「ももち どっと こむ」より

還暦祝い!平成30年9月15日(土)桃組「小さな勉強会」と「暑気払い」のご案内。山と山とは出会わぬものだが人と人とは出会うもの(また会う道もある花の山)。

2018年08月01日|イベント



Lesson17 公共工事ダメダメミーム(2)―公共工事はだれの共有地なのか

公共工事はだれの共有地なのか

本書では、「安心の担保」に依存した権限と統制力による秩序の維持方法を、「ヒエラルキー・ソリューション」とみなした議論を行っていますが、官製談合などは、正確には「(裏)ヒエラルキー・ソリューション」とでも呼んだ方がよいかもしれません。

ヒエラルキー・ソリューションの表/裏は、まさに一体なのです。政治家や自治体の首長でさえ、選挙ともなれば、堂々と中央とのパイプの太さを自らの売り物にし、国の予算を地元にもってくることを、第一の公約とする時代が長く続いていたことがそれを象徴しています。つい最近まで(今でも)このようなやり方が民主的に(選挙という手段で)支持され続けてきたのです。

そもそも信頼をベースにできない不確実性に満ちた社会での問題解決方法のひとつが、権限と統制力を持つ第三者が統制する仕組みである「ヒエラルキー・ソリューション」です。これは、「共有地の悲劇」(コモンズの悲劇)というモデルの強権的解決方法のひとつでもあります。

「共有地の悲劇」とは、集団のメンバー全員がそれぞれ自発的に協力的な行動をとれば、すべてのメンバーにとってはよい結果になることは分かっているのに、個々のメンバーそれぞれが自分にとって合理的な行動をとろうとすると、結果としてだれもが不利な状態がもたらされるという、ひとつの典型的な社会状況を表したものです。そのような社会的な状況において、権限と統制力を持つ第三者が統制する仕組みが「ヒエラルキー・ソリューション」なのです。

この形態だけを見れば、官製談合さえも、「共有地の悲劇」が生み出した「ヒエラルキー・ソリューション」である、といえるかもしれません。しかし、この議論も底の浅いものです。公共工事が、「本来誰の共有地なのだろうか」という疑問が首をもたげた途端、この正当性は簡単に崩れてしまいます。

では、公共工事は、誰の「共有地」なのでしょうか。本書では、「公共工事という産業」という言葉をなんの断りもなく使用してきましたが、この言葉は、今までの公共工事が、「地場型公共工事複合体」(地場だけはありえないが)を構成する、政治家、行政(発注者)、建設業の「共有地」であったことを意味しています。

公共建設市場という意味での公共工事が、「公共事業という産業」の共有地であることは今後も変わらないでしょう。しかし、私たちは「市場」という言葉がたいして意味を持たない「公共工事」という共有地の存続に、大きな発言権を持った新しいメンバーが加わってきたことを感じているはずです。それが「市民社会」や「地域社会」という公共工事に対する真の「消費のミーム」の持ち主であることは、今までの議論でも明らかでしょう。

Written by 桃知利男のプロフィール : 2008年04月26日 13:42: Newer : Older


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