店主戯言0030601 2003/06/01〜2003/06/15 "There
goes talkin' MOMO"
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2003/06/15 (日) ▲ ▼
【@札幌(肩こりがひどい)】
桃知@札幌です。
昨日は、滝川にて空知建協葉月会の勉強会でした。
私は、葉月会の顧問にしていただいておりまして、こうして、なにかとお声掛けいただいておるわけで、その上、毎回の懇親会では美味しいものをご馳走になっております。
今回は、滝川での開催ということもあり、念願の松尾のジンギスカンで、それこそたらふく食べて飲んでしまっているわけで、私は、なんと幸せなやつなのだろうか、としおらしく思う朝なのであります。
ということで、私はこれから東京に帰り、明日以降の仕事の準備をしなくてはなりませんので、これから新千歳まで、北海道ゼロックスの長谷川さんの運転で移動でございます。
こうして考えると、本当にいろいろな方にお世話になっておりますね。
しかし、問題は肩こりがひどいことです。
なにかいい手はありませんでしょうか?
2003/06/14 (土) ▲ ▼
【羽田へ急がなくちゃ】
今日はこれから札幌に飛んで、滝川へ移動し、4時間の講演を行います。
若干朝寝坊気味(^^ゞなものなので、朝の準備でばたばたです。
ですから、ここまで。
時間があればまた更新します。
新潟の美味しいパスタのはなしも書かなくてはなりません。(謎)
2003/06/13 (金) ▲ ▼
【ちょっとした追加】
お嬢・2号さまから二題
ももちさんへ
いま、戯言読んで、
なんか、「そうだ、ほんとにそうだ(宮崎では「じゃがじゃが」というらしい!)」
と感じて、どきどきしています。
>建設業界には、なにか「ぶっとい」ものがなくなってしまっていることなのです。
私なんぞが、どきどきしてもあかんのかもしれないけど、
今、いろいろ動いている「その先」は、どやねん!という気持ちです。
うまく書けませんが、なんだかそうなのです。
すいません、走り書きのようです。では股です。
お嬢・2号
ももちさんへ
お嬢・2号です。ご無沙汰してます。
毎日、すごいイキオイですね!
私が購入していた
日経BPの雑誌のももちさんの紹介記事の冒頭部分・・
「桃知氏は、いつ家でくつろいでいるのか、と不思議になるくらい
しょっちゅう全国を飛び回っている。」
と書かれてありました。ほんとうに、そう思います(>_<)
ご無理なさらぬように、んでも飛び回っていてくださいね〜!
わたしは地道にほふく前進中ですよ〜。
ほな、股で〜す。
なんか、この文体の間がいいなぁ。
【@新潟、若しくは、なにか「ぶっとい」もの】
桃知@新潟です。
今日は蒸し暑そうです。
福もも会からのメールです。
早速ですが、電子入札に物申す。ということでメールさせてもらいました。
今日起きたことですが、電子入札の際PIN(暗証番号)が通らないカードがあり、いろいろ試した結果、カードがロックされていることが判明しました。
詳細は URL:http://www.fukumomo.com のITサポート日記に掲載していますので、よかったら、見てください。
管理人として毎日たいしたことではありませんが、書いてます。
電子入札に絡む、いろんな問題が今後も出てくると思いますので、またメールさせてもらいます。
役所がやって失敗したもの(役所とは限りませんが)というのは、観察するとある特長があるように思われます。
それは、最初はかなり高尚な目的を持って設計されたシステム(政策)も、変化の激しい時代には、陳腐化するスピードも速いのですが、例え陳腐化しても、そのシステム自体の実現が目的となってしまっていて、最初の高尚な目的は、何処かへ消えてしまっている。つまり、役に立たない、というものです。
そして、悲しいことに(まるで麻薬患者のように)、当事者はそれがわかっていてもやめられないのです。
かつては(このことばの意味は大きい)、高尚な思想を持っていると思われたステムでさえ、あっという間に陳腐化してしまう時代が、「今という時代」なのだとおもいますし、逆説的には、正に本物(なにか「ぶっとい」もの)を探している時代なのだと思います。
電子入札の実現云々というのは、本物の議論ではありません。
つまり、あせって実現する必要は、「公共工事という産業」のどこにもないのです。
でも、「システム自体の実現が目的となってしまっていて」、当事者はそれがわかっていてもやめられないのでしょうね。
余計な事を書きますが、私が悲しいのは、電子入札とか電子納品とか、お役所から言われてやっているIT化(もどき)がIIT化だと思っている建設業界には、なにか「ぶっとい」ものがなくなってしまっていることなのです。
2003/06/12 (木) ▲ ▼
【『猫』】
昨日は、午前中から目いっぱい、熊本建協人吉支部さんのイントラネット勉強会3連発をこなし、終了後、高速バスで鹿児島空港へと移動(乗客3人)、そしてJAS582 鹿児島(1930) 東京羽田(2110)で夜間飛行としゃれ込みました。
まあ、私は某書に熱中のため、窓の外はぜんぜん見てはいないのだけれども、それにしても久々の行き帰りとものJALSでしたが(流れるようなスケジュール確保のためにね)、飴玉サービスはくだらないです(笑)。
でも珈琲はANAよりもおいしいと思います。(というようも好みの問題か)
羽田からはタクシーで直帰としましたけれども、結局、午後9時40分には自宅に着いていました。
こうして流れるようにスケジュールがこなせるときには、日本は狭いものだなぁ、とつくづく感じます。
さて、今日の私は新潟で仕事です。
今日、明日と、新潟県電気工事工業組合さんでイントラネットの勉強会をします。
しかし・・・それにしても、最近すさまじいばかりの移動距離になってしまっています。
ここ1週間だけでも、長野県飯島町日帰り、鹿児島一泊、法大、盛岡日帰り、人吉一泊、そして今日から新潟一泊、それで明後日は、滝川(北海道)へ飛ぶのです。
日曜に北海道から帰り、月曜に水戸、翌日から三重県二連戦、19日に帰ってきて、翌20日は熊本県の芦北へ。翌日帰京。この日は法大エクステンションがあるのだけれども、多分遅刻でしょう。★\(^^;
確かにこうして書くと、5年前には考えられなかった凄まじい生活をしていますが、でも、私自身が、そういう生活にすっかり体が順応してしまっっているせいか、苦痛でもないし、疲れもさほど感じていないのです(ただ肩こりがひどいですが・・・)。
しかし、時々余計なことに熱中しては、仕事が滞ってしままう悪い癖が抜けません。
そう、それはほとんど本なのですが、私がはまってしまっている本ですが、それは『猫』です。
こう(『猫』)書いて、これが何かわかる方は相当に偉いです(笑)。
それから、7月8日に長野県松本市の講演が決まりました。
3時間枠の講演ですが、詳細は明日にでもお伝えできるかと思います。
2003/06/11 (水) ▲ ▼
【マネジメント】
桃知@人吉です。
昨晩は、中村屋さんで一献(山芋蒸と土瓶蒸がとてもおいしい)。
この中村屋は、公衆浴場の近くにあるのですが、その界隈は本当に「路地」っていうところにあるわけで、昔の人吉の風情を感じることができてとてもうれしゅうございました。
さて、今日の私は、9時には勉強会の会場へ入らなくてはなりませんので、いただいたメールでお茶を濁させていただきます。
まにあ・1号さまより
まにあ・1号さまのメールから
昨日の戯言、痛かったです。(TT)
と、いうのも「コントロール」ですね。
あれ、実は私のノートにもなかったフレーズなんですね。
「マネジメント」という言葉が出てこなかったので
私も「苦しまぎれに」使ったのですが、見事にご指摘頂いてしまいました。
実際良くわかっていない部分でもあったのでついでに、言葉の定義を調べてみました。
●マネージメント [management](1)管理。経営(2)管理者。経営者
●コントロール [control] (1)制御すること。統制すること。管理。
(infoseekマルチ辞書)
●[ management ]取扱い, 管理, 経営
●[ control ]支配(力), 管理, 統制; 抑制; 操縦;(goo辞書)
違い・・・なんだか、わかったようでどうもよくわかりませんね。
どちらにも「管理」という意味があります。
違いがあるところは、経営と制御、経営と支配、経営と統制
こんなところでしょうか?
