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店主戯言00208 2002/08/01〜2002/08/31 "There goes talkin' MOMO"


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2002/08/31 (土)  
【桃論の仕上げ中です】

ああ、今日で8月も終わりですね。
ああ・・・

・・・今日と明日とでとにかく「桃論」を仕上げなくてはなりません。
少々きついですね。

官公需法に関する議論もいただいておりますが、それは後ほどということで。

2002/08/30 (金)  
【私から(その2)】

嬉しかったこと。
熊本独演会の私の「はなし」に対して「ご祝儀」を送っていただきました。

木戸銭ではありません、正真正銘のご祝儀なのです。手紙までいただいてしまいました。
私のはなしに自らの価値観で値打ちを決めてお金をお支払いいただいた方は初めてでございます。

ありがとうございます。
かわらこじき(芸人)冥利に尽きるのでありました。

これは別な方からのメールで、「少なくとも、昨日参加した民間企業で桃知セミナーは銭になると気付かなかったらアウトです。」というのもいただきました。

ありがとうございます。
こうして私は生かされております。

さて、(その1)で書いた、

『桃塾で私は、「コミュニティ・ソリューション」の秘密は「共感」だというはなしをしました。
それは、一度自分が「なにものでもない」ことを心の中に持たないことには理解できないでしょう、ということなのです。』

というフレーズですが、これは当然に受講生の皆様にいっていることばなのです。

つまり、中小建設業という業界の方々に対してです。
これはミーム論のことをいっています。

つまり、自らのミームを世間一般さまに伝えるにはどうしたらよいだろうか、というときの最初の自覚とは、中小建設業というのは「自助・自立」の存在ではないことを自覚することなのです。

はっきりといえば、世間さまと共生する存在でしかありません。

しかし、この理解は意外と難しいわけで、普段は地域と生きる「なんとか建設」とかいう割には、自分だけは「自助・自立」の存在だと思い込んでいるものです。

でも、自らが「なにものでもない」ということがわからないと、地域社会との「共感」も「コミットメント」も何もないのです。

地域社会の方々と共有する「共感」も「コミットメント」も何も持ち得ないのです。

ですから、ジオさんの指摘である、『「わかってない」とおこるんじゃなくて「わからせる努力が足りない」と反省しないといけないんですけど、まだまだですね。』という指摘はある意味正しいわけです。

じゃ、どうすれば「わからせる」いや、「わかっていただける」のか、というのが、私のいうところのミーム論に他ならないわけですね。

このはなしは実は既に書き終えた「桃論」を超えてしまっています。
「桃論」でのミームの扱いは、まだ「わからせる」という部分に支配されていますが、最近の私はそれが間違いだってことに気がついています。

ですので、書き直しておりますが、その作業によって生まれた部分が、9月24日の札幌独演会に続くのですね。



【私から(その1)】

日経の官公需法の記事関して、ご意見をくださいました皆様に感謝申し上げます。
議論がなくてはなにも生まれませんし、始まりません。

「公共工事という問題」は複合的な問題です。

議論を行うときに単純化は大切な作業ですが、あまり単純化しすぎてもその本質を見失ってしまう恐れもあります。その単純化で語っているのが今回の日経の記事だということです。

日経が持っている前提は「サプライ・サイド」の視点でしょう。
ですから、記事の結論は「サプライ・サイド」側に振れます。

つまり、官公需法に「依存」した「保護された産業」として、その依存と保護を批判しています。
サプライ・サイダーにいわせれば、「自助・自立」できないようなものは、諸悪の根源でしかありません。

そして曰く、効率性が悪い。
私たちの大切な税金をなぜそんなところに投入しなくてはならないのだ。

だから、中小建設業=中抜き、不良不適格を強調します。
今の時代の空気では、その方が新聞の正当性を主張しやすいのも確かでしょう。

そして、時代の空気を抜きにしても、確かにその指摘が正しいところがあることも認めます。
「公共工事という問題」は複合的な問題でしかありません。

でも、理解してほしいのは、私の批判は、その視座に対してのものだということです。
日経の記事を読むと、まるで整理・淘汰されないものが「悪」であるような表現がされています。

考えてほしいのは、本当に私たちは「自助・自立」で生きるものなのかということです。
そのところの議論を私は振ったつもりなのですね。

お気づきの方もおるかもしれませんが、このHPの「主観リンク」は「依存リンク」に代えてあります。

私が最近主張している「コミュニティ・ソリューション」とは依存の関係なのです。
自助・自立の心は大切でしょうが、人は自助・自立だけでは生きてはいないのです。

自助・自立は強者の視点です。
自助・自立できないものは、彼らにとっては存在さえも否定したいのでしょう。

桃塾で私は、「コミュニティ・ソリューション」の秘密は「共感」だというはなしをしました。
それは、一度自分が「なにものでもない」ことを心の中に持たないことには理解できないでしょう、ということなのです。



【そろそろ再開しましょう】

桃知@ANA242です。結構揺れています。
もちろんアップは着陸後ですが。。。

まずは、長崎建協北部支部での講演の感想から。
最初に、時間がなくて「ミーム論」もお話しできませんでしたことをお詫びしなくてはなりません。

私はIT化で扱う情報とはミームであるという立場なので、本当はミーム論を話さないといけないのですが、とにかくCALSとはなにものなのかで2時間が終わってしまいました。

とにかく、超初心者編として聞いていただけたならば嬉しく思うのです。
それから、田平町はPHSは大丈夫でしたよ。(笑)

では、そろそろペンディングしていました「官公需法」についての議論議論を再開しましょう。

これは、だいぶ前にジオさんからいただいていたものなのですが、まずはご紹介です。

>できれば、皆さんからのご意見もほしいところです。

ということなので、目覚ましにちょっとだけ。。。

日経記事批判を見ていて、「こりゃダメだ」と思った人がまだいたのですね。自
分たちが改善のためがんばっているのに、なにをこしゃくな。。。。ってことか
もしれませんが、「がんばっている」のは誰も見ていないのでねぇ。一般のひと
にとって建設業ダメダメはなにも変わっていないので、当たり前の記事なんです
けどねぇ。「わかってない」とおこるんじゃなくて「わからせる努力が足りない」
と反省しないといけないんですけど、まだまだですね。

自分が外に向かって働きかけるよりも、人が自分の思うように評価してくれるこ
とを望むというのが、結果云々は別にしてもあかんですね。「ただいま勉強中」
で評価されたいとかんがえるのはあまりにも甘いです。まだまだ道のりは長そう
ですね。長年身に付いた保護の皮を脱ぐのはそれだけたいへんなんでしょうね。

それから以下はケーセラさんのご意見です。

25日の日経の記事について

これから記する事は、土木業界 特に日経の記事に指摘のあった舗装業界について私のおもうところを書かせて頂きました。

地場土木業者には、確かに不適格企業は多く存在すると思います。その不適格企業の多くは労務さえ抱えずに受注してきました。
しかし、ある程度労務を抱える地場建設企業において、その数や機械の保有台数で不適格企業と考えるのも間違いであります。地場建設企業は、その存在意義として台風や大雪などの緊急災害に対応出来る事が非常に大事である事は、先日の日本を縦断した台風にも見て取れます、町内の側溝清掃・除草・点々穴埋などは、維持工事として自治体道路の管理は地場企業が行う事が、行き届いた管理・スピーディな施工等々において重要であります。

私の経験ですが、これらの自治体維持工事さえ大手に丸投げしてしまう地場建設業者もおります。これらの地場建設企業は業界から退場して頂かなければとも考えます。何故なら先に書いた地場建設企業としての意識さえ無いからであります。
弊社には地場建設業から 期間限定の正社員として技術者を派遣して欲しいと連絡が良く入ります。現場代理人として登録するので書類上正社員である必要がある訳ですが、その多くは実際に請負予定の工事を出来る技術者がいないという事です。後ろには丸受けをする大手企業がほぼ存在しています。
現在は弊社では、それら全てお断りしておりますが、数人の知り合いはそのような形で実際に地方に出かけております。

地場建設企業はNPOとは、言いませんが、その存在はかなりボランティア性が必要であります。予測不能や天災また不慮の出来事に対応出来る事が資格要件と考える事が大事なのではないでしょうか、それらを対応出来るように会社を維持するには官公儒法の法律は必要なのだと思います。

この記事において問題視している技術不足の企業が多いと云う点では私も理解し不適格企業と考えます。退場する必要がある企業が多い事は確かでありますが、地場建設企業の必要性を考えると企業維持の為に自社で成し得ない工事でも受注を増やす企業が多い事も現段階では無理からぬ事と思います。
これらの力の無い地場企業は、自らトライネットさんのようなM&Aを行ない、技術面・経営面で強化する時代である事は間違いないのではと考えます。

私の友人には今まで2次・3次・4次下請として公共工事に携わり驚くような低い請負金で実動部隊として監督〜労務まで実際に工事を行なって来た者が、地場建設企業として役所からの直受けを狙い企業を起こす者が多く居ます。少なくとも記事にあった手数料狙いでは無く、正当な技術代金確保を狙っての立上げです。
それらが未だに増え続ける原因なのです。
多くを受注出来るが実際 施工力の無いピンはね元請を見て独立を考えるのです。

今後、現存の不適格地場企業と入れ替わる必要性があるのではないでしょうか、IT化も進み仕事が細分化される事を予測すると地元密着型の小企業が必要なのだと思います。
合わせて小企業維持の為の発注も社会的にも必要不可欠なのです。

地場建設企業が生き残る方法(必要なのだから)として先に書いたM&Aが有りますが、共同受注も考えられると思います。現在のような官公需法にあぐらをかいた形では社会に受け入れられる訳は無いのですが、地場建設業界は、その性格上 行政の指導の基 存在させなければ成らぬ業種であるはずです。

また、経営者として考えれば、公共工事削減に伴い、存続を考えるなら 公共工事の売り上げが削減する事は間違いないので納得する必要があります。企業として成長を遂げるなら新しい技術やサービス面で競争力を待ち、成しえる工種を増やしたり革新的経営が必要でしょう。逆に革新的経営に積極的な企業なら生き残れる社会風潮でしょう。そして社会が期待する企業なのだと思います。

紙面に載っていた分離発注ですが、CM方式の分離発注とは明らかに違う唯の工種分け発注と思われますがどうでしょうか?
工種分けだけで工事金額を押えられる訳が無いと思うのですが、今しばらくCMを勉強しない事にははっきり説明出来ませんがCMR・CMrの存在がハッキリした本来のCM方式ならばと漠然に思います。

師匠のおっしゃる幕引きが難しいとは、私も強く感じます。地場建設業の存在理由を明確にして行くには、ハードランディングでは困ります。50年掛かり作り上げたものは、やはり そのシステムを壊し作り直すなら時間が有る程度必要だと思います。当然そこには行政の責任もあるので、学も交えながら取り組む問題と思います。

なかなか動けぬデル研は、中小建設企業が、肩を寄せ合い経営面・技術面・役務面を勉強しながら独自の世界を作ろうとするものです。大は小を兼ねると言いますが、私達はこれからは、小が集まれば大にも成り得るの気持で結集しました。
ひょっとしたらこの様な形がIT化の時代に最も合っているのではないでしょうか?

ということで、私の意見は後ほど。

2002/08/29 (木)  
【@みどり26号】

佐世保にもう一泊する予定を変更して、現在博多に移動中でございます。
明日は、長崎空港から飛ぶ予定だったのですが、台風も近づいてきておりますし、大事をとって博多で一泊、明日の朝一番の飛行機で福岡空港から帰ることにいたしました。

なんともあわただしい人生ではありますが、それしても腹がへりました。
最近講演の後は腹がへってかないません。

モツ鍋くいて〜っていうところでしょうか。
でも博多着は結構遅いのですよ。



【佐世保にて】

昨晩も飲んでしまいました。
長崎建設業協会北部支部長さま、西日本建設業保証長崎支店長さま、大変ご馳走様でございました。

台風も近づいてきておりますので、このまま帰りたいのですが、本番は今日なのですよね。

そうです、今日は長崎県建設業協会北部支部さまでの講演で田平町までまいります。
これは、私の日本最西端での講演となります、

しかし、聞くところによると、ピッチが使えないとのこと。。。
ケータイでなんとかやりましょうと準備はしてきましたが、これでケータイが入らなかったらどうしましょう。

というとで、いってきます。

2002/08/28 (水)  ▲
【お願い】

*********************************
懇談会にご出席の皆様にお尋ね

昨晩、懇談会に出席された方で御自分の靴以外(他人の靴)を間違えて
履いてお帰りになられた方がいらっしゃいましたらご一報ください(^^)

連絡先 y-omura@office-egg.com     桃熊会紛失係 大村まで
*********************************



【佐世保着】

桃知@佐世保です。
本当はいろいろと書かなくてはならないのだけれども。。。

まずは昨日の昼飯のはなしから。

昨日は、熊本空港までは大村さんに迎えに来ていただいて、昼飯は一緒に「かつ美」のホルモンの定食をいただいたわけです。

もちろん熊本ですから、ホルモンといっても牛ではなくて馬なのですね。
つまり、長野県飯田市でいうところの「おたぐり」です。

はっきりいって「ものすごくうまい」のでした。

昨日の独演会にはほんとにいろいろな方々においでいただきまして、県会議員様、熊本県職員様、熊本市職員様、熊本県建設業協会関係者様、それから他県からも沢山の皆様。

懇親会も本当に沢山の皆様で酒宴。
しっかりと2次会もこなしました。

改めて御礼申し上げます。

ところで、大西さんは予告どおりのことをしてくれましたね。

というところで、日経の官公需法批判については後回しになってしまいました。
これからちょっと休みます。



【熊本独演会御礼】

桃知@有明18号で移動中です。
これから鳥栖でみどり9号に乗り換えて佐世保まで参ります。

昨日の熊本独演会は満員御礼の大盛況でございました。

私は初心者コースにちょっぴり上級者コースのテイストを加味しながらお話ししてみました。

お楽しみいただけましたでしょうか。

今回の熊本独演会の開催には、沢山の皆様のお力をお借りいたしました。
事務局をお一人で引き受けてくださいました高良さんをはじめ、大西さま、緒方さま、大村さま、そして郡上建協の前田会長と平井さんも遠くまでありがとうございました。

それから昨晩私の宿泊先に「お多福豆」をお届けくださいました方、是非ご連絡ください。お礼を申し上げたいと思います。

ということで、続きは佐世保についてからですね。

2002/08/27 (火)  
【オープンセミナー2件】

オープンセミナーのご案内に9月の講演2件を2件掲示しました。

9月18日新潟 実例情報化講習会「情報化への道はこれだ!」

9月24日札幌 第2回桃知利男札幌独演会
           −自助自立ってそんなに偉いの?信頼のIT化−

どちらも定員が限られていますので、お早めにお申し込みくださいませ。



【F氏からのメールその2】

桃知@熊本です。
F氏から続きのメールが届きましたので、取り急ぎ掲載いたします。

<前回メールの続きです>

25日の日経記事についてまとめると、
(A)は日経の主張、(B)はそれへの代表的反論 です。

(A)官公需法により非効率な公共工事・建設企業が温存されている
(B)公共工事には効率性で測れない意義がある

前回のメールは、寝ぼけていたので論旨不明瞭かつ
(A)の問題点だけ書いて、
(B)への批判を書き忘れてしまいました。(反省)

まず、生産性について。
GDPベースでマクロの労働生産性(実質総生産額/就業者数)をみると、
1990年から1998年の間に、全産業の労働生産性が6.4%上昇したのに対し、
建設業のそれは19.9%も低下しています。
(ちなみに製造業は15.6%、サービス業でも4.1%上昇。)

さて、約20%もの生産性の低下を(B)だけで説明できるでしょうか?
事後的な救済(雇用を守るために非効率な工事が発注されること)を見越して、
生産性向上努力を怠るといった、ある種のモラルハザードはなかったでしょうか?

つまり、私が言いたかったのは、
(A)も(B)も両方あるってことを認めた上で
それぞれ分けて対応策を議論しなきゃってことです。

必要なのは、公共工事の非効率性について、
地域としてたとえコスト増となっても解決すべき課題によるものなのか、
制度の不備・不適が引き起こす真の非効率なのか
をきちんと分けること。

そして、前者については、
その是非をコミュニティが判断して決める仕組み
(今のように受益と負担が乖離していては駄目です)
後者については、モラルハザードの発生を防ぐ制度設計
を実現すべく議論していかなければ。

特に、(B)を主張する我々としては、
まず、後者の非効率は是認しないことをはっきり主張する。
そして、コミュニティソリューションがもたらす価値について
具体的かつ分かり易い主張をしていくことが重要で、
そうしないと、既得権益層=改革反対派(このレッテル付けも皮相的ですが)と
十把一絡げにされてしまうおそれがあると思うのです。



【出掛けに】

これから熊本まで移動です。
出掛けなので、私の最初の理解者であるF氏からのメールを掲載しておきます。

ものすごく大切なことをを語ってくれているので、よく読んでおいてください。
できれば、皆さんからのご意見もほしいところです。

私からのコメントは、落ち着き次第書かせていただきます。
では行ってまいります。

25日の日経記事に対して、批判的な意見が多いようですが、
私は今回の記事を読んで、とてもシンプルかつ分かり易い主張で、
・・・・
ある意味、真実を写していると思いました。

ただし、問題は、考え方がシンプルすぎて、
我々が生きていく上で大切にしなければならない
幸せや満足といった根元的なものの価値が捨象されてしまっているところにあり、
世論の誘導や策略ってのはちょっと深読みかな?と感じています。

我々が指摘しなければならないのは、
次の2点において、
彼らにコミュニティソリューションの視点が欠如していることです。

(1)公共事業の効用を、制約条件のもとにおける
   社会資本便益の最大化問題に限定して捉えている点。

(2)生活者=納税者の視点と言いつつも、
   具体的に生活者とは誰を指すのかイメージできていない点。

地方における公共事業の発注者・施工者として、
社会資本の便益以上の効用
(抽象的ですが、私は風土を築き上げ、次世代に引き継ぐことと考えています)
を具体的かつ積極的に主張していくことこそ、
彼らの主張を超えてゆく「建設的な」意見ではないでしょうか?

