

梅安冬時雨―仕掛人・藤枝梅安〈7〉

池波正太郎(著)
講談社文庫
2001年7月15日
630円(税込)


この休みは、Movable Type(2件ほどインストールと設定中である)と、読書で過ごすつもりでいた。

本を読むことについては、自分でも多読だと自負はしているし、たいがいのものなら、専門書でも学術書でも哲学書でも「読める」と思ってきた。

しかし、今の私の脳みそは、専門書のような冷たいテクストがどうもいけない。

読むと眠くなる――唯一ロラン・バルトなら大丈夫なのが自分でも可笑しいのだが。

なので大衆小説を読むことにした。

まず池波正太郎の仕掛人・藤枝梅安シリーズを読了した――文庫本で7冊。

おもしろい! 

藤枝梅安シリーズは、読めばすぐに池波正太郎の文章だとわかる。

えてして論理的なテクストが冗長に陥るのに対し、

それは極端にセンテンスの短い、切れのよいテクストである。

「」書きのはなしことば(パロール)が並ぶが、冗長すぎない。 

しかしそれが説明不足に陥ることはことがないのは、

このテクストが縦書きであり、右から左にテクストが流れるからだ。

その構造は、右脳を使わせるためだ、というのが私の持論で、右脳はかってにイリュージョンをつくりあげる。

その解釈は快速性なのである。

解釈は、貸借を満たすために、快速でなければなりません
(ジャック・ラカン) 

それをうまく利用しているのは――上手い落語とおなじである。

仕掛人・藤枝梅安シリーズは、この梅安冬時雨の途中で絶筆となってしまう。

続きはもちろん読みたいのだが、続きの物語は、自分で作り上げることさえ可能となる。

それは右脳が機能している証拠だろう。

と、本当は、この『梅安冬時雨』の巻末に収録されている「梅安余話」について書こうとしたのだが、それは別エントリーにしよう。