では、こっちはどうでしょう・・・?
経営:方針を定め、組織を整えて、目的を達成するよう持続的に事を行うこと。
制御:おさえつけて自分の意のままにすること。
支配:あるものの意志・命令・運動などが、他の人間や物事を規定し束縛すること。
統制:ばらばらになっているものを一つにまとめて治めること。
(goo辞書)
こちらも、お世辞にも明快とは言いがたいですね。
でも違いはかなりはっきりして来ました。
マネジメントの定義のキーワードは「目的の達成」のようです。
コントロールの定義のキーワードは「力と束縛」のようですね。
要するに私は「場のマネジメント」の「場」も「マネジメント」もそれぞれ良くわかっていない、理解し切れていないという事なんですねぇ。
やりなおしだなあ・・・・・桃知のコメント
そうですね、私は「コントロール」ということばを、講義の時には使っていなくて、「マネジメント」と、はっきりいっています。
それも、P・F・ドラッカーや、M・P・フォレット、それから「状況の法則」ということばまで使っていましたから、かなりマニアックなところへいっていたのです。
場のマネジメントの最初の理解は、それはヒエラルキー・ソリューション的に「制御」することではない、ということです。
日本訳でつかわれる「管理」という曖昧な言葉には、制御することも含む、という大雑把なところがありますが、私たちが使う「マネジメント」は、これはフォレットに始まり、ドラッカーが自らの発明品としたマネジメントのことです。
ですから「マネジメント」というカタカナを使っています。
ドラッカーは偉大な先達(現役)ですが、日本には伊丹敬之教授が現役で活躍されています。まずはこの本から始めましょう。
『場のマネジメント』
伊丹敬之(著)
NTT出版
1999年1月30日
ついでに書けば、田中長野県知事は場のマネジメントを標榜するような県政運営を行っているようですが、彼の場合には、場のマネジメントのいう10%の独裁者ではなく、90%以上の独裁者、つまりヒエラルキー・ソリューションそのものになってしまっていることに(場のマネジメントを理解している方であれば)気が付くかと思います。
それはなぜかといえば、彼の判断基準が「好き」or「嫌い」の感覚だからです。
でも、「好き」or「嫌い」と聞かれれば、「or」と答えるのが、正しい日本人というものなのです。(笑)
2003/06/10 (火) ▲ ▼
【今日は人吉へ参ります】
今日の私は、JAS577 東京羽田(1300) 鹿児島(1440)で鹿児島へ飛び、その後、高速バスで熊本県人吉市へ移動いたします。明日は熊本建協人吉支部さんのイントラネットの勉強会です。
2003/06/09 (月) ▲ ▼
【今週は忙しい・・・】
桃知です。
今日はこれから盛岡へ参ります。
今朝は、ちょっと更新している時間がございませんでしたので、また夜にでも。
では、ごきげんよう。
2003/06/08 (日) ▲ ▼
【東スポ的】
今日は休みとしましょう。
でも、少しだけ・・・
私は、最近、長野県の新建新聞を購読するようになりましたが、この新聞が、やたらに「東スポ」的だというはなしです。
この「東スポ」的というのは、つまりはプロレス的な物語性の面白さのことです。
そこには、人間の妬みのこころ、つまり嫉妬心やうらみやらなにやらという、とてもネガティブがゆえに、本来はマスコミが取り上げない人間の心の奥底(情念)を感じさせるような面白さがある、というような感覚です。
新建新聞における今の主役は当然に田中知事なのですが、松本で開かれた知事と建設業界の意見交換会を伝える紙面には、大きく「知事VS建設業者」という文字が躍っています。
これだけでも十分に「東スポ」的なのですが、そもそも主役の田中知事がこの新聞では強烈なヒール(悪役)を演じていることで、このソープ・オペラは混迷度合いを増しながら進展していくのです。
さて、松本で開かれた知事と建設業界の意見交換会ですが、これをどう評価するかは意見の分かれるところかもしれません。
田中知事流の建設業界に対するガス抜き作業なのかもしれませんし、本当に実のある話し合いなのかもしれません。
しかし、新建新聞の記事から「東スポ」的に伝わるところは、田中知事は建設業界(「公共工事という産業」)が嫌いなのだ、ということだけです。田中知事の政策的な意見にみるべきものなどなにもありません。
長野県で起きていることは、建設業界、つまり「公共工事という産業」が嫌いな指導者が、政治経済学的な議論ではなく、好き・嫌いという「主婦感覚」(笑:わかっている人はわかりますね)で行っている議論なのです。
ですから、建設業界からの窮状の訴えなど通じるものではありません。
つまり、彼はこういっているだけなのです。
貴方は私が好きですか?