価値観が違うと割り切ってしまわず、
お互いの意見が含む真実に目を向け、
Cool Head & Warm Heartで視野の広い議論をしていきたいものです。

こんなことは桃知さん、百も承知の上とは思いますが、
表面的な「日経=解ってない」と言う構図で
片づけてしまう人がいると残念だと思いましたので。

2002/08/26 (月)  
【まにあ2号認定】

35万ゲッターさまは吉谷ちょっとよむさんに決定。
ちょっと反則ぽいけれども、まあ、いいでしょう。

その涙ぐましい努力を評価して、「まにあ2号」の称号を差し上げます。

師匠こんにちはです。
最近は北海道組さんや、栃木組さんにやられてばかりのキリ番ゲット!
私はとうとう怒髪天を突きましたよっ(笑)

ここで千葉組のメジャー化を目指すために、私は奮起したわけなのですが、
よく考えると私の所の回線は、ADSLの常時接続、お連カウンターの特性上
運が良くないとキリ番はゲット出来ない訳でして、前回のまにあ・1号さんが
行った手法で挑戦いたしました。(笑)

皆さんが昼食を食べている間、私はひたすら空腹を我慢し、H”を使っての
キリ番ゲット戦略開始、私の隣じゃー旨そうなお弁当の臭いがぁ・・・
我慢我慢!、ここは狩猟民族化しひたすら獲物を追う狩人の如くダイアルアップ

ダイアルアップを繰り返ししていると順調なこと、私がダイアルアップするごとに
カウントもアップするじゃー有りませんか!349978,349979,3499
80
よしよしと思いきや、別の狩猟民族が現れはじめたらしく、突然カウンターの
数字か、とびとびにアップし始める。

これは手強いと思いながら、ダイヤルアップを進めますと、349998なり・・・
これまでかぁーーーーーと思い再度、ダイヤルアップいたしますと、なんと
3500000ドンピシャ!

しかし、よく考えますといいオヤジが昼間から何やっているんでしょうねぇー(-_-;)

まあ、目の前にチャンスがくると人が変わるのは煩悩と言うことですね。
とりあえず、350000ゲットいたしましたが念のためログと照らし合わせて頂き
ませんでしょうか。

(ざっくり)

ところで、何かいただけるのでしたら、師匠の「桃論」が発売されたサイン入りのを
私に譲ってください(笑)

それでは失礼いたします。

はい、それでは、ご要望のものを送りたいと思います。

さて、昨日の神田山陽は、お目当ての「レモン」じゃなくて「太閤記」だったのですけれもど、まあ、満足。浅草演芸ホールには、山陽目当てのお客様が沢山おいでになっておりました。

若くてスピード感溢れる講談は確かに「新しい真打」だと思います。

でも、山陽って人は、芸にそのストイックさが見え隠れするのですね。恐ろしいほどに自分に厳しく観客には甘いんだわね。

若いうちはこれでいいのかもしれないが、お客は疲れるかもしれないなぁと思った次第。
この人の課題は、客に見透かされない計算ずくの「あそび」だろうなぁと思うわけです。

今日は、蕨の歯医者へ行って来て、メールと格闘中。
なので、桃論をいじれないでいます。

明日からは九州ツアー。今日の夜は北海道のA木さまと懇談。
ん〜、時間が足りない。

それから、9月24日には第二回の札幌独演会があります。
これは主催者の空知建協葉月会さまのご好意で、一般の皆さんへの無料枠がございます。

近日中に告示いたしますので、北海道の皆様、是非お揃いででくださいませ。

2002/08/25 (日)  
【なんとも】

「一お連カウンターはまもなく35万です」

さて、北陸巡業、大垣での「桃塾」2回目を終えて帰宅しました。
眠いので一眠りして、夕方神田北陽改め三代目神田山陽真打昇進披露興行へ行く予定。

ところで、本日の日本経済新聞には「中小温存のからくり」という記事があって、それに対して朝からあるMLへ投稿がありました。

本日の日経新聞に掲載されていた記事に
「中小温存のからくり」と言う記事がありましたのでご報告します。
----------------------------------------------------------------------
不況の続く建設業の数が高まったままだ。
国が発注する公共事業などで中小に振り分けられる額が年々膨らんでいる為
その背景に、昭和41年に制定された官公需法という法律があり、合理的な再編を
阻んでいるという。
・・・・・
----------------------------------------------------------------------
記事は、大手ゼネコンの観点から書かれておりました。
とうとうこんな記事が日経にも載ってしまうんですね。
何も知らない人がこれを見てどう感じるのかを考えると怖い気がします。

これは「桃塾」を受講されている方からの意見なのですが、こういう視点を持つことも大切なのです。新聞の言うことが絶対であるわけではありません。

そしてもうひとつ。これも「桃塾」の受講者さまからです。

「日経」読みました・・・・・

中小建設業温存のからくり・・・・って
まるで、「大手=善・中小=悪」という構図が
はじめからありきの書き方ですよね。
私は最近強烈に思うのですが、例えば地方都市の
地場の建設業さんが支払う「法人税」ありますよね。
もし、それがなくなったら(その建設業者がつぶれたら・・)
大きな税収の低下が起きて、困るのはむしろ自治体なんじゃないですか?
優良納税者を「優遇」するのはむしろ「当然」じゃあないですか!

まあ、全国区でみれば大手ゼネコンにも同じ論理はあてはまりは
するのですけどね。
ただ、この記者さんには「地方の視点」はないですね。
この記者さんがたまたま「地方」出身者で、地元の実家都市が
寂れる一方でも、同じ主張ができるんですかね?

雇用確保についても
>上請けや丸投げが横行する過程で、建設業の雇用者数は
>97年をピークに減少に転じ、「受け皿」効果も怪しくなっている。
だったら、具体的にどれだけ減っているのか、論拠となるデータを
だして説明してくれ!という感じです。
そもそも
>怪しくなっている
という表現そのものが、あやしいですよ。
論拠の自信があるならば、
「受け皿」効果もなくなっている。とはっきり書けばいいんですよ!

なんだかなあ・・・日経も・・・・ですね。

私も今回の日経の記事はひどいものだと思います。
世論の誘導目的にしか思えない。つまり策略的なミームです。

日経は「生産者ではなく生活者=納税者の視点を重視し、より安価で良質な社会資本を整備するのにどうすればよいか」というスタンスなのでしょうが、果たしてこの記事は本当に「生活者=納税者」の視点を重視したものなのでしょうか?

私には非常に軽薄な議論にしか思えないのです。
中小建設業で働く人たちも「生活者=納税者」でしかないし、中小建設業が中抜き、不良不適格業者ばかりではありません。

私は「桃論」ではこう書いています。

しかし、「公共工事という問題」は、コスト縮減、品質の向上、透明性の確保、業務の効率化といったCALS効果、つまりマーケット・ソリューションだけで解決できるほど単純なものではありません。そのひとつが、地方財政の体力的な限界と雇用対策の必要性とのトレードオフの関係です。地方において、公共工事に依存する雇用をすぐに劇的に変えることは困難な話しでしかありません。なにせ、建設業に代わる雇用の受け皿となる産業はいまだに存在していないのですし、明るい構造改革でいう「530万人雇用計画」(※ 島田晴雄,『明るい構造改革』,日本経済新聞社,2001 )は微塵も姿をみせてはいないのです。この問題を、特に都市部の方々には、なかなか理解していただけないところに「公共工事という問題」の問題解決策が閉塞している大きな原因があります。

これは熊本独演会の配布資料でもあるので、詳しくはそちらをダウンロードして読んでほしいと思うのです。

しかし、中小建設業はこれに対して、まだなにもいわないままなのだろうね、多分。
こうして「消費のミーム」はコントロールされていくのです。

なので私は8月19日にこう書いたのですよ。

「桃論」はIT化の啓蒙書というよりは、第一義的には、公共工事を、中小建設業の存在を、マーケット・ソリューションの文脈で単純に批判する方々へのささやかな挑戦状にしようとしているだけです。

なので理論武装が必要なのです。

そして二義的には、「公共工事という産業」の中で、安心の担保をむさぼる方々へのささやかな挑戦状にしたいと思っただけなのです。

なので理論武装が必要なのです。

ですので、「桃論」は、IT化のノウハウ書ではなくなってしまっているだけなのです。
これは「公共工事という産業」の理論武装のために書いた本なのです。

今回はあえてノウハウ書にはしませんでした。
わかりやすい絵本にもしませんでした。

なせなら、多分、しばらくの間、私には戦いの時間が必要だからです。
なにものでもない私が、なにか大きなものと戦うための、唯一の武器が「桃論」だと思っています。

2002/08/24 (土)  
【熊本独演会会場変更】

■緊急連絡

熊本独演会事務局より、会場変更のお知らせです。

熊本商工会議所・第2中会議室です。
電話:096-354-6688
http://www2.kmt-cci.or.jp/kmt-cci/01_about_cci/01_cci_map.html

最大81名まで入りますので、まだ15名程お席に余裕があります。
熊本にお知り合いらっしゃれば、お誘い合せでご参加下さい。

詳しい交通手段、懇親会場所等については、
桃熊会事務局より、皆様方にメールでご案内させます。
間際に会場変更で、ご迷惑かけますが、
ご理解・ご協力ヨロシクお願い致します。

ということで、熊本独演会は会場を変更しましたので、若干の余裕ができました。
・・・って、81名の会場だなんて、こりゃ独演会じゃないね、もう。

さて、今日の私は福井におります。
昨日は、福井コンピュータさんと「いろいろ」。

その「いろいろ」の一環に福井独演会があったのですが、まあしょうがないなと。
北陸は手ごわい。(笑)

昨晩はリライムでお風呂に入り、黒龍を飲みながらゆっくりできました。
福井コンピュータさんありがとう。(^O^)/

今日はこれから大垣までまいります。
「桃塾」第2回目ですね。

2002/08/23 (金)  
【熊本独演会は会場が変更になる予定です】

異様に肉の食いたかった私は、昨晩は六角堂にてロース200g、ヒレ100gを食べたのでした。
このお店は、うまい。満足。

さて、8月27日の熊本独演会ですが、会場が変更になる予定です。
本日中に決定となると思います。

決定次第、参加者の皆様には事務局から会場をお知らせいたします。
(たぶん熊本商工会議所の予定です)

理由は、締め切り後も参加者が増加しているためです。
それも「行政」の方々。

熊本独演会のお題は、発注者の方々にこそ聞いていただきたい話ですので、断る理由はございません。
なので、急遽会場変更なのです。

ご参加の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、会場変更の案内をお見逃しないようお願いいたします。

さて、金沢講演の感想を書いておきましょう。

石川県は日本有数の「公共工事という問題」を抱えたところなのです。
地方財政の体力的な限界と雇用対策の必要性とのトレードオフの関係です。

つまり、「金魚論」

しかし、これに対して、行政も業界もなにも対応ができていないように感じます。
ですから、会場から受ける空気は、業界は重苦しいくらい閉塞しているなってことです。

お話しを聞くと、業界はただひたすらお役所からの指示待ち状態のようです。
多分まだ何かを信じているのだろうけれども、まあ、このままでは、それは思い過ごしだってことに気がつくころには手遅れでしょう。

ここ数年で、ヒエラルキー・ソリューションは確実に力を失うしかないのです。

多分、私のいっていることなんか信じられないかも知れませんが、石川県だけは何があっても大丈夫などということはないのです。
私のはなしは、今、日本中の中小建設業でおきている問題です。

それを信じられるか否かは、お聞きになる方の心の開放度によるだけです。

というところで、わたしは今日は福井に移動。
本日は福井泊。

2002/08/22 (木)  
【肉食いてぇ〜】

金沢講演は、お笑いのうちに終了。
2時間30分という枠と、初心者コースっていうことになると、今日は思いっきり割り切って、爆笑金沢寄席にしてしまいました。

入門編としてはこれが限界か。

しかし、久しぶりに喋ったら「腹が減った」。

なので、ホテルへの帰りがてら金沢駅に寄って、「柿の葉すし」を買ってきて、食べながらこれをかいております。

しかし、腹が減った。
肉くいてぇ〜。


【行政】

昨晩は久しぶりの午前様でした。
仕事をする前に遊んでいていいのだろうか?

と、生真面目(?)な私は思う、わけもなく。。。

さて、今朝はこれから本日の講演用のPPTを再構築するので、いただいたメールのご紹介でお茶を濁します。

どちらのメールも本格的に議論したいものですね。

まずは熊本独演会がらみです。

私、今回の講演で期待していることがあります。

「熊本県の職員が頼りなく将来を見越した準備を怠ってきたか。
そんな人材は皆無に近いのではないか」
という自覚を職員がすることと
そんな当てに出来ない人達に追随している業界の方々に
危機感を持ってもらうことです。

自治体は倒産しませんが、
会社は無くなります。

自治体や先生がなんとかしてくれる。(業界)

自治体はなくならない。
ここで騒いで出世しないならば損(役人)

といった感覚が結局払拭されていない。

(ざっくり)

それでは、27日楽しみにしています。

「役人は失敗しても首にはならないという覚悟で仕事したいものですね。」名言だが諸刃の剣でもありますね。

そして、まにあ1号、何を考える?

4時間もの電車の旅は「執筆明け」で少々なまり気味の
お体にはこたえているご様子。大丈夫ですか?

福井独演会、お流れ残念でした。
私は個人的にはひどく残念です。なぜなら、都合がついたら
休みを取っていこうかな?などとたくらんでいたからです。
京都は荒れましたしね、京都・敦賀・福井とこのあたりは「鬼門」
いや「鬼桃」なんでしょかね?(笑)
Open無料の講演「大衆芸」は何度か聞いていますが、
独演会の有料講演「プロの話芸」はそうチャンスがないので
実は今回「有料芸」楽しみにしていたのですが・・・・

ところで、日本ハム事件ですがあれはひどいですね。
何がひどいって、確かに日本ハムの企業体質にも問題は
あったかもしれません。
しかし、なによりひどいのは「農水省・お役人の態度です」
「日本ハム」という一企業の犯罪行為に対する指導・・・
という形で、「自らは無策でなすすべもなかった狂牛病騒ぎ」への責任を
すっかり頬かむりしている点です。
「日本ハムダメダメミーム」にちゃっかり便乗して、「行政指導」を行い
いつのまにか「正義の味方」の立場にすらたとうとしてるように
私には感じられてなりません。
そもそも一体何故、「牛肉買い上げ」を行わなくてはならなかったのか。
それは、農水行政の無策による、牛肉の風評による甚大な売上減。
これが根本にありました。
暴論を招致で言えば、私は日本ハム社ですら「行政の失敗(無為無策)」
による「犠牲者」にすら見えてしまうのです。

たとえば雪印が傾くことで、そこにかかわっていたたくさんの酪農業者さんが
連鎖的に厳しい状況に追い込まれました。
雪印本体はもとより、関連産業に多くの失業者がでました。
多分今回も同じ事が起きてしまうのではないのでしょうか?

一体「行政・行政官」とは何なのか?
「許認可権」という「権力」をもつことへの「責任の所在」があまりにも
不明瞭な気がしてしかたありません。

私はあえて、目に付いたら「日本ハム製品」を購入するつもりです。
日本ハムを応援するというより、行政にたいしてささやかな抵抗を
表したくてですね。(でも、うってるんでしょうかねぇ・・・?)

それにしても、あっという間に日本ハム製品の不売を表明する動きが
浸透してしまった気がしています。
日本ハムダメダメミームが均衡するスピードが恐ろしく早かったと感じるのは
私だけでしょうかね?
なんだか、寒気がしますね・・・・

イオン・グループでは日ハム製品の販売を始めたようですね。

公共工事もそうだけれども、なにか問題がおきると、大きなつけはすべて民間側に回されるのです。

それを、「発注者は裏切る」と私はいっております。

→たとえば、制限付一般競争入札。

そして頼みの「せんせい」はいつの間にか失脚する。

これは今始まったことではなくて、過去に何度も繰り返してきていることなのです。
でもそれが学習できていない。→ミームとして伝えられていない。

この学習能力の欠如の温床が「開発主義」にあるとすれば、私たちの享受した物質的な「ゆたかさ」が、とても罪深いものに感じられる今日このごろなのです。

それから、京都府さんには、またしても三連戦を準備してもらっています(笑)。
わたしゃ、しつこいのでね。

11月26日(園部)
11月27日(宮津)
11月28日(宇治)

対福井県はですね、23日に秘密会議ですね。

2002/08/21 (水)  
【金沢着】

4時間列車に揺られながら金沢着。
疲れる。。。

今回のお宿のガーデンホテルは、高速インターネットサービスを提供している部屋があるというので、それを予約しておいたのですが、なるほど快適なのであります。

今回は1mのLANケーブル持参できたのですが、ホテルでケーブルとLANカードの無償貸し出しもあるようで、こういうサービスは観光が目的じゃない私にとっては、とてもありがたいサービスなのでした。

さて、郡上建協のサーバーが回線切り替えによるDNSサーバーの混乱でみえたりみえなかったりしているようなのですが、今、ホテルからアクセスしている限りでは快適にみえまする。

多分、明日の講演の時は大丈夫だとは思うが。。。?

