[店主戯言00110 2001/10/01〜2001/10/31 "There goes talkin' MOMO"

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2001/10/31 (水)  
【大垣で朝】

昨晩は23時頃に大垣のホテルに入った。
松阪から名古屋までは近鉄の特急。

名古屋からは,岐阜羽島まで新幹線。
岐阜羽島から大垣まではTAXI。

元気はあるわけないので風呂に入ってそのまま寝る。

今朝は7時に起きる。
部屋の窓から見える大垣の街は,穏やかな,いい朝に見える。

今日のセミナーは満員御礼状態のようである。

さて,10月26日に紹介した「時評」の筆者さまからメールをいただいてしまった。

 店主戯言(10月26日)に紹介いただきました
「時評」の筆者です。○○の○○さんからメール
をいただき、覗いてみました。
 「悪い内容ではない」は、店主の最高の褒め言葉
と受け取っています。
 桃知さんのお話は先日、○○さんからお聞きしました。
後輩の記者が建設CALSを専門に担当しているので、
これまで講演をお聞きする機会がありませんでしたが、
今度、ぜひ伺いたいと思っています。(確か、近日中に
岩崎のフェアで来道するとか…)
お会いできるのを楽しみにしています。まずはお礼まで。
 
追伸:掲載された記事は北海道新聞ではなく日刊の建設専門
紙「北海道建設新聞」です。

あはは。。。新聞名を間違えていたらしい。
お詫びして訂正である。

(誤)北海道新聞→(正)北海道建設新聞。

ところで,ケーセラの石井さんの春夏秋冬独り言(10月29日)もいい視点である。
偉そうな言い方で失礼だが,だいぶ考え方がまとまってきたなと思う。

地場型中小建設業に訪れつつある状況とは,例えればアノミーな状態なのだろうと思う。
自らが信じてきた権威(それは意識してもしなくてもだ)の崩壊と無秩序の到来である。

例えば,その状況では,ISOもITも「藁をも掴む」の藁にしか過ぎない。
故に,特にISOは新しい権威(希望)として映ることだろう。

→だからブーム(流行:はやり)である。

しかし,その多くは,その希望を決して長続きさせることはできない。
誤ったIT化も(当然だが)効果が見えないとなれば,さらなる喪失感を生み出すだけである。

→それはISOやIT化の持つ思想的な背景を知ろうとしないからである。
→既存の秩序を守ろうとする意識化でのISOやIT化は,内部矛盾を引き起こす要因にしかならない。

そうして,自らを取巻く環境は,益々「市場の圧力だけが唯一の基準である」というところに収斂していくしかないように思える。
グローバリゼーションは新たな秩序の構築を意味するものとなる。

そこでは,何もしない選択も誤りではないかもしれない。
ただ,それは自らが市場からログアウトすることを意味するだけでしかないが。

まったりと死ぬ。

既存の権威の崩壊は,既得権益の崩壊を意味するだろう。
それに対してはなんら異論はない。

しかし,我々は市場メカニズムの調整機能の限界を知っているはずである。
同様に政府が介在する経済調整の限界もこの10年で十分に理解できたはずである。

優勝劣敗という言葉がいつの間にか市民権を得てしまっている時代となった。
→それが正しいという理解でだ。

それが企業という営利組織において言われるのはまだ我慢が出来る。
しかし,いつの間にかそれが個人レベルの話になっていないだろうか。

そういう考え方が支持を得るような風潮はどうかなと思うのだ。
それは得てして一握りの強者の理論でしかないのではないだろうか。

しわ寄せは当然に弱いところへ集中するだろう。

2001/10/30 (火)  
【今日は松阪へ行ってくる】

桃知@名古屋で目覚める。
よく寝た。。。はずである。

今日は松阪で仕事。
終了後大垣への移動となる。

しかし,この国の息苦しさはなんなのだろうと思う。

「小泉内閣はまだなにもやっていない」
「焼け野原に決意を示す旗だけをたてるようなことになっている」
(堺屋内閣特別顧問,今日付けの毎日新聞朝刊より)

しかし,堺屋氏は,いまだに「今はデフレスパイラルの危機にある。」などと言っている。
変わってないなぁ。

今はデフレスパイラルなのである。
いくら財政を発動したところで,この国の経済が自律回復しない理由なんていくらでも考えられる時代なのだ。

こういう時代には,我々は何もしない選択というほうが精神的には楽なのかもしれない。
少々の痛みは承知のうえでか。。。

まったり死ぬ。

朝は忙しいので(元気があったらだけれども),また夜にでも書こう。

2001/10/29 (月)  
【名古屋着】

JAL393便は奇跡とも思えるシルキーな着陸で鹿児島空港に着陸した。
思わず,「すばらしい!」と口走ってしまった。

さて,例の件,つまり手荷物の引換証を失くしてしまった件だが,これへの対応は意外と簡単であった。
荷物の中身を確認して,タグに名前と電話番号を書くと言う作業だけである。

拍子抜け。
鹿児島空港には井之上さんが出迎えに来てくれていた。

鹿児島は予想通りというか,当たり前に暖かい。
私は寒いのかと思って,革ジャンにコーデュロイのパンツ。

つまり,大はずれであった。
阿久根市までは車で1時間40分ほどかかる。

途中,出水市の「いわしや」でいわし膳を食べる。
阿久根市は漁港である。

昔はいわしが沢山取れたとのこと。
今は水揚げが少なく,おいしいいわしもあがらないらしいが,「いわしや」のお膳は十分においしかった。

阿久根建設さんでの打ち合わせを終えて,再び鹿児島空港まで送っていただく。
鹿児島空港で晩飯を取り,ANA 360便で名古屋空港へ。

きっちり予定通りの20時50分に到着。
空港からはTAXIで移動。

今や名古屋の定宿化している「名古屋グランドホテル」にチェックインしたところ。
「すばらしい日々」であるなぁ。

メールが届く。

2001/10/28 (日)  ▲ ▼
【There goes talkin'】
>あらゆるものを自己決定に委ねる社会は,結局なにも決定できない
>のではないだろうか。

これすごく気になってます。
ですのでどうしても客観論者から抜け出せません。

未来は予測不可能なので客観等無理なことはよくわかるのですが
結局何も決定しない人が蔓延しているような気がしてまして。

判断すべき人が判断しないためにずるずる沈む。
沈まないためには無理矢理基準つくってとりあえず判断する
といった感じです。

>市場の圧力だけが唯一の基準であることで何が幸せなのだろう。

桃知さんや、太田さんが主観論者とはっきりいえるのは自分の
判断基準を持っているからなのでしょうね。
判断基準をもっていない人、又は持っているけど使わない人が
多いような気がします。

>あらゆるものを自己決定に委ねる社会は,結局なにも決定できない
>のではないだろうか。

>市場の圧力だけが唯一の基準であることで何が幸せなのだろう。

種明かしをしよう。
このフレーズは私のオリジナルではない。つまり,ぱくりなのだ。

オリジナルは,渋谷望,『ポストモダンの宿命論』,現代思想,2001年11月号,P134 である。
もちろん,これは私自身のことを言い表してもいるし,公共工事依存型の地場型中小建設業をもその範疇として書いている。

それは悲しいまでの既存の規制への依存。

ついでに,もう一つ引用しておこう。
それは渋谷論文のプレリュードである。

『根本的に恐怖は一つの感情などではない。それは後期資本主義下における主観的なものの客観性である。−ブライアン・マスミ』

後は渋谷論文を読んでくだされ。


【こんどく】

桃知@JAL393便%鹿児島行きである。
例によって日本茶をいただいていた。

先ほど気がついたのだが,預けた手荷物の引換証を失くしてしまったようだ。
これは始めての経験のなので,果たしてどのような処置が必要なのか非常に楽しみなところではある。

さて,今週の読書である。
先週は,かなりの量の本を読んでいる。

その中から一冊。
吉田和男,『日本経済再建「国民の痛み」はどうなる』,2001年10月20日,講談社+α新書。

京大大学院教授である吉田和男氏は真正の財政改革推進論者であり,供給側の視点に立った経済学の方である。
なので,地場型中小建設業が立脚する「公共投資による雇用拡大効果」には否定的な立場である。

つまり,こう言う。

『九二年度以降の長期不況のもとで行われた,公共投資による景気回復という考えは,財政赤字の拡大しか残してこなかった。それが実際に景気浮揚効果がないことを巨額の費用をかけて実験し,その問題を確認したにしぎなかったのである。』

『地域における雇用確保という観点で進められた公共投資は,資本効率としてはきわめて効率の低いものであった。』

『たしかに,地域での雇用確保は重要な施策であるかもしれない,しかしながら,問題となる地域雇用確保は,好景気のときでもむずかしかったことを思い出すべきである。』

『しかも,公共投資によって雇用拡大には成功してこなかったのに,逆に財政再建が必要として公共投資を削減すれば,今度はただちに失業問題が生じることになる。このために,事業量確保はつねに政治的な圧力となり,毎年度補正予算が求められ,しかもそれが毎年増大させられてきた。』

『そして,財政効率を無視したような公共投資が行われることになり,日本中が「公共投資中毒」になったのである』。

地場型中小建設業側の立場から言えば,手ごわい論客だ。
しかし,何故にそういう主張が多いのか,地場型中小建設業,自ら置かれた環境を知るには,こういう本も読んでみるべきである。

その上で,情緒に訴えるのではなく,理論的に反論できればいいのだ。
が,それは,とてつもなく困難な道のりではあろう。

2001/10/28 (日)  
【There goes talkin'】

蕨は冷たい雨が降っている。

今日は午前中に11月1日に予定している郡上建協での電子メールの勉強会用のテキストを作成。
郡上建協では,会員会社の全ての従業員にメールアドレスを配布する。

その勉強会をするための,講師の皆さん向けの勉強会を11月1日に予定していた。
私は11月1日のなるべく早い時間帯に帰る必要があるため,事前準備はとても大切となる。

郡上建協における今後の展開では,MS GroupBoard(建設現場版)を用いたCALS的現場管理の実証実験システムも準備する予定である。
郡上は遥か先を走っていく。

郡上の仕事を終えて息抜き。
宅急便(明日の名古屋泊と明後日の大垣泊用の着替え)を出しにでかけ,そのまま,近所の「麺匠 むさし坊 蕨店」で遅い昼飯。

帰りがけ100円ショップでソフトケースをたくさん買って帰る。
→移動の荷物の仕分用として。

帰宅後また資料作成を再開する。
30日の丸亀産業さんでのメール勉強会用資料を作成(つまり郡上建協のものの流用(笑))。

31日のソフトピア・ジャパンでの講演用PPTを今頃ようやく作成。
11月6日の四街道市での市会議員さんの勉強会向けPPTもようやく完成。

それで,既に午後7時を過ぎてしまった。
こうして,あっという間に一日なんて終わってしまうのだ。

しかしだ。。。
こうしてあっという間に終わる一日を,私は自らの未来と結びつけることができないでいる。

自分の老後なんて想像もつかない。
年金がもらえる年齢まで,年金を積み立てることを想像することは,今の私には難しい。

たかだか後20年そこそこなのにだ。

あらゆるものは刹那的に移ろい,自立と自助のスローガンのもとで,自己の未来はあらかじめ決定されることを拒否する。
全ては,リフレキシブルに,それこそ優柔不断に構築されるもののように感じる。

あらゆるものを自己決定に委ねる社会は,結局なにも決定できないのではないだろうか。
市場の圧力だけが唯一の基準であることで何が幸せなのだろう。

今の我が国で生きているということは,そういう風に私には感じられる。

と言っても私はまた動き始めるのだ。
それは,一時的にどこかで見た(夢かもしれない)将来への希望を,何とか己の手元へ手繰り寄せようとする,せつない努力かもしれないが,だ。。。

と言うことで,明日は鹿児島へ飛ぶ。
鹿児島といっても飛行場から1時30分程車で移動するらしい。

鹿児島の仕事を終えたら,きびすを返す。
夜には名古屋へ移動し,名古屋泊。

30日は松阪へ。
松阪での仕事が終わり次第大垣へ移動し大垣泊。

31日は大垣はソフトピアジャパンで講演

講演後,岐阜県建築工業会のIT委員会の会議。
その後,,講演会参加者との懇親会が予定されている。

ああ,そうだ,懇親会の告示をするのを忘れていた。

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主催は建設CALS/EC研修センター
場所は,レストラン「キャッスル」(ソフトピア・ジャパン,センタービル1F)
会費は2000円
開催時間17:30から2時間程度。

申し込みは店主へメールで。
参加御希望の方がおられたらですが,月曜日中に私までお願いします。
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31日は懇親会終了後に郡上へ移動。
11月1日は朝から郡上建協で仕事。1日中に帰る。

11月2日は,午前中から明治記念館で講演。
終了後,急ぎ京都へ移動する。

京都着後真っ直ぐ京都府庁へ。
ご挨拶と打ち合わせ。

→京都の皆様,1月下旬を待たれよ(謎)。

京都の夜は,某セミナーの懇親会へ参加(私は懇親会だけ参加というふとどきものである)。
トライネットの熊谷社長と逢坂マサキ建設の正木社長と一緒になる予定。

舞妓さんと一緒の懇親会らしい。
なぜか嬉しい。

翌3日は国民の休日なので,私も休む。
一日中京都でぶらぶらするつもり。

お目当ては「陰陽師」神社(笑)。
夜は琵琶法師による平家物語を聞くことになっている。

こうして,私は,相変わらず,全然家にいない。

2001/10/27 (土)  
【熱】

松山の全日空ホテルで,室戸海洋深層水「マリンゴールド」を飲みながら,TVで星の子チャッピーを見ていた。
昨晩は9時ごろには寝てしまったので睡眠は十分。

やたら腹が減っているのだが,朝食は9時ごろにして,10時にはチェックアウトしようかと考えている。
今日は丁度お昼のANA便で帰る予定。

朝からいろいろと考えている私のさしあたっての問題は,来月8日の和歌山県田辺市での講演会場ではPHSが使えないと言う連絡があったこと。

依頼主さんは紀南建設業協同組合さんなので,岐阜県での事業者団体ベースでのIT化の取り組みを紹介したいところなのだが,インターネット接続が出来ないとこれはつらい。

スクリーンカムでも使おうかと思ったのだが,私のモバイルマシンは全てWin2000なわけで,家にある古いスクリーンカム97はWin2000じゃ動かないのだ。

わざわざOSを入れるのもあほらしい。
それで,いろいろとサイトを検索。

どうやら,まだスクリーンカムNTプレーヤーがダウンロードできるようなので,これで97のファイルが再生可能か試してみようと思う。

こういう些細なことで,時間が取られる。
まだまだ苦労は絶えないのだ。

ところで,私は検索エンジンにgoogleを使うことが多いのだが,googleツールバーなるものがあったので早速インストールしてみた。
なるほど便利だなぁと思う。

ただそれだけ。。。

ところで,昨日の建築士事務所協会全国会長会議での講演の感想だが,寒いなぁの一言。
会長さんの集まりというぐらいだから,ジェネレーションギャップは相当覚悟して講演には望んだのだけれども,普段,私が演台上で感じる聴衆からの熱が全然伝わってこなかった。

これは話している当人にしては相当に辛い。
と同時に私の力不足を痛感するのだ。

なので松山で星の子チャッピーを見てへこんでいるのだな。(笑)

2001/10/26 (金)  
【maximin rule】

松山での講演を終えて部屋で一休み中。

北海道からメールが届く。
北海道新聞の時評に載った内容を知らせるメールである。

 国の構造改革に伴う来年度予算公共投資10%削減をめぐり,道内建設業の雇用対策が焦点になっている。本道経済に占める道内建設業にウエートが高いだけに,建設産業のソフトランディング(軟着陸)が喫緊の地域課題であることは間違いない。

