自らが動きださなければ問題は永遠に解決しない
市場をミーム論から見ることで、「公共工事ダメダメミーム」は、中小建設業にとってさらに厳しいものとなり、そのスピードは益々加速していることが理解できたかと思います。ここで恐れるのは、一旦均衡してしまった状況を元に戻すことは、非常な困難を伴う(たぶん不可能でしょう)ことです。
信頼の構築による淘汰から再生へ
私たちは、既存の権威がすでに機能しなくなりつつあることを知っています。アカウンタビリティやパブリック・インボルブメント(PI:政策形成の段階で人々の意見を吸い上げようとするために、人々に意思表明の場を提供する試み)が、昨今の公共工事でいわれている背景には、市民社会という公共工事に対する「消費のミーム」の主の台頭と同時に、「既存の権威」の崩壊という問題があります。それは「ヒエラルキー・ソリューション」の崩壊のはじまり、といってもいいでしょう。
結局、公共工事に対する「消費のミーム」とは、「発注者」と市民社会との関係で簡単に変化するような曖昧なものでしかありません。ここではそれを、「プリンシパル・エージェント問題」(省略して「エージェント問題」)として考えてみましょう。
「マーケット・ソリューション」の台頭は、中小建設業に「安心」を提供してきた集団主義的社会の組織原理が、機会費用の増大で高く付き過ぎる、と多くの国民が感じるところから始まっていることは確かです。そうしてこう繰り返しているのです。
「世の中、飼い慣らされた金魚ばかりだから餌がたくさん必要になって国の財布はすっからかん、挙句の果てに借金までしなくちゃならない」。
さて、「公共工事という産業」を維持してきた「安心のシステム」とでも呼べるものをどのように解釈するにせよ、このシステムは、仕事量という環境パラメータの増減によって、いとも簡単に機能できたりできなくなったりすることは明らかです。つまり、「全員に行渡る仕事がある」という環境では、この行動原理は機能しますが、「全員に行渡る仕事がない」という環境では機能することはできません。なぜなら、この「安心のシステム」の構成員が自ら忠実な構成員足ろうと思えるのは、構成員として満足できる仕事の配分を受けることが可能な状態(もしくはそう思える状態)が継続されている場合にしかありえないからです。
本書では、「安心の担保」に依存した権限と統制力による秩序の維持方法を、「ヒエラルキー・ソリューション」とみなした議論を行っていますが、官製談合などは、正確には「(裏)ヒエラルキー・ソリューション」とでも呼んだ方がよいかもしれません。
中小建設業の「狭義の技術ミーム」は、たとえばふぐの調理免許のようなものです。これは相手の「能力」に対する期待としての信頼を担保します。ふぐ屋を開業するには調理免許は最低限の適応課題であり、これも「技術のミーム」には違いありません。この調理免許という狭義の「技術のミーム」は、調理人のふぐを調理できる、という技術(能力)に対する信頼を形成することはできます。