犬亥櫓犬亥櫓


熊本城はやっぱり酷かったが、それでも客を呼ぶのは、やっぱりミームの凄さなのだろう

午前4時50分起床。浅草は雨。山鹿市管工事協同組合での講演の前に、熊本城を見せてもらった。熊本城は、平成28年の地震の影響で、その中部を見ることはできなくなっていたが、外観だけは見られるのだ。その外観は、歩いて加藤神社までいける通路を通して見られる。いつもはあたしらを迎え入れていた西大手櫓門と元大手櫓は、見る影もなく崩れ、テレビでも放映さらたものと同じ構造の角石だけで櫓を支える犬亥櫓、東側の石垣も殆ど崩れいた。

それは見るからに痛々しい様相だが、その熊本城を観光に訪れている人々がいることに驚いた。あたしらが行ったときには、長崎の中学生が団体で来ていたし、勿論、その為のガイドさんも賑わっていた。個人で来ている人達が絶えることはなかった。それは綺麗な天守閣があったころに比べれば、確実に少なくなっているだろうけれども、完成迄は20年と云われているこの修復中の熊本城を、修復中に見ることができるのは、現代だからこそなのだろう。

一緒にいった有働さんは90歳、あたしは80歳、たぶんこの歳まで生きていたなら、もう一度修復された熊本城を見たい、と有働さんは云っていた、(たぶん)この先、余程の事がなければ、この様な事には二度と起きないだろうし、この修復の過程で、また丈夫な城ができあがることだろう。それも、ひとつひとつを修復してだ。しかし、この壊れた城を見ていると、熊本城の持つミームの強さを感じる。それも、このミームは誇大広告のように拡幅されているように思えるのだ。

西大手櫓門と元大手櫓

天守閣(奥)