ワイナリーとは何か、熱く語る落希一郎氏ワイナリーとは何か、熱く語る落希一郎氏


ワイナリーとは何か、熱く語る落希一郎氏

午前6時起床。浅草は晴れ。落氏の講演内容はずばり「北海道のワイナリー・ゾーンをデザインする」だった。一体これの何が建設業に関係するのか、は後においといて、落氏の講演は、ここにある2枚のPPTを説明するだけで良いだろう、と思う。

まず「ワイナリーとは何か」。この円が何重にも描かれた図をみて、(悪い癖で)「これは迷宮の構造(あたしの言葉では『浅草寺の子宮的構造』だな」と思ったのだ。

ワインを作るだけではダメなのだ。売るだけでは芸がない。ホテルもレストランもパン屋も必要、そして葡萄畑の外苑には「Woods」がある。「Woods」とは森であるかも知れないし、川でるかも知れないし、海であるかも知れない。とにかくこれらが迷宮的に一丸となった装置がワイナリーなのである。

そしてワインは独りでつくっては意味がない。何人かのワインセラーが別々に営業して、だけど同じ地域で一緒にやってこそワイナリーなのだ。それはアメリカ・カリフォルニアのナバのようにであるし、(ワインではないが、つまり落氏は云ってはいないが)浅草の浅草寺のようにである(浅草寺を取り囲む様々な商売をみて欲しい)。

ワイナリーは『浅草寺の子宮的構造』を目指す。あたしは勝手にそう思ったのだ。ただ、これはちょっとやそっとでは出来やしないことで、落氏のバイタリティーがものを云ってくるのだろうし、彼の跡取りか、孫の代に花開くのかもしれない、必要なのは諦めないこころだろう。

そして下のPPTだ。日本で消費されているワインの実情を説明してくれた。1年間で消費されるワイン(750mlボトル)は約6億本である。うち2億7000万本が外国ラベルがついた「輸入ワイン」。1億4400万本が濃縮ジュースからのワインやワインそのものを輸入し、国内でビン詰めされた「国産のワイン」。

3100万本が国内の食用ぶどうなどから作られた「純粋国産ワイン」。400万本が国産ワイン用葡萄から作られた「本当の国産ワイン」だそうだ。その(本当の国産ワイン)の割合は1%。これを「あたしたち」がどう思うかなのだ。

「あたしたち」と書いたが、北海道民の方々とそれ以外では、「あたしたち」が違うのではないか、と思う。この「あたしたち」にあたしはいるが、たぶん北海道の「あたしたち」にはいないのだ。つまり、あたし的には1%でもいいじゃん、なのである。その方が僅か1%だがユーザの輪ができるのではないかと思った。ただし落氏はそうは思っていないだろうが。

平均気温が2,3度高くなって北海道の葡萄が、ワインの生産に向けて益々拍車がかかってきた。北海道に行けば今やビールではないのである。ワインなのだ。ワインで乾杯なのである。このワイン通ともいえる空知の人達の心を、どうやって日本の中心部に伝えるんだ、というところが、空知の地場型建設産業の課題なのかもしれないな、と思ったのだ。

日本で消費されるワインの実態