秋刀魚の刺身という直球

秋刀魚の刺身

2007年9月6日の夕餉は、久しぶりに札幌の吉在門まで出張った。 吉在門(の親方)の創意工夫の利いた料理(創作料理)は、いつもあたしを楽しませてくれる。

けれど今回の怒涛の逸品は、直球、それもど真ん中のストレート、サンマの刺身なのである。今年の秋刀魚はうまい!

目黒のさんま」のお殿様は、百姓が焼いていた(生きの悪い)秋刀魚のうまさに驚愕したのだが、今の時代ときたら、(平民のあたしでさえ)秋刀魚の刺身を普通に食べていたりする(あたしのようなものが、さんまの刺身を食べるようになったのは、つい最近のことのはずだ)。

「目黒のさんま」の時代、秋刀魚の刺身なんて(どんな階級的特権を駆使しても)食べようなどとはしなかったろう。それが今の時代は「食えてしまう」のである。これを「社会的な進化」と(あたしは)いってしまう(進化は食が象徴する)。


創作もまた喜

鯛のから揚げ甘酢がけもちろん、親方の創造性も衰えることなく健在である。例えばこの山のような玉ねぎのスライスの下には、から揚げされた鯛が隠されている(そういえば今、空知は玉葱の収穫時期である)。 

それに甘酢がかけてあって、油のしみた皮と、白身に絡まりあって、ああ、うまい、うまい。

お酒もすすみ、岩見沢の馬渕さんが、わざわざ持たせてくれた魔王(芋焼酎)を(浅草に持ち帰らずして、ここで)空けてしまった。

こういう、どこかで中華風かと思えば、またはマリネのようであったりするような――つまり無国籍な料理が、ちゃんと北海道の和食として完結しているキアスム。それこそが吉在門の魅力なのだと(あたしは)強く思うのだ。

親方は、全人格をかけて素材に向き合い、創造性のアルゴリズム(身体的に染込んだ無意識的技術)が料理に仕上げる。出て来る料理はどれもが、そんなキアスム(ひねり)に溢れている。

白子、いくら、牛毛蟹つぶ
イカの刺身秋刀魚岩牡蠣

鯛茶漬け

鯛茶漬け〆は鯛茶漬け!

吉在門―幸せは料理からやってくる

吉在門は思い出深い店だ。 古くは第1回の地域再生フォーラム(空地建協)の頃からか。全国各地の(私の)関与先さんが空知建協に来れば、宴会はきまって吉在門だった(人吉の皆さんはここで伝説をつくった)し、山岸俊男教授ともここで飲んだな。

しかしここのところ足が遠のいていたのは、機会がなかった、というしかないだろう。今回は久しぶりの吉在門であったわけで、それは楽しかった。料理は、けっして垢抜けはしていない。けれども、図太さがある。

その図太さは、親方の料理人としての勘というか、職人の腹の据わり具合(経験)に裏づけされていて、けっして野暮じゃない。(過剰な演出など無縁である)。

そこにフロンティアとしての「北海道的」を(あたしは)感じてしまう。それはどこかで「おおらかさ」さえ孕む創造性で、そういうものを食せば、幸せは料理からやってくる。

こういう料理は、ぱっと出の全国チェーン店にはできない仕事なのである(札幌も東京資本の店が目立つ)。札幌の皆さんも、日本ハム ファイターズ並みに、吉在門のような居心地のよい店を贔屓にしていただきたいなと思うのだ。

吉在門 [ 和食 ] - Yahoo!グルメ
北海道札幌市中央区南3条西3丁目
011-241-2775


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