 だが,10%削減の”事後処理”を早計に論ずるより,いまは年末の来年度予算内示に向け,道と経済界が一丸となって,必要な公共事業費予算の確保に全力を尽くすことが先決ではないか。

 なぜなら,中央省庁再編で北海道開発庁が国土交通省へ統合されたときと同じように,またしても北海道だけが「物分かりの良い地方」の役回りを演じ,構造改革による”痛み”を必要以上に押し付けられる懸念があるからだ。

 本道経済はともすれば”土建型経済”と揶揄(やゆ)されるが,明治以来長年にわたり国策として本道開発を進めてきた歴史があり,地域内に建設業者が多いことは,必然的な結果だ。

 だが,その現実を直視することなく「無駄な公共事業」や「土建型経済」という中央の批判をまともに受け入れてしまう道民の体質こそが問題といえよう。

 道内の全産業に占める建設業の割合は就業者数で13%,生産額で12.5%に上り,農林水産業の第一次産業をはるかに上回る規模であり,建設産業が本道経済の「基幹産業」であることは紛れもない事実だ。

 とりわけ雇用面では,かつて本道経済の屋台骨を支えた炭鉱,漁業,農業の離職者を受け入れ,建設業の雇用吸収力が地域社会の崩壊を辛うじて食い止めてきた。

 こうした現実を踏まえると,道は10%削減後の雇用創出策にエネルギーを注ぐよりも,むしろ地元建設業者が本道以外でも生き残っていけるような競争力強化策を積極的に打ち出すべきではないか。

 事実,全国の自治体に先駆けて建設CALS/ECに取り組んでいる岐阜県は,地元中小建設業者の競争力強化ツール(道具)としてITを活用し,ハード・ソフト両面の支援策を具体化している。このことは,建設産業を農業や他の製造業と同じように地域の大切な「産業」として認知している証でもある。

 他方,中央省庁再編による権限委譲で北海道開発局も「建設業行政」を所管しているが,道建設部の業行政との連携・調整を図りながら,国と地方の役割分担をきっちりと明確化し,効果的な建設産業の振興策を推進すべきだ。

悪い内容ではない。
と言うよりも,多分に私の考え方に影響を受けたものであるかもしれない。

maximin rule(マキシミン・ルール)と言う考え方がある。
『つまり起こりうる最悪の事態を想定し,最悪の結果と比較して被害が最小となる選択』(金子勝,『「最悪のシナリオ」を政府はなぜ提示しないのか』,プレジデント・2001年11月12日号,P99)である。

地場型中小建設業の崩壊は,地域経済に壊滅的な打撃を与えるだろう。
その最悪の事態を想定しなくてはならない。

問題は,そのような物言いが既得権益者の隠れ蓑,若しくは錦の御旗になる危険性である。
それはなんとしても避けなければならない。

つまり,村上の予言どおり,開発主義における既得権益は,その(開発主義の)日没の障害以外の何者でもないからである。
構造改革とは,既得権益の解体と新たなる機会の提供であるべきである。

終わらせるべきは明治維新後から面々と続く開発主義(工業化の流れ)である。
その目的を達成することと,市場原理一本やりで構造改革を進めることとは決してイコールでは無い。


【はりはり鍋と電子入札】

今日は,ANA 585 東京(羽田)(0955)で松山に飛ぶ。
建築士事務所協会全国会長会議で講演。松山泊。

ところで,昨日は休みだったのだが,朝から電話が沢山くる。
まあ,こういう日もあってもいいのだろうと思うが,なんかいつもと勝手が違う。

今日の講演用のPPTを作成し,11月2日の講演用PPTを作成してメールでお届け。

午後からは,ちょっと息抜きに,川口のそごうまで,はりはり鍋の材料を調達に出かける。
と言っても,うちのはりはり鍋は「みずな」と「鯨肉」だけのシンプルなもの。

醤油ベースに生姜をたっぷり入れる。
みずなたっぷり,鯨肉はほんのお情け程度であるのが悲しい。

なんと言っても鯨は高い。
が,はりはり鍋はやっぱり鯨じゃないとだめ。

これは悪しき習慣なのである。
本当は鯨でなくてもいいはずなのである。

しかし,私たちの世代と言うのは,鯨を安い蛋白供給源として育った世代である。
鯨のうまさを(特に成長期にだ!)脳みそに刷り込んでしまった世代なのである。

鯨は限りある資源なのだ。
と言うよりも,食べる対象から除外すべき生き物であるというのが世界の趨勢である。

しかし,鯨は私の精神的な基盤なのだという,一見まともな理由をふりかざし,私は鯨を食べ続けている。

こうなると,公共工事に依存する地場型中小建設業業界というか地方経済と,なにも変わらないなぁと思う。
要は,無くても大丈夫なのに,やめられないだけなのだ。

そうごうで買い物中にも携帯に電話が来る。
そのうちの一つは結構深刻な問題で,メールサーバーからメールがダウンロードできないと言うもの。

状況がわからなかったので,急ぎ自宅に戻ってリモートで対策。
なんとか上手くいったみたい。

しかし,昨日は電話の多い日であった。
その代わりメールは極端に少ない。

それはいつもの半分ぐらいかな。
と,言うことで昨日の続きにしたい。

村上泰亮のいう開発主義からのイマジネーションである。
それは,工業社会から情報社会,グローバリズムの社会への転換に開発主義的発想は有効だろうかという知恵の輪である。

と,知恵の輪はずしをはじめよとしたのだが,電子入札の件で,気分の悪くなるような記事を見てしまったので,まずは(全然関係ないかもしれないが)「KEN−Platz News  2001年10月25日号」からの記事の引用からはじめる。

▼電子入札システム乱立問題、2方式でもコスト縮減効果が半減
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/members/NEWS/20011025/101196/
 (財)日本建設情報総合センター(JACIC)は、電子入札システムが乱立した場合
の建設業界の投資額の試算を明らかにした。試算では、電子入札システムが2方式で
きた場合、建設業界全体の投資額は年間1277億円となり、約2000億〜3000億円と
試算されている電子入札によるコスト縮減効果が半減する結果が出た。さらに、10
方式できると、業界の投資額は年間5566億円となり、コスト縮減どころか逆にコス
トがアップすると試算した。

これは一体なにが言いたいのだろうか?。
みなのモノ,黙って御上の言うことを聞け!と,言っているんだろうなぁ。多分。。。

我々は,電子入札に関しては,今一度原点に戻って考える必要があると思う。
何かが何処かで方向性を取り違えて来てしまっているのではないかと思う。

それは,行政のIT化(つまりデジタル政府化)がもたらす入札(つまり調達だな)の変化とは,多様な調達方法が現実的に可能になること言うことであって,入札行為がデジタル化されるとか,そのデジタル化されたプロトコルが違うとか,それじゃ受注者が困るとか,そんな枝葉の話は大した問題ではない。

一般競争入札であれ,CMであれ,PFIであれ,VEであれ,DBであれ,指名競争であれ,性能規程であれ,PMであれ,その他私のイマジネーションを遥かに超えるような調達方法であれ,それらに対応できるような柔軟な電子調達システムこそが正しいのである。

CALSの目的の一つは,確かにコストダウンである。
しかしだ(デジタル政府の実現と言う正統な理由からの主張なのだろうが),たかだか事務の効率化にすぎない電子入札で,年間に何千億円もコスト削減されるというが,そのことと自体,自らの現在の仕事のやり方が本当にまずいとを認めているに過ぎないのではないだろうかと疑問が沸く。今出来ないコストダウンが,入札が電子化されたぐらいで解決できると思っているのだろうか。

つまり,電子入札で本当にコストは下がるのかという疑念が常に私にはある。
紙がデジタルになるだけの今の電子入札は,建設業界の再生(つまり競争力のある自立だ)をもたらすのであろうか。

→これについては紙芝居を用意した(PowerPoint PPTファイルである)。
→興味のある方はダウンロードのページからダウンロードしてみてください(早い回線をお使いで,MS PowerPoint2002をお使いの方は,オンラインで見る(実効)ことも可能です。

問題は,一見正統な電子入札システム統一論なのだが,ここには,官が自ら「モノを作る」という視点が未だに露骨に存在しているようにに思えることだ。

こうなると,CALSは単なるOA化にすぎない。

CALSは,正しく,「モノを作る」から「モノを買う」への発注者視点の変化に支えられる。
CALSがコストを下げるのは,この調達視点に立脚する,競争性の確保にこそ,その理由が求められるものである。

電子入札システムは,正しくこの視点変化を担保する必要がある。
それが出来なければ民間に任せればいいだけのことである。
→アウトソーシング

このグローバリズム下での行政改革とは,民間の活力(ガバナンスの考え方)を政府に導入する事にしか解決策はない。
→つまり小さな政府である。

なにからなにまで官が準備しなくてはならないという発想自体が,既に我が国の閉塞感をあらわにしているだけなのである。
いつまでも抜けきらないその発想自体が,我が国の情報社会化,グローバリズム化への対応障害となっていることに早く気がつかなくてはならない。

つまり,開発主義はさまざまな既得権益を生み出すだけに,日没が難しいことを痛感するのだ。
現在の電子入札の問題は,CALSの問題とは別の次元(つまりCALS化以前の問題)として存在しているとしか思えない。

悲しい気分にさせられる記事である。
と,言うところで,私は出発準備をしなくてはならないので,今回はここで終わり。

ところで,TAKAみちのく。
誕生日おめでとうなのだ。

2001/10/25 (木)  
【ちょっと難しい?話】

私は,この小泉内閣による構造改革において,地場型中小建設業(その他「地場経済の活性化と雇用の確保」の主義を持つ公共事業にぶら下がっている建設関連業も含む)の存在とその存続に関しては,(結果的だが)地場型中小建設業を擁護する立場の理論を展開してきている。

→それは単純に補正予算を組んで仕事を確保しなければならないというようなものではない。
→それは極めて政策的,戦略的なものとしてである。

それはまず,地場型中小建設業は,極めて政策(政治的?)な産物であるという視点からの出発である。
それは地場型中小建設業がその存在理由の拠所とする主義の問題でもある。

その一つは,村上泰亮のいう「開発主義」的なアプローチからのイマジネーションである。

つまり,ある産業をわが国において,国際的に競争力を持つ産業にしようとした戦後の政策は(それは農業社会から近代工業社会への国家主導的な展開を意味する=「開発主義」),大都市圏を中心とした富の形成を顕著なものとし我が国に繁栄ををもたらしたという事実である。

それは,労働力としての若年層の,農村から大都市圏への移動をもたらすことになった。
つまり,戦後日本では1960年代にかけて農村から大都市圏への働き手の社会的な移動が継続的に観察された。

そこには,労働力の依存を農村に継続的に依存した結果として,地方の農村が急激に衰退することを防がなくてはならない必要性があった,とするのが私の立場である。

それは文化の断絶,精神基盤の継続という問題である。

『そもそも労働を賃金の面からだけ考えること自体が,資本主義の特徴であって,それ以前の社会では,労働には,文化的な意味づけや心理的な充足が付随しており,労働は生活様式の一部に有機的に組み込まれているのが普通である。都市への流出は,人々がそのような生活様式から切り離されることを意味し,大きな心理的な緊張を強いずにはおかない。この心理的な緊張を軽視すべきではない。』(村上泰亮,『反古典の政治経済学要綱 -来世紀のための覚書-』1994年8月25日,中央公論社,P199)

これは,盆暮れの里帰りを例とすれば,今でも多くの日本人の中に息づく心理的な基盤の持ち方である。
そこで必要となるものとは,農村から大都市圏へ移住した多くの労働者(つまり戦後日本の繁栄の底力となった方々である)の,精神的な拠所(エートス)としての故郷(農村)の衰退を防ぐ必要性である。

『都市部だけでなく農村部だけに限っても,産業化にともなって生活の困窮が進み,生活空間が荒廃してくるだけであると感じるとき,産業化への支持は失われ,何らかの争乱に訴えようという気持ちが高まるだろう。あるいは少なくとも,世直しの争乱への潜在的な支持が生まれるだろう。』(村上,同書,P199)

この文脈においてこそ配分政策の必要性は言われる。

そして,この文脈においてこそ地場型中小建設業は毛細血管機能のごとく存在したのである。
日本列島の隅々まで栄養分の配布(配分政策)を行う機能である。

それは,間違いなく農村の衰退を防ぎ,少なくとも80年代までの日本の近代工業化成功の一端を担ってきた。

『しかし,振り返ってみると,もし日本が生後の高度成長期に,非新古典派型の配分政策すなわち価格維持政策をとらなかったとすると,農村の疲弊が加速し,産業化への不満が倍加し,心理基盤を農村に置くかなりの数の都市住民がそれに呼応し,社会は騒然としていたことだろう。また,価格維持でなく一括補助金型の政策をとったとすると,農業という労働基盤を奪われた農民は,たとえ所得を保障されたとしても,無気力化して産業化から脱落し,農民の生活様式自体が崩壊して,やはり大きな不満層が形成されていただろう。』(村上,同書,P206)

私はこの立場に立って地場型中小建設業の存在を理解してきた。
故に,地場型中小建設業は,極めて政策(政治的?)な産物なのである。

しかし,問題は,我が国は既に工業国としての頂点を極め,その役割を終えようとしているということである。
(既に世界の工場としての立場は東アジアへと移った。)

つまり,農業社会→近代工業社会という産業化の目的は既に達成され,開発主義(それが可能とすればだが)のゴールは工業社会→情報社会という変化への対応という新しい局面を迎えているということである。

そうであれば,我が国が陥っている混沌とは,この新しい局面への対応能力の欠如故なのだと言うことが出来るだろう。

若しくは,村上が,『この非新古典派型の配分政策も,うまくやりぬくのは決して簡単ではない。資源配分の不効率性との比較考量を誤るかもしれないし,とりわけ,離農が事実上ほとんど完成した後も,さまざまの既得権益のため,この政策を日没させることが難しいという問題に直面せざるをえない。』(村上,同書,P205)と言うところに収斂しているのである。

私は,この文脈上に構造改革は存在しいていると理解している。
つまり,構造改革とは新しいゴール(そのゴールは工業社会→情報社会という産業政策への移行ではないだろうか)へのアプローチであるということができよう。

そこでの顕著な変化とは,戦後の高度成長期に行われた農業から工業への労働人口の移動と同様なことが,建設業から情報産業(若しくは広義のサービス業)への労働力の移行であろう。

そこには,新しい開発主義の必要性を見て取れることになるのだが,我が国の直面している問題とは,その新しいゴールである情報社会で国際的な競争力を持つ産業の育成を怠ってきたという現実である。

つまり,建設業から情報産業(若しくは広義のサービス業)への労働力の移動は,その受け入れ先がそもそも存在していないのである。

さらに国,地方自治体の財政悪化は,この自らは変化できない産業(地場型中小建設業)の現状維持自体が困難であるという現実を突きつけてきている。

ここに地場型中小建設業という産業の閉塞性がある。
だからといって,この業界(地場型中小建設業)を自由競争による自然淘汰に任せたり,あるいはたかだか中立的な所得配分を行ってことを済ませようとすることは誤りだと指摘したい。

