santaro_yさんの「ブロシキ」このブログがすごいで、この「ももち ど ぶろぐ」を紹介していただいた。

それはテクノラティの Blogs that link here で知ったのだけれども、たぶん、なにかの偶然でこのブログにたどりつかれたのだろう。

それだけでもありがたいことなのに、その上ご紹介までいただいているのは、偶有性が機能しているゆえなのだろうなと(私は)思う。

そして、その偶有性を視覚化してしまう(装置が埋め込まれている)インターネットというのも、なにか面白いなと思う。


たぶん、昔のホームページのままだったら、リンクされていることは知りえなかったろうが、ブログ化+Technorati は、それを視覚化してしまっている。

それは、リンクしていることを知られない自由を技術的に奪われている、ということかもしれないが、今回ご紹介いただいたことは、偶有性が匿名性につながることで(そしてそれが自由につながることで)、インターネットには(かろうじて)自由が生きているということなのだろうと(私は)思う。

〈他者〉の存在が自由の根本的な条件である――だからこそインターネットでは、〈他者〉を想う心――つまり想像力が大切なのだと(私は)思う。

リンク(交換)は、確定記述(プロフィール)の交換――つまり名詞交換をしてからするようなものではない。

ずっと「このページは当然にリンクフリーです。」なのである。

だからこそ〈他者〉の存在を感じながら、私はテクストを書く快楽を享受しているのだろう(と思う)――それじゃなかったらつづかないよね。

でも、それが視覚化されることは、私のスケベごころ(の欲求)を喜ばせてはくれるのだろうが、本当はそれはなにか複雑な思いなのである――つまり〈他者〉を気にし過ぎてしまう。(笑)

ということで、santaro_yさん、ありがとうございました。