傷だらけのシャインマスカット傷だらけのシャインマスカット


傷だらけのシャインマスカット

午前7時50分起床。浅草はくもり。傷だらけのシャインマスカットである。福島からいただいたもの(譲与)なのだが、去年に続き二度目のお目見えなのである。今年は台風10号の影響でシャインマスカットも傷だらけになってしまった。傷が表面を覆う。

それは見ている方にも痛々しい傷だが、でも食べるといつものシャインマスカットなのである。たぶん一般の消費者には受け入れ難いものなのだろうが、あたしは一向に構わないのである。

こうして見ると農園の方々も大変だな、と思う。敵はなにも内から表れるのであはなく、時々外からやってくるのである。

もう僅かで出荷できるその寸前で、人間が造り出したものではない外からの圧力、つまり「まれびと註1(台風)がやって来る。人々はその「まれびと」に、「この地には来ないでくれ」、と祈るしかないのだろう。

しかし希に「まれびと」(台風)の直撃を受けるのだ。その「まれびと」の被害は大きい。しかし、被害を被っても生き残ったこれらの純正産が、共同体の力によって商品となり、あたしのところに届いたのである(たぶん)。

この傷だらけのシャインマスカットだけれども、心して食べなければならない、と思うと同時に、また来年に期待したい(再生産)あたしなのだった。

シャインマスカット

註1 まれびと
柳田国男は共同体の同質性や一体感をささえるものこそが神だと考えていた。そうなると、神と共同体はある同じ性質を共有している必要がある。柳田の考えでは、先祖の霊こそがそれにふさわしい存在だった。(略)
ところが、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神概念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体になにか強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。(古代から来た未来人折口信夫,中沢新一,p32)