そして、熊本独演会資料は延べで330程ダウンロードいただいてようでなによりです。
ここしばらくログの解析をしていなかったのですが、やっぱりやらないとだめですね。

ということで、今晩は懇親会です。


【今日は金沢への移動日】

毎度、店主戯言においでいただきましてありがとうございます。
本日は、明日の講演のため金沢へ移動します。

上野 12:06 Maxあさひ 317号 越後湯沢 13:16
越後湯沢 13:29 はくたか 10号 金沢 16:08

丁度4時間ですね。

昨日は、講演依頼の特異日だったようで、講演依頼のメールが沢山やってくる不思議な日なのでした。

みんな桃論書き終わるの待っていてくれた。。。わけはないだろうな。
お声掛けいただけることは、「芸人」として非常に嬉しいことでございます。

スケジュールの都合のつくかぎり頑張らせていただきます。

それから昨晩は、久しぶりに「杉」にて、懐かしい方々と一献。
マッサージ・チェアを買えるように頑張りましょうね。

それで、熊本独演会資料感想が一通。
これは全文載せたいのだけれども、無理だわね。過激に面白すぎる。

こんばんは。
今、ダウンロードして読ませていただきました。
その後、戯言に

>しかし質問とか異論とかは今のところゼロなわけで、
>わたしゃこのな〜んの反響もないのが一番嫌といえば嫌なわけです。
>まあ、読むに値しないというのもあるかとは思うのですが、みんなそう
>思っているのかしらと考えると、そこはかとなく悲しいものです。

とさりげなく(笑)書いてあったので、今読んだばかりですが、とりあえず
感想をと思いメールしました。(笑)

随分立派な資料で、熊本の地で展開されるものが
いかに「きちんと理解してもらおう。」と気合の入った
ものかを感じずにはおられません。

ただ、CALS/ECが単なる効率化のためのツールではなく
「戦略」であるというところを、この前○○にお邪魔した○○の
メンバー達にどうしたら理解してもらえるのか?
実はため息をつきながら考えて読ませていただいたのです。

(ざっくり)

「IT化は人情味がなくなる、極めて無機質なもの。こういうものが
導入されるとかえって良くない。やっぱり今のままでやっても
別にいいじゃないか。だって、従来どおりの部分も残しているん
でしょう、先進県の岐阜でも。」と○○○○○の中で私は黙って
聞いてましたが、ほとんどがそういう感想です。

私が今必死で戦っているのは、「ITダメダメミーム」なんですよねぇ。(笑)

(本当はここからが面白いのだけれども、ざんねんながら、ざっくり)

恐らく、熊本独演会に来る方々はそれなりに意識を持っている
方々だと思いますが、独演会後、具体的にどう広がりをみせるのか?

(このあとも、ざっくり)

まあ、お気楽にまいりましょう。

人の世はしょせん「ところてん」のようなもので、普通は先から順番にいなくなる。
そう考えると生き残ったほうが有利なわけで、だから健康第一!

皆さんの時代は黙っていてもやってくるわけです。

2002/08/20 (火)  
【熊本独演会用資料は反響がよいようです】

上野で明日のチケットを購入し、スープ・スパゲティをたべ、紫色のにくいやつ「多慶屋」で、コピー用紙A4版500枚を270円(税込み)で購入して、帰ってきてまた仕事を始める。

今朝方掲示した熊本独演会用の資料は、午後3時までに、既に約200ほどダウンロードいただきました。皆さん結構関心があるのですねぇと思うわけです。

しかし質問とか異論とかは今のところゼロなわけで、わたしゃこのな〜んの反響もないのが一番嫌といえば嫌なわけです。

まあ、読むに値しないというのもあるかとは思うのですが、みんなそう思っているのかしらと考えると、そこはかとなく悲しいものです。

一方、行政書士の小関さんが、私の「答えのないコンサルタント」のことを「てんめい尽語」で取り上げてくれていて、さすがに「わかっているなぁ」と思うわけです。

ということで、あさっての金沢講演の構成を考え始めていました。
時間は2時間30分ですから、「じっくり」というわけにはいきません。

なので、次の三つのはなしをしたいと思っています。

・情報ってなに?

・IT化ってなに?

・中小建設業の売っているものってなに?

この3つの「?」に、きちんと持論をもって、それぞれのつながりを矛盾なく「中小建設業のIT化」として話せる人をみなさんは知っていますか。

わたしゃ、今まで一人もお目にかかったことがないわけです。

「情報」がなにものなのかを話せない情報屋や、「IT化」がなにものかを語れないIT専門家はその辺にうようよしています。

当然に私も「わからない」ので、しかたなく「わからない」という方法で、地を這いずり回りながら考えているわけで、「桃論」はその中間発表みなたいなものです。

「情報」がなにものなのかを話せない情報屋や、「IT化」がなにものかを語れないIT専門家と私との一線は、「考える」ということなのだと思っています。

私には「正解の思い込み」はありません。

ということで、「考える」私は、あさっての金沢でも、この3つの「?」をくどいぐらいに考えた挙句のお話しをするでしょう。ですから、知っていると思っている人は聞く必要はないかもしれません。

今日はこれからお客様がこられるので、「杉」で一献の予定。



【そうだよ、一緒に戦おう】

A木さま@北海道からのメール
そうだよ、一緒に戦おう。建設業界は戦いたくとも戦えないんだ。

それを知っている私たちが、論陣を張るしかないんだよ、多分。

「桃論」の原稿がいよいよ最終段階となり、8月末の脱稿に目途が立ってみたいで、
おめでとうございます。いや、ご苦労様と言った方が適切ですね。
いつもの講演を文字化することをいとも簡単に捨て去り、活字の中に新たな“桃知
ワールド”
を形づくろうとする努力には敬服しました。
さらに驚いたのは執筆の過程をインターネットで「さらし」ながら、修正していくと
いう試み
です。「やっぱり、普通じゃないよ。この人は!」
読後の感想としては、桃知さんは「桃論」を通じて地場建設業者の経営者に「思考」
することの大切
さを訴えながら、そこからすべてが始まることを説いているような気がします。

>なぜなら、多分、しばらくの間、私には戦いの時間が必要だからです。
>なにものでもない私が、なにか大きなものと戦うための、唯一の武器が「桃論」だ
と思っています。
わたしも桃太郎のさるか雉のように微力ながら一緒に戦っていきたいと思いますの
で、今後とも
よろしくお願いします。

ということで、これから上野駅まで明日の金沢行きの切符を買いにいってくる。
ついでに、昼飯はパスタ屋にでも寄ってこよう。

東京は夏の日差が戻ってきている。



【熊本独演会は要予習です】

熊本独演会の資料ができましたのでダウンロードできるようにいたしましたのでお知らせいたします。→ダウンロードのページからどうぞ。

横書きを無理やり縦書きにしていますので、一部読みにくいところがある点はご了承ください。

今回は急遽、郡上建設業協会の前田会長の講演が追加されましたので、私のはなしも自治体がおこなうCALS/ECと事業者団体ベースによるIT化の考察から、中小建設業のIT化のはなしをすることとしました。

この「はなし」は、とにかく「難解」だと思われますので、当初のPPTの事前ダウンロードを止めて、当日配布をおこなうことを予定していた資料を「予習」のために事前にダウンロード可能といたします。

熊本独演会に参加予定の皆さんは、誠に申し訳ございませんが、事前にダウンロードをして、資料に2,3度お目通しをお願いしたいと思います。

多分、理解できないところが沢山でてくるかと思いますので、独演会では、それらが理解できるようなはなしをしたいと思います。

当然、事前のメールでの質問は歓迎いたします。
質問へのの回答は独演会当日にいたします。

以上、宜しくお願いします。

それから、福井独演会は、申し込みがまったくないという状況なので流れです。
かたや満員御礼、かたやゼロ、地域格差っていうやつでしょうかね。

2002/08/19 (月)  
【胃がもたれています】

ヨシカミに晩飯を食べにいったら休みだったので、すし屋通りのインド料理屋でカレーを食べて、帰りがけに浅草演芸ホールに寄り道して、こぶ平が主席を勤める8月中席をみてきた。

台風の割には7割ぐらいの入りで、目の前席には、漫画のかけない漫画家の蛭子さんがいて結構へんなところで笑ってはまっているし、三平の二人の遺伝子たちといえば、いっ平は古典をそこそこにこなし、こぶ平はまくらだけのような話をリラックスしてはなしていた。

こぶ平は古典ができるようになったと聞いていたので、それも聞きたかったのだけれどもなし。31日は林家一門会なので、もう一度足を運ぼうと思う。

その前に、神田北陽改め神田山陽襲名披露が8月下席にあるので、これも見逃せないわけですわね。

しかし、寄席といえば客席にわたしんちよりも若い人は皆無。
結構楽しいところなのにもったいないのです。

みんなで寄席に行こう!
しかし、カレーが胃にもたれている。



【桃論について】

台風が来そうで来ないどんよりとした一日。

午前中は税理士先生のところへいっていろいろとご相談。
BOHO(貧乏オフィス、ホームオフィス:久しぶりにこのことばを使いましたね)はBOHOなりにいろいろやらなくてはならないことがあるのです。

昨日から胃の調子が芳しくなくて食欲がない。
ということで、朝ごはんはなめこの味噌汁だけでおしまい。

お昼もいまいち食欲がわかないので、雑炊を作ってもらって食べたら、何故か沢山食べることができてしまった。単純に固めのものがダメな状況なのかもしれない。

桃論は、想定した15万文字を超えて一応すべては書き終えたかな?というところ。
あとは「はじめに」と「まとめ」を書いて、もう一度すべて通して読み返してみて、注釈や図表をそろえるとおしまいですね。

水曜日からは、大出張大会が始まるので、なんとか時間のあるうちに終わればいいなぁと思うのです。なんとか8月末脱稿がなんとなくみえてきた感じですね。

しかし、本を書くという仕事は本当に大変なことなのだなぁと実感しているのです。

最初は、私は講演活動というベースがありましたから、そこで話したことを文字にすればなんとかなるかなとは思ったのですが、講演のときに、勝手なテンポで語りっぱなしにしておいてきたことを、あらためて一般の方々にもわかりやすい形で文字にしてまとめなおすなんていう作業は、絶対に無理だと悟ったのでした。なので、今回の桃論はほとんど全部書き下ろしなのです。

それから、やはり執筆には時間がとられてしまうなぁということ。
とにかく6月7月8月と3ヶ月間、対外的な活動を極力抑えてきました。

私は大学の研究者じゃないので、本を書いているだけじゃ収入はゼロなのですね。ですので、本が売れないと収支は合わないかもしれません。

多分そんなに売れる本でもありませんでしょうから、「桃論」で「もうかる」ということはないのだろうなぁと思うのです。

でもねそんなことはどうでもいいことなんだと思うわけです。
今回の執筆作業中に、私は日々の業務に忙殺されることなく、自分の考えることをさらに勉強することができました。

こっちの方が、私にとってはどれだけ大切なものか。
そう考えると、今回の機会を与えていただいたことに深く感謝したいのでした。

そして昨日のメールの主から。

DMで、そして、Webにてもお叱りをいただいてしまいました。
率直に反省してお詫びします。

ご指摘の部分は「うん、ここは何回も聞いている部分だ」とほとんど、字面だけおっかけて注意深く読んでいなかった事を改めて痛烈に感じさせられました。

目的と手段を履き違えるとこういう「勘違い」になります。
今回少しばかり一生懸命「勉強」していたのは「桃論の理解」の為の勉強であったはずでした。
つまり、本論(桃論・バイブル)の理解の為の「補足的参照」なのですが、本論を熟読することなく、わかったつもりのような顔をして参照に追われた結果とでも言いましょうか?
木を見て森を見ないを地で行ってしまいました。

本質を追わずして、何をわかったような顔をしているのか!
と、猛反省しております。

以前の私なら、これで二週間は落ち込んでしまったことでしょう。が、今はちょっと違います。
(穴があったら入りたいほど、恐縮しているのは勿論なのですが)落ち込んでいる時間がもったいないのです。
折角、「謙虚にやり直しなさい!」とお叱りいただけたのですから、すぐにでも「やり直す」事をはじめています。

きちんと正鵠にお叱りをいただける事は、本当にありがたい事だと受け止めています。
今一度初心にかえって勉強しなおすことを誓ってお詫びに変えます。

落ち込まないでくださいな。
あなたは本当に稀な私の理解者なのですから。(笑)

別のモニターさんから、以前このようなメールをいただいております。

より多くの人に御説を理解してもらいたいとも思っています。誰が先生の他に孤高の
大波を受けている人がいるのでしょうか。

私にはホームページの方がより理解できます。

別に「桃論」は孤高の大波でもなければ、難しいものでもないのです。

ただ、「桃論」はIT化の啓蒙書というよりは、第一義的には、公共工事を、中小建設業の存在を、マーケット・ソリューションの文脈で単純に批判する方々へのささやかな挑戦状にしようとしているだけです。

なので理論武装が必要なのです。

そして二義的には、「公共工事という産業」の中で、安心の担保をむさぼる方々へのささやかな挑戦状にしたいと思っただけなのです。

なので理論武装が必要なのです。

ですので、「桃論」は、IT化のノウハウ書ではなくなってしまっているだけなのです。
これは「公共工事という産業」の理論武装のために書いた本なのです。

今回はあえてノウハウ書にはしませんでした。
わかりやすい絵本にもしませんでした。

なせなら、多分、しばらくの間、私には戦いの時間が必要だからです。
なにものでもない私が、なにか大きなものと戦うための、唯一の武器が「桃論」だと思っています。

2002/08/18 (日)  
【このよな質問、こんな回答】

台風の影響で雨模様の一日、ずっと「桃論」の最終章を書いていました。

昨日は日本経済新聞社さんの取材を受けたのですが、私のIT化論を、まったく始めての方に説明することの難しさのようなものを感じたのでした。

私のIT化論の根底に流れる基礎的部分は、村上泰輔の「反古典の経済学」です。
これは、経済的交換を社会的交換の特殊な形態と考えることをその特徴としていますので、そもそもサプライサイド的な考え方の方には理解が難しいかもしれません。

その上で、ミーム論が出てきます。これも村上泰輔が「反古典の経済学」で持ち出してきたものを、最新の理論で発展的に解釈をしているものです。

つまり、私たちの商品とは「技術のミーム」だということです。

ここにIT化論としてのインターネット社会の理解が重なります。
これを私は、金子郁容氏のGとCの象限で理解をしています。

つまり、インターネット社会は「G軸」<グローバルへの方向性>だけではなく、「C軸」<コミュニティへの方向性>にも展開しているという認識であり、ここに問題解決方法としての「コミュニティ・ソリューション」の可能性をIT化を通して考えるわけです。

そして、そこでのキーワードは「ソーシャル・キャピタル」であり「信頼」という概念です。
これは、山岸俊夫の相互依存行動と相補均衡論を基礎として考えるのですが、この「ソーシャル・キャピタル」や「信頼」が「ミーム」であること、そしてインターネットとはミームが獲得した新しい培地であることで、私のIT化論はその重低音部分を形成しているわけです。

自分でまとめる意味でこう書いてみましたが、なるほどわかりにくいものであることはたしかです。

さて、桃論のモニターのお一人からこんな質問のメールがありました。

現在、「金子郁容・新版コミュニティソリューション」を読んでいます。
まだ半分も進んでいませんが、これは面白い!
企業や、事業者団体が「イントラ(インター)ネットで何をすべきか」を導くガイドラインになるような気がして読んでいます。

読み進むうち、ふと気づき、どうしてもお尋ねしたくメールしました。
桃知さんが、各メーリングリストや、講演、セミナーなどで「活動」されているのは(生活の糧はもちろんでしょうが・・・)ひょっとして「桃知コミュニティ」を生成されようとしていらっしゃるのでは・・・?と思えて仕方がありません。

たとえば「桃塾一期生・いわゆるHELP」のメンバーは全国の各地で「自発的(ボランタリー)」に活動を始められています。
そしてその活動は「自発性(ボランタリー)」ゆえに、「共鳴・共感」を招くところとなり、あたかも「OS・リナックス」のように、「地域ドメインを越えた連携」のようなものができつつあるのでは・・・という気さえします。
(リナックスと並べるには、ちょっとおこがましいかもしれませんね・・・笑)

これは言い換えると間違いなく「桃知コミュニティ」ではないでしょうか?
そもそも、桃知さんの活動そのものが(多少「戦略的」という枕がつくかもしれませんが)ボランタリー(でもある)ですものね。

あながち、考えすぎでもないような気がするのですが・・・・
いかがですか?

