FRBワシントン/東京 17日 ロイター] 米連邦準備理事会(FRB)は16日、連邦公開市場委員会(FOMC)でフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を0─0.25%に引き下げるとともに、リセッション(景気後退)への対応として利用可能な手段をすべて用いるとの姿勢を示した。


ここのところ、政治経済について書く気力が失せていて、店の事とか食べ物のことばかり書いている。FRBが、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を、従来の1.0%から0-0.25%に引き下げたことは、ほんとはスゲーことなんだ。ゼロ金利政策だよこれは、と思ってみても、なんだかどうでもよくなている。

資本主義の生命は利子である。英国のフレーズでは、英国人ジョン・ブルはたいていのことは我慢するが、2%の利子率には我慢できない、ということになっている。けれど日本では、長いことほぼ「ゼロ金利」だったものだから、金利は低いのがフツーになっている。それを悪いことだと思ってもいない(たぶん)。米国人は今回のFRBの決定をどう受け止めるのだろうか。大方は好感しているようだけれども、「ファロスの悦楽」でしかない金融資本主義※1で生きていた彼(女)らが、マスターベーションを我慢できるのだろうか。

利子は価値の増殖である。自然の中に、価値を増殖させるもの(コルヌコピア)を発見したことで、人間は自らそれをつくりだそうとしてミーム的に進化してきた。自然は淘汰の歴史であり、種の消滅の過程でしかないかもしれないけれど、そのナイーブなアナロジーで減額する貨幣とかを云う人達もいるけれど、たしかに個体は消滅するけれど、あたしもいずれ死ぬけれど、人類も、自然も消滅はしない※2。それが遺伝子レベルで考えることだ、とドーキンス先生にあたしは教わった。

普遍経済学ボロメオの結び目

資本主義はキリスト教から生まれた。キリスト教の三位一体とは、聖霊と子と父のトポロジーで、「聖霊」の運動が価値を生み出す(ことになっている)。その「聖霊」を「純粋贈与」と読み替えることで、資本主義は生まれた※3。その資本主義があたしが常用している普遍経済学のトポロジーであって、その典型が重農主義。それは「女の悦楽」と「ファロスの悦楽」を同時に持つ。初期の資本主義は贈与の上に成り立っていた(たぶん)。

「女の悦楽」とは「他者の悦楽」であり他者を喜ばせることだ(と同時に自分も嬉しいのだけれども)。一方「ファロスの悦楽」とはマスターベーションであり、自分だけが喜ぶことだ(つまり利己心)。こうして資本主義っていうのは生まれた時から贈与と交換、他者と自己という面倒な二項対立を抱え込んでいたわけで、それはぜんぜん自然じゃない。その自然じゃないことをやろうとするところに、人間の不思議さ、賢さ、面白さ、愚かさ、かなしさはあるのであって、あたしはそういう人間の活動が好きだ。だから自然は嫌いだと(あえて)云ってきた。

それで「ゼロ金利政策」である。これは、価値を増殖するものとしての利子の活動を、意図的に押さえ込もうとする行為である。そのことで資本は生まれない(つまり増殖しない)。であれば「交換」の活動は縮小化することになるだろう。

だからオバマはニューディール(公共事業)でしかなくなる。それは「贈与」である(別名「バラマキ」ともいう)。「贈与」によって「ゼロ金利政策」で萎えたファロスを目覚めさせ、「交換」を機能させる。そのために「贈与」を使う。このとき経済は普遍経済学的なトポロジーを露わにする。否が応でもだ。それは、金融資本主義が嫌いで、グローバリズムが嫌いで、市場原理主義が大嫌いなあたしから云わせて貰えば、都合のいいこと云いやがって、でしかないから、なんだかどうでもよくなっているのである。

なんで徹底してやらないのだろう、市場原理主義者の皆さんは。その徹底のなさに、あたしはつまらなさを感じていたりする。ハイエク的に云えば、こんな時期こそ、新しい産業に労働者は移転させなくてはならないのじゃないのか?

そして、今浮かび上がってくるのは「贈与の原理」の必要性なんだ。けれど、こんなもの、あたしの住んでいる裏浅草と、バッキーさんのいる、御所以外全部下町の京都と、江弘毅のいる大阪の下町と、潰れそうな地方以外の、何処にどうやって残っているっていうんだろう。贈与の原理のないところに「贈与」が行われても、あんまし意味はないように思う(たぶん)※4。ということで午前7時起床。浅草は晴れ。今日は山鹿に出張。 

※注記

  1. 金融資本主義は「ファロスの悦楽」で動いている。 参照
  2. まあ、人類が存在できる限りという条件はつくだろうが、人間が思考することに関して云えば、この条件に意味はまったくないことぐらいわかるだろう。
  3. 資本主義は「聖霊」の活動を「利子」の活動と読み替えることで可能となる。つまり利子を増やすことは宗教的に悪い子とじゃない、とならないと資本主義にはなれない。日本人はこの葛藤を乗り越える必要はなかった(たぶん)。
  4. もっとも、それがファロスを刺激するだけいい、っていうのが景気対策なんだけれども。