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2019年03月03日|お知らせ



だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。(リチャード・クー)

リチャード・クーマスコミにもそういう傾向があります。/著名な海外の経済学者にインタビューをする際に、いきなり「日本経済はどうしたら立ち直りますか」なんて聞くものだから、まあ適当に答えるだけです。/大した付加価値のある答えが出るはずもないですよね。

そうではなく、まず「今年、日本企業はかくかくしかじかの理由で30兆円の借金返済をしています。/こういう状況下でどうしたら良いですか」と聞けば、答は全く違ったものになるはずです。/状況説明をせずにいきなり質問して得た答をそのまま報道するものだから、益々国内が混乱することになります。/クルーグマンとかフリードマンという著名な経済学者であっても必ずしも継続的に日本のことを見ているわけではないんです。

だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。@リチャード・クー from NRI この人にインタビュー 2005年1月掲載

自分の頭で考えること

だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。」というフレーズは、ほんとは、「ももち どっと こむ」のフレーズカテゴリに載せようかと思っていたのだけれども、システム的な理由(わけ)があって、モモログのエントリーとして紹介してすることにした。

「受け売り」とは「考える技術」で言う「正解の思い込み」のことに他ならず、上のフレーズの何が凄いのかというと、それはあたしのキャッチコピーである「答えのないコンサルタント」同様、そう言っている私の話も受け売りしちゃだめよ(つまり簡単に信じちゃいけないのよ)、という自己否定を孕んでいることだ。

これは、啓蒙を言う人(クーさんのようなアナリストや、あたしのようなコンサルタントや、政治家の皆さん)は、ふつうは使用禁止用語なのだ(コンサルティングの教科書にそう書いてある。たぶん)。

こういう態度で出ると、ふつうは、「じゃ、信じない」で終わってしまうのがオチで、商売上は甚だ宜しくないのである。しかしこういうフレーズを使う人というのは、自分の言説に責任をとりたくないからそうしているのではなく、その逆なのである。なぜなら、それもまた勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることで出来上がってきた態度だからだ。

象徴の一部否定

象徴の一部否定クーさんの言っているのは、欧米の主流エコノミストの話なんて、疑ってかかった方がいいのよ、ということで、それは(あたし的には)竹中平蔵さん一派の話しなんて疑ってかかった方がいいのよ、なのであり、つまりは「象徴の一部否定」のことだ。

それがなぜ大切かといえば、(あたし的には)その態度こそが創造性の源であるからでしかなく、つまりその態度こそが「受け売り」を止めることだからだ。

では、「受け売り」とはなにか、と言えば、「なんだかわからないもの」を、なんだかわからないままに放置しておくことであって、それは考えることの放棄と同義である。

「なんだかわからないもの」に出会ったとき、人は二つの行動を選択しうる。

  1. 「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする
  2. 無視する

フツーの人々は2の無視するを選択する(中略)、しかし1を職業としているのが「マスコミ」なのであって、彼らが突然「なんだかわわからないもの」を市民に「なんだかわかるように」説明をし始めるときがある。それが今回のような事件のときだ。

しかしそれは言ってみれば「マスコミ」のつくった物語なのであって(つまりプレゼンテーション)、それは(おぼんの外のひとたちが)自ら進んで「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」したのではない。《下水道談合復活》―なんだかよくわからないものの扱いについて。 from モモログ

象徴の貧困

それをベルナール・スティグレールは(逆説的に)「象徴の貧困」と呼んだのだ。

この「恥を知る」とは、私の言葉では「象徴の一部否定」である。つまり象徴界に居座る「感情」と、それを作り出しているもの――コントロール社会の一部否定の精神である。

最近の日本を見ると、――特に政治においては、この国も、西欧的な「象徴の貧困」状態にあるように思える。

それは政治のマーケティング化(ポピュリズム)といえそうなもので、私たちは、この事態を「恥」として知ることから始めるべきなのだろうが、はたしてそれ(恥)を感じとることのできる精神は、今どれほど生き残っているのだろうか。 from ももち ど ぶろぐ|象徴の貧困。(ベルナール・スティグレール)

考えないので済むのであれば、それに超したことはないかもしれないが、町内会的に言えば、それはダメな態度であって、なぜならそれは、町内会に参加していないことと同義だからだし、なによりも町内会のためにならない(「種の論理」が機能しない)。そこには「私」や「われわれ」はないのであり、つまり、考えなくて済む、それを望む態度をヘタレ(「みんな」)というのだわ。

パトリを護持しようとするなら、この「ヘタレ」な態度だけはダメなのであって、つまり「考えないこと」は良くない。なぜならば、「考えないこと」は、(「」がないことで)いつでも全体主義の道とつながってしまう可能性が高いからだ。ということで、午前6時50分起床。浅草はくもり。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年09月23日 10:31: Newer : Older

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だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。(リチャード・クー) from モモログ

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