つまり、金子の『コミュニティ・ソリューション』の考え方を理解することで、ようやくわかったっていっているようなものなのだけれども、これはとっくにの昔に送ってある「桃論」の最初の部分に既に書いてあることなんだね。

それで、私の回答。

桃知です。
答えは既に「桃論」の中に書いてある。

■答えのないコンサルタントの分からないという方法

 私は、今では「答えのない」コンサルタントを明言しています。この「答えのない」コンサルタントというやり方も、既存のコンサルタント業界では絶対に認められない方法論のはずです。コンサルタントは「知っていること」が唯一の売りであり、「知らないこと」はなにも売るものがないことを意味するからです。しかし、私は全く逆の方法を行っています。これを橋本治に倣って『「わからない」という方法』と呼んでいます。

 これは積極的にお客様とつながりをつけることを唯一の問題解決方法としようとする方法です。ですから、最初に、すべての答え、つまり「ベスト・ソリューション」を提示することができません。「答え」はお客様との「つながり」を続けていくことで、相互依存的に生まれくるだけのものです。私の浅い経験からの話に過ぎませんが、私の考えているIT化に関しては、すべてのお客様に通用するような同じ「答え」があったことはありません。ただ、共通して機能するものは、『「わからない」という方法』という考え方だけなのです。

 これまでの常識から考えれば、このような関係に依存してしまうことは、私自身が自己完結できないということであり、その分私の弱みが出現するということになってしまいます。しかし、私は、何がしかの「信頼関係」をベースするだけで、あえて弱みをオープンにしてしまうような方法をとっています。見ず知らずのメンバー間には、何がしかの「信頼感」とでも呼べるルールだけを持って、問題解決に臨んでいるだけなのです。そこでは既存の制度や慣習は、二次的なものでしかないということです。

 つまり、自ら勝手にIT化のコンサルタントと称する、「なにものでもない」かなり怪しげなものである私を、インターネットは、その「身分」で拒否するようなことはありませんでした。そればかりか、私の考える「中小建設業のIT化」に「共感」のようなものを感じてくださって、積極的に私にアプローチをしてくださる方々がいたわけです。そこにあるものは、私のホームページと訪問者の方々に形成された「コミュニティ」とでも呼びようがないものだったわけです。

 これを私は、インターネットには、これまで私が生きてきた社会とは、かなり違った精神文化が存在しているのだなと(今は)理解しています。それは、「オープン(解放性)」「ボトムアップ(平等性)」「ボランティア(自律性)」といった、かなり「はずかしい感覚」とでもいえるようなものですが、私の『「わからない」という方法』は、この「はずかしい感覚」へ同化してみようとするところから生まれてきた問題解決方法なのだろうと理解しています。もっとも、それさえもはっきりと意識していたのではなく事後理解です。私が感じていたものは、どのよなコミュニティでも、情報を発信すればするほどに、発信元に情報は自ずと集まってくるという「感覚」だけでした。

 私の『「わからない」という方法』によるコンサルテーションは、メンバー間の積極的なコミュニケーションの中から答えを探し出すことを大切にしているのですが、それは、私が答えを提供しているというよりは、そのコミュニティのメンバーの方々が自ら答えを考え出している作業を手伝っているといった方がしっくりときます。逆にいうと、私はお客様から教えられているコンサルタントのようなものなのです。そしてその分、私の弱みはますます露出しやすくなるわけです。でも、これでなにか問題があるのかと問えば、特に問題はなかったといえます。

 ただ例外もあります。それは、私の『「わからない」という方法』がどうしても理解できない場合です。そのような方々は、私に「教えてもらう」ことを期待します。そこにはお金で買える「答え」は存在するものだという思い込みが存在しています。そのような方々にとっては、『「わからない」という方法』は、とんでもなく遠回りな行動であり、絶望的に無駄な行動でしかないのです。

 さて、このような私の『「わからない」という方法』は、金子郁容のいう、「コミュニティ・ソリューション」(※ 金子郁容,『コミュニティ・ソリューション』,2002年,岩波書店)のような問題解決方法だと最近になって理解しはじめているのです。この問題解決方法のほかには「ヒエラルキー・ソリューション」や「マーケット・ソリューション」がありますが、前者は、資格とか、学歴とか、所属団体というような、既存の「権威」のようなものを「答え」として信じることを前提とした問題解決方法であり、後者はマーケット・メカニズムを前提とする問題解決方法です。

 コンサルタントとしての私の特徴、つまり「ウリ」である『「わからない」という方法』や「コミュニティ・ソリューション」という問題解決方法は、インターネットでの見知らぬ方々とのコミュニケーションを通じて知らず知らずに身についてきたとしかいいようがないのですが、それは、それまでのサラリーマン生活で慣れ親しんでいた文化(どちらかといえば「ヒエラルキー・ソリューション」のような世界)とはかなり異質なものでした。

 そして、私の活動の基盤は、インターネットの精神文化を足場とした「新しい関係」(コミュニティ)をつくり出すことに益々重点をおいてきています。つまり、その「新しい関係」の中で、私は積極的につながりをつくりだすことで、また学んでいるのです。

 しかし、これも今だから説明的にいえることで、なにか特別にそれを意識をしながら行動し身につけてきたものではありません。インターネットの片隅で、もぞもぞと生きているうちに、本当に、私はいつの間にかにそうなってしまっただけなのです。そして、私が「革命」というのはこの部分のことです。つまり、私にとって、いつの間にかにそうなってしまった

<インターネットの精神文化は革命である>

ということです。

2002/08/17 (土)  
【新聞読み(しんもんよみ)-建通新聞(中部版)-】

やっぱり上りの新幹線は混んでいるなぁ、と思いながら帰京しました。
自宅に戻って聞く久しぶりの葛飾FMは心が和みます。

溜まっている新聞にざっと目を通す。
建通新聞(中部版)に注目すべき記事が沢山出ていました。

■連携して「CALS」導入 3県1市の知事市長会議(8月7日)

この3県1市っていうのは、愛知、岐阜、三重の各県と名古屋市ってことだね。
CALS/ECの連携についての提案者は三重県の北川知事なのですが、岐阜の梶原さんも「三重県が幹事役になってIT化のモデルづくりに取り組んでほしい」などと余裕かましております。

梶原さんをして三重県に一歩譲らなければならない事情は、なんといっても三重県のインフラ面での整備状況のよさですね(ブロードバンド率4割。日本一、ちなみに最下位は福島県)。そしてなんといってもCWJを持っている。

とりあえずハードは三重県、ソフトは岐阜県、愛知県と名古屋市は蚊帳の外というのが、IT化の力関係なんだな。

まあ、この3県1市は仲良くやっていただきたい。
そして、これからの注目は岐阜県に三重県が加わったってことだろう。

■中小でIT化進まず 建設経済研 建設業の情報化を調査(8月5日)
 建設経済研究所が発表した建設業の情報化への取り細み調査結果によると、前年に比べ、大手企業のIT化は一層進んでいるものの、中小企業の取り組みが鈍化していた。資本金100億円以上がら200万万円未満の2659社を対象に、昨年に引き続いて調査。回収率は22.6%で、特に資本金が低い企業での回収率が低いことから、研究所では「IT化の関心が低かったり質間内容が分からないなどで、回答しなかったことが考えれれる」とし、資本金の低い企業では調査結果よりもIT化が進んでいないとみている。

 IT化への取り組みは、資本金1000万円以上の企業の6割以上が進めており、「検討中」も含めると全体の8割以上で、前回調査と同じ。しかし「早急な取り組晶が必要一と考えているの企業は、前回調査よりも各資本階層とも減少し、特に中小企業ではIT化への取り組みがやや慎重になっている。

 社員一人当たりのパソコン普及率は、内勤部門で、資本金100億円以上がほぼ100%、他の資本金階層も前回より上昇しているが、1000万円未満では3割未満の企業が多く、前回と変化がない。現場部門は、資本金−億円以上の大企業での普及率が大幅に上昇しているものの、内勤に比べ全体的に低い。システム導入の問題点は、前回と同様に「整備・維持コスト」や「ITの急速すぎる進歩」「情報芳野の人材不足」などの意見が多い。社内LANやインドラネットなどの社内情報システムは、1億円以上の約8割で構築しており前回より10%上昇。しかし、1000万〜5000万円の中小企業では4割程度で、パソコン単独の利用にとどまっている。

 協力会社とのネットワークは、100億円以上の企業での構築が大幅に増加し、他の階層と頭書な差が出ている。今後の重点取り組み事項は、大企業では、インターネットやLAN構築の割台が減り、EC/EDI(電子商取引・情報交換)、ERP(基幹統合情報システムが増加。一方、中小企薬はインターネットやLAN構築の割合が高いことから、大企業では基本的な環境整構を終え、さらにITを活用する方向へと進んでいるが、中小はいまだ基本環境の整備段階といえる。

注目すべきはこの記述なのです。

『「質間内容が分からないなどで、回答しなかったことが考えれれる」とし、資本金の低い企業では調査結果よりもIT化が進んでいないとみている。』

こうして中小建設業はますます世間離れしていってしまうのですよ。
こんな業界がどうしてインターネット社会で、地域社会との関係性を構築していけるっていうんでしょうね。

建設経済研究所資料のはこちら
http://www.rice.or.jp/j-home/publication1/jouhouka20028.pdf

2002/08/16 (金)  
【熊本独演会事務局より】

熊本独演会は満員につき申し込みは終了とのメールがありました。

つきましては「店主戯言」での告知をお願い致します。
・満員につき参加受付は終了致しました。
・これから申込をする予定の皆様、誠に申し訳ございません。
 次回は事務局にもっと大きな部屋を準備させます。

ということです。
お申し込みの皆様ありがとうございました。



【今日は送り盆】

毎日ご親戚一同とお酒を飲みながら話しをする日々を送っています。
今年の秋に本を出す話をしては、親戚一同は一人10冊を購入することなどとたわいもない話をしているのですが、これも新盆だからこそでしょう。

しかし、さすがに胃袋と肝臓が疲れてきたのも事実なのです。
でもこんなふざけた時間も今日まで。明日は浅草へ戻り、シリアスな生活に戻ります。

シリアスな日々の始まりとして、明日は、ついにというかやっとというか、某メジャーな新聞社から取材を受けるのでした。

今まで専門紙からの取材は何度も受けておりましたが、一般紙が私の考え方に興味を示してくれたことは、とてもうれしいのでした。

なぜならば、彼らこそが「公共工事ダメダメミーム」のミーム・コアだらです。
記者の方からはこういうメールをいただきました。

お察しと思いますが、基本的には弊編集部のスタンスとしては、(大手ゼネコンの肩を持つわけではありませんが)生産者ではなく生活者=納税者の視点を重視し、より安価で良質な社会資本を整備するのにどうすればよいか、というものです。
ただ、是非、桃知様の意見は伺っておきたいと思います。現場、特に中小事業者をよ
くご存知のコンサルタントの目から、昨今の議論がどう見えるかは非常に興味があり
ます。

さて、一方「桃論」なのですが、暇をみつけては書き続けていて、現在最終章を1万3千文字ほど書き込みました。

8月13日に掲示した国土交通省のCALS/ECについてもかなり書き換わっています。

■国土交通省のCALS/EC

 CALS/ECというと電子入札や電子納品といったCALSにおける一断面の技術部分しか喧伝されていないために、どうしても技術論に終始してしまっています。『「国土交通省CALS/ECアクションプログラム」について』(※ 2002.3.26 http://www.mlit.go.jp/tec/cals/kyotsu.html) は、CALS/ECが導入される効果を、コスト縮減、品質の向上、透明性の確保、業務の効率化としていますが、それが単に電子入札や電子納品をすることで達成されるものではありません。私がCALSの理解の基本においているDoD(米国国防総省)のCALS定義を国土交通省の行うCALS/ECで置き換えてみれば、

 「CALS/ECは、公共建設システムを支援するために、デジタルデータの生成、交換、管理、及び使用をより一層効果的にするための国土交通省と建設業界の戦略である」

となります。本書は詳細なCALS論議をするものではありませんが、CALS/ECの本質を理解するためには「国土交通省と建設業界の戦略である」という部分を考えてみるのも無駄ではないでしょう。

 最初の問題はここでいう「建設業界」の範疇です。私はこれを基本的には「社団法人 海外建設協会」のメンバーと理解しています。頑張ってその範囲を広げたところで、せいぜい「社団法人 日本土木工業協会」会員までというところでしょう。つまり、ここには中小建設業は含まれてはいないと解釈しています。なぜなら、そもそもCALSはインターネット社会におけるグローバルへの方向性である 「G軸」上に展開されるものであるからです。この理解は、国土交通省のCALS/ECの「戦略」をあぶりだすことになります。CALSが「G軸」上のものだということは、CALS/ECとは、世界が平滑化しグローバル・スタンダードが支配的になり、マーケット・メカニズムが一層重要になり、グローバルな活動が必要とされるような建設市場で、日本の建設産業が世界的リーダーシップを取ろうとする、国土交通省と大手建設業界の戦略であるということです。ですからその目的は、文字通り世界で通用する技術と経営に優れた建設業界の実現のためのIT化にあると解釈すべきでなのです。

 CALSの効果は、データの標準化と業務プロセスの標準化がもたらす効率化にあります。そしてその目的は、情報の共有化による「業務プロセスの効率化」と「高付加価値化」という「競争力」というマーケット・ソリューションの文脈上に展開されるものです。それは当然のことであって、つまり、本来CALSは、インターネット社会の4つの象限では、第V象限「グローバル指向」−グローバルなマーケットで競争する存在として特化する−のものなのだということです。CALSを理解するには、コア・コンピタンスの理解が不可欠なのですが、それはCALSがインターネットという旧来の地域ドメイン、産業ドメインを超える情報の機器を使うことで、広く世界中から一番よいものをより安く、早く、公正に調達可能とするものであるということです。そこでは、「情報の非対称性」で成り立っていた二番手、三番手は競争力を失うことになり、グローバル・スタンダードという平準化が行われます。つまりCALSは 「G軸」<グローバルへの方向性>に存在するマーケット・ソリューションのひとつなのです。それも似非ではなく真正のマーケット・ソリューションとしての問題解決策なのであり、そこで大切ことは他社に勝る競争力、つまりコア・コンピタンスでしかありません。CALSにおける調達とは、電子商取引の形態を持った性能規定方式のようなものだと理解すればよいでしょう。

まあ、どうこがどう変わったというわけではないのですが、書き込むということは結構大切なことなのだと感じています。

2002/08/15 (木)  
【終戦記念日】

1999年11月16日の戯言から。

■11月と花

(ざっくり)

日曜日の夜中というか月曜日が始まったばかりの夜中に、盲目のテノール歌手のドキュメンタリーを4チャンネル(日テレ)が流していました。
久々に喜納昌吉(こんな名前だったっけか?)がつくった「花」を、その盲目のテノール歌手が、故郷(沖縄)のコンサートで歌うのを聞いて、僕はうかつにも泣いてしまいました。

彼は米国軍人を父とし、日本人を母とし、戦後の沖縄で生まれた方なのですが、彼の生い立ちを(TVによって)教えられながら、(TVによって)聞かされる(彼が故郷で歌う)「花」は、それは決して真実ではないものかもしれませんが、少なくとも僕の知っている「花」の中では最上級のものでした。

「花」という曲は、喜納昌吉が、多分今から20年ぐらい前に作った曲です。
松平健が歌ったり、コマーシャルなどでも使われていましたので、知っている方も多いと思います。

始めて聞いた時、僕はまだ学生でした。当時(まあ、今でもですが)お気に入りのライ・クダーのボトルネックギターがフューチャーされているという理由だけで聞いてみたのでしたが、未熟な僕でさえ、その音は僕の知っている日本の音とは、その根源が違うことがわかりました。でも、その日本の音との違いとは、具体的には何なのかがずっとわからないでいたのです。

その答えが、偶然に見たTVのドキュメンタリ−番組で、何か解けたような気がしました。

ここにでてくる盲目のテノール歌手と、昨日の朝のTVで偶然に再会したのでした。
ようやくその名前を確認することができました。

名前は新垣勉さんといいます。
「さとうきび畑」泣けます。

■郡上は「踊ってますよ!」

うどん星人から「踊ってますよ!」ってメールだよ。

こんばんわ。
どうにかなってしまいそうな暑さからは解放されたようで、朝夕はなんとか涼めるよ
うになってきました。
相変わらずのご多忙ぶりが伝わってきます。

この場所からは、ライトアップされたお城が山の上に浮かんでおります。
今日は曇りで、夕方からは雨が強く降ったりやんだりですが、沢山の人が押し寄せて
いるようです。
我が家からも、踊りのお囃子が聞こえてきます。
踊り会場へ向かう下駄の音が、ひっきりなしに響きます。
お盆は、雨天決行です。
どうせ汗でびしょびしょになるのですから…関係ないようです。

郡上踊りは、阿波踊り等とは違って色々な種類の踊りがあるのです。
躍動感あふれた物から、しんみり踊るものまで。
これがうまい具合に組み合わせてあるので、飽きないで朝まで踊れるんだそうです。
私たちは、スタンダードの「かわさき」のお囃子に変わった瞬間に踊りを止めて、の
どを潤しに行くのが通例です。

桃知組「郡上踊り合宿」っていかがでしょうか?
昼間は師匠の熱い語り、夜は踊る阿呆になったり、やなで鮎を食べたり合間に熱く
語ったり…盛りだくさんで面白いと思いますが。
身も心も心地よく疲れそうで…リフレッシュにはもってこいかと。…思われませんよ
ね。

私はお盆過ぎると踊りの喧噪も、もの悲しい感じがするのです。
しか〜し、まだまだ暑い日は続きます。
師匠には、暑さに負けないで元気を分けていただきとうございますので、御身おだい
じに。

うどん星人でした。

2002/08/14 (水)  
【信頼というメタ情報】

お墓参り。
ほんと久しぶり。

■経済気象台

asahi.comに経済気象台というコラムがあって、ちょっと読むには面白い。
最近のお気に入りは7月18日付けの「グローバル化」と題されたものだ。

http://www.asahi.com/business/column/K2002071800703.html

いわく。

『市場を通じて資金を調達する社会的な責任に応えるという経営者のモラルが確立しなければ、根本療法にはならない。株主に対しては業績と株価さえ良ければ、との「物」的な発想では、状況によって手段を選ばず、という誘惑には抗し難い。』

『 だから経営者である前に一人の人間として社会的な信頼に応える、という倫理の原点はゆるがせにできない。日本の経営は元々その点でシビアであったと思うのだが、それが米国型の市場信仰の中で急速に風化してきた嫌いがある。しかし良い経営とは、自社の社員や取引先、また地域、国に対する責任感覚において、経営者の真摯(しんし)さや誠実さが深まることと、業績が良くなることが同時進行であるのが本来の望ましい姿だろう。その根本がきちんとしていてこそ企業のグローバル化も世界の各国にとって持続可能なプラスをもたらすことになるのだと思われる。(瞬)』

「桃論」ではこういうわけです。

 さて、ここからは、金魚論から展開した「中小建設業のIT化=環境・原理(市場×IT化)」の「市場」という部分の考察を始めますが、その市場についての概観は、すでに今までの考察の中である程度は略画的に描いてきています。お気づきの方も多いかとは思いますが、本書の市場を考察するアプローチは少々風変わりなものであるはずです。それは「社会的交換」をベースに産業化を再構成する考え方をしているからなのですが(※ これは村上泰輔が「開発主義」の考察で行った方法を援用しています。)、この特徴は「マーケット・メカニズム」にだけ依存しているとされる交換行為(つまり売買)を、「経済的交換」として「社会的交換」の特殊ケースとして位置づけているところにあります。つまり経済的交換も結局は人と人との相互作用である考え、私たちの日々の生活から切り離されたものではなく、経済的交換が社会的交換を下敷きにしておこなわれているものと考えることを意味しています。このようなアプローチの特徴は、今までの本書の議論においてはいたるところに見ることができたはずです。