この産業は政策的背景を色濃く持って存在してきた。
その存在意義の幕引きも正しく政策的でなくてはならない。

それが自治体建設CALS/ECという政策であるというのが私の立場なのだ。
その目指すところは,地場型中小建設業という産業の自立化に他ならない。

確かにそれ(開発主義)は,さまざまの既得権益を生み出してきた。
そしてその日没の難しさは,今我々が直面している困難そのものなのである。

構造改革とはその困難に対する戦いなのであり,我が国の21世紀はこの作業なくしては想像することもできない。
故に,地場型中小建設業の開発主義的な役割は,開発主義の終焉とともに,既に終焉を迎えようとしていることも確かである。

地場型中小建設業が開発主義の生み出したさまざまの既得権益の中にだけ存在するとなれば,その存在は,日本の近代工業社会化の終焉とともにその存在価値を失うことになるだろう。

地場型中小建設業(という産業)に必要なこととは,まず第一義的に意識変革のである。
それは自らの存在理由を知り,自らが21世紀という時代の中で担う役割の変化への対応である。

それが極めて市場原理主義的にならざるを得ないのは避けられない事実である(その詳しい話は今回はしない)。
そのために私はIT化の話をし続けているだけなのだ。

2001/10/24 (水)  
【泣き言かなそれとも激かな】

名古屋から浜松立ち寄り,その後自宅へ帰る。
東京駅からは珍しく京浜東北線で帰ってきた。

そのココロは,空いている時間帯だったから。
→秋葉原からずっと座ってこれた。

帰宅後,26日に松山で予定されている「第78回建築士事務所協会全国会長会議」での講演用PPTの準備にかかる。
この講演は,岐阜県建築士事務所協会の向井会長とご一緒。

向井会長のプレゼンテーションの上手さは折り紙付きなので,私はあくまでもフォローということになるなぁと思いながら準備している。

とにかく岐阜県の皆さんの喋りは上手いのである。
31日の郡上の前田会長とのコラボも同様に心して準備しなければならない。

松山用のPPTは明日までかかって出来上がる予定。
それと11月2日の明治記念館での建設労務安全協会さんでの記念講演用のPPTを作成。

これが出来れば,10月31日のソフトピアジャパンと11月6日の千葉県での市会議員さんの勉強会用のPPTの作成に入る予定。
→石井さんもう少しまってください。

問題は受注残となっている(最近は全て断っている)原稿執筆の時間が取れないことだ。
来月は連休も多いので集中したいところだが。。。

一日24時間は,私にとってはあまりにも短い。
生急ぎの感も無きにしも非ず。

さて,昨日の講演は楽しかった。
予定時間は例によって30分オーバー。

最近は恒例の時間延長なれど,どなたも席を立つ方はいない。
そして誰も眠らない。

→私に講演依頼をされている皆様は,時間に余裕を持って設定してくださいな。

例によって私の話で気分を害した方は多数おられるとは思うが,私は存在そのものが毒なのだから仕方ない。
これは最初からあきらめてください。

別に私は業界をよいしょするつもりも無いのである。
→皆さんが私を選ぶ選ばないが自由なように,私も顧客は選ばしていただいている。

懇親会にて「頭蓋骨を割られて脳みそを手づかみでぐちゃぐちゃされた感じ」というお褒め言葉(当の本人様は誉めているつもりは無いかもしれないが)をいただいた。

グラシアス!である。
ただ,私の話は当たり前のことを,ただ当たり前に説明しているに過ぎない。

このグローバル化が進む(にもかかわらずグローバル化に乗り遅れた)日本という閉塞した社会で,閉塞している建設業のその閉塞の原因を話しているにすぎない。

→そんなので脳みそがぐちゃぐちゃしてもらっては困るのである。

とにかく,私の(アルコール漬けではあるが)脳みそで,どう考えても,そうしかならないという話なのである。
原因はわかった。ということでいいであろう。

次は対策である。
つまり,行動を起こせ!>ALLである。

2001/10/23 (火)  ▲
【盛谷専門官の話】

全測連中部地区協議会経営者研修会にて国土交通省総合政策局建設振興課の企画専門官,盛谷明弘氏の話を聴講中なのである。
その話を以下にまとめてみる。

(以下は,あくまでも私がまとめたものである。それも聞きながら書いている。
ので,私の主観が入り込んでいる可能性は大いにある。その点をあらかじめご了承ください。)

お題は「建設関連業展開戦略研究会での検討状況」である。

1・建設関連業を取巻く状況。
・未曾有の不況継続,国,地方の財政難。
 →入ってくるより出るほうが大きい。
・国民(社会資本のエンドユーザー)に多様な意見。
 →量から質へ。
・住民参加。
 →事業を計画する側としても住民の意見を吸い上げる必要性。
・行政情報公開法。
・IT化,CALS/EC
・技術重点の競争

2・建設関連業の特徴
→地域密着型
→兼業業者が増えている。
→全測連でも測量単体よりも設計業務の受注高が多いという調査結果。
→大手,中小のレベル差が小さい。

3・国内総生産と建設投資の推移
平成8年にピーク。
現在はピーク時の約8割に落ち込む。→67兆円。
公共投資→13年は67兆のうち30兆円を割り込む。
建設投資はかなり厳しい状況にある。
建設関連業は建設の川上の部分である故に,投資の落ち込みがストレートに現れてくる。

4・測量業者数の推移
→昭和57年3月 7928
→平成12年3月 14,325
約2倍に膨れ上がっている。
建設業に比べ増加率が遥かに高い。建設業は約1.2倍。
中部地区は全国の約1割の業者数である。

5・資本金階層別の測量業の業者数。
資本金2000万円で線をひくと,8割が2000万よりも下にある。
建設コンサルの場合,1000万以下は無い。1000万円から2000万で5割。
地質調査2000万から下は約4割。

6・測量業者の兼業状況
測量業の専業者は多数を占めてはいるが,兼業している業者数は年々増えている。

7・総売上高経常利益率
平成6年から8年(阪神淡路関連の業務が出た時期)にに比べ利益率の落ち込みは顕著である。
→業務の効率化
→技術力を提供する(付加価値の高い業務)事に対する正統な対価を得るというようなことが必要だろう。

8・建設関連業展開戦略研究会での議論の内容の紹介

建設関連業展開戦略研究会とは。
平成12年12月に発足。
・人材が最大の資源である知的産業
・蓄積してきたノウハウを利用し,周辺地域に飛躍してゆける。
・建設関連業の展開方向,制度のあり方を論議。

9・検討テーマについて
・柔軟な経営環境の実現
→内部環境の改革
 →M&A等の企業再編の選択肢。
 →そのためには企業風土の改革が必要であろう (Wonderful! ももち)
→外部環境(登録,資格審査,商法,税法等)のあり方。
 →制度の整備は進んできている。
   →経営の柔軟性を担保するような仕組み
 →企業経営の戦略,選択肢の多様性を担保する外部環境の整備を進めてきている。

・技術者の能力を如何に確保していくか。
→高度な技術者→発注者のニーズの高度化,多様化への対応。
 →サービスの質的向上。
→今までの基本的な機能・能力の向上。
→外部技術者の活用

・測量業の周辺業務領域の検討
→地域LIS
→補償コンサルタント
→土地家屋調査
→情報処理
→リモートセンシング

・柔軟な経営の必要性
→建設投資は右肩下がり
→業者数は増える。→厳しい経営環境認識は必要。

・厳しい経営環境の中での企業戦略の必要性。
→多様な経営展開・選択と集中
→CALS,ISOの浸透によるプロセス,OutPutは標準化が進む。
→個々の企業には無理がかかるかもしれない。→M&A,分社化等を含めた再編を視野にする必要性。

・外部技術者活用
→仕事量の減少。
→外注可能なところ(法律・規制の範囲内で)は外注する。
 →再委託が出来る部分,出来ない部分をはっきりさせる。
例えば,測量業務を受注。環境的な部分を成果に反映。
→環境に秀でた技術者が必要。
 →しかしこのような技術者が社内にいない。
 →下請に出すことを前提に受注する。
今までは発注者に対して申告しにくい状況。

例えば,入札契約適正化法
→世の中が求めていること。
→工事の全てのプロセスの透明性だろう。
実態をガラス張りにする方法を考えていくべきだろう。

・瑕疵担保責任
測量業→仕様にあった成果を収める。
成果に瑕疵があった場合,瑕疵担保責任が受注者にある。
→瑕疵があった場合,業務の高度化,複雑化が進んでいるため,賠償は多額になる可能性がある。
→保険の活用。

・発注者・設計者・施工者の多様な事業実施体制における今後の建設関連業の役割。
問題点→設計者,測量業者の施工実態に合致した対応力が弱い。
 →現場を知らない。
→発注者・設計者・施工者間での人材の交流。
 →技術者の流動性の確保とキャリア・アップ。
PFI・PM・CM・DBのようなさまざまな形態の受注形式。
変化は大きなプロジェクトから見えるかもしれないが,出来ると感じるところがあればビジネスチャンスとして取り組んでいくのもありだろう。

・不誠実な行為の排除のための規程
→測量業は営業停止の規程あり。

・建設関連業の登録制度の改善方策の議論。

といいうことで,建設関連業展開戦略研究会での議論内容の紹介である。
次回中間とりまとめ。

まとめ。
厳しい経営環境ではあるが,経営者の方々には経営努力,効率アップをしていただきたい。
いい加減なところには退場いただく。(Wonderful! ももち)
そして,技術と経営に優れた企業に発展いただく。

社会資本整備の上流として,よい品質の成果を提供いただきたい。

競争を大前提とはするが,皆様の自由闊達な経営努力の障害になることは,全部取っ払いたい。

以上,速記者になってみました。
誤字脱字等御免である。


【プロレス者から】

タランチュラねたを振り撒いた途端,さいたまのおぐりっちからメールが届く。

>私は個人的にはTAJIRIのタランチュラがたまらなく好きである。
>このタランチュラという(最初から反則である)技の凄さについては,
>30分ほどIT化のセミナーの前に講演をしたいぐらいなのである。

私はこの「タランチュラ」を見ると、なぜか空手バカ一代の香港カン
フー最強の達人という李青鵬の秘技「三光」を思い出してしまうので
あります。

 ちなみに、私のプロレス技最大のお気に入りはドン・レオ・ジョナ
サンのハイジャックバックブリーカーです。

「モルモンの暗殺者」ドン・レオ・ジョナサンを引っ張り出してくるとは。。。
やっぱりプロレス者だなぁと呆れる。(笑)

さて,本日は全測連中部地区協議会経営者研修会で講演。
1時間30分の予定。

多分,時間は足りないだろう。

2001/10/22 (月)   
【名古屋は雨】

桃知@名鉄グランドホテルから雨にけぶる名古屋の街を見ている。
今日の晩飯は福井CPの方々とMSの平野氏とで,「眞佐可」と言う焼肉にて焼肉三昧。

残念ながらまだホルモン系は流通していなくて,楽しみにしていた,きも刺,牛ホルは食べられなかった。
しかし,唯一の生ものである「タン刺」は,はっきり言って「ものすごくうまい!」。

次は絶対にホルモン系を食ってやると思うのであった。
しかし,この店,原則的にはオーダーは1回限りで追加できないので注意を。

私たちは「あの〜お願いがあるんですが。。。」と,ひたすらお願いパターンで追加をお願いした。
最初に,オヤジには見事に逃げられた。

が,捨てる神あれば拾う神ありである。
奥さんに拾っていただいた。

当然,最初のオーダーよりも数量が多かったことは言うまでも無い。

さて,千葉からのメール。
ロックのピープルズエルボーは、何故かしびれる!
痺れませんか。

WWFネタであるなぁ。
確実にももこむの世界にもWWFは浸透してきている。

私は個人的にはTAJIRIのタランチュラがたまらなく好きである。
このタランチュラという(最初から反則である)技の凄さについては,30分ほどIT化のセミナーの前に講演をしたいぐらいなのである。

というところで私は眠いので寝る。



【のぞみ9号にて(今週の読書)】

桃知@のぞみ9号名古屋行きである。
今日の仕事についてはこちらを参照のこと。

「こんどく(今週の読書)」を忘れていたので1冊追加。
『テロとグローバル資本主義の明日』,日経ビジネス,日経アーキテクチャ他編,2001年10月10日,日経BP社。

私は,2001年9月11日にNYで起きた事件についてはこの戯言で書くことはほとんど無かった。
何か理解できないことの方が多すぎたのだ。

それは正義とか自由とかという価値観の話である。
それに,このような人間の存在の根底の部分に関わる価値観の話というのは,己のはらわたを見せなるような話にもりがちであるし,そんな話をしたくなかったというのもある。。

私の疑問の多くは(↓)であった。

ブッシュが「Freedom」というときの自由の概念ってなんなのだろう。
ブッシュがいう「Way of life」ってなんなのだろう。

彼らはそれを守るために戦うと言うわけだが,それはアメリカ人の「Freedom」そして「Way of life」なのではないか。
それに日本が関わるということは何を意味するのだろうか。

そして,ブッシュのいう「Freedom」の概念は,私の考える思想の自由,こころの自由主義と相反しないのだろうか。

この本にあるいくつかのコラム,インタビュー記事にはその答え(までも行かなくとも思考のヒント)が載っていたということだ。

それだけでも(私にとっては)もうけもんなので,こうして「こんどく」に追加なのである。

2001/10/21 (日)   
【事業者団体ベースのIT化 −その可能性と限界−(手抜き)】

10月31日のソフトピア・ジャパンでの講演用のPPTを作ろうとして,アウトラインを作成し始めた。
その結果,アウトラインに結構肉付けすることが出来たので,これを配布資料としようという結論に至った。

これでPPTは講演当日(31日まで)に構成すればよい。

というわけで,本日は久しぶりの物書き。
一部を転用して今日はおしまい。

全文は,10月31日の講演が終わったらこのサイトに載せますので少々お待ちを。
原題は「事業者団体ベースのIT化 −その可能性と限界−」である。

----------以下一部引用------------->8

 地場型中小零細建設業であれ,今後の生き残りにはIT化は必然である。それは,IT化なしでは公共工事,民間工事を問わず,建設市場の市場メカニズム化への対応が困難になるということを意味する。つまり市場が変化するのをただ黙って見ているだけでは仕事は素通りして行ってしまうということだ。IT革命が資本主義本来の姿に帰ろうとする革命であるように,IT革命の文脈に存在する「CALS」化を支える経済原理とは市場メカニズムに他ならない。

 我々は,競争が大きな意味を持つ市場において勝ち抜く経営の努力を,我が国の建設産業以外のグローバルな市場で活躍する産業(自動車やIT産業などの収入が円ばかりではない企業)に見ることができる。そのような企業に対してIT化は必要かどうかを聞くことは,もはや愚問でしかないだろう。

 一方,現在でも,多くの自治体の行う公共工事は,極めて社会主義的な目的と日本的な市場の仕組み(ネポティズム)を持って遂行されているが,それは,地場の経済と雇用をまさに担っている事実もある。「CALS」化の問題は,この二つの主義(つまり,「市場メカニズム重視」と「地場経済の活性化と雇用の確保」)の対立であり,自治体の公共工事の「CALS」化とはこの問題解決の取組みでしかない。その部分を無視した自治体による「CALS/EC」の実現はありえない。つまり,国土交通省のいう「CALS/EC」や,今後導入が検討されている欧米流マネジメント政策を,ただ受け流しで上意下達的に自治体「CALS/EC」として導入することは如何なものか,というのが私の意見である。
 
 それは,いたずらに社会主義VS資本主義のイデオロギー対決や,市場メカニズムVS日本的ネポティズムの対立軸を持ち出し,白黒をつけるというような問題ではない。自治体が地場型中小建設業に対して発注する公共工事がかかえる問題の解決方法(つまりそれは自治体「CALS/EC」の目的ではあるのだが)としては,それ(「CALS」的市場メカニズム化)を全てとすることはできない,という問題が常に残る。

