弁天堂から弁天堂から


今年一回目の花見に行ってきた

午前6時30分起床。浅草は晴れ。あたしは花見が好きだ。毎年、これでもかと云うぐらいに花見に行く。それも上野にばかりである。上野の高台は浅草に住むあたしからすると山である。その山に向かって桜を愛でに出掛けるのである。上野はあたしの様な桜好きで溢れている。この人の集まる風景が好きだ。

昨日、駅前の丸井の温度計は19°を示していた。このところ急激に温かくなり、桜の花も昨日満開となった。温かいのは何よりもいいのだが、まだ桜の花の咲く空気ではないようだ。今年は花が咲くのが早すぎる。だから空気に春の成分が混じる前の冬の冷気に桜の花がさらされているようだ。

春の空気はもっとぼんやりしている。つまりは空気の屈折率、密度、スカスカ感、不純物混合率が違う。一年中で一番空気の粒が"きっちり"と並んでいるなと感じるのは冬で、夏場は逆にスカスカで不揃いである。花見の頃の空気は、整列していた空気が崩れかけ、その隙間に不純物が混じり始まるのである。

その不純物も粒が大きい。それで光も不純に屈折するのだが、その不純に屈折した光を通して見る世界は、輪郭のぼけた水彩画のようなもので、その境界性のなさがあたしは好きなのである。桜の花はその象徴のようなものだ。光をきちんと反射しない。満開の桜は光的にぼけているのだが、まだそれには早いなと思った。今度は夜に云ってみようと思う。

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