『盛岡冷麺物語』

盛岡冷麺物語[繋新書]

小西正人(著)
2007年12月25日
リエゾンパブリッシング
933円+税


盛岡冷麺はところてんのように出てくる

三千里フェザン店の冷麺午前6時起床。浅草はくもり。一昨日、盛岡での昼餉ランチはいつものように盛楼閣にお連れいただいたのだが、食べたのは冷麺ではなく温麺だった。

しかし盛岡に来て盛岡冷麺を食べないのもなにか寂しいので、昨日の朝食はめんこい横町にある三千里で冷麺を食べたのである。

その時、厨房を見ていて気づいたのは、冷麺は注文を受ける都度に、生地を押しだし式の機械に入れ、ところてんのように麺をつくり、それを茹でている、ということだ。

それは以前、(平壌の)平壌冷麺を紹介した書籍で、写真で見たことはあったけれど、実物を見たのはじつは初めてなのであって、なにか感動してしまった(じつを云えばあたしは、盛岡冷麺の麺というのは、ラーメンのように製麺され、木箱にでも並んで入っているのかと思っていたのだ)。

盛岡冷麺物語

そんなもので、冷麺を食べ終え、いつものように盛岡駅にある書店に寄れば、どうしてもこの本が気になり、思わず手に取りレジへ。そして帰りの車中一気に読んでしまった。ぐっときた。

もちろんこの本は「冷麺」を紹介したグルメ本ではなく、

「盛岡冷麺」を生み出した青木輝人さんという一人の男の物語であり、青木さんの後を追い、冷麺を作り続ける人々の物語です。(p6)

なのである。朝日新聞・岩手版に連載記事として掲載されたものがベースになっている。著者の小西さんは、記者として盛岡に赴任してまず驚いたのが焼き肉の店の多さだったという。そして

……看板には、焼き肉と並んで「冷麺」と大きく書かれていました。それだけなら何ということはないのですが、驚いたのは、夕方の焼き肉店に行くと、女子高校生たちがたくさんいるのです。彼女たちがおしゃべりを楽しみながら、食べているのが「冷麺」でした。

それはあたしが感じる盛岡でもある。もちろんここに至る迄には朝鮮半島と日本の関係、在日一世、二世と祖国と日本の関係といったナイーブな問題も出てくるのだけれども、あたしが感じるのは、「盛岡冷麺」を生み出した青木輝人さん(食道園である)や、青木さんの後を追い、冷麺を作り続ける人々(たとえば、ぴょんぴょん舎ピョンさん)の生きる強さである。生のエネルギーである。その強かさがなければ、盛岡冷麺は生まれてこなかったろう。

それから、高橋克彦さんのおもしろい盛岡論とか「おやれんせ」についてもふれてみたいのだが、今朝はこれからでかけるので続きは帰ってきたら書く(たぶん)。

追記:盛岡人に文化はないのか?

直木賞作家・高橋克彦は、盛岡に生まれ、地元で執筆活動を続けている。なぜ、盛岡人は異文化を受け入れるのか、という問いに「結論から言うと、文化がないからですよ」と言い切る。

「ここには例えば麺類なら、うぢん、そば、ラーメン、じゃじゃ麺、冷麺と何でもそろっている。きしめんすらもある。その代わり郷土料理がない。わんこそばにしても地元の人が日常的に食べるものではないからね。郷土料理が変えられる恐怖感がないから、平気で何でも取り入れる」

「おやれんせ」についても「守るべき伝統文化がないから、何をされてもどうでもいい、というメンタリティーでしょう」と、突き放した見方をする。(p107)

この主の「文化がない」については、それはそれで興味深い問題ではある。しかし異文化を受け入れ、それを自らのものとしてしてしまう(ハイブリッドしてしまう)のは、日本語の構造のようなものであって、つまり日本人の創造性(ハイブリッド、マッシュアップ、ブリコラージュ)の根源にあるものだと(あたしは)思う。

なので高橋克彦さんのように「文化がない」と悲しむこともない。盛岡冷麺はまちがいなく盛岡パトリ(地図と暦)がつくりだした盛岡の文化である。それは方言である。盛岡冷麺は冷麺の方言なのである。だから小西さんの以下の指摘は当たり前のことだ。

異文化を節操なく受け入れるのは盛岡だけではなく日本全体にいえるのではないか。「世界全体からみると文化的な核が弱い日本は盛岡みたいなものなのかもしれない。日本をミニチュア化したのが盛岡なのかな」と高橋はいう。「盛岡が文化的になるには、融合した新しい文化を大事にしていくしかない」。高橋の発言は、日本全体に向けられているように聞こえた。(p108)

「融合した新しい文化」としての盛岡冷麺はまだ変化を続けながら進化していくことだろう。それはハイブリッドとして生まれ育ったものの当然の進化のアルゴリズムである。あたしはそれを目の当たりにできる幸せな時間に居るのかもしれないない。