 地場型中小建設企業の存在は極めて政策的なものである。その歴史的考察抜きにその存在を否定したり肯定したりすることはできまい。そんな時,地場経済の活性化と雇用の確保を主義とする公共工事が必要であった理由,つまり,地場型建設企業の存在理由の一つを,「開発主義」(村上泰亮『反古典の政治経済学要綱 -来世紀のための覚書-』1994年8月25日)的な政策に求めることは十分に魅力的でであるし,私はその誘惑を否定し得ない。

 問題は,この非新古典派型の配分政策故の存在である地場型中小建設業を,市場メカニズムにおいて整理しようとすることが果たして正しいのかということである。確かに,村上の言うように「さまざまの既得権益のため,この政策を日没させることが難しいという問題に直面せざるをえない」という指摘は正しいだろう。しかし,既得権益の解体と市場の主義の問題を切り離して考えることは無理なのだろうか。

 一つの解決策は,自治体の行う公共工事の目的を再構築,再定義することだと考える。つまり,自治体が行う公共工事は,市場メカニズムを優先さ効率を追求させたものと,地場経済の活性化と雇用の確保を主義とするものを明確に分離し,特に後者はその必要性(存在意義)を広く国民にアピールしコンセンサスをえるというものである。しかし,これさえも,構造改革によるその原資の縮小の前では,市場の縮小化は余儀なくされるだろうし,少なくない地場型中小零細建設業は淘汰されることにならざるを得まい。

 蛇足的に説明するが,「CALS」には「雇用の確保」という文脈は存在しない。それは,市場主義的経済原理では驚くにあたらない。失業という概念は古典主義的な経済学では無視されている。なぜなら,失業率が高い経済システムは,市場原理に忠実でない故なのだからだ。

 IT革命とグローバリゼーションの進展は,市場の仕組みに公共工事さえも委ねようとし,その動きは年を重ねる毎に顕著になってきている。それに反論する余地はないのかもしれない。しかし,この流れの中でさえ,地場経済の活性化と雇用の確保を主義とする公共工事の必要性(存在意義)は存在し続けている。それをアピールできる(災害に対する危機管理的公共工事もこの文脈にしか存在しない),国民的コンセンサスをえることができる最初の条件とはなんであろうか。

 それは,本当の公共工事の発注者である国民,納税者,有権者,地域住民から理解され支持される中小建設業経営の確立にしかないというのが私の現在の結論なのである。そして,それを達成可能とするものは,個々の地場型建設企業自らが,本当の顧客である国民に目を向けた経営に変革する努力にしかないと考える。その変革のためのツール,顧客重視の経営戦略のツールとして,ITは貴方のすぐそばにあるのである。

2001/10/20 (土)  
【こころの自由主義】

今日も遅い更新である。

昨日は睡魔に襲われながら,私の思考の根源の話を書いてしまった。
私の言いたいことは以下(↓)の村上泰亮氏の言葉に尽きているのだがご理解いただけただろうか。

『この小論の基本的な姿勢は自由主義である。人間は,自由を求める動物,より詳しくいえば,自由を永遠の相の下での理想状態を求める努力と理解して,自由を追求していく動物である。それは幸せの追求とは必ずしも同じではない。自由主義とは,このような努力を支え,促すような社会制度を擁護しようとする思想である。』

大切なことは,(自由の追求とは)『それは幸せの追求とは必ずしも同じではない』という認識ではないだろうか。
「幸せ」の定義,それもまた難しい。

つまり幸せとは「自由を永遠の相の下での理想状態を求める努力と理解して」いなければならない。
少なくとも私はそう思うことにしている。

ただ,「私のこころの自由主義」を求める努力は,いつもあまりにも時間が足りない。
そして,いつもいたずらに「すばらしい日々」を歌っているだけだ

私が勉強したいこと,知りたいこと,皆さんに勉強して欲しいこと,知って欲しいことが山ほどある。
こころの自由主義は無知からは生まれ得ない。

知らないことが幸せだと言う方もおられるが,私は絶対にそうは思わない。
「いったいどうなっているの?」を全て知りたい。

知ること,考えることをやめないこと。
そしてどんな時にでもあきらめないこと。

「こころの自由主義」を求める努力は,まずそこからしか始まらないと思う。

今日は午後から久しぶりに浦和の「てもみん」まで出かけてふくらはぎを中心にマッサージしてもらう。
80分。

お尻から下がかなりひどい状態なので明日も予約してきた。

10月23日に予定されている全測連中部地区協議会経営者研修会での講演用PPTを今頃作っている。
お題は例によって「公共建設市場の市場メカニズム化とIT化戦略」

副題は「What's going on ?」とした。
「いったいどうなっているの?」は私の永遠のテーマである。

23日の講演時間は1時間30分。
出来上がったPPTは59枚。

まあ,ぎりぎり納まるか,というとこころだろうか。
この休み中(明日まで)に,後四本PPTを作成しなくてはいけない。

10月31日のソフトピアジャパンは1時間30分を予定。
11月2日の明治記念館での建設労務安全協会さんの講演は1時間。

11月6日の四街道市市民会館での6市合同研修会(市会議員さん)は2時間。
11月8日の和歌山県田辺市の紀南建設業協同組合さんも2時間。

私とっては全てショートタイム版が続く。
短い時間は構成が難しい。

そしてそれぞれに内容が異なる。
しかし,それぞれに又出会いが待っている。
そう思うと,つい力が入るのだ。

2001/10/19 (金)  
【遅い更新】

今日は遅い更新である。
大阪→大垣→郡上と移動して,今ほど(っていってもわかんないだろうな。。。午後11時ってところですね)帰宅した。

大阪での仕事は5日付けの【車酔いしてしまった】を読んでいただければよい。

仕事が終わってから,例によって太田ジオさん西原さんと夜の大阪へ繰り出した。
たまたま大阪にこられていた郡上建協の方々と合流して怪しい大阪を楽しむ。

※そうそう,紹介するのを忘れていたけれど,ジオさんの最近のトピックス10月12日付け「主観と毒と」を読んでね。

今日は早くから大垣へ移動。
お昼を食べながら岐阜県建築工業会のIT専門委員会。

終了後,郡上建協へ移動。
もちろんTAXI。

ソフトピアジャパンからは大垣インターじゃなくて,21号線を行って各務原インターから乗ったほうが,確かに早い。
運転手は,郡上八幡までの客は初めてだと驚く。(→そうだろうなぁとは思う)

郡上建協ではDNSサーバーの設定変更の仕事。
終了後,岐阜羽島駅までTAXIで移動して帰路に着いた。

まったく,ITでは自宅にいながら仕事が出来るなんて言っていたのはどこのどいつだ。

メールが届く。

10月16日に旭川で行われたセミナーに参加させていただいた者です。
とても楽しく、そして業務上有意義な時間を過ごさせていただいたことに感謝申し上げます。

-------------(ざっくり)------------------>8

そのような私の環境にあって、セミナーの内容は、「まさしくその通りだ」と、思わず膝をたたきたくなるような内容でした。
会社は、そのような社内のコミュニケーションにこそITを利用すべきで、開かれた会社、情報が即時に伝わり、遅滞なく対策の講じられる会社こそが生き残っていかれるのだ、と確かに思うのです。

だがしかし、と個人的には思います。
セミナーでも、どっとこむでも仰っているように、グローバリゼーションとは、アメリカリズムと同一であると、私もその通りだと考えていました。
そして、日本の一部の企業がアメリカを市場として金を稼ぎ、そのおかげで談合屋である建設業に身を置く私が食って生きている。
全くとまでは言わないまでも、概ねその通りだと思います。
有り難いことです。
既に、IT化なくして企業は立ち行かなくなりつつあります。
その通りなのだろうと思います。
でもそれが本当に正しいことなのでしょうか?

グローバリゼーションにのっかっている国と置き去りにされている国。

もう40年ほど前、私が食事に不満そうだと、母が今も飢えて死んでいる人達が居るんだから、残さず食べるようにとたしなめたものでした。
その時、私はまさかこの年になった時代にも同じように、いやひょっとすると更に激しく飢えた人達が存在し続けるなどと考えてもいませんでした。

富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていく。
こんなことって正しいのでしょうか?

昨年の春頃に私はメールっていうものを始めました。
とても便利です。
私の仕事は、上に書いたほかに見積もりもしています。
従来手計算で、こんなもんだでやっていたものが、何階層にもなる歩掛をあっという間に積み上げて、しかも非常に正しい答えを出してくれます。
とても便利です。
世界中の、とはいってもろくに英語すら読めないので、私にとっては日本中のです
が、とにかく情報が直接、しかも即座に得られ、とても便利です。

でも、忙しすぎませんか。
どっとこむで拝見するまでもなく、桃知さんはとても忙しそうです。
時は金なりと随分昔に聞きましたが、現在その時の価値は加速度的に増大しているようです。
仕事はないよりあった方が良いに決まっていますし、時間をいかに有効に使うかで人の社会的価値が決まってしまうのも事実なんだろうと思います。

私は当然年齢のせいもあるとは思いますが、様々なコンピューターソフトやハードが
バージョンアップされ、更には新製品が出たりすると、正直なところ、もういいかげんにしてくれぇ〜っ と思ったりします。

ジェノバでしたっけ。
サミットでグローバリゼーションに反対のデモがあって確か人が一人死んだんですよね。
私には、デモった人達の気持ちが良く判ります。
そして経済・軍事大国アメリカへのテロ。
そこに至らざるを得なかった人達の心が私には判るような気がするのです。
でも誤解しないで下さい。彼らが正しいと思ってはいません。
ただ、彼らが私達と同じように暮らすことが出来たなら、そこまで至る必要は亡かったのだろう。
私達に一切の責任はなかったのだろうかと考えるのです。

先日のNHKで、水を金に変える人の話がありましたが、彼は現在の法律や価値観に照らして全く間違ったことを行っていません。
それどころか、多くの消費者が望む物を世に送り出しています。
そしてその一方で水を取り上げられ、苦しむ人には無関心です。

私達は、程度の差こそあれ同じ穴の狢なのではないのでしょうか。

どうしろと言うんだ、といわれても残念ながら私には答える力はありません。
ただ、人が人を思いやる気持ちを今の10倍くらい持てたら、ひょっとすると地球は滅びずに済むんじゃないかって思います。

桃知さんはどう思われますか?

桃知さんがあまりにこの世にぴったり、いや時代の先端を走り抜けていらっしゃるのを拝見し、うらやましいのとは別のところで、本当はどのようにお考えなのか疑問に思い、戯れ言を申し上げた次第です。

出来るものならこの世から退散したいと考えている者の戯言ですから、とりあっていただかなくても結構です。

初めてのメールでお耳ざわりな点、お許し下さい。
ちなみに、私は昭和25年生まれ、もうすぐ51歳になります。
 
追伸:もしどこかで都合が合えば、ご迷惑でなければ一杯やりたいものです。

まず最初にメールをありがとうございます。
こういうメールは心底嬉しいです。

それから,酒飲みの挑戦は,何処でも,何時でも誰の挑戦でも受けますので宜しくお願いします。

→何処でも,何時でも誰の挑戦でも受ける。
→これはプロレスラーの基本姿勢である。

さて,このメールの主題は,ITと資本主義は果たして人の幸せのために機能しえるのかという問題提起,若しくは桃知はITと資本主義が好きなのかという質問と捉えたがいかがなものか。

私は資本主義を手放しで誉める者ではない。
→なにせ私が学生の頃に学んだ経済学と言うのはマル経なのである。

なので(?),答えはこうなる。
それは店主戯言2001/03/17 (土)付けの【今週の読書】である。

以下に引用して私の答えとしたい。

『反古典の政治経済学要綱 -来世紀のための覚書-』,村上泰亮,1994年8月25日,中央公論社,を読みながら帰ってきた。なぜか今日はよく頭にはいるというか理解ができる。精神の具合がいいのだろうか。

この本は,メインディッシュではない。いうなれば前菜である。
『反古典の政治経済学(上)(下)』,村上泰亮,というメインディッシュが次に待っているのだ。
これは,それを読むための前菜である。

だけれども,その前菜を食らうのもなかなか大変な作業ではあるのは確かだ。
村上はいう。

『この小論の基本的な姿勢は自由主義である。人間は,自由を求める動物,より詳しくいえば,自由を永遠の相の下での理想状態を求める努力と理解して,自由を追求していく動物である。それは幸せの追求とは必ずしも同じではない。自由主義とは,このような努力を支え,促すような社会制度を擁護しようとする思想である。』

そして,村上は基本的な人間の条件は,思想の自由主義あるいはむしろこころの自由主義である。という。P16

多くの皆さんにとっては,こんな自由の定義の問題と建設CALS/ECとなにが関係有るのだと思われるかもしれないが,私にとってはおおありなのだ。

私のCALSの話は,CALSという極めて市場主義的なテクニックが公共事業に持ち込まれることの背景を考えましょうという話に終始している。それは十分に確信犯的である(笑)。

建設CALSや昨今の公共事業政策の背景にあるもの(主義)は,「覇権国家」としての米国のアメリカリズムにあるとするのが私の立場であり,そのアメリカリズムの正体の一つをなしているものこそが新古典主義の経済学であろう。

私はその根底に流れる価値観を知ることに時間を費やしている。

私は市場主義を全面否定しているわけでもなく,全面肯定しているわけでもない。ただ,今,公共工事が置かれている立場,強いては地場の中小建設企業が置かれている問題の根源というのは,アメリカリズムの浸透と村上のいうところの「開発主義」の終焉のようなところにあるのであり,建設CALS/EC(特に自治体の)はその時代を象徴する一つの現象に過ぎないのだというのが私の立場である。

地場型中小建設企業の存在を歴史的考察抜きに否定したり肯定したりすることはできまい。そんな時,地場経済の活性化と雇用の確保を主義とする公共工事が必要であった理由,つまり,地場型建設企業の存在理由の一つを,村上のいう「開発主義」的な政策に求めることは十分に魅力的でであるし,私はその誘惑を否定する気はない。

だから問題は,『この非新古典派型の配分政策も,うまくやりぬくのは決して簡単ではない。資源配分の不効率性との比較考量を誤るかもしれないし,とりわけ,離農が事実上ほとんど完成した後も,さまざまの既得権益のため,この政策を日没させることが難しいという問題に直面せざるをえない。』というところに収斂する。P205

まさに,今がその古い開発主義の日没問題に直面している時なのだろう。
必要なものは,新しいパラダイムによる開発主義なのだろうか。(日本は情報社会における後進国ということができればだ)

それは離農ではなく,離公共工事を指向するものでなくてはならないかもしれない。
そしてそれは,産業革命以来の産業化という文脈ではなくなっていることも確かなのだと思う(産業化というよりはむしろ工業化か)。

しかし,札幌の講演でも話したけれども,私の今の答えは「わからない」なのだ。
村上のこの本にも答えは書いていないし,既に村上はいない。

「わからない」からこそ,私は新しいパラダイムを見つけ出したいという欲求が常に心の奥底にある。
その根源をどこに求めようとしているのかといえば,「基本的な人間の条件としての,思想の自由主義,こころの自由主義」なのだと思う。

しかし,現実はただただ複雑なのである。

いただいたメールの中に,「桃知さんがあまりにこの世にぴったり、いや時代の先端を走り抜けていらっしゃる」と言う表現があったが,それは適切ではないと思う。

私は,『「わからない」からこそ,私は新しいパラダイムを見つけ出したいという欲求が常に心の奥底にある。
その根源をどこに求めようとしているのかといえば,「基本的な人間の条件としての,思想の自由主義,こころの自由主義」なのだと思う。』