(略)

 ここでいう「社会的交換」とは、ブラウがいうような「何らかの将来のお返しの一般的期待はあるけれども、その正確な性質はあらかじめ確定的に明記されない」ような交換と理解すればよいでしょう(※ P・M・ブラウ,間場ほか訳,『交換と権力』,1974,新曜社,第4章)。一口に経済的交換といっても、単に価格と量の情報が大量にやりとりされるだけでは、人を取り引きで束ねる力が特に強くなるわけではありません。このことでビジネスはいつも悩ましいのです。つまり「安くて大盛ならば絶対に売れるのか」といえば、どうやらそうでもないということです。そこで「人を束ねる力が強い交換とはなんだろう」と考えた時、「社会的交換」がクローズアップされてくるのです。たとえば、社会的交換の色彩が強い関係として村上はこんな例を挙げています。

 日本的経営、下請け関係、産業政策、サービス売買など。(※ 村上,1994年,p139)

 これらの例は、日本的な経営に見られる制度慣行ということで、昨今の「G軸」(グローバル指向)上にビジネスは展開されるべきだという議論では、批判の対象とされているものです。しかし、「G軸」に展開されるものがすべて正しいのかといえば、インターネット社会はそんなにキャパシティの小さなものでもありません。特に、

 <中小建設業は第U象限の「コミュニティ指向」でしか生き残れない>

というインターネット社会での象限分類からみれば、「中小建設という問題」の解決方法のヒントは、「G軸」などではなく、むしろ「「C軸」の「コミュニティ指向」という社会的交換の色彩が強い関係側にあるはずです。そして、この社会的交換には「信頼」と呼ばれるものをベースとした「なんだかよくわからないけれども人を束ねるような力を持った情報」が存在していると仮説的に考えるのです。それらを「ソーシャル・キャピタル」ということで、「ソーシャル・キャピタル」という「ミームによって運ばれる感動と人間性に対する信頼感の伝承がコミュニティ・ソリューションの秘密」だという金子の言葉も理解できるかと思います。つまり、経済的交換を社会的交換の特殊ケースとするという考察方法は、市場を人の面から束ねる力は、私たちが単純に売買における情報とはそれだけだと思い込んでいる「量と価格」の情報よりも、何かしらの「信頼」をベースとした社会的交換に流れる情報に比重がある、若しくは社会的交換をベースとして経済的交換も行われていると考えることを意味しています。

現在「桃論」は最後のツメだよ。
ところで郡上八幡は踊りまくっているんだろうね?

2002/08/13 (火)  
【昨日書いた文書】

■国土交通省のCALS/EC

 CALS/ECというと電子入札や電子納品しか喧伝されていないために、どうしても技術論に終始してしまっていますが、本来CALSは電子入札や電子納品で達成されるものではありません。本書は詳細なCALS論議をするものではありませんが、私がCALSの理解の基本においているDoD(米国国防総省)のCALS定義を国土交通省の行うCALS/ECで置き換えてみれば、

 「CALS/ECは、公共建設システムを支援するために、デジタルデータの生成、交換、管理、及び使用をより一層効果的にするための国土交通省と建設業界の戦略である」

となります。問題はここでいう「建設業界」の範疇です。私はこれを「社団法人 海外建設協会」のメンバークラスと理解しています。頑張ってその範囲を広げたところで、せいぜい「社団法人 日本土木工業協会」会員クラスまでというところです。つまり、ここには中小建設業は含まれてはいないと解釈しています。なぜなら、そもそもCALSはインターネット社会におけるグローバルへの方向性である 「G軸」上に存在するものであるからです。つまりそれは、世界が平滑化しグローバル・スタンダードが支配的になり、マーケット・メカニズムが一層重要になり、グローバルな活動が必要とされるような建設市場で世界的リーダーシップを取ろうとする、国交省と大手建設業界の戦略がCALS/ECであるということです。ですから国土交通省のCALS/ECは、国交省と大手建設業界の戦略であり、そしてその目的は、文字通り世界で通用する技術と経営に優れた建設業界の実現にあるべきでなのです。

 CALSの効果は、データの標準化と業務プロセスの標準化がもたらす効率化にあります。そしてその目的は、情報の共有化による「業務プロセスの効率化」と「高付加価値化」という「競争力」というマーケット・ソリューションの文脈上に展開されるものです。それは当然のことであって、つまり、本来CALSは、インターネット社会の4つの象限では、第V象限「グローバル指向」−グローバルなマーケットで競争する存在として特化する−のものなのだということです。CALSを理解するには、コア・コンピタンスの理解が不可欠なのですが、それはCALSがインターネットという旧来の地域ドメイン、産業ドメインを超える情報の機器を使うことで、広く世界中から一番よくものをより安く、早く、公正に調達可能とするものであるということです。そこでは、「情報の非対称性」で成り立っていた二番手、三番手は競争力を失うことになり、グローバル・スタンダードという平準化が行われます。つまりCALSは 「G軸」<グローバルへの方向性>に存在するマーケット・ソリューションのひとつなのです。それも似非ではなく真正のマーケット・ソリューションとしての問題解決策なのです。ですからそこで大切ことは他社に勝る競争力、つまりコア・コンピタンスでしかありません。CALSにおける調達とは、電子商取引の形態を持った性能規定方式のようなものだと理解すればよいでしょう。

2002/08/12 (月)  
【熊本に郡上の風が吹く】

今日の浅草はどんより曇り空です。
今日あたりから世間一般の皆さんは盆休みですよね。

お盆休みに帰省する日本人について、なぜそうなのかを考え方ことがありますか。
理由はちゃんとあるのです。

その理由はここでは何度も書いていますが、それこそが地場型中小建設業の存在理由である開発主義政策の根源になっているものです。

つまり、人間帰るところがないのは結構悲しいってことです。

■熊本独演会に郡上建協前田会長の講演がプラスされました

さて、27日の熊本独演会に郡上建協の前田会長の講演がプラスされました。
なぜかというのをここで書いてもいいのですが、それよりも、まず、前田土木のHPの掲示板を読み、熊本の大西県議の今日の一言も読んでいただき、それから上村建設の社長ひとりごとを読むと、なんとなく答えがわかるかと思います。

とにかく今回の熊本独演会に参加される皆様は、これは超ラッキーなのですよ。
(熊本県の)最低限のモラルも持ち合わせない人々(by大西氏)に感謝しなくてはなりませんな。(苦笑)

そして、前田会長の行動力に感謝いたします。

2002/08/11 (日)  
【@ソピア・キャビン】

桃知@ソピア・キャビンです。
ここは、ソフトピア・ジャパンの中に新設されたワークショップ24内の簡易宿泊施設です。

室内でタバコがすえない窮屈さを除けば、比較的広いライティング・デスクや高速インターネット接続を提供するためのLANケーブルも準備されていて快適なものです。

これで宿泊費は本当に安いわけで、ちょっとしたビジネスの利用には最適かもしれませんね。

さて、昨日は桃塾第1回目。参加者は結局19名様になりました。
皆様、ありがとうございますね。

とにかく第二回目までは私の独演会状態で行きます。
その後はゲスト・スピーカーさんに登場してもらいましょうね。

ということで、今日は早々に浅草へ帰ります。

2002/08/10 (土)  ▲
【@美濃加茂】

桃知@美濃加茂市です。
どうも昨日あたりから咳が出たり、ちょっと体調がよくありません。

今日は午前中に大垣のドリーム・コアに移動して、午後から「桃塾」の1回目です。

■金沢講演のお知らせ

8月21日22日に行われる「石川県CALS/ECフェア」にて、22日午後1時から2時間30分の講演を行います。

この講演には事前の申し込みが必要なのですが、詳しくは石川県建設業協会のHPの( http://www.ishikenkyo.or.jp )左側にある「石川県CALS/ECフェア開催のご案内」から入っていくことができます。申込書もここからダウンロードが可能です。

久しぶりの金沢です。
ミーム論をたっぷりとお聞かせいたしましょう。

■熊本独演会より

熊本独演会事務局さまからのお知らせです。

○○氏の「椅子のない人は、床に座らせればいい」
を真に受け、パレアに問合せた所、10席程度なら
椅子追加して良いそうです。
(独演会というより時局講演ですね)

何とか粘って少しでも多くの方に「桃論」聞いて
頂きたいと、色気を出しております。
但しキリがないので、お盆休み明け:20日で
〆切とさせて頂きたいと思います。

つきましては「店主戯言」での告知をお願い致します。
・準備の都合上、20日で申込終了致します。
・今ならまだ残席があります。
 特に建設業者さん(まだ7名)、佐賀・長崎・大分の
 方の(この3県は対馬の方以外参加ゼロ)ご参加を
 お待ち致しております。

ということで、熊本独演会の申し込みはこちらから。

それから福井は・・・・いまだに申し込み「ゼロ」なのですねぇ。

2002/08/09 (金)  
【お出かけ前の雑文】

■雑感

今朝の浅草は雲ひとつありません。
若干風が強いのが気になりますが、まあいつもの暑い一日の始まりのようです。

今日は、これから日本一暑いと噂されている岐阜県まで出かけます。
美濃加茂市建協さんのサーバーのメンテナンスと、回線高速化の作業を午後から行うのですが、まあ、作業しているところは冷房もあるだろうから暑さはなんとかしのげるのではないでしょうか。

それから、明日から「桃塾」の授業が始まりますので、今日は美濃加茂宿泊です。明日は美濃加茂から大垣へ向かいます。

桃塾の方は、受講者はラストスパートが効いて18名様となりました。上出来です。
まあ、学校では教えてくれない話しをうだうだとして、そのあとみんなでビールを飲みましょう。

それから福井独演会なのですけれども、なんと!初日の申し込み数は見事に「ゼロ」なのです。(笑)

これは、独演会始まって以来の快挙でして、まあ、本人はすごく悲しい。
というか自分の存在が無視されているようでなにか怖い。

まあ、「ゼロ」でも福井での話しは「やる」から大丈夫なんだけれども(謎)。
でもね、それにしてももったいないぁと思うわけですね。

私は昔から、日本におけるデジタルデバイドは間違いなく地域間格差として表出するといっているのだけれども、そういうことなんだろうなぁと思う。

昨日はある「熱のある」県のキーマンさんと都内でいろいろ打ち合わせをしていましたが、この県にしろ岐阜県にしろ、たとえば今回の熊本独演会にしろ、なにか地域による体感温度の差って大きいなぁと思うのです。

まあ、それだけ私がまだ耕せるところは残っているというところでしょうから、それはけっして悪いニュースではないのですが。

そうそう、私は自分自身を「耕す人」だと思っています。
種を撒いて刈り取る人とは別なのですね。←これが私を理解する最高のキーワードですか。

■独禁法

昨日の独禁法の部分で、どうも引っかかるところがあるので、本棚から一冊本を引っ張り出してきてある部分をざっと再確認。

その本は、鈴木満,『入札談合の研究 −その実態と予防策−』,信山社,2001年7月20日。おかげで「桃論」はぜんぜん進んでいないのでした。

この本は6280円もする専門書ななのですが、いったい誰がこんな本を読むのだろうかと不思議に思いながら購入したものですが、以下の記述が私はすべてだと思っています。

『 なぜ今、何十年も前に決定された公共事業の見直しが要請されているのでしょうか。』

『それは、従来、公共事業の計画・発注などの作業は「官」主導で行われてきたことと関係があり、「官」が優秀で間違いを起こすことが少ないという「官の無謬性」を前提とした手法はもはや通用しないことを物語っているように思います。』(p324)

問題はこの部分の認識なのですよ結局は。

これが開発主義の問題点であることは、ここの読者の皆様でしたら先刻ご承知のはずでしょうが、この問題ですべてが悩ましいわけです。

「官」の存在価値も、中小建設業も存在価値も、すべては開発主義の延長上にあるわけです。そしてその立場はきわめて危機的な状況におかれているわけですね。

つまり、開発主義を否定してしまえば「公共工事という産業」そのものも否定されてしまいます。そして小さな政府論が頭をもたげてきます。

だからといって、この問題の解決方法は、「ヒエラルキー・ソリューション」でも「マーケット・ソリューション」でもないのです。

ここを理解しないと、既存の思考方法の中で必ず閉塞します。
どのような問題解決策も「公共工事という産業」を救うことは無理です。

多くの国民は単純に「壊れる」ことを願っているかもしれません。
しかし、その状況の中で自らが行動することで(変化することで)自らを助けるにはどうしたらよいのだろうかか。

それをIT化、つまりインターネット社会の文脈の中で考えているのが私たちじゃありませんか、そしてその可能性を「コミュニティ・ソリューション」の文脈で考えていこうというのですね。

変化すべきは法律ではなく、まず「我」なのですよ。

2002/08/08 (木)  
【突然!福井独演会開催決定】

突然、福井独演会が決定してしまいました。
場所は、福井コンピュータさんのウィンラボラトリ4階 研修室です。

申し込みは、店主へメールで受付いたします。
福井でのオープンなセミナーは初めてなのですね。皆さんのお越しをお待ち申し上げております。

2002年8月23日(金)
■福井独演会
【日時】 2002年8月23日(金) 13:00〜17:00
【料金】 ミームのえさ代 1名様 2,000円也(後払い)
【会場】 福井コンピュータ ウィンラボラトリ4階 研修室
会場への案内図は福井コンピュータさんのサイト http://www.fukuicompu.co.jp/ からダウンロードできます
【定員】
【概要】 講演内容は「桃論」概論です。
桃論自体は、4時間枠でおさまるようなものではありませんが、そのエッセンスをわかりやすくお話しする予定です。
前回の福岡独演会からは「コミュニティ・ソリューション」への考え方、「ソーシャル・キャピタル」の考え方が追加展開されています。

PPT部分の資料は、事前にこのサイトからダウンロードが可能な状態にしますので、ご利用ください。
→8月20日頃の予定です。
【主催等】 桃知商店 後援:福井コンピュータ
お問合せ・申し込み先 メールでのみ受付いたします。
氏名、所属、メールアドレス、TEL、FAX、懇親会参加の有無明記の上早目にお申込願います。
TEL
FAX
e-mail 店主へメール
pinkhip@dc4.so-net.ne.jp
www
【懇親会】 当然のように行います。
懇親会会場:リライム



【今日は立秋 どこが・・・】

桃知@新潟です。
昨日の講演会には150名を越える方々においでいただきまして大盛況でございました。
懐かしい方々にもおいでいただき深く感謝申し上げる次第です。

ITの話しじゃないほうが人が集まるっていうのも笑えない事実ですなぁ。
困ったもんだ(笑) (^^ゞ

講演会後、「亮月」にて新潟県電設業協会の皆さんと一献。
熱く語る社長様方に囲まれるのは悪いことじゃありません。

さて、34万ゲッターからのメール。
おはようございます。
桃知師匠、戯言にのせていただくとは・・・・
あとで文面をよむと、まるで前夜に書いたラブレターを翌日読み返したようです。(笑)
これで「私がばかだ」ということがITをつかって広まっていくと・・・気分はわるくないですね。

桃知師匠、大変よく理解できました。ありがとうございます。
ミームがデジタルに・・・この件に関して私はミームというものに間違った固定観念を抱いていたようです。たしかに情報は各種情報端末により伝播し拡大する。
デジタルは、1か0であいまいさがないという点に捉えられたことが解釈の間違いだったのかなと思います。
もっと勉強しますね!本当にありがとうございます。

P.S 「桃論」ですが絶対に「買い」ですね。

はい「桃論」は買いです。(笑)
でも最後の「止め」がまだできていません。。。困った。(^^ゞ

そう言えば、今日は熊本県議の皆さんが岐阜へ行く日なのだなぁ。
郡上建協の前田会長よろしくお願いしますなのであるね。

熊本県議の皆さんが岐阜を訪問して、郡上建協の前田会長がお話しをする。
これこそが「桃論」の「止め」の部分なのだけれども、いざ書くとなると大変なんだよ。

それで、久しぶりのA木さまより。

「公共工事という産業」を考える前提として、わが国における独禁法の運用があいまいで、非常に政治的な色彩が濃いという実態に触れないわけにはいかないでしょう。

日本では戦後、独禁法の在り方がきちんと議論されずに、国民の合意を得られないまま運用され、生産者独占を排除するはずの独禁法が購買者である「中小建設業者」をターゲットにしている現実はある意味でおかしいと思います。

発注者(官公庁)は同法の番人である「公取委」を納得させるための入札・契約制度づくりに血道を上げ、その結果として「技術と経営に優れた建設企業を伸ばす環境づくり」という責任をいとも簡単に放棄し、価格競争だけの「制限付き一般競争」を導入しています。

むしろ、公共工事入札契約に関する会計法及び地方自治法の「上限拘束性」や契約の片務性にメスを入れ、地場建設業者の生殺与奪を握る生産者(=発注者)の解体・分割まで踏み込むべきであり、その矛先を弱者である地場建設業者に向けるのは「雇用及び国民実所得の水準を高め、国民経済の民主的で健全な発展を促進する」(独禁法第1条)という法の精神から懸け離れています。

わたしは決して談合擁護論者ではありません。しかし、わが国における独禁法の運用が地場建設業者をほんろうしている現実を見たとき、「公共工事という産業」という文脈の中で独禁法の在り方を再度、議論していかなければ、開発主義の日没は惨憺たる結果となり、日本経済に大きな傷跡を残すことになると思います。
いっそのこと、経済特区で独禁法の網を外した方がいいのかもしれない。