若し好きならば、私も貴方を好きになりたいと思います。
でも、私の嫌いな「公共工事という産業」(建設業協会)から足を洗ってくださいね。
そしたら、好きになってあげますよ。
ああ。理不尽・・・
つまり、最初から敵の意見は聞く気はないのです。
東スポ的です。
2003/06/07 (土) ▲ ▼
【自分をいじって遊ぶ】
以下は、週刊ダイヤモンド2003年6月7日号,p35 『「こころの危機」自己診断テスト』より引用して一部変更したものです。
YES
→YESの場合右に進む 質問の状態にあてはまれば「YES」、あてはまらなければ「NO」に進む。
回答に迷ったら、その状態が1〜2週間続いている場合には「YES」、一時的な場合には「NO}を選択する。NO↓ NOの場合下へ進む /
NONOの場合左下へ進む YES↓ YESの場合下へ進む
スタート
朝刊を
読む気がしない。
目を通すことは通すが、
何度読んでも内容が
頭に入らない。YES
→会社でも家庭でも
ちょとしたことで
イライラして
しまいがちだYES
→昼食に出ても、
食べたいのもが
決まらない。
好物の料理を選んでもおいしくない。YES
→いつもなにかに
追い立てられて
いるよに感じる。
なにをやっていても
落ち着かない。NO↓ /
NONO↓ /
NONO↓ /
NOYES↓ 夜、布団に入っても、
なかなか寝付けないYES
→このところ、
胃痛が続いている。
胃がもたれる
ことがある。YES
→朝起きたときに
体が重く感じる。
布団からなかなか出られない。YES
→あのとき、
ああしていれば・・・・・・と、
すんだことをいまだに
くよくよしている。NO↓ /
NONO↓ /
NONO↓ /
NOYES↓ 最近、
達成感や満足感を
味わうことが
少なくなった。YES
→休日はなにもしないで
ごろごろしたり、
ぼーっと過ごしていることが多い。YES
→仕事に集中できず、
能率が上がらない。
ミスも増えた。YES
→風邪を引いている
わけでもないのに、
頭痛が続く。
肩や首の凝りが
ひどくなった。NO↓ /
NONO↓ /
NONO↓ /
NOYES↓ そういえば、
スポーツ観戦や
旅行などといった
趣味をしなくなった。YES
→明け方、
目が覚めてしまう。
いったん目が覚めると、
なかなか眠れない。YES
→デスクワーク中、
気が付けば
ため息ばかり
ついている。YES
→今の生活には、
一つも楽しい
ことがない。NO↓ NO↓ NO↓ /
NOYES↓ 抑うつ度0% 好調
上手にストレスと付き合っているようですね。今のライフスタイルを続けて、より快適な毎日を送りましょう。抑うつ度30% やや不調
少し疲れていませんか?自分にあったストレス発散法を積極的に取り入れ、疲れをためないように心がけましょう。抑うつ度60% かなり不調
ストレスで相当疲れているようです。働き方やライフスタイルを見直す必要がありそうです。大事に至る前に社内のカウンセラーや健康管理室に相談することをお勧めします。抑うつ度90%以上 危険
このまま放置すると悪化する可能性があり、危険です。できるだけ早くメンタルクリニックなど、こころの専門家(心療内科・精神科・神経科)に診てもらいましょう。
私の自己採点は、「抑うつ度60% かなり不調」となりましたが、このテストだと、私はどんな精神状態(例えば躁状態)でも、今より良い結果がでることはないと思われます。
たぶん、このテスト、だれがどうやっても、(ほとんどの方は)あまり良い結果にはならないのではないかと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。
例えば、このテストで、抑うつ度0%になるには、スタートからすべて「NO」で答えれば良いのですが、「そんな人いるのか?」というような質問内容なわけです。
さて、私の場合ですが、まず最初のスターでつまずきます。
そもそも私は、朝、新聞を読む習慣がありません。ニュースはTVとラジオ(ホテルによってはTVだけ)を同時に流しっぱなしにして、別なことをしながら確認しています。
なので、正確にいえば、私はスタートさえできないのですが、それじゃ始まらないので「NO」で開始します。
次の質問は「夜、布団に入っても、なかなか寝付けない」という間抜けなものですが、私は爆睡王ですから勿論「NO」。
問題はこの次で、「最近、達成感や満足感を味わうことが少なくなった。」なのですが、これが「YES」なので(例の自己意識満点男ですから当然といえば当然)、ここから混迷が始まるわけです。
そして「休日はなにもしないでごろごろしたり、ぼーっと過ごしていることが多い。」というのが次の質問になるのですが、私には休日ってあるのか?という問題もある。
まあ、休日じゃなくとも「ごろごろしたり、ぼーっと過ごしていることが多い」のでここはとりあえず「YES」。
「仕事に集中できず、能率が上がらない。ミスも増えた。」
ああ、これはあるある、なのです。
確かに最近集中できません。それでイチョウ葉のエキスを愛用していたりしていますが(笑)、考えるにこれは、単純に忙しい(凄まじいスケジュールをこなしている)からなのであって、同時進行的に二桁に近い案件を慢性的に抱えて仕事をしていると、「仕事に集中できず、能率が上がらない。ミスも増えた。」になるのは当然で、むしろその割にはミスは最小限ですんでいたりしているわけで、それは逆に凄いなと・・・でも「YES」なのか、で次へすすむと、
「風邪を引いているわけでもないのに、頭痛が続く。肩や首の凝りがひどくなった。」
あはは・・・これはある。
ついでに最近は耳鳴りまでしている。危ないな(笑)。
そして最後の質問は「今の生活には、一つも楽しいことがない。」ですが、ここのでのキーは「一つも」であって、そんなねぇ、「一つもないの?」って聞かれれば「一つぐらいはあるかぁ」で「NO」。それで、、「抑うつ度60% かなり不調」となるわけです。
「ストレスで相当疲れているようです。働き方やライフスタイルを見直す必要がありそうです。」という指摘は当っています。
そもそも自己意識過剰な私は、自分で反省しながら考えるから「ウツ」になるわけでね、だから、「大事に至る前に社内のカウンセラーや健康管理室に相談することをお勧めします。」ということなのでしょうが、「社内のカウンセラーや健康管理室」ってどこにあるんだよ、桃知商店には、という突っ込みがはいるわけです。(笑)
まあ、あんまり結果は気にしないで、自分をいじって遊ぶような気持ちで試してみるといいかもしれません。
ということで、本日は法政大学エクステンション・カレッジの3回目
いよいよ賑やかになってまいりました(謎)。
2003/06/06 (金) ▲ ▼
【@鹿児島】
桃知@鹿児島です。
今日はお昼頃の飛行機で帰京いたします。
『成長と人材―伸びる企業の人材戦略』
佐藤博樹・玄田有史(編)
勁草書房
2003年2月10日■今必要なものは人材育成(投資)である(その1)
この『成長と人材』の編者の一人、玄田有史氏は、この戯言にも時々出てきます(つまり、私のお気に入りの学者の一人だということです。)
それは、例の『仕事のなかの曖昧な不安』が、(私にとっては)かなり衝撃的なものだったからなのですが(昨年の12月中旬からの店主戯言を読んでいただければ、玄田が沢山出てきています)、それは、私が理解する「公共工事の問題」の一つが、雇用の問題に他ならないからです。