ただ,そう思いながら行動して(生きて)いるだけである。
それは己のこころの自由主義の実現のために生きようとしているだけの話である。

それが時代の先端を走り抜けていると見えるのならば,それはそれでかまわないが,私の考え方とは時代の最先端にはない。
既に,村上泰亮氏が1994年に提示している考察の焼き直しでしかないのだ。

2001/10/18 (木)  
【グローバリゼーション】

桃知@のぞみ47号新大阪行きである。
今日の仕事についてはこちらを参照のこと。

昨日は自宅に戻ってから,ビデオ録画してもらっていた,ピッツバーグでの"RAW IS WAR”,スティーブ・オースチンVSカート・アングルのWWFタイトル戦を見る。

今回の"RAW IS WAR”の始まりは,観客一斉起立のもとジェニファーー・ホリデーが歌う「美しきアメリカ」である。
バックスクリーンには星条旗と,テロ事件で救助活動に当たっている人たちの映像が流れる。

これで大方の予想は出来てしまう。
つまり,予想通り,星条旗をデザインしたコスチュームを身に着けたカート・アングルが(感動的に)勝利して,新しいチャンピオンになった。

この瞬間,カートは強くて正しいアメリカの象徴となったのだ。
究極のベビー・フェイスの誕生である。(ついこの間までは彼の仕事はヒールであった)

娯楽スポーツの頂点であるWWF(わからない人のために説明するが,これはプロレスの話である。ただし日本のプロレスとはだいぶ毛色が違う。WWFは正しく娯楽スポーツである)でさえ(だからこそか),こうして時代の雰囲気を確実に自らの舞台にも反映するのだ。

こうして新しい戦争への民意の変化は身近なところに見ることができる。
私は,アメリカは嬉しいのかもしれないなぁと感じている。

それは国民のかつてない不安感と,(その裏腹の)かつてない高さの一体感だろう。
→つまり,彼らは攻撃してもよい敵(共通の敵)を見つけたのだ。

常にアノミー状態にあるアメリカでは,敵と戦うときの一体感こそが愛国心の根源なのだろうと考えている。
→なので,時々戦争をしなくてはならない。

その時,(例えは悪いが)米国民はほとんど浦和レッズのサポータ状態だと思えばよい。

国民を統治する。
つまり,政治的には今のアメリカは最高のシチュエーションなのだなと思う。

もっとも,ブッシュにそれを巧くコントロールできる能力があるとはとても思えないが,ではある。

ところで,旭川では「グローバリゼーション」をこう説明した。
それは「アメリカリズム」であると。

つまり,グローバリゼーションの正体とは,パックス・アメリカーナ,アメリカ覇権なのだ。
それは,かつての軍事力を基盤としたものから,いわゆる「ソフトパワー」へのシフトを確実に進めてきた。

かつて,私はそれをこう表現した。

『私は,IT革命の本質とは,IT(情報通信技術,特にインターネットの進展)が支えるアメリカリズム的経済システムと,それを支える市場主義の浸透による市場心理の市場主義側への傾きにあると捉える。』(Being Digital)

そして,『つまりIT革命が建設業にもたらす影響とは,第一義的に市場心理の市場主義側への傾きとしての‘市場の気分’の変化であり,それは,建設業におけるIT革命の現象としての電子市場化(CALS化)が意味しているところでもある。』(Being Digital)

今,地場型中小建設業が陥っている困難の究極的根源はここにある。
※IT革命とグローバリゼーションは表裏一体のものである。
※グローバリゼーションの推進エンジンがITであり,IT化の推進エンジンがグローバリゼーションなのである。

このグローバリゼーション,『生まれはスイスのダボスという山中で,十年ほど前の寒い冬に産声を上げた。一九八九年,東西冷戦の終えんで社会主義が事実上死滅した直後だった。わずか十年もたたないうちに急速に巨大化して,地球の南北を問わず壟断(ろうだん)中である。

この怪物の特徴は国や地域の壁などものともしない。それに目にも留まらないくらいその移動は瞬時だ。そうして絶えず地球規模でものを考え行動する。』(玉置和浩,『今日の異端 あすの正統』2001年8月15日,毎日新聞社,P254)

しかし,今やこのグローバリゼーションを手放しで賞賛する国は世界全体から見ればわずかでしかない。
キューバのカストロはかつてこう言った。

『グローバリゼーションで利益を得るのはわずか三ダースの国だけだ。』

例えば今年のジェノバサミットの際のデモは反グローバリゼーションである。
二年前のダボス会議もそうである。

しかし,我々日本人には,なぜか反グローバリゼーションという感情は皆無である。
反グローバリゼーションがマスコミに取り上げられたり,TVの話題になることは皆無であろう。

ましてや反グローバリゼーション等と言うデモなど,見たことも聞いたこともない。

それは,日本という国にとって,グローバリゼーション,パックス・アメリカーナ,アメリカ覇権は,まるで空気のように当たり前に存在しているからである。

それは,日本と言う国が何で生きているのかを考えれば至極明快である。
日本という国は1割の資本主義と9割の社会主義の国である。

→その9割に地場型中小建設業が依存する公共事業が存在する。
→1割の資本主義が得た所得を国の隅々まで運ぶ(配分)する機能として地場型中小建設業は長い間機能してきた。
→つまり国を人間の体に例えるならば,毛細血管としての機能である。

つまり,1割の資本主義が国の収入の多くを支えている。
そして,1割の資本主義企業の最も大切な商売相手,それは米国なのだ。

日本という国にとって,今の生活を続けていこうと考えるならば,グローバリゼーション,パックス・アメリカーナ,アメリカ覇権は,当たり前に存在しているというよりも,否定し得ない不文律として存在していることに気づかれればよい。

だから,日本においては,グローバリゼーションを止める手立てはないのだ。
このグローバリゼーションこそが,配分の機能である公共事業にさえ,市場原理を持ち込もうとす正体である。

この問題は,ここにきてさらに深刻さを深めている。
新しい戦争は,米国民の消費を確実に冷え込ませるだろう。

そこで起こることは,わが国の1割の資本主義企業の対米輸出の減少とそれに伴う収益の悪化である。
それは当然にわが国がそれらの企業から得る税収の減少も意味する。

つまり,配分すべき元手(原資)は益々小さくなるという事態が起こる。
公共事業(配分のためのね)は,その原資がなくなるという事態であることを目を開いて見ることだ。

最後の頼みは財政出動だが,ここで財政の出動は可能なのだろうか。
私は無いと見る。

オブチノミックスの失敗はもう二度と犯してはならない類のものなのだ。

ここまで書かなくても答えは既に見えているのかもしれない。
だが,あえて私は言い続けている。

どう考えても,口をあけて待っていれば,口の中に餌が勝手に入り込んでくるような公共事業は存在し得ないのだ。
仕事は待っていてはやってこない時代が来ているのである。

だからこの時代のIT化は内向きであってはならない。
仕事を取るためのIT化の必要がある。

これもパラダイムシフトである。

2001/10/17 (水)  
【蕨に戻る】

JAS190便は予定よりも大幅に遅れて羽田に到着。
アテンダントの説明によると,風速300メートルという向かい風の中を飛んできたらしい。

手荷物を受け取り,タクシーに乗ったのはゆうに12時を過ぎていた。
新宿まで移動。

タクシー代は7300円也。
午後から新宿のサンルート東京で某製品のBriefingを受ける。

説明は全て英語。
同時通訳もあったのだが試しに通訳無しで聞いていた。

こういう状態は本当に久しぶりなので,脳みそが沸騰して味噌汁状態になってしまった。
おまけにおなかの状態も悪くなる。

意外と私はナイーブらしい。

午後6時前に終了。
終了後,四ツ谷へ移動して,明日の大阪行きの「のぞみ」のチケットを購入。

19570円。
大阪は高いなぁ。

そして,例によって「後楽」で晩飯を食べて帰ってきた。
飯田橋から高速へ。

高速はスカスカ。
みんな何処へいっちまったんだ。

タクシー代は6930円+700円也。

今日は,なんだか移動貧乏みたいな日である。
そうそう,JAS190便は29700円也。

とほほ。。。であるな。



【JAS190便にて】

桃知@JAS190便%旭川からの帰路である。

昨日の旭川のセミナーは,当初定員の100名を大幅に超える皆さんの参加をいただいた。
資料は150部準備したのだが,それが見事に足りなくなってしまったのだから,それは凄いことではある。

セミナーでは(旭川でのはじめてのセミナーということもあり,私の話を始めて聞く方も多いだろうとの判断で),経営を取巻く環境変化の部分(つまり今の経済状況はなぜこうなこか)をいつもの倍以上の時間をかけて入念に話をさせていただいた。

これは,私の話を理解するためには必ず通っていただく入り口である。
それは今後,建設業はどうなるのかという(経営にとっては)あまりにも当たり前なことを考えるということなのだが,まずこれがなくては私の話は絶対に理解不可能なのだ。

→ただし,それは私の見解に賛成でなくともかまわない。
→要は,経営を考えるには,外部環境要因を理解しなくてはならないと理解していただければよいだけである。
→つまりIT化はその部分をないがしろにしては機能しない。

この判断をした時点で,2時間30分という時間枠は既に私には短すぎることは明白であった。
結局30分オーバーして3時間の講演をする。

途中退席される方も,居眠りをする方もなく,熱心に聴講いただいた。
感謝である。

できれば後1時間あれば入門編としては完璧であったろうとは思うが,また機会があれば,IT化についてもっと具体的な話をしたいと思う。
一方,桃毒はと言えば,入門編であるからして,殺傷能力はかなり弱い。

セミナー終了後,懇親会を開いていただく。
(株)旭川産業高度化センターの皆さん,旭川建協の皆さん,PCサポートの中根さん,一番遠くからおいでの滝田さん,空知の秋本さん,そして毎度の吉川さんと長谷川さん,遅くまでお付き合いありがとうございました。

懇親会には旭川建協の副会長さんも同席されていたので,北海道の建設業界を取巻く環境変化をつぶさに聞くことができた。
それは急激な外部環境の変化が北海道でもおきていることを実感できる話である。

しかし,北海道を動かしている(維持している)システムは(地方経済と一言でいっても)それは他の地方とも異質なものである故に,私の対北海道という部分での答えは正直なところまだ無いというのが本音である。

研究する価値は十分にあるというよりも,北海道に対しての私の興味は益々大きくなってきた。

今朝は午前7時起床。
可能な限りのメールに返信を書き,8時20分にホテルを出る。

ホテルへはPCサポートの中根さんが迎えに来てくれていた。
それとわざわざ(株)旭川産業高度化センターの嶋澤さんが見送りに来てくれた。

感謝&お世話になりました。

中根さんの車で旭川空港へ移動。
心配していた搭乗手続きの混雑もなく,朝ごはんを中根さんにご馳走になり,私はこうして機中の人なのである。

2001/10/16 (火)  
【眠い】

今朝は午前5時に目覚めた。

昨晩は午後8時30分頃まで矢板で仕事。

昨日,お昼は八木沢さんお手製のうどんをごちそうになる。
その心遣いが嬉しい。

勉強会はイントラネットの基本講座。
皆さんいかがだったろうか。

終了後,八木沢さんに蕨まで車で送っていただき,行きつけの焼肉屋「備長」で遅い晩飯を食べる。
自宅に着いたのは午後11時30分ってところだろうか。

八木沢さん,お世話様でした。

自宅に戻ってメールチェック。
朝方に不調だったので,出掛けに調整しておいた(このために矢板到着が1時間遅れた)郡上のメールサーバーは,うまく動いていた。

なにかホッとする。
結局寝たのは日付が変わってから。

さて,今日は旭川で講演。
つまり,桃毒を振り撒きに,これから出かけるところである。

しかし,眠い。

2001/10/15 (月)  
【まもなく23万】

思い出したように。。。

インデックスページのアクセスカウンターがまもなく23万になります。
恒例によりまして,23万ゲッターは店主へメールでお願いします。

豪華粗品(オリジナルのTシャツ,背番号23)を差し上げます。


【今日は矢板へ】

10月も既に半分が過ぎてしまった。。。

己の人生なんて,早く過ぎてしまえばいいなんて思っていたが,そうもいかなくなってきた。

まだまだやりたいことが山ほどある。

今日は矢板へ行って来る。

明日は旭川。

明後日は東京。

明々後日は大阪。

やのあさっては大垣。

その後は少し休もうと思う。

2001/10/14 (日)  ▲
【とにかく疲れた】

郡上で落ち込む。
当初の目的は順調に達成。

しかし,その後がいけなかった。
ミラーリングの設定をしていてOSの起動ができなくなってしまった。

その後はもうぼろぼろなのである。
Windowsを別のデスクにインストールして起動させて見たが,肝心のデスク内容は読めない。

復旧には大変な時間を要した。
復旧と言ってもシステムが復旧しただけであって,読めないディスクのデータは当然に普及できるるわけは無い。

作業にアクシデントはつきものである。
しかし今回のアクシデントは十分に予想できた。

なんといっても,自宅からバックアップの準備一式を持ち込んでいた。
にもかかわらず,データのバックアップを怠った。

これは己の慢心であり,怠慢である。
ものすごい自己嫌悪に襲われる。

システム屋としては最低なのだ。
その上,遅くまでお付き合いいただいた前田会長,平井さん,寺田さんにまで大変な迷惑をおかけした。

日付が変わって宿泊先へ入り,落ち込みながら眠った。

今朝は,部屋の電話がなる音で目覚める。
「朝ごはんの仕度が出来ています。」

午前中は復旧作業。
まあ,とりあえず,というあたりだろうか。

ただただ疲れた。
お付き合いいただいた前田会長,平井さんご苦労さまでした。

前田会長と平井さんと,お昼ごはんは「泉屋」で蕎麦を食べる。
何度も郡上にお邪魔していながら,日中街を歩くのは初めてだった。

こうして歩くと,確かにいい街である。
結構沢山の観光客の皆さんがいらっしゃっていた。

郡上からはタクシーで岐阜羽島まで。
ずっと眠る。

岐阜羽島から「こだま」に乗って名古屋で「のぞみ72号」に乗り換え。
日曜日,のぞみは結構な混み具合。

私の後ろの席には自民党の野中元幹事長。
秘書も同伴せず一人。

たぶん,のぞみの座席指定も受けていないで飛び乗りだったのだろう。
名古屋でにこにこしながら座席を変わられていた。

17:00丁度に東京駅到着。
東京駅からは例によってTAXI。

約55分。
7300円+700円なり。

しかしだ,とにかく疲れた。

2001/10/13 (土)  
【今週の読書】

今日と明日は郡上で仕事である。
つまり土日出勤。

しかし,私はいつでも日曜日みたいなものだから,暦の上の決まりごとはどうでもいいのである。
自分で決めた仕事を自分で決めたように出来ることに何の不満があるわけはない。

むしろ,自らの休みの日に,私ごときの都合で仕事をさせていただける郡上の方々に感謝している。
Give Thanks!

