生きた建築大阪2生きた建築 大阪2 140B


生きた建築 大阪2

午前6時15分起床。浅草はくもり。大阪の140Bから『生きた建築 大阪2が届いた。前作の『生きた建築 大阪』は、大阪市が進める「生きた建築ミュージアム事業」のセレクションに選ばれた50件の建築物が収められているという、謂わば、公共建築と重要文化財を外したものだった。

そこでこの『生きた建築 大阪2』は、公共建築と重要文化財を含む53件の建築が載っている。それは「建築物」というものの「垣根」を無くしている。それは当たり前の事だが、前書が『「生きた建築ミュージアム事業」のセレクションに選ばれた』という条件付きなので仕方がないのだろう。

しかしだ、相変わらず「生きた建築」と聞いても、なんのことだか分からないあたし達に向かって J・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』からの引用が必要になる。するとこの『生きた建築 大阪2』も一挙に分かるようになる(気がする)から不思議だ。

地区というものは建てられた年代とその状態のいろいろ違った建物が混ざり合っていなければならない。もちろん、その古い建物が秩序ある調和をもっているということも含めて。(『アメリカ大都市の死と生』:p212)

今回の掲載建築物の中では「一心寺」が好きだ。否、好きだ、と云うより実際に見たことがある。そして、その異様さに度肝を抜かれていたのだ。さらにその先には「黄色い家」が見えるだろう。「一心寺」の門から見える「黄色い家」に、調和の無い調和のようなものを感じたあたしは、これこそ「生きた建築」だ、と思った覚えがある(まあ、そんな言葉では無かったが(笑)。

一心寺と黄色い家