ただ、私のいう雇用の問題とは、単純に建設産業の雇用を守るというようなものではありません。
それは、雇用の急激な変化をおこさないようにしながら、建設産業の従事者に対してIT化教育をおこなう、というものです。つまり、これが私のいうIT化であり、自治体CALSの目指すところとなります(具体例としては、岐阜県建設CALS/EC研修センター)。
それは将来的には、今、働いている方々(人材)への投資を通じて、将来的な建設産業の構造的な変化を視野にいれている、ということです。
それは、自社のこと(既存ビジネスをどう活性化するのか、新しいビジネスモデルをどう構築していくのか等)を考えるのは自社の社員でしかないということです。
さらには、近い将来、多くの建設雇用が他産業へ移行する、若しくは創業・起業する必要に迫られる事態(強制的に「公共工事という産業」を縮小する事態)になったとしても、それに対応できるような人材でなければ、変化は起こりえないどこれか、失業者が溢れ、社会的な費用が増加するだけでしかない、ということです。
つまり、私のいうIT化は、「人をインターネットの精神文化に向かって開放させる」というものですが、それは人材育成の問題なのです。つまり教育の問題なのです。
それは、具体的には、自分自身をIIT化していくことで、『桃論』における、「私の身の上ばなし」のようなものの可能性を、できるだけ多くの方々に理解してもらう、ということなのです。
建設産業は供給過剰であるとし、それを単純に潰すことで、転業や転職を強要させようと主張される方々がおりますが、私はそこには、もっと緻密な設計図は必要なのだ、という立場にいます。
なによりも、そこには人に対する投資が必要なのです。
変化しなくてはならないのは「人」なのであって、それぞれに自分という肉体と生活があります。
そういう人に対する投資という視点を自治体CALSは持つべきだ、というのが私の主張であり、実践してきたことなのです。
さて、この『成長と人材』はビジネス書ではありません(なので何かノウハウ的なものを求めて本書を購入しても何も得られないでしょう)。
これは研究者のための研究論文です。
ただ、それだからこそ、多くの経営者にとっては、見逃すことのできない指摘があります。
それは、成長を続ける企業(中小企業)のカギは、「人材戦略」にあり、不況下でも躍進を続ける企業の成長の条件とは、「育成」「公開」「右腕」「信頼」である、ということです。これをデータを解析しながら証明しているのが本書なのです。
ですから、私にとっては、非常に重要な、そして勇気付けられる資料であることはいうまでもありません。
そして、特に私が注目しているのは、雇用創出と人材育成の関係に対する指摘です。
『雇用創出を進めるためには、売上が向上するよう総需要を喚起し、賃金調達の困難を解消することが重要である。さらには設立年次が新しいほど雇用増加率が高いことを考えると、創業を促進し、従業員規模が20〜50人程度の企業へと着実に成長するような環境整備が雇用をつくりだす。そしてそれらにもまして、企業による人材育成をサポートすることが、長期的な雇用機会の確保と創出を可能にする。人材を育成する質的環境の整備されている企業が増えることによって、雇用機会は量的にも拡大するのである。」(p54)
つまり、昨今大手を振っている新古典経済学的な考え方とはまったく逆なのです。
マクロ的には、壊せば生まれるのでなく、生まれる環境があるから生まれるのであり、ミクロ的には、人材は経費(費用)ではなく、資産として投資の対象でなくてはならない、ということです。
IT化とは人材の育成であり、人材への投資です。
そして、それは「人をインターネットの精神文化に向かって開放させる」ということなのであって、具体的な職業訓練のことではないのです。
このあたりを正しく理解しないと、利権がらみの上っ面な政策がまかりとおり、我が国の人材は質的に下落するばかりで、その後にはぺんぺん草も生えていないかもしれません。
2003/06/05 (木) ▲ ▼
【9時30分の飛行機で鹿児島へ、若しくは、ITは私たちを何処へ連れて行こうとしているのだろうか(自治体CALSについて)】
■今日は何をしに鹿児島へいくのか?
昨日は、飯島の野村建設さんでスタートアップセミナーを開催しました。
私は元々がスロースターターなのですが、昨日はバスに3時間30分揺られたあとでしたから、なかなか調子にのれませんでした、といいながらも事例を含めて4時間ほど勉強会。次回も宜しくお願いいたします。
さて、昨日は、行き帰りで7時間もバスに乗っていましたから、今朝起きたら身体の調子がいささか変なのはしかたがないしても、今朝は今朝で、これから鹿児島まで飛ばなくてはならないというのは、なかなかしんどい状況ではあります。
今日は、鹿児島県建築協会さんにお邪魔して、IT化推進会議を行うのですが、この協会のIT化の取組みは、(知っている人は知っているという)平成15年度の建設産業構造改善功労者表彰の国土交通省大臣を受けています。しかし、詳しくは私も知らないのでした。(笑)
ということで、今朝も忙しいので、メールの引用です。
■開き直り、という手もあり
桃知さん、西原@二死満塁です。
コメントありがとうございました。また店主戯言に掲載されたメールの方ありがとうございます。
まず、高モニター性格と低モニター性格を区別するテスト私全く逆に勘違いしていました。。。
私は2点。再検討したら1点です。すごい低モニター性格、あまりに低いのでびっくりして「自己チュウにはわけがある」図書館に注文してしまいました。読んでみます。
>であれば何からはじめるか、といえば、「人真似」と、自分>自身を語る、ということなのだと考えています。
まず桃知さんの真似やってみようと思っています。
というより桃知さんのプレゼンがちゃんと聞いた初めてのプレゼンだったのでどうしても真似てしまいます。
どうしてもパワーポイントのクリップアートが気に入らなく、フリーランスのクリップアートをパワーポイントにコピーしてしまうのは、桃知さんの影響だと思います。
吹き出し多用とか。
真似と言えば、桃知さんがブランドの説明で使う小道具、ペットボトルのお茶使わせて頂きます。
私はペットボトルの口の先が細くなっているのを使ってTOCボトルネックの概念の説明をしようと思います。
何枚か説明プレゼンして
「どうやらまだ解らないようですね。では・・」とペットボトルを出すという方法。
しかし先日勉強会でやってみようと思いペットボトル仕込んでいたのですが完全にテンパってしまって、使えませんでした。
今回は落ち着いて頑張ってみます。
太田さんの使う、「私の情報源は週間大衆とゴルゴ13(^_^)」っていうのも使ってみたいと思っているのですが入れるところ思いつきません(^_^)
微妙に下ネタ入れるとか。うまく入れられるといいなと思ってます。
先日の大阪二人会の時私がメモっていたのは、どこで笑いをとっていたかだったりします。
内容がかなり理屈っぽいので、一人だけにでも伝えられ楔を打ち込めればと思っています。
自分自身を語るについては、まだ自分が確立できていないのでなかなか難しいというのが実感です。