さて,今週の読書である。

斉藤精一郎,『日本経済 非常事態宣言』,2001年9月19日,日本経済新聞社。

この本は,前に一度紹介したかもしれない。
が,確認するのが面倒なのでこのまま書くことにする。

まずIT革命を長波の革命だという部分でIT革命の認識は正しい。
ITによる変化の波長とは長波なのである。

つまり時間がかかる。
まあ,その話は今回は置いておいてだ。

この本の提案する,激痛緩和政策と資本主義の一時停止を是非読んでいただきたい。
(もっともその前段部分を読みきれないと,なにを言っているのかは理解できないだろうが。。。)

日本という国の再生は,ここまでしないと無理なのかとため息が出てしまう。
我々は資本主義を再機能させるために,一度資本主義を停止しなくてはならないと主張する。

最近,自治体が雇用目的での補正予算を組み始めているとの報道がされていた。
40を超える自治体で総額で200億円を超えていたかと思う。

国の無策さに業を煮やしてのものだろうが,しかし,中身はお粗末なものである。
長期的な視点も持てず,目先の雇用創出に終始している。

この本の文脈でいえば,このような付け刃的な施策は,一瞬の鎮痛剤に過ぎないのだろう。
全てが閉塞していく息苦しさ。うみゅ。

さて,もう一冊。

南正時(監修),『復刻版 世界の鉄道 機関車・電車大百科』,2001年11月2日,勁文社。

この本は,先日,南延岡駅のキオスクで購入したもの。
1975年12月に出版された本の復刻版である。

機関車・電車が沢山出てくる。
SL・ブルートレイン。新幹線は0系車両である。

この手の世界は,今となっては懐古趣味か現実逃避ぐらいにしか傍目には見えないだろうが,本人はいたって楽しい。
そういう世界もありであろう。

時代はまだまだのんびりしていた頃の本である。
そういう本を今読むと,なにか日本のたどってきた道を冷静に見れるような気がする。

子供の頃,この手の図解書を読んでは,夢を膨らませた記憶が蘇る。
と言っても,私は1975年には既に18歳であった。

その頃には機関車も電車も全然興味の対象外であったので,この本は復刻版で初めて読んでいるわけである。
私は,この年になって,こうして全国を旅するようになって,いまさらながら鉄道の面白さに惹かれている。

さながら,中年になって目覚めた童貞男のようなものであるなぁ。

と言うことで,今日は京浜東北線とひかりを乗り継いで,まずは岐阜羽島まで移動である。

2001/10/12 (金)  
【桃毒(スタジャン)】

太田さんいわく。
「桃知さんは毒である」

そう,私は桃毒なのである。
イチコロの猛毒というよりも,じわじわの神経毒のようなものかもしれない。

毒なのだから,私を嫌いな方々は私を好きな方々よりも遥かに多いのは当然なのである。
誰からも好かれようなんて思ってもそれは無理であるし,そんな気は私自身さらさら無い。

さて,その毒を振り撒きに,16日は旭川へお邪魔する
主催者様からのメールでは,申し込みは既に定員オーバーで,まだ照会が続いているとのこと。

これは楽しみである。
失礼を承知で言えば,私は今回の旭川でのセミナー集客にはさほど期待はしていなかったのである。

なにせ,旭川は例の道庁による官製談合の問題の発祥地である。
これもいうなれば毒であろうが,私の毒とは正反対の毒である。

それが定員オーバーなのである。
北海道も,少しは変化の兆しが見えてきたのだろうか。

果たして,桃毒と旭毒は,インテグレーションして何かを生み出すのだろうか。
猛毒か,はたまた薬か,それとも中和して毒にも薬にもならないのか。

私自身がわくわくしてしまう。

さて,本日は予定通り休み。
だが,ごろごろしているわけにはいかず,15日の八伸建設さん訪問時に設定する機材を購入に,大宮のソフマップまで出かける。

ついでなので,X21を購入したせいであまりモノとなった,先々代のThinkPad240Xを売り飛ばす。
83500円也。いとうれし。

ごみ処理で持っていったWorkPadc3用のトラベルキットは800円。
同じくc3用のSnapconnectは1500円で引き取ってもらえた。

不用品は保管していてもしょうがない。
可能な限り売り飛ばそうである。

思っていたよりも高値で売れたので,気を良くした私は,同じビルにある王宮(周富徳氏のお店)で昼間から祝杯をあげた。

ついでなので,大宮から川口そごうまで京浜東北線で移動し,カール・ヘルム(ピンクハウスの男もんのブランドだな)にお願いしていたスタジアム・ジャンパー(スタジャンですね)を取りに行った。

一着6万円也。(ひょえー!)
家人のもおそろいなので2着で12万+消費税。

今日の収入は跡形もなく吹き飛んでしまった。

でも,スタジャンなんて20年ぶり(いやもっとだな)に袖を通した。
なぜかとても嬉しい。うきうきする。

大昔,最初のスタジャンはマクベスだった。
ネービーブルーの身頃と黄色のMBのエンブレム。

皮の袖。8個のフロントボタン。
それらがとても嬉しかった。

初めてバタ臭いもの,アメリカの文化のようなものを感じた。
多分,2万円ぐらいだったか?

私はVANジャケット全盛の頃というよりも倒産してから,IVYの洗礼を受けた世代である。
なのでVANは欲しくても手に入らなかった。

身軽な時代には,いつもスタジャンを着ていた。
最後のスタジャンは,日本に上陸したてのJ・プレスのスタジャンであった。

これは2万8千だったかなぁ。
これがスタジャンの最後であった。

就職してからは,一度もスタジャンを着ることはなかった。
それが独立して,この時期に,突然に欲しいなぁと思った。

オックスホード地のボタンダウンとコトンパンツ,靴はスニーカーよりもバックスキンのプレーントウなんかがいいかもしれない。

今年の冬は,そういう格好で仕事にいきたいなぁと思っているのである。
まあ,除く北海道ではある(多分寒すぎてスタジャンでは太刀打ちできそうもない)。


【主観の続き】

まずは,某社長からのメール。

師匠 ○○です。

今日の戯言ありがとございました。

責任逃れをしている所もあるのだと感じました。
私も大声で「最高責任者の私が責任をとる!」
と言って、主観論者に近づくよう頑張ります。

迷っている時は、経営コンサルの桃知師匠頼りです。

ご無理なさらず、頑張ってください。

Thanks!

ただし,わたしゃ経営コンサルではない。
ただのデジタル野郎(Digital Being)である。

せっかく作ったシステムが動かない(機能しない)のが面白くない(若しくは癪に障る)ので,動かない(機能しない)原因にまで言及しているだけである。

つまり,IT化の阻害要因は,技術的なものというよりも,組織と業務上に存在する。
(まあ,それはシステム屋的に責任逃れしているだけなのかもしれないが。)

しかし,どう贔屓目に考えても,問題は,やはり経営,組織の話だと思う。

私は,中小建設企業の組織形態は,限りなくフラットな形態(文鎮型)が理想だと考える。
そして,それを裏付ける可能な限りの権限委譲がそこには必要であると。

まぜなら,この変革の時代の経営とは,「スピードの経営」であるからなのだ。
この時代はスピードこそが命である。

→この時代という話をいまさらする必要はないですよね?
(その時代背景がわからない方,理解できない方は,このサイトを端から端まで読んでいただければよい。)
(酒と食物の話しかないじゃないか,というのは無しだ。)

このスピードというキーワードと,それを裏付ける可能な限りの権限委譲という部分で,個人(社員)のコア・コンピテンシィが問われる。

企業は,確かに,組織である。

活力ある組織活動は,個人が一人で生産するよりも,遥かに大きな果実を生み出すことができることは,既に議論する問題ではない。
ただし,それ(が可能となるの)は,組織を形成する個々人のコア・コンピテンシィがあってのことである。

ゼロ+ゼロは永遠にゼロである。

右肩下がりの時代(つまり今と言う時代)は,ショックアブソーバーが効かない時代だと認識しなくてはならない。
我々は,身の回りのいろいろな事象において,だんだんと「遊び」の振幅が小さくなっていることに気づくだろう。

右肩上がりの時代には,勝手に増える資産価値,永遠と思われた土地神話,比較的容易な銀行からの資金調達(間接金融)等が,少々の経営の失敗を吸収するショックアブソーバー足りえた。

なので,中小建設業の経営者の資質は今ほど厳密に要求されることはなかった。
(極論で言えば誰でもなれた)。

しかし,右肩下がりの時代は全てが逆転する。

つまり,この文脈の中で(この時代に),経営者の責任はますます大きくなる。
最初にコア・コンピテンシィが問われるのは,間違いなく文鎮のとって(つまみ)の部分である経営者なのである。

それは,経営者の持つ能力(スピード)こそが,フラットな組織,権限の委譲,委譲を受けた社員のコア・コンピテンシィを生かす「スピードの経営」を可能にするものだからである。

いちいち,なにからなにまで協議だ会議だと,合議制で意思決定をしていたのでは,組織は確実に(時代に)取り残されていくだけだ。
ここに経営者の能力(リーダーシップ)と主観の必要性を私が言う理由がある。

経営者は決める人である。

→これは経営という職務が一個人にとっては,かなりリスキーな職業であるということでもある。
→つまり,そのリスクの代償として経営者の報酬が他の役員よりも遥かに大きいものであることは,当然のことであるはずだ。

そして,ITはスピードの経営のためのツールにしかすぎない。

2001/10/11 (木)  
【宮崎から帰る(Stand up on the rock)】

予定通りJAL308便にて宮崎から帰る。
例によって羽田からはTAXI。

高速は比較的空いており50分程度で到着。
12,070+700円也。

空港のセキュリティチェックは益々厳しい。
今朝の伊丹では,出発の1時間前に空港に着いたにもかかわらず,荷物を預けるだけで40分の大行列。

おかげで朝飯を食い損なった。
(その代わり,宮崎でかつ丼ならぬ,かつうどんという珍しいものをご馳走になった。)

帰路の宮崎のJALのカウンターでは,手荷物はバックをあけて確認。
世界は繋がっているなぁと実感。

まもなく日も変わるので,昨日の感想メールの引用して本日はおしまい。

ところで、昨日はいろいろと考えさせられました。
行政の広域化は自治体の存亡をかけた唯一の手段である。
そしてそれは推進エンジンとしてのIT化を
必要不可欠な物として要求する。
この「変化の視点」に気づかない事、つまり
IT化は切実な「時代からの要請」なのである事を
痛切なまでに感じさせられました。
そしてそれは「行政サービス」といった従来の
「不変の代名詞」ともいえる物にまで競争性を
要求するということなのですね。
これはちょっとショックでした。
自分では「危機感」はそれなりにもっているつもり
だったのですが、時代の変化と要請は私の考えているより
ずっとすさまじいスピードですすんでいました。
これをどれだけ「伝える」できるか・・・
寒気すらしますね。

また
郡上のすごさは「システムのすごさ」ではなく
「良好なコミニュケーションのなし遂げてしまう事のすごさ」
である。と言う事。
これが、どれだけの人に理解してもらえたか・・・
こっちもちょっと寒いです。

Stand up on the rock.
しっかり立ってである。


【これから宮崎へ飛ぶ(主観)】

大阪にて4時50分に目覚めた。
本日は7時にはホテルを出て,伊丹空港まではTAXIを使う予定でいる。

時間は30分もあれば大丈夫だと見込んでいるが,果たしてどうだろうか。
今日は延岡市日帰りの仕事。

当然にハードな一日。
体調は悪くはない。。。けれど,眠い。

昨晩のことをいろいろ書きたいけれど,出発準備で時間がないので一つだけ。
それは「主観」ということ。

昨日のゲストである太田さんは立派な「主観」論者であられる。
かくいう私も主観論者である(なので私からのリンクは「主観リンク」なのだ)。

つまり昨晩は主観の話で盛り上がる。
私は,こと経営に関して言えば,客観性というのは責任からの「逃げ」なのだと思う。

例えば,人事評価に関して,客観的な評価とかをいう方がおられるが,本当にそんなことは可能なのだろうか。
その客観性とは一体何によって保証されるものなのだろうか。

客観性を標榜し,経営者,マネージャーの恣意性を完全に排除することは可能なのだろうか。
そもそも,経営者の恣意性を排除することは正しいのだろうか。

果たして,その必要はあるのだろうか。
そういう問題である。

私は,例えば,人事評価をするときに,客観的な評価というのはありえないと思う。
客観性を標榜しながら,実は主観でしか全ては決まらないのが事実だろう。

→特に中小建設業においては。

それならば,経営者は,最初から「私が決める」とはっきりと言えばよいのではないだろうか。
社長(経営における最高責任者)は私だと宣言すればよい。

200人程度迄の組織ならこれで十分だろう。

しかし,これを言うのは大変な社長に対して責任がのしかかる。
故に多くの経営者はそれを嫌う。

ということで,もっと書きたいけれど,飛行機に乗り遅れそうなので続きは後で。
Hasta pronto.(またあとで)である。

2001/10/10 (水)  
【大阪到着】

空知建協の皆さんと,本日のお宿(大阪)に到着。
これから宴会なのである。

今日はゲストがいらっしゃる。
ジオさんと,西原さん

どちらも大阪の気の置けない仲間である。
大阪出張では,このお二方に会うのがいつも楽しみなのである。

山形の小林社長からは,(↓)のうどん星人の話にあった,スターバックスの広告をスキャニングして送っていただいた。
ありがとう。(^O^)/

確かにおもしろい。
エージェントとしてはしてやったりの作品だろうなぁと思う。

ということで,わたしゃこれから宴会である。

明日は以下で宮崎まで移動。
伊丹空港 8:35 空路JAS(伊丹−宮崎) 685便 宮崎空港 9:40

宮崎空港 18:20 空路JAL(羽田−宮崎) 308便 羽田空港 19:50
(↑)で帰る。


【激しい雨が降る】

建設CALS/ECセンター@ソフトピア・ジャパンで勉強中である。
美濃加茂からはタクシーで移動してきた。

大体,1時間20分。
12,050円也。

雨もひどいし,頭はガンガン。
体はくたくた。

吐く息はひどく酒臭い。

とても電車の乗り継ぎなんてできやしない。

本日は,遥々空知@北海道から16名の方々が勉強においでになっている。
まずは堀建設CALS/ECセンター長より岐阜県の建設CALS/ECの取り組みについて。

岐阜県の戦略性を話していただく。
「じっとしていては,状況はなにも好転しない。」という話である。

そして,郡上建協の前田会長から,郡上建協のIT化の取り組みについての講演。
岐阜では,いわゆる郡上モデルと呼ばれる(これは凄いことだと思う)取り組みについてである。

確かに岐阜県では中小建設業がまだ夢を持てる。
ただし,それは,「じっとしていては,状況はなにも好転しない。」ということの理解からしか始まらない。

空知の皆さんはそれをまずは理解していただければよいかと思う。

ということで,郡上のうどん星人さんよりメールが届いていた。

しとしと雨空&二日酔いの今日いかがお過ごしでしょうか。

今朝、日経を読んでいて「ん〜」と唸りました。
もちろん小難しい部分は読まないのですから、誰でも眼にする部分です。
実は、広告なんです。スターバックスコーヒーの。文字いっぱいあったので、読んでいました。

真ん中の列に、唸りました。
ちょうど昨日ほぼ日で、孫正義のストックオプションの事が書いてあるもの読んだばっかりだったから興味倍増。
孫氏もスタバでも社員をパートナーとしてみています。

そう運営することで、「自分たちの会社」として、愛社精神もおのずと湧いてきます。
働く力を有効に引き出す事ができますよね。
中小企業の社長さんや、偉い人が、これ読んでほんの少しでも「んっ」と思えば、少しすてきかな。

しかし経営者ともなれば、日々考慮し何としても利益を上げるべく努力しておられるんでしょうから、今更何をいわんやでしょうが。

でも、遠くを見すぎて、足元の何でもない普通のこと見落としているのかもしれない。
あんまり何でもないことだったのですが、普段から思っていることがとても明確に羅列されてあって、感動したんです。
桃知さんもこれ読んで唸っておられるかと思いきや、師匠は二日酔いで唸っておられました。

