三遊亭あし歌
三遊亭あし歌


あし歌改め歌橘となる予定(よほどの事が無い限り)

昨日は、第六回清寿司寄席―三遊亭あし歌を聞く会で足利まで出向いた。あし歌さんもこの秋めでたく真打ち昇進となるわけで、三代目歌橘となる。あし歌でやる清寿司寄席もこれが最後(かもしれない)。

あし歌さんはうち(桃組)でもお馴染みの落語家で、言ってみれば思い入れのある噺家だ。どんどんうまくなって、歌橘という名前で売れてもらえばうれしいのである。

縁は異なモノで、こうして関わり合うことで、応援したい、という心象は生まれる。それは見返りのない贈与のようなものだが、まったく見返りがないわけではない。(だから純粋贈与であるわけもない)。

しかしそれは、投資のように金銭的な見返りでもなければ、物品が返ってくるわけでもない。ただ、あたしの心の中にあるはずの、「ああ、よかったね」という気持ちを確認する楽しみのようなものである。

宮戸川 

この日のあし歌さんは、「宮戸川」(前半)から。宮戸川とは大川、つまりは隅田川のことだけれども、話は若い二人の馴れ初めの色っぽい話である。盛り上がったところでパッと話を終えるのが落ちであって、それは緊張と緩和の妙なのだが、そのあたり、ちゃんとあし歌流になっていてうまいもんである。あし歌さんには同世代が真似のできない女性的な色っぽさがある。

太神楽、翁家和助 

ここで太神楽翁家和助さんが登場。

翁家和助 翁家和助

太神楽の歴史を語るのは面倒だけれど(落語より面倒だ)、寄席芸としての、そして色物としての太神楽は文句なしに楽しめる。和助さんの芸は初めてみたけれど、流石に客扱いがうまい。

このへんは色物の強みだな、と思うし、この絶滅危惧種のような芸を継承されている人がいることを素直に喜びたい。芸が絶滅危惧種というよりも継承する人が絶滅危惧種なのである。よくぞこの人を連れてきてくれた、なのだ。

井戸の茶碗

三遊亭あし歌そして再びあし歌さん。「井戸の茶碗」。この噺、あたしは大好きなのである。これは加速するイリュージョン、スピードアップの快感。

なにせ登場人物が全員善人なのである。それは世の中全員が悪人である、というよりもあり得ないテーゼなのであって、噺自体が腹の底をくすぐるような仕組み(構造)をもっている。それがじつに落語的(というか新作落語的=現代的)なのである。

そのスピード感と、あし歌さんスタイルはよくあっていると思う。加速する話芸に、客席もぐいぐいと加速するのである。これが小さな落語会の良さだろう。

初めて落語を聞きに来た、という方もおられたが、きっと満足されたと思うのだ。

席亭

吉田さん
吉田さん