一番大事な事なのでしょうが、、
案外、「開き直り」というのも、西原さんの場合には、効果抜群だったりするんじゃないのかねぇ、と、ふと思ったのです。
■たろさらしさ
ども。たろさです。先日はお世話になりました。
で、師匠の持ってたAirH"の端末。買っちゃいました。小窓が付いてないほうのやつですけど。結局、128の契約してても使えるところが無いし、ちょっとしたHPの閲覧なら32kで十分かなと思いまして。
いちいちケーブルで接続しなくちゃいけないのが面倒ではありますが、まぁ、最近はそう頻繁に使うわけでもないのであんまし問題ではないと思ってます。
もうひとつの理由は、今度、家の回線をBフレッツにすることにしました。
で、固定電話の回線がいらなくなったので、固定電話の代わりにAirH"phoneにすることにしたのであります。
うちは街中にあるくせにドコモの電波が非常に悪いのです。家の中に入ると圏外になることもしばしば(涙)。
とりあえずAirH"なら滅多に(笑)圏外にならないので、こっちのほうが便利なんですわ。
Bフレッツは12日に開通予定であります。(嬉)
さて、ピン芸ですが。最近は「ピン」と聞くと「PiNMeN」というCGのアニメを思い浮かべてしまいます。これ、お勧めでっせ。DVDも出てますので、是非一度ご覧ください。
ゴミメールでした。
んじゃまた。
たろさは相変わらずたろさらしくて、貴方の文章を読んでいると和みます。
しかし、「PiNMeN」(ピンメン)は知りませんでしたので、なんだいそれは?、というこで調べてみたら、以下の通りでした。
『圧倒的な科学力を持ち、戦争さえもとうの昔に過去のもととなっている、非常に高度な文明を持つ、地球から遠く離れた星に住む宇宙人、「PiNMeN」。だが、彼らは重大な問題を悩みとして抱えていた。それは、星をあげてのとてつもない貧困。だがそんなある日、彼らは遠い銀河系に、水と緑があふれる惑星があることを知り、その星、地球へと出稼ぎに向かう。という基本設定を背景に、必死でありながら非常に間抜けなため、笑いを呼び起こさずにはいられない彼らの姿を、毎回約3分間に凝縮したショートストーリーで見せていく、不思議な魅力の作品集。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭他、各地の映画祭で好評を博し、2002年からはCSのアニマックスにて放映されたCGアニメーションシリーズ。(田中 元) 』(Amazon)
なんだかよくわからないけれども、なにか凄そうです(笑)。
たろさらしくて納得しておりました。
■ITは私たちを何処へ連れて行こうとしているのだろうか(自治体CALS)
ももちさん ○○です。
しょうもないネタですが
地方自治体のCALS担当系の方とお話しする機会がありまして、桃知さんも関与されている、某米ところの話です。
「※◎県の実証実験をおこなうため、ワーキンググループを立上げたかったが、労働組合からクレームが付き、大幅に実験が遅れてしまい、また実験範囲も出先事務所各1名づつを予定していたが、大幅に縮小されてしまった。」とお嘆きの様子でした。
電子化が人員削減に繋がるとかで、もめたそうです。
まだこんな自治体もあるのですね、と、さすが鶴の一声で予算がくるような政治家がいたところだと思いました。
僕は、隣の県民として周辺自治体の地盤沈下は、相対的に住んでいる県が優位になるので、とても喜ばしい事だとお話ししました。
CALSをすすめる上での視点の違いでしょうか。
鬱が重くなりましたでしょうか?
また、ある方は電子納品されたものの活用や保存について費用がかかるので、業者が自主的に行う電子化についても消極的でした。
僕は、どうせ従来も見てないのだから 衣装ケースと同じように保存しておけばいいのでは。
CD1枚ですむのなら保存場所の坪単価は確実に安くなるし、そんな程度から始めればと話しました。
せめて受注者の自発的な電子化の足は引っ張らないでとお願いしました。
どうも電子化されたものはデータベース化して活用しなければと、思いこんでおられるようで こりゃ大変だと感じました。
費用をかけるから活用方法に悩む。それなら、費用をかけないCALSもあるのにね。
自治体の体力に合わせて、今すぐできるものと出来ないものの切り分けが必要だと思います。
なんでもかんでもお上の言うとおりにしなくてもいいのになぁと・・・
復活の日を お待ちしています。
例の件 別紙日程でお願いします。
桃知です。毎度ありがとうございます。
まずはこの場を借りて「別日程」で了解でございます。
さて、私の「ウツ」は、そこそこは復活しております。まだ脳みそに切れがないこと自覚はしておりますが、まあ大丈夫でしょう。
5月上旬を、50%のデキとしたら、今は55%位にはなっております。(笑)
しかし、CALSって言葉はやっぱりよくないですよ。
某MLに、『私が思うに、最大の誤解は、“CALS”ってことじゃないでしょうか?
否、“IT化”なんですよね。
太田先生曰く;「IT化で何を得るのか」、
桃知先生曰く;「IT化は何処へ私たちを連れていくのだろうか」
そう云えば、“CALS”セミナーって死語ですもんね。
“IT”セミナーですよね?』
という一文が投稿されておりましたが、(この解釈は本当は難しいのだけれども)とりあえずはIT化でいいのじゃないでしょうか。
であればIT化とはなにか?と考えれば良いのであって、『桃論』曰く、それは人をインターネットの精神文化に向かって開放させるものなのです。
そこには組合もなにも関係ないですし、IT化は、だれかの既得権益や、特定の方々の幸せのためのものではない、という理解が存在しています。
そういう共有しなくてはならないはずの基本的な理解(素養)がないままに、小手先でこちゃこちゃとやるから、みんな閉塞してしまう(つまりなにも変化しない)のであって、辛らつな言葉遣いをすれば、ことCALSに関しては、それを推進しなくてはならない方々の素養のなさに対して(一部の私の理解者除いては、という注釈がつきますが)、私は、どうしようもないぐらいに失望しているのです。
一部、私の理解者を除いて・・・と書くと、それはとてもいやらしいのだけれども、いかんともしがたい事実なのであって、その格差はさらに大きくなっているようです。例えば、岐阜県と隣県:特に長野県の現状を比べてみればよろしいでしょう。
自治体CALSには私がつけた定義があります。
「○○県の建設CALS/ECは、○○県の公共事業システムを支援するために、デジタルデータの生成、交換、管理、及び使用をより一層効果的にするための○○県と○○県の建設産業界の戦略である。○○県の建設CALS/EC戦略の主な目標は、人手による紙中心の公共事業システムの運用から、統合された高度に自動化された調達及び支援プロセスに転換することである。」
ただこれだけでなのです。
ただし、この『○○県と○○県の建設産業界の戦略である』という一行の背景は恐ろしく深くて、この理解に素養のあるなしが出てきてしまうのです(と分かるのに5年かかった)。
ですから、かくいう私でさえ、まだまだ考えが甘い2000年の3月17日には、馬鹿丸出し状態で(↓)のように書いております。
これは、自治体CALSの理解としては30点ぐらいかもしません。(甘いか・・・0点?)