周囲で風邪がはやっています。
疲れた体には取り付きやすいので、充分お気を付け下さい。

最近正体がばれそうでどきどきしています。

どきどき。
グラシアスである。


【頭は痛い】

午前7時35分に目覚める。
頭がガンガンする(つまり,二日酔いである)。

昨日は,MicrosoftGroupBoard建設業協会版の勉強会。
午前と午後とダブルヘッダー。

美濃加茂市建設業協会の方々,行政書士の亀井さん,皆さんご苦労様でした。
これからもガンガンとまいりましょう。

勉強会終了後,懇親会を開いていただいた。
小さな瓦で焼く飛騨牛,大変おいしかったです。

まあ,ここで終われば私の頭も痛くはなかった。
が,遠方より朋来る,なのであった。

先日,飯田にお邪魔したときにはお会いできなかった,トライネットの熊谷社長がわざわざ尋ねてきてくれた。
例によって熱く語りながらしっかり飲んだ。

ので,頭は痛い。

今日はこれから大垣の建設CALS/ECセンターへ。
北海道から空知建協の方々がおいでになる。

その後,空知建協の方々と大阪へ移動して,今日は大阪泊である。

美濃加茂は冷たい雨が降っている。
高山は秋のお祭りはず。

恨めしい雨だな。

2001/10/09 (火)  
【Hasta pronto】

午前5時30分起床。
右側の頭痛と肩こりがひどい。

ので,仕事(今日は美濃加茂市建設業協会で勉強会)まで,ボーっとしている予定。
なので,Hasta pronto.(またあとで)。

スペイン語講座になってきたな。

2001/10/08 (月)  
【とにかく疲れた】

予定通りに岐阜へ。
今日はダブルヘッダー。

まずは,岐阜県建築士事務所協会さんへ。
向井会長がお出迎えしてくれた。

仕事はSPAM対策。
午後3時過ぎ終了。

それから美濃加茂市建設業協会さんへ。
美濃加茂までは,向井会長に車で送っていただく。

約40分程度で到着。
こちらは亀井さんがお出迎え。

明日のトレーニングの準備とサーバーメンテナンスを行う。
午後7時30分過ぎに終了。

とにかく疲れた。
ので,わたしゃ早々に寝ることにする。

つまりアディオス・アミーゴである。

しかしこれ(↑),正確には,Hasta manana(アスタ・マニャーニャ:また明日)でしょうね。

Adiosでは永遠の別れになっちゃうんだよね。
本当は。

でも,毎回そんな覚悟で書いているのはたしかだなぁ。。。

2001/10/07 (日)  
【建設産業再編促進策】

今日は移動のない日というだけで休みではない。
朝からずっと仕事をしている(雑用を片付けている)。

依頼を受けている原稿は一向に書けそうな気配はない。
困ったものだ。

明日は以下の予定で岐阜まででかける。

西川口 7:39 京浜東北線 東京 8:10
東京 8:20 のぞみ 47号 名古屋 9:59
名古屋 10:10 東海道本線特快(熱海−米原) 岐阜 10:28

到着後,岐阜県建築士事務所協会さんでサーバーメンテナンス。
終了後,美濃加茂市建設業協会さんでシステム設定を予定している。

明日が国民の祝日だとは,つい最近まで知らなかった。
わたしゃ阿保か。

ところで,家には既に10月9日(火曜日)付けの日刊建設通信新聞が届いている。
一面は履行保証割合の引き上げについてである。

これは,建設産業再編促進検討委員会による建設業の再編促進策の一つであるが,今回の再編促進策案のポイントは、履行保証の付保割合を引き上げることにある。

当初は信用力のある企業には10%、信用力のない企業については30%求めるものであったが、行政が企業の信用力を判断することへの批判が強くあったことから一律30%とし、信用力の判断を市場に任せることとしている。

それは,言い換えれば銀行にゼネコンの経営を判断させようというものである。

銀行の財務状況によっては、ゼネコン側は合併や倒産など厳しい選択を迫られる局面が出てきたといえるし,公共建設市場への市場メカニズムの本格的な導入傾向が益々強まっていることを証明しているといえるだろう。

一方同紙の最終面には,全中建が「公共事業の量的確保」要望(対国交省)を行ったとの記事。
そこに,建設産業再編促進策に触れた竹歳官房審議官の話が記載されている。

『履行保証割合の引き下げは,国の大規模工事や都道府県などの議会承認案件に限定する。前払い金制度は今後の検討課題だが,中小企業というよりも大規模工事の受注者を対象に考えている。』

この言葉は,この国には二つの経済システムが同時に動いていることを証明しているとも言えるだろう。
つまり,中小は別枠なのである。

建設産業再編促進策は大規模工事(つまり大手)をターゲットとしたもので,中小向けの策ではない(そう言っている)。
つまり中小建設業向けには,この国は何の政策も打ち出せないままなのである。

中小建設業は,この激動の時代に,何の政策的な指針も見ることができず,いまだに「公共事業の量的確保」という雨乞い的な経営策しかできないでいる。

中小建設業向けの再編策の不在は,海図も羅針盤も持たずに,ただいたずらに市場原理の荒海へ中小建設業を巻き込むだけに終わるだろう。
新聞を読む限り,竹歳官房審議官は中小向けに「公共事業の量的確保」をするとは一言も言っていない。

ただ,建設産業再編促進策は中小には影響は少ないと言っているだけなのだ。
しかし,すでに,公共事業の削減は現実のものとなったのである。

地場型中小建設業は既に見捨てられた業界なのか。



【こんどく2号】

こんどく(今週の読書)が『陰陽師』っていうのも情けない話なので,もう一冊追加。

竹中平蔵+袖川芳之・フジタ未来研究所【編著】,『「ソフトパワー」日本復権への道』,2001年7月26日,実業之日本社。

ソフトパワーという概念はジョセフ・ナイの発明品である。
本来は国際政治学で使われる概念である。

ソフトパワーに対するものはハードパワーとなるが,この二つについての理解は,先のリンク,つまりhttp://www1.sphere.ne.jp/tamako/Nakameguro/990519Changing.htmをお読みいただければ十分理解されるだろう。

ソフトパワーを竹中平蔵はこう定義する。
『ソフトパワーとは。「命令や強制によってではなく,自分の持つ魅力によって,そのような状況を生み出す力」のことである。』,P45。

私の興味は,このソフトパワーという概念を個々の企業ベース,個人ベースで考えることである。
それは命令や強制に伴わないマネジメントを可能にしはしないだろうかという仮説である。

この問題提起は実は経営学では古典的でさえある。

例えば,経営における「命令や強制によってではなく,自分の持つ魅力によって,そのような状況を生み出す力」という概念は,人間関係論における状況の法則,相互作用,一体化の概念そのものである。

この部分は,宮田康彦がまとめている。
『企業のソフトパワーを次のように定義することができよう。企業のソフトパワーとは,強制したり,交換条件で誘導したりしないのに,ステークホルダーが自ら進んでその企業の「一体化」し,企業目的の実現に貢献しようと思わせてしまう力である。』,P179。

そして,企業がステークホルダーに対して持つパワーを次の3つに分類する。

1 経済的ハードパワー 物質的・非物質的報酬(交換条件)
2 軍事的ハードパワー 脅迫,宣伝による説得(強制)
3 ソフトパワー 理想や価値観に訴え,尊敬や貢献意欲を喚起する能力(一体化)

では,戦後から80年代までを一世風靡した日本的経営(滅私奉公型愛社精神,忠誠心)はソフトパワー足りえたのだろうか。
宮田はこれをハードパワーによるものであったとする。

そして対消費者に対しても,日本企業の「お役様は神様」というスローガンが建前であり,本質的な部分でのCSは決して高くなかったとしている。

→それは組織の維持,拡大が最優先とされた工業社会的な合理性故であろう。

つまり,多くの日本企業にはソフトパワーが足りないのである。
そして,経営におけるソフトパワー論を展開している。

・日本企業がソフトパワーを持つために(P203〜)

1 「創業の精神」に立ち戻り,ミッションを掲げる 第一に重要なのは「企業」や「組織」ではなく「事業」に立ち戻ること。
→現代的な意味を付加することも必要。
→それが何かを知るかには,顕在,潜在のさまざまなステークホルダーの意識に思いを馳せるしかない。
2 ドメインを基準に組織を再編する 日本は組織の理論が一人歩きしている。
ドメインとはミッションが明らかになる事業領域。
(→これは多角化とは対極にある。いうなればコア・コンピタンス経営だろう:桃知)
3 トップは「管理者」ではなく「伝道師」であれ 事業は製品・サービスの形で目に見える。
しかし,ミッションは事業に対する「想い」であって「志」であるから,これを伝達可能な形で示せ。
→効果的なコーポレート・コミュニケーションの必要性。
→「語り」の主体としての経営者。
→経営者が個人としてのソフトパワーを発揮する必要性。
4 企業倫理を重視する 企業の非倫理的な行為は「共感」(組織内・組織外)の消滅をもたらす。
→これはマイナスのパワーとなり正当な経済的ハードパワーも落とす。
→建設業には耳の痛い話である:桃知。

まあ,簡単にまとめてはみた。しかし,興味のある方は実際に本を購入して読んでみることだ。
私も宮田論文には共感する部分が多い。

→つまり,私の提示するIT化に対する論理的な基盤がうじゃうじゃと存在している。

この部分(宮田論文)を読むだけでも,お金を払う価値があると思う。

※ついでに参考。これ(↓)は国家ばかりではなく,企業や,個人も同じ文脈で考えることが可能である。
情報量の劇的な増大と伝達コストの大幅な低下に特徴づけられる「情報革命」は、膨大な情報をうみだし、そこでは、いかなる情報にも応分の関心が寄せられないという逆説的な状況が生まれている。ここで力を得るのは、雑音と重要な情報を区別できるアクターである。またこのアクターが示す価値判断への「信頼」があるかどうかも重要だ。こうした環境のもとでは、軍事力に象徴される「強制力」ではなく、理念、文化、制度の魅力によって自らが望ましいと思う方向へと他を誘う「ソフトパワー」が、ますます大切になってくる。透明性、自由な情報の保障、そして信頼という点で、国家、それも民主国家は、権威主義諸国や市民団体よりも先をゆく存在であり、今後、トランスナショナルの時代が到来しても、それが淘汰されることはあり得ない。ただし、ますます多様な情報源をもつ大衆が信頼できるような存在であり続けるためには、国は、今後物的資源よりも、むしろ「信頼を勝ち取る能力」に依存して行くことになるだろう。
http://www.foreignaffairsj.co.jp/yoshi/9811.htmlより。

2001/10/06 (土)  
【こんどく(陰陽師)】

岐阜日帰り。
名古屋駅18:20ののぞみで帰る。

10月のダイヤ改正で,名古屋駅からは1時間に二本ののぞみが出ている。
基本は毎時20分と47分。

岐阜から名古屋は快速で19分。
計算しやすいったらありゃしない。

18:20に名古屋を出たのぞみは20:00丁度に東京駅に着く。
この時間帯であれば蕨まではタクシーで50分。

つまり21:00には自宅につく。
そして,まさにその通りに帰ってきた。

所要時間約50分。
7,300円+700円也。

人生は複雑であるが,移動時間はなるべく単純でありたい。

そして,珍しく自宅で晩飯を食べる。

さて,今週の読書。
それは毎日忙しいのだが,移動時間が長いのでやたら本だけは読んでいる。

『陰陽師』 岡野玲子 原作は夢枕獏。

つまり,漫画の方である。
現在は10巻まで出ていて(12巻まで発刊される予定である),ようやく私は10巻目にさしかかったところである。

陰陽師は,まったく別のルートでいろいろとその名前を見かけていた。
別ルートとは,私のライフワークでもある「芸能」に関しての調べごとである。

陰陽師は別名,院内とか博士とかと呼ばれた職人である。
主な仕事は地祭,地鎮。

それは普請との結びつき故,建設業とも深く関わるものと言えるだろう。
今でも地鎮祭は普請の際の大切な行事である。

以下は,三鬼清一郎,『名古屋大学文学部研究論集』史学三〇号より,豊臣秀吉による終わりの荒地開発に畿内を中心とした陰陽師が集められ配置された件について。

『日本においては,開発によって土地に生命を付与するという正当な行為であっても,自然景観に人為的変更を加えることは,地の神の怒りにふれることと観念されていた。それゆえ,開発=普請に先立って,地の神を怒りを鎮める儀式が必要だったのである。』

『陰陽師の投入は,浮遊労働力の利用ちして現実に役立つとともに,起返した土地が再び水害におびやかされることなく,安定した生産が確保できることを祈願するため,彼等の持つ呪術的な威力に強い期待がかけられていたからにほかならない』

その地祭,地鎮が日本の芸能のルーツと言われている。
萬歳のルーツは院内である。

各地には院内とか陰内とかという地名が残っている(若しくは昔そう呼ばれた)ところが結構沢山ある(静岡,愛知,三重あたりは宝庫でもある)が,これは,まさに安倍晴明の流れをくむ方々の集落であろう。

まあ,こんな話は私の趣味の話であって,それはどうでもいい話なのだけれど,興味のある方は調べて見ると面白いと思う。


【アディオス】

今日は午後から岐阜の産業会館での講演。
11:20の「のぞみ」に乗る予定でいる。

日帰り。

最近,思考(脳みそ)はシンプル。
物理的には忙しいし,体力的にもきつい日々が続いているのだが,精神は妙に安定している。

まあ,そんなことはどうでもいいのだが,相変わらずの山ほどのメールを先に処理してしまおう。
なので戯言は仕事から帰ってきてから。

では。
アディオス アミーゴである。

2001/10/05 (金)  
【みんなのメール】

車酔いがおさまったところで,近所の焼肉屋「備長」で夕食。
松阪のホルモン屋に比べれば遥かに洗練された焼肉をだす。

松阪のホルモン屋の下品さも捨てがたいが,この洗練も捨てがたい。
それは例えば「タレ」である。

松阪の脇田屋は,八丁味噌ベースの黒いタレで,焼いていても焼けたかどうかなんてわからないぐらい黒い。
私は,かなり生のまま食べた。

それに比べれ,備長のたれは,無色透明に近いのである。
ビンに入れても,完全に向こうが透けて見える。

しかしどちらもうまいのある。
うまいものは正しいのである。

さて,皆さんからのメールが溜まり過ぎた。
ぼちぼち紹介。

まずは,おなじみ,うどん星人2号さんから。
長文だ。

相変わらず御多忙で飛び回っていらっしゃいますね。
私も諸国巡業をつづけておりますが、このところ白くて長いものが不足していて、
「うどん禁断症状」がでています。
こんな時に依頼がくると、「アゴもアシもでないのですが...」といわれても、
ついつい飛んでいってしまいそうなので、気をつけています。

>しかし体が石のようだ。

私もメデューサの目を見てしまったように、「石化」しています。
たまに予約がとれていくマッサージ屋さんも、
これを「こんにゃく化」するには苦労している様子。

さて、昨日は珍しく上越新幹線で長岡までいきました。
駅の売店付近で、しきりに「イチゴビール、イチゴビール」との声が。
気持悪いので想像できずにいましたが、車内販売が来て、ようやく判明しました。
「越後(えちご)ビール」でした。
地ビール第1号と書いてありましたが.....
以前越後湯沢のホーム下の飲み屋さんで、日本酒酵母入りのビールを飲んで
苦い経験(甘かった,,,,)をした事のある私は、試飲を遠慮しました。
(美味しいという情報が入り次第、次回から買って呑みます)

座席の背もたれシートのところに、JR東日本グループが発売している
カタログショッピング用の車内誌が入っていましたが、
その片隅に......こんなものを発見しました。
(既にご存じなら、以下無用の内容です)