難しい話なのだ。
独禁法については、私ははっきりいって「わからない」なのである。

でも独禁法は「公共工事という産業」の議論における前提ではない。私は法律っていうのは制度慣行だと考えるわけ。だからこれは、「環境×原理」の考察から導き出させるだけのもので、現状にそぐわなかったら変更すればいいだけなのものだろう。

独禁法に対する「桃論」の立場はけっこう明白なもので、独禁法については以下のよな解釈をしているわけだ。

 つまり、地域社会が、「公共工事という産業」への意図の信頼を失えば、つまり発注者が、自らの意図の信頼を従来型の指名競争入札制度を通じて地域社会に対して証明することができないとなると、発注者は、このシステムを維持したときの取引き費用や機会費用を考え始めるのです。そして、「談合の結果入札価格は高くなり、それが納税者に不利益をもたらす」というようなまことしやかな言論が繰り返されはじめ、その結果、発注者は「公共工事という産業」から自らを切り離し、地域社会に迎合する形で、自己保全を目的とした「制限付き一般競争入札」のような、似非「マーケット・ソリューション」を支持する方向性を持つことになるしかないのです。本来、「談合」が法的に反則だとされるのは、それが独禁法でいうカルテル行為のひとつであり、販売者が自由に競争した結果、需要と共有の関係を反映した価格が決まるような自由主義経済システムのあり方に反するからであって、入札価格が高くなることが理由ではないのですが、そのような核心的な議論はお構いなしのなのが、「公共工事ダメダメミーム」の特徴です。私からいわせていただけるなら、これは、まるで気まぐれのような議論でしかありません。

つまり、必要なものは枝葉論からの展開ではなく「公共工事という産業」に対する議論の勃発なのだ。

その議論の中に、談合の問題も独禁法の問題も当然に含まれる。この問題に答えをくれるのは、第一義的に法律の専門家だろう。その法律の専門家を「公共工事という産業」に対する議論に巻き込むことが最初のステップであるはずだというのが「桃論」の立場っていえば立場なわけ。

そのとき、その議論の当事者、もしくは議論を巻き起こすのは誰なんだろうと考えてみればいい。私はそれをいっているわけだ。

2002/08/07 (水)  
【34万ゲッターさんからの質問】

昨日は、久しぶりに藤沢にて、門倉組の小澤社長と一献。
ここは、本当に私の心のふるさとのようなものなので、ついつい飲んでしまうのですね。

ひらめのお造りご馳走さまでした。m(__)m
おかげさまで帰りのタクシーでは爆睡してしまいました。

さて、34万ゲッターからのメールです。

本日の戯言にありました「ミームがデジタルに・・・」ですが、
イメージが沸きません。(すいません<(_ _)>)
ミームは人間の内部にある文化子であり、簡単に変化しやすいもの。
そして、ミームのプールである人間の脳みそがありそこを媒体として
変化を続けていく・・・
IT化は、そのミームの新しい媒地として加速度的にミームを変化(進化?)させていく。
ミームはアナログ(人間の持っている情報)だからこそ変化(進化?)があると思ってました。
もしデジタルになったら・・・変化、進化は?遺伝子のように進化へは莫大な時間がかかるのでしょうか?
そして媒体は・・・・ 頭がぐるぐる回ってしまします。
もしお時間ありましたら、参考までに教えていただけませんでしょうか。宜しくお願いします。

もう一点、「情報とは?」というお話も考えさせられます。(私も答えられないような・・・)
情報とは、言葉であったり、音楽であったり、画像であったり、文書であったり、
あと人間のアクションであったりすると思ってますがいかがですか。
また、物体には、それぞれ情報があるわけですよね。
師匠の例えで言えば「自分の奥さん」。体重、身長などなどが第一種情報、「やさしい(?)」「やったら良かった(これは・・・)」など
が第二種情報、人間の経済取引は、この二つの「情報」によって行われる。
(経済取引の場合は、第一種情報が「価格、量」 第二種情報は「セールスの高感度、会社のブランド、プレゼンテーションの上手さなど・・」)
そして第一種情報は、第二種情報を基盤として成立している。なので、第二種情報の比率を高めることが、各会社の目標となり。
というように私のほうは把握しております。

以上、とりとめなく文書を書いてしまい申し訳ありません。
執筆活動大変そうですが、私も本を楽しみにしている「ファン」の一人です。
お体には十分気をつけてがんばってください。

では「桃論」からの引用で答えましょう。

■情報としてのミーム

 私の家には、私と家人のために、ISDN回線とADSL回線、 2台の電話機とファックス、 3台のテレビセット、 2基のファイファイ・システム、 2基のDVDシステムとインターネットに接続された 3台のコンピュータがあります。そのほか何百冊という本、何十枚かのCDとDVDとビデオもあります。では、どのようにしてこれらは存在するようになったのでしょうか、そしてそれはなぜなのでしょうか。

 これはブラックモアの『ミームマシンとしての私』第16章の書き出しの模倣です。(でも、このフレーズまだミームではありません。)皆さんも私と同様に、自宅にそして仕事場にあるさまざまな通信機器やデジタルな機器を書き出してみてください。そして考えてください。なぜこんなものが身の回りになくてはいけないのだろうか。いったい何の役に立っているのだろうか(そうすればこのフレーズもミームになれるかもしれません)。

 私は、これらの機器は、ミームの複製機会を提供し、その複製能力の確実性を高めるために表出してきたものという理解をしています。そして遺伝情報が「AGTC」で構成されるデジタル情報であるように、ミームもまたデジタルな情報として自らの複製能力をより強めようとしているのだと考えるのです。ミームはデジタルになりたがっているのです。つまり、これらのものは、ミームが自己複製の確実性を高めるために作り出したのものなのです。この文脈上にデジタルは存在し、「Being Digital」に向かって進化のアルゴリズムは働いているのです。私の講演用のプレゼンピッチには必ず「BD」というファイル名がついているのですが、それは「Being Digital」のことです。つまり「デジタルな生命体」というような意味です。

 佐倉統は、ここ数千年の人間の歴史を振り返ると、脳の外部に様々な外部記憶装置が出現してきていることを指摘しています。それは文字の発明であり、製本の技術であり、図書館の出現でした。そして今、インターネットが出現してきたのです。つまりミームは、文字→書物→図書館と、次々に新しい外部媒体をつくりだしてきました。これは、遺伝子が核→細胞→多細胞生物と次々と外部媒体−ドーキンスの用語では「乗り物」−をつくりだしてきたことに相当するというのです。

 つまり、コンピュータとそのネットワークとは、ミームがつくりだした新たな外部処理装置−電子媒体−なのです。この意味で、

 <インターネットとはミームが獲得した新しいプール(培地)>

なのです。本書の立場はまさにこれなのです。私たちが本書において考察の対象としているIT化のIT(情報技術、特にインターネット)とは、コンピュータとそのネットワークという、ミームがつくりだした新たな外部処理装置だということです。そしてそのことは、

 <IT化において扱われる「情報」とはミームである>

ことを意味しています。つまり、IT化とは「情報」を扱うものであるという意味で、ある状況に「情報」として存在するミームを取り扱うことだという認識を持つことできるはずです。そして、ミームの視点を持ってすれば、IT化とはミームが自己複製をより効率化するためにつくりだした、一つの問題解決方法だということができるのです。

わかりますか?

ということで今日は新潟講演だよ。
暑いだろうなぁ。

2002/08/06 (火)  
【8・7新潟講演配布資料公開】

明日、8月7日に新潟で行われる講演の配布資料(改定版)をダウンロードページからダウンロードできるようにしました。

この資料は明日の3時間の講演の中ではほんの一部にしか過ぎませんが、最近私が一番気に入らない『制限つき一般競争入札」批判を中心にまとめたものです。

尚、配布資料を作成後に桃論を書き直した部分があるためそれにそって一部改訂になっています。(新潟講演ではその部分はきっちりとお話しいたします)

演題は「奥が深いぞ電子入札」ですが、ようは、昨今のマーケット・ソリューション重視の公共建設政策批判ですね。

ダウンロードのページからどうぞ

【そろそろ執筆の時間がなくなってきたか?】

編集氏よりのメール。

ポール・クルーグマンのホワイトカラー真っ青は
出版稼業にとっても真っ青な内容ですね。
本という基本的に、大量複製のメディアも、この先、どう生き残っていくのか。
基本的なことですが、現象面に流されると、本質を見誤ることをよく教えてくれます。

身をもって体験されていることと思いますが、
本は、執筆に多大な労力と時間がかかる本当にシンドイ作業と思います。

(略)

ホームページ上で、ご協力者の方々が、桃知さんの原稿に対していろいろと意見を
言っていただけるのは、
編集者にとっても大変感謝のかぎりです。
ネット上に執筆中の原稿を晒して、それに対して協力者の方々がいろいろと意見を述
べて
議論がさらに深化・発展していくというのは、
桃知さんならではの新しいスタイルではないかと思います。
編集者としても、これまでにない、新しい執筆スタイルを見せていただいた気がしま
す。

「似非マーケット・ソリューション」の「いんちきくささ」は、よく分かりました。
ポリシーがないということですね。
一時の時代の風向きに自らを合わせようとする、行政のいわば擬態というものでしょ
うか。
桃知さんの原稿は、これを受けて、発注者としての自治体や受注者としての中小建設
業にとっての存立基盤として
あらためて「コミュニティ指向」に照準を合わせ、IT化で顧客志向を高めるという
本書の核心部分へと展開していくのかと思います。

(略)

表紙のイラストのイメージですが、こんなのはどうでしょうか。
桃知さん扮する工事現場監督が、一転、俄かに雲行きが怪しくなり、
小雨が降り始めた空に手をかざして、どうなることやと上空を見上げている、という
のはどうでしょうか。
パワーポイントに出てくる桃知さんのイラストを描いた方にお願いするのもいいかと
思います。

まだまだ厳しい暑さが続くことと思います。
体調管理にお気をつけのうえ、
ラストスパートのほど、宜しくお願い致します。

本を一冊仕上げるというのは本当にしんどい作業であることを痛感しているわけなのですよ。
文字数でいえば、現在134,856文字までは進んでいます。

でも、現在最後の「止め」の部分を書くために、最初から全部読み直して、修正を加えながら最後に向かっているのですが、それがここ1週間程続いているわけです。

編集氏の指摘のとおり、私は今回、皆さんからのご意見をお聞きしながら執筆を進める作業をしているのですが、こうしてまた私が皆さんから教えていただいていることを実感しているわけですね。

昨日はKEN-Platzの川村編集長がお見えになって、なにやら寄稿原稿の打ち合わせをしていたわけだけれどもね、こうして何か書かせてもらえるのはありがたいのだけれども、でも、やっぱりこう思うのだ。

クルーグマンの『ホワイトカラー真っ青』の文脈に自分はいるんだろうなぁと。

「でも名声は、これまでのどの時代よりも手に入りやすいとはいえ、まだそうそう簡単には手にはいらない。」

「だからこそ、本書を書くのは私にとってすばらしい機会なんだ。私は別に、講演巡業とコンサルテーションで昼間働くのはかまわないんだけれど、でもずっとフルタイムの印税生活者になりたいと思ってきた。こんな本を書くことが、まさにその夢を実現するきっかけになってくれるかもしれないんだ。」

でもね、これだけは書いておこう。
本人はいたって純真な気持ちでやっているんだよ。

■IT化についての基本的な考え方(ちょっとしたいらつき)

皆さんが私のやっていることをどう解釈しよとも自由だけれども、IT化においては、効率化や合理化なんて二次的なものでしかないんだよ。

だから、私から言わせていただければ、最初から効率化や合理化なんていうものを前面に出してくる「ベスト・ソリューション」は「いんちきくさいわけ」だ。それらはIT化では二次的なものだし、副産物でしかない。

先日、あるIT化の専門家の皆さんにこう尋ねた。
「情報ってなに?」

全員答えられないんだよ。(あなたは答えられますか?)
それぐらいいい加減な基盤に立脚してみんなIT化を語る。

情報の本質も考えたこともないくせに?
「桃論」の前半は、この情報をどう考えるかに費やされている。

私はこの議論ができない方々をあんまり信用していないのだ。

IT化は、くやしいけれども、(いまのところ)西部邁の次の言葉の範疇でしか動けないんだよ。

 『ITという「情報の機械」は未来が「確率計算可能なリスク(危険)」としてとらえられるかぎりで機能するにすぎず、「確率計算不能なクライシス(危機)」としての未来には「人間の組織」によって対応するほかないということである。』(Voice2002年3月号,p234)

その「人間の組織」のためにしか、(いまのところ)IT化は動けないんだ。

この(いまのところ)というのは、ミームがアナログである限りってことだ。
ミームがデジタルになっちまったら、もしかしたら人間の脳みそはミーム・プールではなくなってしまうかもしれないからね。

って書いたところであなたはこの意味がわかりますか?

というところで、今日は午前中に桃塾の最初の授業のPPTをまとめ、CALSセンターに送り、その後藤沢の門倉組さんへいってくる。

明日は新潟講演

2002/08/05 (月)  
【愛の大目玉だよ】

34万ゲッターは北海道の長谷川様。
おめでとうございます。景品はこれから考えますので、少々お時間をください。

さて、長野からのメールです。

今HP掲載中の「愛の大目玉」からです。

…「いつでも・どこでも・だれもが」。Linux的精神で220万県民が
参加する“しなやか革命”は着実に浸透しつつあるのだ、と改めて
実感した瞬間です。…
http://spa.fusosha.co.jp/oomedama/main.html

私は今のままではどう考えてもリナックスであるともオルフェウス
であるとも思えないのですが…
彼の手法をファシズムという人もおり、仮にそうだとするとチャプ
リンの演ずるそれに最も近いかも知れません。
今、知事派、反知事派とも、誹謗中傷メールや無言電話に辟易して
いるようで、聞くだけの私もうんざりです。
コミュニティ・ソリューションを根付かせ、ソーシャル・キャピタル
を蓄積することは、あたりまえの関係を続けていける環境がなけれ
ば実現しないことだと思います。
もちろん馴染めない人、そぐわない人はそこから弾かれるというル
ールもオルフェウス的に必要でしょう。

それでも自らを称して「Linux的…」です。
タレント・執筆活動でお忙しい前知事さんもひょっとすると34万ゲ
ットを密かに狙っていたりして。。

田中康夫氏は、やっぱりミーム・コントローラーなのですよ。
長野県民はそれに確かに踊らされてはいる。

『すぐれたミーム、あるいはうまくできたミームというとき、それは人々の間を容易に拡散していく考えや信念を指しているのであって、「優れた考え」を意味しているわけではない。』(R・ブロディ)

でも、彼のミームは「すぐれたミーム」なのです。「優れた考え」ではなくとも。
では、なぜそうなのかを考えてみればいいだけです。

政治、特に「C軸」に存在する地方自治とは「勝負」や「ビジネス」ではないのですから、勝った負けたなど二の次でいいのでよ。本当はね。

地方自治は「コミュニティ・ソリューション」をベースにしなくちゃいけないものです。
ただ争いがあるとすれば、ミームの適応・淘汰がそこでおきるだけのことです。

他県在住のお気軽な私からみると、「あたりまえの関係を続けていける環境」を壊しているのは、実は反田中康夫氏の方々のように見えるのです。

いじめられた子供が、仕返しにただ臨戦態勢をとっているだけにしか見えないのですよ。
この仕返しのミームはあまりすぐれたミームとはいえないでしょうね。

なんとなく暗い(笑)
相手はクリスタルですから輝きが違いすぎる。

反田中康夫氏側の最大の欠点は、「すぐれたミーム」と「優れた考え」がどう違うのかを、だれもいわないってことです。

そして、自らの「考え」が「すぐれたミーム」となるべくなにかしているのかといえば、それがさっぱりみえない。ゴシップ合戦に終わっている。

→他県の方々から見れば、なんて志の低い長野県民としか思えないでしょう。

たとえば長野県の建設業界の「考え」なんてどこにも見えない。
それどころか、多分、長野県民の多くも長野県の建設業界が持っているミームの対しては懐疑的なんだろうね。

たとえば、昨日の「現行の入札制度の問題点」で指摘したようなことだって、建設業界が県民に対して「あたりまえの関係を続けていける環境」を構築していたら、面と向かっていえるだろうに。

それができない。

つまり、「あたりまえの関係を続けていける環境」を壊しているのは、実は反田中康夫氏の方々なのであってね、そこをミームにつけ込まれているだけなんだ。

どこからみても、みえるのはただ「田中康夫」だけなんですね。

それはただ、反田中康夫氏の方々が、県民との「ソーシャル・キャピタル」の蓄積をおこなってきたためですよ。ただそれだけ。

反省すべきは我にありです。

2002/08/04 (日)  
【なのでまだまだ執筆中】

二日酔いからはいずりだして、また書き始める。

これは編集氏からの指摘である、『自治体による制限付き一般競争入札などを例に、「マーケット・ソリューション」の「いんちきくささ」を述べておられますが、「公共工事という産業」を否定したい方々に向けて、この部分については、もう少し、かみくだいて、詳細に解説したほうがいいのではないか』へむけた部分。もう少し「こなす」必要はあるだろうね。

■現行の入札制度の問題点

 さて、このような「発注者がものを作るという視点」を確保しようとしながら行う「マーケット・メカニズム」の公共工事への導入は、「制限付き一般競争入札」のように、自由競争ではなくただの指値制度にしかなれません。このような調達のシステムできちんと積算をして入札に臨む業者はいないでしょうし、この入札制度は最低制限価格を予想するギャンブル化してしまっています。落札できるのもできないのも時の運、このような市場で、「どうしたらいい会社になれるのか?」などと考えること事態、無駄なことでしかなくなってしまっているのです。