これを可能ならしめる要因とは、「公共事業」という型にはまった市場構造を破壊するという意味での「トップダウン」と、競争力のある建設企業の実現という意味での「ボトムアプ」にあると考える。どちらか一方だけでは決して達成できるものではないだろう。
特に、後者は、グローバリズムが支配的な経済システム下における、官公需法に頼らない地域経済の活性化という視点であり、地域に生きる建設企業を特徴づける作業である。建設CALS/ECがこの役割を果たせるのか否かは、今までの中央政府主導の地域コミュニティの情報化の多くの失敗がそうであるように、上意下達的な政策では達成できないものだといえよう。
200年3月17日 【地域コミュニティ】より抜粋
しかし、CALSの本質は見事に書いています。つまり(↓)の部分。
これは我ながら偉い、と思います。(笑)
『グローバリズムが支配的な経済システム下における、官公需法に頼らない地域経済の活性化という視点であり、地域に生きる建設企業を特徴づける作業である。』
CALSが本来持っているベクトルの理解としてはこれでいいのですが、でも、問題は、これはいうほど易しくない、というか、そもそも「公共工事という産業」の環境と原理を理解しない発言だと気づくのに、この後1年ぐらいかかるのです。(笑)
ということで、行って参ります。
本日は鹿児島泊です。
2003/06/04 (水) ▲ ▼
【6時45分に家を出る】
今日の私はハードです。
行き:新宿高速バスターミナル 8:00 → 飯島 11:36
帰り:飯島 18:19 → 新宿高速バスターミナル 21:35
子供会の日帰り旅行じゃないって。(笑)
■ピン芸についての唯一のメール
今回の「ピン芸」にかんしては、意外と反応がなくて、これは某MLに投稿された唯一の関連ネタです。
■講演観
一時期専門学校の講師をやっていました。
指導教官から、あの学校に行って、授業やって来い!
(この時点で断れません)
で、行ってみれば、こういう内容の授業をしてくれ。
このテーマで話してくれと・・・
私の専門は○○です、とか研究テーマしか話せません、とは決して言えないんですネ。
私は、人前で話すのは上がり性の上に、専門外の分野では勉強不足でまともな授業ができませんでした。
学生の私語は当たり前、ひどい時には授業中に唄を歌われ・・・
自信をなくし、2ヶ月程休暇を貰い、寄席やトークショー、ライブに行っては、何かきっかけを見つけたいと悪あがきしておりました。
で、得た結論は、
1.とにかく日々勉強しよう。何か一つでも良いから新ネタを仕入れてマイベストを尽くそう
2.上がっても良いから、自分をさらけ出し、自分の言葉で思いを伝えよう
3.生徒(お客様)にも参加してもらって、双方向の場を作ろう
西原さんの様なキャリアのある方なら、何の心配もございません。
ガンバ!です。
■ももこむ通信について
このところ「ももこむ通信」が配信されていませんが、
どうしたのかなと思っています
お元気でご活躍ならいいのですが
心配しております
というメールをいただきました。
ご心配ありがとうございます。
「ももこむ通信」が配信されない最大の理由は、5月中、私は極度の「ウツ」状態にあったからです。
なんといってもこれが最大の理由です。
それから、先月の30日にも書いたように、今の私は「実践モード」とでも呼ぶべき状態にあって、オープンセミナーのような、プロモーション系のお仕事は極端に少なくなっている、つまり、皆さんにお伝えするようなものがなくなってしまっている、ということもあります。
一時、実験的に、この戯言の内容を「ももこむ通信」で配信してみるという冒険もしてみましたが、同じ内容ですから、なにか資源(トラフィック)の無駄遣い的な後ろめたさを感じてしまって(なにしろウツですから)、止めてしまっているわけです。
そして、今のところ復活の兆しもない、というのが現状でございます。
2003/06/03 (火) ▲ ▼
【ピンのお仕事】
6月3日・・・今日はムーミンの日らしい。
(このはなしを、何故に書かなくてはならないのかは、私のミーム論の講演を聞いたことがない人は分からないのであって、それはご愁傷様なのです。)
■ピン芸
西原さんより。
セルフ・モニタリング私は8点でした。
私も躁鬱かなりある方です。というより大失敗することが多くて、、、
桃知さんは10点と言うことは以下は○という事ですね。
意外です。
>7・ジェスチャーのようなゲームやアドリブは、苦手である
さて、最近小さな勉強会で話してくれという依頼が来るようになりました。かなり小さな規模なのでぼちぼち話している感じですが、先日○○工事協力会で管理者層100人程度に「建設業を生き抜くための条件」というテーマで講演依頼頂きました。
話す内容は、TOCしかないのでそれで行きますが、規模が大きいので少しとまどっています。
(正直言ってびびっています。)
周りにフォローしてくれる人だれもいないですし、、
桃知さんは数々の大舞台に一人で挑んできたと思うのですが、どういう心構えでやってこられてきたのか不思議です。
特に初めての大舞台などでびびったり、セミナーの慣習がわからなくて困ったりという経験はあるのでしょうか?
料金について問い合わせ頂いているのですが、これもよくわかりません。
(ざっくり)
良ければ初めて大きなセミナー依頼を受けたときの心境、心構え、失敗など教えて頂ければ幸いです。
最近桃知さんが何故落語を参考にするのかわかってきたような気がします。
最初に、
『桃知さんは10点と言うことは以下は○という事ですね。
意外です。
>7・ジェスチャーのようなゲームやアドリブは、苦手である』
というのは、誤解されています。
これはノーでいいのです。奇数番号はノーで1ポイントになります。
■ピン芸としての講演観
さて、芸界では、一人で芸をする芸人さんを「ピン」と呼び、その芸を「ピン芸」といいますが、講演というものを「ピン芸」のひとつだと理解している私は、アカデミックな方々から見ればかなり下品な存在なのだと思います。
そもそも講演の必要性とはなにか、と考えたとき、つまり、ビデオでもなく、本でもなく、講演なのだ、という時に、そこにお客さまが期待するものはなにか、と考えると、それはライブ感とでもいえるものではないのかと思います。
このライブ感という言葉も、かなり漠然とした概念であって、多分いろいろなものが含まれているのでしょう。
例えば、『桃論』を読むことで私の考えていることを理解するのは、かなりの努力を必要とするのですが、これが、私の講演を聴くと、すんなり(ある程度ですが)理解できるかもしれないこと(若しくは、という期待:理解の短絡化への期待)だったり、その場の空気(雰囲気)を共有することで生み出される、心の高揚のようなものもあるでしょう。
(私の講演はわざと毒舌ですから)もしかしたら、現実をあからさまにされることで得られるカタルシスのようなもの期待してこられる方もいらっしゃるのかもしれません。
でも、私自身は、この仕事を始めた当初から、講演についてはある大認識を持っていまして、それはなにかというと、「講演は私のものである」ということです。
それは、どういうことかというと、まずは、誰がなんといおうと講演はピン芸だということです(私は「PPT芸」というものをマジで確立しようとしているわけです)。