********
東北新幹線「てもみん トレインマッサージ」

下り列車
やまびこ205号 東京発( 8:20)〜仙台
やまびこ 39号 東京発(11:08)〜盛岡
やまびこ 43号 東京発(13:28)〜盛岡

上り列車
やまびこ206号 仙台発(12:11)〜東京
やまびこ 50号 盛岡発(15:15)〜東京
やまびこ 52号 盛岡発(17:26)〜東京

上記新幹線車内(9号車)にてご利用いただけます。
●受付:10号車1階 カフェテリア
※詳しくは、日本レストランエンタプライズ 列車営業部
03-5798-8070 まで
********

これはいいわ!と思いましたが、はて、さて、こんな時刻の電車で
移動ができる優雅な出張はまずなさそうです。
JRも空いている時間帯なので、こんな事ができるのでしょう。
マッサージのあとは、 ビールでも呑んでそのまま寝てしまいたい気分になります。
駅についたら、ぐーすか寝ている自分をそのまま起こさず、自動的に自宅まで
運んでくれる宅配サービスが出来て欲しいと思う今日このごろです。


そして、もうひとつ。
桃知さんのPDAはpalm系visorではないようですが、

肩揉みモジュール!
http://www.palmgear.com/hs/products/prodoverview.cfm?prodID=473&prodcatID=5

写真をみるかぎり、オムロンの低周波マッサージ機がカード化されたようなものですね。
長らく欧米人は肩こりがいないと聞かされてきましたが、
最近、むこうの展示会場の一角には、かならずマッサージコーナーがありますし、
こういうものまで商品化されるあたり、どうやらしっかり「石化」が
進んできているようです。

寒暖の寒さも激しくなってきました、
再びやっかいな風邪に悩まされませんように、どうぞ御自愛ください。


P.S.
<秋の「太るぞ!」予防週間>で、夜食を一切断ったところ、
2日目にして空腹で胃がいたくなり七転八倒。
やはり深夜作業者は、適度に夜食が必要でした。

空腹時に胃が痛いっていうのは潰瘍ができてるんじゃないのかい?
気をつけなくちゃいけない。

ストレス溜まった時には食うに限る。

てもみん新幹線は知っていたけれど,使うような仕事はずっとないと思う。
つまり東北地方は私にとってはいつまでも「みちのく」なのだ。

そして,本日の講演の感想もぼちぼち届き始めている。
そんな中から。

さて、本日会社へ戻り”ももちどっとこむ”へアクセスしたところ店主戯言のページを見つけました。

 読ませて頂くと本日のセミナー内容の要約になっており、お話の内容を改めて整理できました。
    
   市場のルールは配分のルールから,市場メカニズムを重視するルールへ
   その変化の推進エンジンが「IT革命」と「グローバリゼーションであり、
   自社の経営(生き残り戦略)ツールとしてIT化は存在し,ようやくIT化投資は本格化する

 このように現状と今後がすっきりまとめられており、目をひらかれた思いがします。
 ITのマーケットしての建設業界をどうとえるのか、そのとらえかたを間違えば建設業向けITビジ
 ネスも失敗に終わるのではないかと自覚しました。

 今日は本当によいお話をきかせて頂いただけでなく、まとめの文章を読ませていただき感謝して
 おります。今日はいっぺんに桃知さんのファンになりました

Give Thanks!
そして,現実世界からの使者さまより。

○○○の原稿の件ですが、まだまだ締切までは余裕がありますが、どんなあんば
いですか?
今回は、「経営者の決断がIT化の決め手!」と高山などの団体さんの
情報化実例の2本ありますので、けっこうキツイかと思います。
一応、10月末が締切ですが、応相談です。

すみません、それと、
○○○○のご担当者をそろそろご紹介いただきたいのですが…
民民市場における電子商取引の実態を掲載したいと思っておりますので。

お忙しい中恐縮ですが、よろしくお願い申し上げます。

急に胃が痛くなってきた。
式神がほしい(最近,「陰陽師」にこっている私)。



【車酔いしてしまった】

青山からタクシーで帰る。
8860円+700円也。

なぜか車酔いしてしまった。
体調がよくないんだろう。

今日の講演は妙に落ち着いて喋る。
きちんと1時間。計ったように喋る。

聴衆はいつもと違って,販社の皆さんである。
つまり,マイクロソフトGroupBoard建設業版の説明会での仕事。

主催はソフトバンク・コマース様。
IT専門用語を説明する必要がないので,ひとつの言葉がいつもの5分,10分の時間を補う。

反面,建設業界に対する(販社の皆さんの)認識に関しては要解説。
つまり,今日の私の話はその部分に終始した。

地場型中小建設業は,ようやくIT化の必要性に目覚めたばかりである。
なぜなら,今までの中小建設企業を取り巻く経営環境はIT化を必要としていなかったからだ。

例えば,橋本失敗の経験を踏まえたオブチノミックスは,空前の財政出動を行い,公共事業は地方を中心にばらまかれた。
そして地場型建設業の懐は枯れることはなかった。

それは森政権でも基本姿勢は変わらないできた。
しかし,この資金がIT化投資に回される例は稀であった。

なぜなら,オブチノミックスのような公共事業の大判振舞いがある限り(別に大判振る舞いでなくともよい),受注者である地場の中小建設意業者は,受注戦略としてのIT化などを考える必要はないのである。

仕事は待っていればそちらから来てくれた。
つまりIT化などというものが,自社の経営戦略重要項目になることはなかった。

しかし,時代が変わった。

仕事は待っていても来てくれない時代になろうしている。
つまり,市場のルールは配分のルールから,市場メカニズムを重視するルールへと変化しようとしている。

その変化の推進エンジンが「IT革命」と「グローバリゼーション」である。
IT革命とグローバリゼーションが支配する政治経済システムでは,公共建設市場といえども,市場メカニズムの洗礼を受けざるを得ない。

残念ながら,この文脈にしか中小建設業のIT化の誘引は存在しない。
何もしないことは衰弱死を意味する。

つまり,自社の経営(生き残り戦略)ツールとしてIT化は存在し,ようやくIT化投資は本格化する。
これは,IT化にとっては正しい時代なのである。

すでにIT化投資もできないほど疲弊した企業は,ただ淘汰の波を受けざるを得ない。
これは否定しようもない事実となるだろう。



【アディオス】

本日はこれから外苑前のTPIAで講演。
午後1時30分から1時間枠。

PPTの最終調整を今頃(午前9時過ぎ)やっているわけで(昨晩は完全にくたばってしまった),忙しいので,戯言は仕事から帰ってきてから。

では。
アディオス アミーゴである。

2001/10/04 (木)  ▲
【松阪は雨が振りそうだよ】

今日は,朝早くからの勉強会。
終了後,東京へ戻っての仕事が待っている。

この戯言に書きたいことは沢山あるのだけれども,きちんと更新できる時間もない。
今日はとにかく目前の壁(笑)を踏破しないといけない。

しかし体が石のようだ。
毎度のフレーズ,「すばらしい日々だ 力溢れ すべてを捨てて僕は生きてる」が頭の中でリフレインしている。

2001/10/03 (水)  
【ももちどっと食う】

桃知@松阪である。
午前中は北沢建設さんでシステム設定。

お昼ご飯は,これも久しぶりに広東晏店にて,ビーフンあんかけを食べる。
お酢沢山かけて,食べる。大好き。

その後,飯田駅を14:00発のいいなかライナーで中津川駅まで移動。
同乗客は2名。

いつ廃止になってもおかしくないなぁと思う。
中津川駅からはセントラルライナーで名古屋まで。

名古屋からは近鉄の特急で松阪まで。
17:56着。なんだかんだで3時間56分の移動である。

さすがにお尻が痛い。

ホテルへチェックイン後,恒例のガメラさんとお食事。
今日は,松阪の誇る,元祖ホルモン脇田屋さんへ。

ここはたれが独特。
というよりも他にこんなのはないだろうという味噌ダレ。

例の名古屋系の味噌の使い方である。

この時期,レバ刺,千枚刺,八ツ刺がちゃんと出てくる。
これは松阪ならであろう。

そして,ここはホルモンが凄い。
脂をほとんど落としていない。

ものすごく下品なうまさというか,関東ではまずお目にかかれないホルモンである。
唯一,うちの近所の「備長」の上ホル(まる)がこれに対抗できるが,値段が違いすぎる。

当然松阪のほうが安い。

体にはすこぶる悪いだろうと思われる晩餐ではあった。
なにか命がけで食っているような気分になる。

しかし,松阪はホルモン文化の奥は恐ろしく深そうだ。
暫くは松阪にくる楽しみが続く。



【飯田で朝】

新冠から飯田はさすがに遠い。
昨日は大変に疲れた。

新冠を10時に出たわけだから,7時間40分かけて飯田まで移動してきた。
車→飛行機→タクシー→電車→バス。

新冠温泉からは逢坂マサキ建設さんの車で新千歳空港まで。
1時間40分ぐらい。お世話になりました。m(__)m

新冠は冷たい雨だったが,新千歳空港は雨は上がっていた。
相変わらずF15が嬉しそうに飛んでいた。

フライトまでの時間に昼食とする。
時間もないのでカレー。

チーズ・カレーをオーダーしたのに,やってきたのはシーフード・カレー。


まあ,なんでいいやと食べ始めるが,このシーフード・カレー,イカしか見えない。
それも足ばかり。

ゲソ・カレーとネーミングを替えたほうがよい。

ANA708便は25分程の遅れで離陸。
よく揺れる。

当然に着陸も25分ほど遅れる。
なので,バスではなく,タクシーで勝川駅まで移動。

勝川は「かちがわ」とよむ。
ここから,中央線快速で中津川駅まで。

中津川から飯田までは,毎度おなじみ「いいなかライナー」である。
乗客は5人。

なかなか気合の入った運転手で,予定よりも10分ほど早く飯田着。
しかし,いつ廃線になるか心配な路線ではある。

ホテルまでは,こてこてと歩く。
名古屋はかなりあったかかったが,日の落ちかけた飯田はかなり肌寒い。

晩餐は北沢さんと。
しばらくぶりに「嘉藤治」へ。

なんこつ(関東では「はつもと」だね)は相変わらずうまい。
脂の残し方が絶妙なのだ。

その後「時代屋」さんへ。
トイレがびっくり仰天のつくり。

店はものすごく暗い(照明がね)のだが,トイレはものすごく明るい。
その上,トイレにはバスタブがあって,ちゃんと,水が張ってある。

その上,黄色いバラが浮いている。
ものすごくほっとするトイレである。

この心理的効果とは。。。。

最後に隣の飯田屋台ラーメンでスペシャルを食べる。
相変わらずの変なラーメンである。

ホテルへ戻ってメールをチェックしていたが,眠くなってベットに横になったららそのまま眠ってしまった。
今朝は7時20分起床。

2001/10/02 (火)  
【新冠にて】

桃知@静内%新冠温泉 レ・コードの湯(ホテルヒルズ)である。
昨日は逢坂マサキ建設さんで勉強会を行った後,同ホテルで夕飯をご馳走になる。

そして,本当に久しぶりに温泉に入った。

とにかく,でっかい風呂というのはよい。
縮んでいた体が伸びていく。

風呂から上がり,秋の夜長,本を読んでいた。
昨日は朝早くからの移動のせいもあり,早々に眠ってしまった。

今朝は午前3時50分に起床。
さすがに寒くて,目覚めるなり暖房のスイッチを入れた。

そして,早速インターネットに接続してメールチェックを始める。

しかし,新冠は,モバイラーにとっては辛いところである。
PHSは全然だめなのだ。

私の場合,H"が使えないことですでに相当のストレスが溜まる。

so-netのダイアルアップアクセスポイントは遠く苫小牧。
これは,前回(隣町の静内宿泊),通信料1万数千円を取られてもうこりごりなのである。

ついでに言えば,この地は安くて早い通信インフラの実現はまだまだ遠い。
今日の私は,携帯の9600bpsという,今から5年ぐらい前の通信環境でインターネットアクセスをしている。

安く早いインターネットアクセスは,国民一人一人が平等に享受すべき権利であろう。
生活道路の確保が必要なように,安くて早いインターネットアクセス環境も今や必需なのだ。

つまり,安くて早いインターネットアクセス環境は生活道路なのだ。
と言っているとこんなメールも届く。

ADSLの敷設は、サービス不可能地域という連絡がありました。
折角、爽快にHPを見られると楽しみにしていたのですが、残念です。

栃木県のある市からのメールである。
この段階で新冠と某市の通信環境は変わらない。

こういう問題は市場原理だけでは解決がつかない。
新冠は冷たい雨が降っている。

2001/10 /01 (月)  
【10月の始まり】

今日(10月1日)の私。
6:11 京浜東北線 浜松町 6:49
浜松町 6:54 東京モノレール 羽田空港 7:17
ANA 055 東京(羽田)(0800) 札幌(千歳)(0935)

それから新冠まで移動(逢坂マサキ建設さん)。
そして勉強会は夜8時までの予定。

明日(10月2日)の私。

新冠から千歳まで移動。
ANA 708 札幌(千歳)(1245) 名古屋(1420)
名古屋空港 14:56 連絡バス 勝川 15:15
勝川 15:20 中央本線快速(名古屋−中津川) 中津川 16:12
中津川駅 16:40 いいなかライナー 飯田駅 17:29

この日は移動だけである。
夜は北沢さんと久しぶりに一杯の予定。

明後日(あさって 10月3日)の私。

午前中は飯田市内にてシステム設定(北沢建設さん)。

飯田駅 14:00 いいなかライナー 中津川駅 14:54
中津川 15:08 セントラルライナー 14号 名古屋 16:13
名古屋 16:13 徒歩 近鉄名古屋 16:28
近鉄名古屋 16:50 近鉄特急(名古屋−伊勢志摩) 松阪 17:56

明々後日(しあさって 10月4日)の私。

午前中は松阪市内で勉強会(丸亀産業さん)。

さて,それからが大変。
大急ぎで東京へ戻る。

松阪 14:10 近鉄特急(名古屋−伊勢志摩) 近鉄名古屋 15:16
近鉄名古屋 15:16 徒歩 名古屋 15:31
名古屋 15:48 のぞみ 18号 東京 17:28
東京 17:48 営団丸ノ内線 四谷三丁目 18:01

夜は東京で予定あり。

やのあさって(こんな言葉使ったことあります? 10月5日)の私。

午後からTEPIA ホール(外苑前)で講演。
これは一般の方向けじゃない。

さすがにやのあさっての次は知らない。
つまり,10月6日の私。

蕨 9:14 京浜東北線 東京 9:47 東京 10:00 *のぞみ 47号 名古屋 11:36
名古屋 11:45 東海道本線(熱海−米原) 岐阜 12:09

午後から岐阜市内にて講演。
内藤建設さんの安全衛生大会におよばれ。

こうして私の10月は始まる。
ついでにこれ以降(来週の予定)も書いておこうか。

10月8,9日は美濃加茂市建設業協会へ。
システム設定と勉強会。

10月10日は大垣の建設CALS/ECセンターで北海道は空知建協の方々を迎える。
郡上建協の前田会長にもご足労願う。

10月11日は,伊丹から宮崎へ飛ぶ予定。
その日のうちに帰ってくる。

10月12日は「絶対に休み」。
なぜかというと,13,14日と郡上建協でシステム設定を行う予定になっているから。

「すばらしい日々だ 力溢れ すべてを捨てて僕は生きてる」(By奥田民生)(笑)。
テーマソングは,やっぱりこれしかない。

しかし,今月中に高山へも行きたいのだが。。。。やっぱり,時間が足りない。

momo
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