 こうして「似非マーケット・ソリューション」が主流な公共建設市場もまた、差別化とコア・コンピタンスを「特にいらない」といっているに過ぎないものとなってしまうのです。ここでの競争は価格によって行われていますが、それが各社の経営努力の結果ではありません。ですから、当然に、ここでもIT化のインセンティブはどこかへ消えてなくなってしまっているだけなのです。そしてこの文脈が機能することで、中小建設業からIT化はますます遠ざかるものでしかありません。IT化へのインセンティブに関していえば、対極のルール?と思われている「似非マーケット・ソリューション」も結局は失敗しているに過ぎません。IT化への意欲は、中小建設業が自ら経営体質改善への意志を持つということでは大変重要なものですが、どうやら発注者はそんなことはお構いなしのようです。

 IT化推進論者で、このような「似非マーケット・ソリューション」を擁護する方々は以外に多いのものです。そして、そのような方々からは、「工事発注状況」を見るためにインターネットを利用しているではないかとか、官主導のCALS/ECが、中小建設業のIT化を進めるから心配はいらないという反論も聞こえてくるのです。しかし、それこそが、インターネットをファックスや電話の延長上に考えているだけに過ぎないことを理解すべきなのではないでしょうか。

 さて、私たちはIT化の遅れの原因を、市場を支配するルールの問題という視点で考察してみました。その結果、配分を重視したルール(ヒエラルキー・ソリューション)も(似非)マーケット・メカニズムを重視したルール(マーケット・ソリューション)も、結局はIT化の阻害要因にしかなっていないことが理解できるかと思います。

 結局、現行の入札制度の問題点は2つあることがわかるでしょう。

 @ 落札者の決定指標として価格の偏重
   →これが「似非マーケット・ソリューション」の問題点です。

 A 入札制度が利権構造をつくり出している点
  →これが「ヒエラルキー・ソリューション」の問題点です。

 これは日本が抱えている開発主義の残像上での二つのソリューション(問題解決策)が行われることの限界なのです。今までの経済学が考え出したルールは「政府が介在する(ヒエラルキー・ソリューション)」か、「市場に任せる(マーケット・ソリューション)」の二つしかないのですが、それを司るのは、わが国ではいつでも「お役人」だという前提が取れていません。その前提が取れない限り、この二つの対極のルールは、結局どっちに振れても、中小建設業には淘汰の原因ぐらいにしかなれないでいるのです。

 では、自治体発注の工事に性能規定方式のような真正の「マーケット・ソリューション」を持ちこむことが問題解決策なのかといえば、これは中小建設業と「公共工事という産業」の終焉を意味するだけでしかありません。今の中小建設業にこれに対応できる経営力や技術力を持った企業はほとんど存在しないでしょう。つまり中小建設業は金魚なのであり、自ら餌をとることを前提とした「マーケット・ソリューション」の世界で生きるようにはそもそもできていないのです。でもそれは、現在のところは仕方のないことでしかありません。なぜなら<中小建設業は政策的に生み出された産業でしかない>からです。彼らは忠実に開発主義の文脈で地域雇用の担い役を続け、配分のための毛細血管の役割を果たし続けてきています。このことは、似非どころか真正の「マーケット・ソリューション」もまた、「公共工事という問題」そして中小建設業には、なんの問題解決策にもなれないことを意味しています。

 「公共工事という問題」を考えるときの出発点はここにおく必要があります。これに対して、比較的大規模な物件に対してである「公共工事不要論」の文脈の中で、中小建設業を批判することは、なにかまとはずれの感があります。「今という時代」だからこそ、

<中小建設業は地域の重要な産業>

なのです。けっして不要なものなのではありません。それは「今という時代」に政府が「マーケット・ソリューション」を前面に打ち出しながら行う「構造改革」においても、新しい雇用を担う産業はいまだに生まれようとしていないからです。政府は、開発主義に替わる新しい政策をもって新しい雇用を創出する必要があります。それが「構造改革」の意味するところだと理解しています。本書はそのことを批判するものではありません。

 ただし、それには時間が必要だという見解なのです。公共投資を減らせば新しい産業がポンと生まれでてくるものではありません。政府が取り組むべきは、なぜこれほど資源が余っているのに新しい雇用の受け皿が生まれないのかを考えて行う「構造改革」なのであり、この問題を解決せずに中小建設業の淘汰を進めることはまったく誤った政策であるとしかいえません。『今のように失業率は最悪で、しかも新しいビジネスがなかなか立ち上がってこない時には、それらが立ち上がるまで既存の企業を極力潰さず、雇用と所得を維持する方が、財政赤字の拡大を防ぎ、経済全体の生産性を維持することになる』のです(※ リチャード・クー,『日本経済 生か死かの選択』,徳間書店,2001,p156 この文脈ではクーに賛同するが、ただしクーの発言は大手ゼネコン擁護であり、けっして中小建設業を擁護しているものではない。)それは特に地方において顕著です。そして、この国では、とにかくたくさんの方々が公共工事に関係しながら暮らしているのです。

 こう書くと、本書は本当にただの「中小建設業擁護論」のようになってしまうのですが、本書があくまでも「IT化論」であるのは、「中小建設業のIT化」をもってこの問題の問題解決方法を考えているからです。このことについては、最終章の「事業者団体ベースのIT化」において詳しい考察を行いますが、ここで「公共工事という問題」を考えるときに我々が忘れてはならないことをひとつ指摘しておきましょう。それは発注者としての自治体も受注者としての中小建設業も、インターネット社会の 4つの象限のどこに存在するものなのかを、もう一度考え直してほしいということです。それは間違いなく、第U象限「コミュニティ指向」−アクティブな相互性をもってコミュニティとして活動することに特化するかコミュニティに活動のターゲットを絞る−でしかないということで、実は発注者も受注者も同じ象限でしか生きられないということです。私はこれを総じて「公共工事という産業」と呼んでいるのです。



【二日酔いで頭が痛い】

・・・ので、まにあ1号さんからのメールを載せてお茶を濁す、と。
ああ、それから、34万は今日だね。ここの(↓)にもカウンターがあるので確認してください。

2002/08/04 (日) 08:37:27 AM現在「339772」だからもう少しだね。
今回の景品はなににしましょうか?

なにかオリジナルを作成してさしあげましょう。

では、まにあ1号さん午前1時52分のメール。

まにあ・1号です。

暑気払い、お招きありがとうございました。

春風亭美由紀さんの小唄は感動ものでした。
「江戸前の芸」を垣間見たような気がします。
寄席なんて今まで言ったこともありませんでしたし、
ましてや小唄などは、正直なところ興味の外でしたね。

今日、すごいなと思ったのは「芸人」というのは「客」と
その「芸」を通して「会話」していると言うことですね!
その場の「客」のノリや雰囲気や反応に敏感に対応して
演出を多少アレンジしてると言うか、微調整してるというか・・・
客を楽しませる、ノセる事に徹している姿勢ですね。
「芸」というのは「訓練」という基本と「アドリブ」という応用の
両方が出来ていないといけないのかなあ・・・と感じました。

いいものを見させていただきました。ありがとうございます。

そして「杉」の「うどん」です!
これにはたまげました!
幅約2センチ(!)以上、厚さ0.5〜0.8センチ(!)の「シロモノ」は
最初どうみても「うどん」にや見えませんでしたね、いやホント。
しかし、こんなに幅広で、厚みがあっても少しも食べずらくない。
いえ、あの良質のうどんの「もちもち感」といいましょうか「歯ごたえ」と
いうんでしょうかね・・・・が絶品ですね。
さらには「つゆ」がまた変っています。
「こんぶ」と「かつお」のだし、と聞きましたが、ほとんどそれだけですよね。
私はこの関西風の「薄口のつゆ」って何か物足りなくて
好きではなかったのですが、これには参りました。
飽きがこないと言う表現しか出来ないんですけど、とにかく「後を引く」
というか、ついつい、飲まされてしまうんですね。
気がついたら進められるままに、二度、三度とおかわりしてしまいました!
食べた瞬間「美味しい!」という激しいインパクトは決して無いんですけど
なんとな、ハシがとまらなくなってしまう・・・麻薬的なうまさでしたね!

2002/08/03 (土) 
【もうくだらない議論はやめようぜ、そして「桃論」は「止め」で苦労している】

■熊本独演会申し込み快調

熊本独演会は、昨日の午後の正式告示から半日で、あと座席残数は十数席の様子です。
ありがたいことです。

冷やかしでもなんでも、私の話を聞いてくださる方々が、熊本にもこうしていらっしゃることに深く感謝いたします。

座席数は残り僅かでございます。お申し込みはお早めにどうぞ。
熊本独演会開催のご案内

■もうくだらない議論はやめようぜ

ある自治体さまから講演のご依頼。またしても三連戦。
喜んで引き受けることにした。なにせ、ここは日本で一番私の燃えるところなのだよ。

現在、○○○として電子入札・電子納品等を導入するに当たっての一番の懸念は、零細業者がほとんどである○○○の業者の足並みをいかにして揃えさせるかという問題と考えております。

このご意見は、ある意味正しいのですよ。

つまり、多くの中小建設業は、電子入札・電子納品というCALS/ECの文脈じゃ「IT化」のインセンティブなんかもてるわけはないわけでね、つまり「笛吹けど踊らず」なの。

何故かといえば、CADを覚えた、電子納品ができるようになった。
でも仕事はない。。。中小建設業にとっては、そっちの方が何千倍も大事な問題だから。

そして、自治体CALS/ECに関して言えば、結局、最後は俗な言葉だけれども「リテラシイ」の問題で行き詰るんだよ。

電子納品もできないような業者は公共工事を取る資格がない、などというふざけた発注者がいるけれども、何かを勘違いしているとしか思えない。

「いったいあなたは何様なの?」

中小建設業が地元の社会・経済に果たしている役割を考えたら、それは公務員としていう言葉じゃないだろう。

電子納品もできないような業者が、どのような政策を持ってすれば、できるように変化するかを考えなくてはいけない。それが行政ってものだし、それが自治体CALS/ECでなくちゃいけない。

中小建設業に従事している方々だって、立派に地域社会の一員なのだ。
この視点をなくした自治体CALS/ECはことごとく失敗に終わるだろう。

でもそれは中小建設業にとっては、「お役所のいうとおりにやっていれば大丈夫」を意味しない。
なぜなら、CALS/ECに対応できることは、=受注できることを意味しないからだわね。

さらには、わたしゃ、CADはこれ、電子納品アプリはこれ、なんていう近視眼的な議論に付き合う気持ちもさらさらないわけだ。

これは、メーカー各社競い合ってよい製品(サービス)の開発をしてもらってね、ユーザーが自分でそれを選択することが大切なのだよ。

それが自由主義経済ってモノだし、各アプリケーションメーカーも販社もお飯が食べられる唯一の「しくみ」なんだな。

じゃなかったら、ITを理由に統制経済国家を作り上げるだけにしかなれないのよ。
みんな「そこに希望が持てるかい?」

結局、私はず〜っとこんなことをいいつづけているわけだ。

それで、私を理解している方々は、私の商品がなにものなのかを知っているわけだわね。
でも、わかんない人は私を物売りだと思っているのでね、物売りがなにいっている程度にしか思えないわけだ。

でもね、私はベンダーじゃないので、目に見える製品は一切売っていないのだものねぇ。
私は間違っても物売りはしないのだね。

私が売っているのは、かっこよくいうと、「IT化」への希望と、その希望をつかむための道筋を考える「私の時間」だけなんだ。

とにかくヘンなものを売っている。

だから、旧来の価値観の中でしか世の中が見えない人は、その枠外に存在する私を理解するのは難しいわけだよ。

でも、その希望とか私の考える時間を買ってくださっている皆さんのおかげで、皆さんはこうして私の「愚だ巻き」が読めるわけだね。

別に読まなくてもいいのだけれども、ついついここに来てしまう?

でも、多くはそこまでなのだね。
私を理解する(買う)には、それなりのレベルっていうものはどうしてもほしい。

残念ながらね、それが現実だ。

でもそれは、CADを覚えた、電子納品ができるようになった、というような話し(レベル)じゃないので大変なのだね。

このことがわからないと一生私とは議論がかみ合わないわけだな。

中小建設業のIT化の議論は深いのよ。
まあ、多くの方々にはどうでもいい話しなんだろうけれどもね。

でも、私がこのサイトでごちゃごちゃ書いていたり、桃論を書いたりするのは、議論できる方々を増やそうとする私をヴィークルにしているミームの仕業だと理解している。

さて、今年の後半戦は、いつものとおり講演行脚が続くのだけれども、お暇な方は、冷やかしでもいいからおいでくださいまし。

そこで、なんらかの希望のようなものが見えたなら、それは安いもの(時間を費やして私の話しを聞く価値はあるということ)です。

なにせ、わたしゃ目覚めている間中、ずっと「中小建設業のIT化」のことを考えているのですからねぇ。こんな馬鹿はめったにいやしません。

そしてここで大切なスタンスは次のようになるわけです。

その考える時間を私に与えてくださっている支援者の方々には深く感謝申し上げる次第なのです。<(_ _)>

つまり、わたしゃ生かされているわけです。
自助自立なんてしていません。「他力」でこうして生かされているわけです。

その「他力」の正体こそが、私をヴィークルにしている「ミーム」なのです。

ということで今日の一節・・・はいいのだけれども、まずはこれを読んでからでからでないと、なに書いてあるのかわからないはずですので、これをどうぞ。

『ホワイトカラー真っ青』(原題は「White Collars Turn Blue」) http://www.post1.com/home/hiyori13/krugman/lookbackj.html

 私は時々、自分のことを、このクルーグマンの文脈で考えることがあります。

「はたしてインターネットはこの文脈から私をどこまで開放してくれるのだろうか?」

 その思考のことをここでは書いてみます。それは、私は私のことだけは経験的には考えることができるので、インターネットは私にとってなにものなのかを、ひいてはインターネットとはなにものなのかを、私の事例で考えてみましょうということです。

 さて、私は俗にいう営業を一切行わないコンサルタントです。どこかに訪問して名詞を配るとか、新聞や雑誌に広告を掲載するとか、どなたかのツテで仕事を紹介いただくとかを一切行っていません。創業以来一貫としてホームページ経由で依頼される仕事を生業(なりわい)の中心にしています。

 そればかりか、私のホームページに記載されているコンタクト方法は、電子メールアドレスが唯一です。住所も電話番号も記載されていません。私へのファーストコンタクトは99.9%電子メールに絞っています。その上、通常の業務上の連絡もほとんど電子メールだけで行い、一度の面談もなくコンサルテーションや講演にうかがうことなどは日常茶飯事でしかありません。

 この意味では、私はまさにインターネット社会の申し子のようであり、革命的な仕事のやり方の発見者だといえるかもしれません。現在の私の仕事のやり方、そしてそれを支える精神的な基盤は、過去のサラリーマン時代とは確実に断絶したところにあるわけで、これは、インターネットは「革命」だと主張する方々には賞賛を受けるかもしれません。でも、賞賛されたことなど一度もありませんが。

 しかし考えてもみれば、インターネット上の私のホームページは、直接的には、今まで一円も稼ぎ出したことはないのです。ホームページ上に置いてある、ダウンロードできるプレゼンピッチや、さまざまなコンテンツに対して、対価を支払う方は今まで一人もおりませんでした。無論、私自身が最初からいただこうとは思っていないのですが、このことは、クルーグマンがいうところの「じつは情報の送信・複製がますます簡単になったので、クリエーターたちは自分の創造物から利益を得るのがどんどん難しくなっていったんだ。」その通りなのです。

 そして、私はホームページを開設したおかげで、「幸運なことに、知識そのものから直接利益を得ることを不可能にしたその同じ技術が、名声の機会を増やしてくれることにもなった」ことも実感しているわけです。何がしかのコンサルテーションの仕事と、多くの「 19 世紀科学者のように、講演巡業をすることで」(名声とよべるのならですが)名声をタネに稼ぐことで、何がしかの生活を維持することができているわけです。その上、こうなってしまうのです。

 「でも名声は、これまでのどの時代よりも手に入りやすいとはいえ、まだそうそう簡単には手にはいらない。だからこそ、本書を書くのは私にとってすばらしい機会なんだ。私は別に、講演巡業とコンサルテーションで昼間働くのはかまわないんだけれど、でもずっとフルタイムの印税生活者になりたいと思ってきた。こんな本を書くことが、まさにその夢を実現するきっかけになってくれるかもしれないんだ。」

 そして私はつぶやくのです。

 「なんてこったい!」

 インターネットが私に与えてくれたものは、クルーグマンにとってはずっと前からお見通しだったもののようです。お見通しのストーリーの何処が「革命」などといえるのでしょうか。


■私の革命

 それでも私はインターネットは「革命」だと思っています。

※で、本当はここからが面白いのですが、続きは「桃論」が出たら買って読んでくださいな。
  皆様の僅かな投資が私をヴィークルにしているミームのお飯になるわけですから。

ということで、今日は気の置けない方々との暑気払い。
春風亭美由紀さんも登場だ!

2002/08/02 (金)  
【熊本独演会開催のご案内】

熊本独演会の開催のご案内をいたします。
すでに、私宛に仮申し込みをされているかたは、懇親会の参加の有無を再度申し込み先へお知らせくださればと思います。

2002年8月27日(水)
■熊本独演会
【日時】 2002年8月27日(火) 13:00〜17:00
【料金】 当日配布資料代 2,000円(事後振込み)
【会場】 くまもと県民交流館 パレア熊本 会議室2 (TEL096-355-4300)
(熊本市手取本町 鶴屋百貨店新館・東館内9F、デパートのエレベータをご利用下さい)
【定員】 最大45名(先着順) でもすでに20名ほどの事前予約が入っていますのでお早めにお申し込みください。
【概要】 講演内容は「桃論」概論です。
桃論自体は、4時間枠でおさまるようなものではありませんが、そのエッセンスをわかりやすくお話しする予定です。
前回の福岡独演会からは「コミュニティ・ソリューション」への考え方、「ソーシャル・キャピタル」の考え方が追加展開されています。
【主催等】 桃知商店と桃熊会の共催です
お問合せ・申し込み先 下記申込専用アドレスに、氏名、所属、メールアドレス、TEL、FAX、懇親会参加の有無明記の上早目にお申込願います。
momotikumamotokai@hotmail.com
TEL
FAX
e-mail momotikumamotokai@hotmail.com
www
【懇親会】 当然にやります!