そしてそれは常に自分自身のプレゼンテーションにほかならない、ということです。
つまり、「講演」は、(「ピン」としての)私にとっては、大切な表現の場であり、(ビジネス・マンとしての私にとっては)大切なプレゼンテーションの機会なのだ、と理解しております。
■芸を磨く
であれば何からはじめるか、といえば、「人真似」と、自分自身を語る、ということなのだと考えています。
私のお弟子さんは、時々私から強制的に講演をさせられますが、皆さんここから始まります。
そしてそれを繰り返すことで(つまり身体が覚えることで)、場の空気を感じとり、その空気と相互作用的にはなしができるようになれば一人前なのだろうと考えています。つまり、場をコントロールできるようになるわけです。(完全じゃないですけども)
「講演は私のものである」といいながら、「人真似」からはじめろとは、言語矛盾ではないかとおっしゃる方もおられるでしょうが、これでいいのです。(「ミーム論」:わかんない方はわかんないことを自慢しないで、私の講演でも聴きにおいでください)
それで、私は(師匠がいませんでしたから)誰の真似をしたのかというと、ピンの方々のやり方を真似たのです。つまり、芸人が私の先生です。
『桃知さんは数々の大舞台に一人で挑んできたと思うのですが、どういう心構えでやってこられてきたのか不思議です。』
『特に初めての大舞台などでびびったり、セミナーの慣習がわからなくて困ったりという経験はあるのでしょうか?』
私は、こと「人前ではなす」ということだけに関しては、性分なのか、上がったり、萎縮してしまったことはないのです(そんな風に私をつくってくれた両親に感謝しております)。
それから、なによりも大切なのは、これが私の職業なのだ、という自覚だと思います。
つまり、私はプロ(職業人)として講演という仕事をしているのだ、という自覚は必要だと思います。
(つまり、この話題(芸)に関しては誰にも負けない、というようなそんな気概。)
でも、私がこの仕事を始めた頃は、そもそもがプロ根性はまるきし欠けておりましたので、逆にお気楽に仕事をさせていただいたというのはあります。
ですから、考えてみると、仕事を始めたばかりの頃の方が緊張感というものは欠けていたような気がします。
しかし、こうしていっぱしに玄人として講演をこなすようになってきますと、こなせばこなすほど考えること(反省すること)が多くなってきているのも事実です。つまり「芸を磨」くということばの重みを感じていたりします。
(このあたりが私をして、芸人ぽくなってしまっている部分なのだとお思います。)
それはプロ意識(自分の芸に対する責任感)ができてきたということかもしれませんが、昨日書きましたように、それが「ウツ」の原因にもなってしまっているのも事実なようです。
ということで、なんの答えにもなっておりませんでしょうが、ご参考までに。
2003/06/02 (月) ▲ ▼
【桃知としての生き方】
■宮崎で食べたもの
さて、宮崎には第一建設さんのイントラネット勉強会の為にお伺いしたのですが、お昼も夜も、鳥肉をご馳走になったのは宮崎ならではございましょうか。
お昼は、ご存知「おぐら」のチキン南蛮でございました。
これは、私個人の中でも、何本かの指に入るご当地グルメ(既に経験済み)でございますので、安心して食べさせていただきましたが、夜に出てきたものが大変なのものでございます。。
つまり、これは鳥の家というお店の「宮崎地鶏の炭火焼き(骨付き)」というものですが、まあ、この画像だと、なんだかよくわかりませんでしょう。
つまりは鳥の足ですね。それを骨付きのまま、豪快に焼いたものを、ナイフとホークで刻んで食べます。まあ、これを酒の肴にして一杯やるのです。
食べる方は、これを2本も3本も食べるそうなのですが、私は生ビールに鳥だらけ。
プリン体は体中に充満してしまいました。
■ニセコでなにをしたのか
ちょっと古い話ですが、先月ニセコでラフティングをしたときの写真がとどきました。
まにあ・1号さんの解説付です。この日の尻別川の水温は5度。とても寒かったのですが、とても楽しかったのです。
犬ぞりといい、この川遊びといい、アウトドア派には、北海道はたまらないところなのでしょうね。
私は、モットーが「無理をしない」なのでなんなのですが、まあ、楽しいぜ!なのです。
■自己意識について(ウツとの関係)
さて、自己意識についてのつづきです。昨日書いたように、私は、この自己意識についての本(『自己チュウにはわけがある』)を読んだのは、自分自身に訪れる「ウツ」について調べるためでした。
この本によれば、ウツ病は、『環境や認知の仕方』(齊藤,p78)に問題があるとされています(認知の仕方というのは、自己意識の問題です)。
本来、人は不快なことを避けようとしますから、失敗したときには、自分を意識しないようにする、と考えられています。
『しかし、なかには、逃げ出さない人もいるのです。逃げ出さないどころか、失敗したときにこそ、自分を強く意識してしまう人もいるのです。グリーンバーグ(社会心理学者)は、そのような失敗時の自己意識の高まりが、抑ウツ状態を生み、ウツの人間をつくりだすのではないのか、と考えたのです。』
『では、なぜ、そのような人は失敗を直視することから逃げ出そうとしないのでしょうか。』
『それは、その失敗が自分にとって重要であると考えるから、逃げ出さないのです。』(齊藤,p80)
ということらしいのです。
つまり、私は例のテスト(つまり↓)では、すべて○、と自己分析しているように、極度に自己意識が強いのです。
そんなものですから、この自分について考えること(自己意識)が極度に走り始めると、確かに私は「ウツ」状態になっているようです。うまく行かなかったことがあると、つい考えすぎてしまいます。
- 自分のしたことについて反省することが多い
- 人が自分をどう思っているのか気になる
- 自分の気持ちに注意を向けていることが多い
- 人に良い印象を与えているかが気になる
- いつも自分のことを理解しようと努力している
- 人に自分をどう見せるかに関心がある
- いつも自分がなにをしたいのかを考えている
- 自分の外見が気になる
- 自分自身の感情の変化に敏感である
- 自分の髪形や服装にはいつも気をつけている
『それは、その失敗が自分にとって重要であると考えるから、逃げ出さないのです。』ということなのですが、これは決して悪いことでではない、と齊藤先生もいっています。
つまり、『失敗を正面から受け止め、自らの向上に努めようとするわけです。このような自己反省や向上心は、人間が成長する上で必要ですし、すばらしいことです。ですから、これを否定するわけではありません。それにそうした努力をする人を批判するわけにもいきません。むしろ評価すべきです。』
『しかし、人間の徳目のような反省と向上心も、心のもつ二面性から開放されているわけではありません。真面目すぎる反省とあくなき向上心は、常に自分の失敗を注視することになります。』
『その結果、反省する人ほど失敗に敏感で、しかも、長期的にその失敗を考え続けることになります。つまり、失敗をひきずることになるのです。』(齊藤,p81)
つまり「ウツ」になりやすい。
ではどうすればいいのか、といえば、ここで必要なのは、要は「気分転換」なのであり、それこそ不良中年としての「桃知」としての生き方、ということなのです。
つまり、私がこれだけ極度に自己意識が高いにもかかわらず、そして様々な失敗の中で生きているにもかかわらず、ウツが時々やってくる程度ですんでいるのは、不良中年としての「桃知」として生きているからだろうなぁ、と自己分析することができたのです。
■セルフ・モニタリング
この本にかかれていることを、こうして(ほんの一部を)抜粋しているのが最近の戯言なのですが、たぶん、実際にこの本を読んでもらわないことには(私も心理学の専門家ではないので、自分の言葉で説明などできませんから)、多くの皆さんは、なんだかよくわからない、若しくは、断片的な理解で、誤解してしまうことになりかねないとは思いますが、先にキーワードとして挙げていた「鏡」についてふれてみたいと思います。
まずは、引用です。(つまり、私自身のことばでまとめきれなかった、ということです。)
私は講演が嫌いだと前に書きましたが、だからといって、講演の評判が悪いわけではありません。もちろん、講演の主催者側が講師に対して、不評だなんて言うわけはなく、どんな講演をしても「よかった」と言われますから、本当のところは分かりませんが・・・・・・。
しかし私の講演は、講演嫌いであるが故に、できる限り一人で長々としゃべらないように努力しているのです。講演でしゃべらなくてどうするんだと疑問をもつと思いますが、しゃべる代りに実演を入れたり、自己診断テストをしてもらったりします。
話し下手な私は私なりに、いつも聞き手に合わせて話をつくっていく努力をしているのです。そのため、あとでどっと疲れが出て、またまた講演嫌いになってしまうのです。
このように相手の反応を見ながら自分の行動をチェックし、相手に対応することを、対人心理学ではセルフ・モニタリングと言います。モニターはビデオカメラなどでおなじみなので、お分かりと思いますが、監視カメラのことです。
つまり、セルフ・モニタリングとは、いつも自分の頭の上に監視用カメラをもっていて、自分の行動と相手の反応をモニターして、その画像を脳のコントロールセンターに送り、そこで両方の行動をチェックし、自分の行動を相手に合わせて変えていく、という心理メカニズムです。
このセルブ・モニタリングはふつうの人なら誰でも行なっているものです。だから人問関係が、とんでもなく喰い違ったりはしないのです。また喰い違っても、すぐに修正されるわけです。特に初対面の人同士のときは、このモニターがフル活動し、相手の行動から情報を集め、自分の行動を変えて、相手に合わせようとします。そのため、最初の会話はギクシャクしていても、しばらくすると、話は落ちつきはじめるのです。
人と人との間で生きる
このようにセルフ・モニタリングは、対人関係において、重要な役割をはたしています。
対人場面において、目分を相手に見せていくことを自己呈示、セルフ・プレゼンテーションと言いますが、対人状況を見ながら、つまりモニターしながら、自己をプレゼンしていくことによって、その場の関係をうまくすすめていくことができるのです。人問はよく言われるように、元来、人の間、つまり人と人との間で生きている社会的動物です。誰もが、このようなモニタリングと、相手に合わせた自己呈示の能力を持っていて、それを対人場面で使っているのです。
以上、齊藤,p164-166
このセルフ・モニタリングという考えを提唱したスナイダーは、高モニター性格と低モニター性格を区別するテストを作成しています。
1・人のマネをするのは下手である
2・自分があまり知らない話題でも、適当に話を合わせることができる
3・人に好かれようとして何か言ったり、やったりしない
4・人を楽しませようとして冗談を言ったり演技をすることがある
5・私は目分が本当に信じていることしか話せない
6・私は状況と相手によって、振るまいを変えることができる
7・ジェスチャーのようなゲームやアドリブは、苦手である
8・私は外で見せている顔と心のうちとが違うことがある
9・人前に出ると気まずく感じ、思うように自分が出せない
10・本当は嫌いな人でも、親しげに振るまうことができる
イエス、ノーを答え終わったら、奇数番号のノーの数と偶数番号のイエスの数を加算してください。最高は一〇点、最低はO点です。セルフ・モニタリングについて話したあとの質問ですから、見え見えですが、別に試験のように正誤はありませんから、正直に答えてください。
合計点が六点以上、それより高ければ高いほど高モニター性格、四点以下、それより低ければ低いほど低モニター性格ということになります。(以上、齊藤,p175)
私は10点満点のウルトラ高モニター性格となりました。(まあ、あれだけ自己意識が高いのですから当然ではありましょうが)
ということで、今日はおしまい。それで、またまた続くのであります。
(そろそろ私も飽きてきました・・・)
2003/06/01 (日) ▲ ▼
【今日はお冨士さまの縁日です】
宮崎出張は無事終了し、午前11時15分羽田着のANA便で帰ってきました。
以下のようなメールをいただいておりました。
・・・凄まじい主婦です(;_;)おまけに今日の桃知さんの続きをみたら、私はすごい自己中ということになるんですね(;_;)ショックでご飯が喉を通りませ−ん・・・・
うーん、自営業の家に育って子供の時から会社の宴会に連れて行かれて、親の後ろにくっついてお客さまたちにご挨拶する事を覚えたので、宴席や集会では常に他人のお酒の量や会話に気配り、場をもりあげていく典型的日本伝統の和を大切にするタイプと自分では思っていたのですが・・・
偶数の設問に○をつけられなかったのは「気になる」と自分の事を聞かれていたからだと思います。自分の事より「他人」の事に気がいくし、「気にする」というのはどうしても私的に「悲観的に」見てしまうてというのがあるのかも。
って、元々この問題は「自意識」の問題ですから、もしかして頭を切り換えて答えなければならなかったのかもしれませんね(;_;)失敗しました。
鏡がどうからんでくるのかとても気になります。まさか「一日一度は鏡を 見て自分の顔をみましょう」なんて答えじゃないですよね(_ _@ または「自分の前にいつも鏡があるつもりで」なんていったら怒ります(`´)
『自己チュウにはわけがある』
齊藤勇(著)
文芸新書
2001年6月20日一つお断りしなければならないのは、今まで私が書いてきました、自己意識についてのはなしは、私がそういっているのではなく、齊藤勇氏が『自己チュウにはわけがある』で書いていることですから、私の意見ではないことをまず理解していただく必要がございます。(笑)
そして、私がこの本を読んだのは(これはお蔵入りしていた本であって、購入したのはずっ前)、自分自身に時々訪れる「鬱(ウツ)」の症状とはなにか?を知りたかったからです。
それで読んでいるうちにあることに気がついたわけですが、それをどう表現したらいいのかは、まだまとまっていないのです。
なので、講談か紙芝居のように「つづきもの」になってしまっているのですが、本日は、宮崎でのつかれもあり、この手のはなしはをやる気は、まったくありませんので、ここまで、です。続きは、明日のココロだ〜(小沢昭一調)ということで、ごきげんよう。
▼
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