【いろいろ】

■34万

もうすぐ34万。
カウンターはこのページの(↓)にもついているから、これで確認してもOKだね。

■お詫び

今年の独演会においでの皆様にオリジナルのハンドタオルを送る予定でいたのですが、これがうまくいかない。なので、お詫びに、「桃論」ができたら、サイン入りでそれを送ることにしますので、お許しくださいませ。^m^

それから、30万ヒットの方々のバスタオルは準備OK、でもサインがうまくいかない状態なので、もう少しお待ちください。

だいたいね、わたしゃサインなんかしたことないわけでね、どう書いていいかわかんないんだよ。(^^ゞ

8月7日新潟講演会

昨日は、長野県松川町から8時ちょと過ぎに帰宅できたので、その後、8月7日の新潟後援用のPPTを作る。これは「桃論」が核だね。

それで、このPPTは相変わらず大変な量なので、これを簡単にwordにまとめた。それでも結構な量なのだけれども、これを当日配布することにしたわけだ。

後でダウンロードできるようにはします。

8月7日の新潟講演は有料にもかかわらず、現在147名さまの申し込みがあるとの報告。
発注者さんの参加申し込みもあるようで、うれしい限りなのです。

■熊本独演会

熊本独演会の段取りは大体OK。金剛の高良さんには大変お世話になっています。
なぜか主催は「桃熊会」というところなのだけれども、こういう、なにものでもない方々が自主的に私をよんでくれることがれしいわけです。

熱のある方々が熱のある方々を呼ぶというかね、無理やり聞いてもらう講演じゃなくて、ひやかしでも、なんでも、自分の意思で聞きにこられる方々ばかりですからね、私も「語れる」わけですよ。

この熊本独演会については、詳細を本日の午後にでもアップしますので、沢山の方々においでいただければうれしいわけです。

二死満塁さんからのメール

執筆進んでいるようで何よりです。楽しみにしています。

さて、【対極のルール?の失敗】についての私の思うところです。

指値になっているという点は、私も同様に思っていますが、
入札制度については、現場の方々の意見の方が大事だと
思うので言及避けますが、気になったのは以下の所


>採算ベースに見合うところ、たとえば調達できる人件費のコス
>トダウンの限界までは、コストダウンは可能だということです。

こういったフレーズで人件費の話書いていますが、どうも私には
「コストダウンするには人件費削減するしかない」 と書いている
ように読めました。

ここについては議論の余地があるのではないでしょうか。

私は、日本の製造業が世界一になれたのは、「コストダウン=人件費
削減ではない」という新しいマネジメント手法を導入したからだと
と思ってます。そこが米国のマネジメントと決定的に違うところだと
思います。

現に成長期の製造業は、給与も雇用も増加しています。
人件費が相対的に低い国は、日本以外にも沢山あったと思いますので
人件費が競争優位のポイントだったと思えません。

僕は、建設業も製造業も同じような形で調達を行っている
と考えています。製造業のメーカーが指値で系列下請業者に
発注するように、官庁が指値で既得権のある元請工事業者に発注する
という形ですね。

日本の下請部品メーカーの世界で、VE、性能規定発注といったものは
一般的ではないでしょう。
下請部品メーカーの経営が、メーカーのやり方に依存しているように
中小建設業の経営も、官庁のやり方(制度)に依存していると思います。

最大の違いは官庁のマネジメントは、「コストダウンするには人件費削
減するしかない」から抜け出せていないことではないでしょうか。
これが閉塞感の大きなポイントではないかと思います。

「企業が生き残るためには、社員を解雇したり、賃下げしなければならない」
これでは、普通の経営者ならコストダウンしたくないと思って当然ですし
、官庁側も強硬な政策実行を迷うのは当然だと思います。

しかし中小製造業の場合、メーカー指導で、日本的生産管理のマネジメントを
導入して、雇用とコストダウンを両立させました。
中小建設業の場合も、○○指導で、日本的施工管理のマネジメント(PM)
で雇用とコストダウンを両立させられないのだろうとか色々考える
余地があるのではと思ってます。


桃知さんの書かれている重点は、マーケティング面でのコミュニティー
ソリューションの方向だと思うので、コストダウン(売価低下)の話は
主要テーマではないと思いますが、気になりましたのでメールしました。


けど、ほんとは、以上は僕の希望的観測にすぎず、人件費を下げる以外
売価を下げることは出来ないのかな??との思いもあったりしますが、、、

答えからいっちゃうと、「人件費を下げる以外売価を下げることは出来ない」のが、「地場経済の活性化と雇用の確保」を目的にした公共事業なのですよ。

なぜなら、「地場経済の活性化と雇用の確保」が目的だから、というトートロジーが答えになるからですね。

穴を掘って埋めるだけでも正しいという経済政策理論でしか「公共工事という産業」は成立しないのだよ。

この市場はですね、単純に「効率化」や「生産性」の向上を言えないから悩ましい。
もし、そうしたければ、単純にマーケット・メカニズムを機能させればすむだけだよ。

でも、私が桃論の「正解の思い込み」で批判しているのは(って書いてもほんの僅かなモニタさんしか知らないだろうけれどもね)、その「製造業」の持っている「答え」が「公共工事という産業」でも通用すると考えていることへの批判なわけだわ。

「効率化」や「生産性」を目的としていいのなら、誰もこんなに悩まなくてもいい市場なはずなんだよ。

でも、「公共工事という産業」はいつでも「政策」の呪縛を受けなくてはならない。
だから悩ましいんだ。

そして、「効率化」や「生産性」を第一義とする「マーケット・ソリューション」や不正の温床となってしまった「ヒエラルキー・ソリューション」とは、違った問題解決方法を考えるっていうのが、私のそして「桃論」のアプローチなのだわね。

それが、「コミュニティ・ソリューション」なのだけれども、その推進エンジンは「ソーシャル・キャピタル」なわけで、その「ソーシャル・キャピタル」の正体こそが、 『ミームによって運ばれる感動と人間性に対する信頼感の伝承』(金子,2002,p160)なわけだわ。

2002/08/01 (木)  
【夏だよ】

■OE-1

まずは、私の使っている消臭剤のお話し。

私はヘビースモーカーなので、自分の部屋で執筆活動をしている時には、煙の中で仕事をしているようなもので、だから、いつでも傍らで空気清浄機が動いています。

でも、それも限界があってね、エアコンとかタバコ臭くなってしまうのです。
それで、使っている消臭剤が「OE-1」というバクテリアを使った消臭剤です。

これをエアコンの噴出し口と吸い込み口にかけてあげるわけですね。
結構効きますよ。これを提供してくれているのは、リバー産業さん@北海道です。


■昨日の話題に対するメールのやりとり

昨日の【対極のルール?の失敗】に関して、コンサルタント業界の方から以下のようなご意見を頂戴しました。

届いたメール
◆最近のうちが関わる入札は、旧態依然とした指名競争入札ですが、このまんま です。
団子しなければこんなものです。だいたい、一括丸投げが30%の時代で すから、松阪市
の価格は「高い」とさえ言えます。これを「コスト競争」と言 えるかどうかは、受注し
た会社が十分な粗利を出せるかどうか、ということで すから、なんともいえませんね。
この価格でできる価格競争力を持ったところ は実際数は少ないにしてもありますので。

◆だいたい一括丸投げ30%の業界が存続できるのかという話は「できない」とい う結論
しかないので、もう存続できないわけです。存続できるのは30%の受注 で十分儲かると
ころだけです。それで社会の中でこの仕事がいらないのか、と いうと「必要な部分もあ
る」ということだと思うので、はやいとこ出直すしか ないというのが労働者感覚での意
見です。

>  つまり、この落札価格は、今までの調達システムでの価格設定が、実態価格よりもか
>なりの高値であったことを単純に表しているだけであると理解してよいのです。これは、
>「マーケット・メカニズム」が単純に機能すれば、今までの「配分のルール」での価格決
>定メカニズムの正当性は簡単に崩壊してしまうことを意味しています。

◆1社団子に加わらなければそうなりますので、まさしくその通りです。簡単に 崩れま
す。すでに私の周辺は崩れきってます。

>  私は、設計コンサル・測量委託業務に最低制限価格が設けられていないのは、そもそ
>も「発注者側にモノを買うという視点が存在しているため」ということが「答え」になる
>と考えています。つまり、設計コンサル・測量委託業務は、その調達内容に関しては発注
>者からの仕様の縛りがゆるく、受注者側に創意工夫の余地が大きく残されているので、最
>低制限価格は設けなくても、これが低価格入札ではなく、品質の確保等の正当性を主張で
>きるということです。

◆コンサル業務に「ものを買う視点がある」というのは要訂正ですね。そんなこ とはな
くて工事と全く同じです。仕様にばちばちに縛られてますし。そうでな い創造的な仕事
はプロポーザル方式という受け皿が一応できてますから、通常 のコスト競争で行われる
入札は「ものをつくる視点」です。

◆最低制限価格がなかったのは、委託業務でそれが法律的にできなかったからに 過ぎま
せん。最近は予決令改正で、低入札価格調査はやろうと思えばできるよ うになったよう
です。ただ最低制限価格は無理みたいです。あくまでも法令上 の問題です。 >  たと
えば,設計コンサルタント業界は、IT等の活用次第では、知識労働力を海外に求めること
が実質的には可能でしょうし、そのことによる人件費カットは、その限界を下限にコスト
ダウンを可能とします。さらにはその業態から見れば、ITの活用による業務プロセスの見
直しによるコストダウンも十分に可能でしょう。このことは、設計コンサル業界は中小建
設業と同列に並べることのできる建設業ではなく、むしろ情報産業のようなものであるこ
とを意味しています。(※要注釈)

◆桃知さんが地場の中小建設業のことをいろいろお考えのように、コンサルも大 半は地
場の中小コンサルです。地場コンサルに上記のことは容易にできません。 できていない
のに低価格化はすでに起きています。大コンサルと地場コンサル がごっちゃに議論され
ている感じです。

◆コンサル会社の多くの人は、「工事会社は最低制限価格があって良いな〜、コ ンサル
にもつくって欲しいなぁ」と公の場でも言っています(工事会社をとて もうらやましが
っています)。ですからコンサルが上手に何かをしているとい うのはおそらく誤解で、
単に制度上の問題に過ぎないということだとおもいま す。

>  このような「似非マーケット・ソリューション」が、技術と経営に優れた中小建設業
>をつくりだせるのでしょうか。この入札方法の発明者とその賛同者は、きっと、公共工事
>のコスト削減や透明化という問題と、技術と経営に優れた中小建設業をつくりだすことは、
>トレードオフの関係にあるとでも考えているのかもしれません。もしかしたら、「そもそ
>も技術と経営に優れた中小建設業なんていらない」と考えているのかもしれないとしか思
>えないのです

◆「まじめにやればやるほど公共事業から遠ざからざるを得ない」というのが現 実です
ね。皮肉なことです。

◆工事の文章の中で気になったのは、最近よく言われている住民の視点が全く書 かれて
おらず(別のところで書いてあるのでしょうけれど)、地場建設業擁護 論のようにも受
け取れてしまうところです。地場建設業擁護論は、地場建設業 の社長擁護論であって建
設労働者擁護論ではないように感じられてしまいます。

◆私自身はいわゆるマーケット派なので、建設業が壊れるといっても、現経営者 陣が壊
れるということにすぎず、社会に建設業が必要であれば建設労働者がま た新しい企業を
つくればよい、という簡単な図式で良いと思っています。社会 に必要なものは残るべき
で、必要ないものは消えるべき、だと。地場建設業が 必要なものであるなら、地場建設
業は残るべきだが、地場建設業者が同一であ る必然性まであるのか?という素朴な疑問
があります。 ◆桃知さんの話は分かりやすいのですが、地場建設業を守るという視点の
時、そ れが社長・経営者のことなのか労働者のことなのか、あまり明確化されていな
いように思います。社長は会社の数しかいませんが、社員はその何十倍もいま す。そち
らもマーケットにした方が良いと思うのですが。。。地場建設業の存 続というのは、
「社長存続・社員リストラ」という連想ゲームになってしまわ ないだろうか、というの
がちょっと感じるところです。

私からの返信

ご意見ありがとうございます。参考にして修正を加えたたいと思います。

業務委託の最低制限価格の設定については平成14年4月1日から地方自治方の改正でOK
になっていますね。

法律の専門家である行政が知らないとしたら本当の馬鹿ですね。
私は一応松阪市の担当者に敬意を表してああいう書き方をしています。

ただ、建設コンサルへの委託業務が最低制限価格を設けることで中小建設業と同じような
扱いとなれば、それは中小建設業の文脈が生きるだけですから、業界にとってはどうなん
でしょうか?成り下がりのような気もしますが?

現行入札制度の問題点は2つあると思います。

第1に落札者の決定指標として価格偏重。
→これがマーケット・ソリューション

問題は例えば、人件費が大半を占める請負契約で最低賃金違反の金額で落札されるケー
スですね。価格偏重の入札が不公正な労働条件を助長する要因になってしまいます。

第2に、入札制度が利権構造をつくり出している点です。
→これがヒエラルキー・ソリューション

今回は第1部分の前フリなのですね。これの展開が最終章の「事業者団体ベースのIT化」
となります。

私のIT化論は、公共事業の政策的効用を当然に考えるものですが、それを経営者を仮想の
敵とすることを意味しません。なぜなら、経営者の多くは頻度依存行動をしているからだ
と考えているからです。

ということで、この話は明日の店主戯言で引用させてください。とても大切な議論なので
もっと意見がほしいところなのです。

しかし、私はコンサル業界を全く知りませんね。いまさらながら確認したしだいです。

そして今朝方拝見した返信メール

> 業務委託の最低制限価格の設定については平成14年4月1日から 地方自治方の改正で
>OKになっていますね。

すでになってましたか。

> ただ、建設コンサルへの委託業務が最低制限価格を設けることで中小建設業と同じような
>扱いとなれば、それは中小建設業の文脈が生きるだけですから、業界にとってはどうなんで
>しょうか? 成り下がりのような気もしますが?

最低制限価格など大きなお世話だと思いますよ。建設業にとっても最低制限価格は邪魔でし
ょう。自社にとっての適正価格(利潤と競争力のバランスからして)がわからない企業というの
はもともと論外の企業なのですが、それがシーラカンスのように残ってしまっていた、という特
異な時代が今の瞬間だ、というだけでしょう。

> 第1に落札者の決定指標として価格偏重。
> →これがマーケット・ソリューション
> 問題は例えば、人件費が大半を占める請負契約で最低賃金違反の金額で落札されるケー
>スですね。
> 価格偏重の入札が不公正な労働条件を助長する要因になってしまいます。

このような社会問題に関しては、副作用的な意味合いになると思いますが、納税者にとって一
番利益になることが「最低価格」だというのが、実に納税者を馬鹿にした話だと思ってます。

> 第2に、入札制度が利権構造をつくり出している点です。
> →これがヒエラルキー・ソリューション

納税者は馬鹿だ、の延長線上にあるように私は思います。

> 今回は第1部分の前フリなのですね。
> これの展開が最終章の「事業者団体ベースのIT化」となります。
>
> 私のIT化論は、公共事業の政策的効用を当然に考えるものですが、 それを経営者を仮想
>の敵とすることを意味しません。
> なぜなら、経営者の多くは頻度依存行動をしているからだと考えているからです。

ぐはっ、難しくてわかりません。「わからなければならない」というのも観念論
の一種でしょうから、わからなくてもいいんですね。

> ということで、この話は明日の店主戯言で引用させてください。
> とても大切な議論なのでもっと意見がほしいところなのです。

かまいませんが、ももちさんが「引用させてください」はちょっとへんですから、
これまで通り勝手に無承諾でやってください。

> しかし、私はコンサル業界を全く知りませんね。
> いまさらながら確認したしだいです。

配給(二死満塁さんは配分のことを配給と呼んでいるようです)の観点からは建
設業界とコンサル業界は全く同じで、若干法令等が違うだけだと思います。

#脱稿すると一気に気が抜けて潜水病にかかるかもしれませんので、徐々に抜い
ていってください。下手すると脱肛が再発(違いましたっけ?)しますから気を
つけて。

そのほかにも貴重な意見をたくさんの(?)方々からいただきました。
ありがとうございます。

引き続きご意見をいただければと思うのです。よろしくお願いいたします。m(__)m


■「わからない」という方法

ところで、この(↑)メールのやり取りの相手は誰か分かりますか?
勘の鋭いかたは多分分かっちゃっているかとは思いますが、答えは、最近論文の添削指導などもやっておられるこの方です。

こういう思考のキャッチボールが、バルネラブルというか、『「わからない」という方法』の実践なわけですね。

私のHP昨日の掲示を見て、なんだこいつは、なにも分かっていないんじゃないのか?と思われた方も多いことでしょう。

私は自分のHPで執筆中の原稿を晒して自分の思考の未熟さを公にしているわけですからそれでもいいのです。

それで、なにか私が非難されることがあってもね、私は素直に「はい、わかりません」と言うだけです。それで、なにか困るかといえばなにも困らないのよね。もともと「わかんない」のですから。

→つまり、弱者の強さ、っていうか馬鹿の強み。

でも、こうして自分の弱みを晒すことで、なにかしら教えられる。
それで、私はもう一歩踏み出せるわけですね。

私にとって、世の中で一番幸せに見えるのは、わかちゃった(ふりをしている)方々ですね。
思考の閉塞状態っていうのは、結構楽な人生なのかもしれません。(笑)

ということで、今日は「あずさ」に乗って長野県のちょっと遠いところまで行ってきます。
熱中症対策を十分にしていかないとだめですね。多分。

momo
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