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店主戯言0030701 2003/07/01〜2003/07/15 "There goes talkin' MOMO"


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2003/07/15 (火)  
【夏の催しは結構盛りだくさんなのかもしれない】

■暑気払い

今日のわたしゃ、ANA 053 東京(羽田)(0800) - 札幌(千歳)(0935) で北海道へ移動。
18日に帰るまで、ずーっと北海道なわけで、それはそれで大変なのだけれども、雨でうっとうしい東京よりは、ずっと身体にいいかもしれない。


さて、トップページにこういう告知をしてみた。

■桃知商店の暑気払い開催のお知らせ■
日時 2003年8月9日(土)午後3時より午後5時ごろまで。
            午後5時より午後7時ごろまで。
その後は、夏の浅草をお楽しみください。
場所 ビアレストラン フラムドール(http://r.gnavi.co.jp/g242901/
東京都墨田区吾妻橋1-23-36 スーパードライホール 1F 2F(例のう○こビルです)
会費 5000円程度を予定しています。
定員 50名程度
申込方法 電子メールでのみ受付いたします。
氏名・住所・会社名・連絡先の電話番号ををご記入の上、店主へメールでお願いいたします。
mailto:pinkhip@dc4.so-net.ne.jp
定員になり次第〆切ります。

今年の暑気払いは、本当に単純にビール飲みと懇親が目的であって、その上参加はオープンなのである。昨年までの暑気払いは、一応クローズでやってきたのだけれども、今年はとにかくオープンでやってみよう、と早くから考えていた。

しかし、こんなノー天気な企画(つまり、セミナーとか講演とかは一切ない)で、単純に飲んで懇親することに意義を感じる方なぞいらっしゃるのだろうか。まあ、そういう奇特な方々の集合体が、桃知商店のコミュニティなのだと信じてはいるが、こんな企画が成立するのだろうか、とだんだん心配になってきているのも事実なのだ。

まあ、最初から心配していても始まらないので、とにかく告示してみたわけだが、参加して馬鹿な桃知と飲んでみようか、という奇特な方がおられましたら、宜しければ、一緒に一杯やりましょう。それもお天道様の高いうちから・・・。★\(^^;

一応、定員になり次第〆切らせていただきますので、お早めに店主へメールでお申込くださいませ。m(__)m
とは書きますが、本当に定員になるのだろうか?という心配の方が大きいのだな、これが。


■鹿児島3連発

そしてオープンセミナーのご案内からは、鹿児島3連発のお知らせなのである。

■鹿児島県建築協会3連発 −日本の夏、熱い鹿児島−

1.鹿児島会場
2003年7月24日(木) 鹿児島県歴史資料センター黎明館 講堂
2.大隅会場
2003年7月25日(金) 鹿屋商工会議所 会議室
3.奄美会場
2003年年8月1日(金) 奄美文化センター(奄美振興会館)第2会議室

詳しくはオープンセミナーのご案内をご覧ください

このセミナーは、本来、(社)鹿児島県建築協会さんが会員さま向けに準備されていたもので、クローズなものだったのだが、なんと、この協会さん、太っ腹なことに、すべてをオープンセミナーとして、一般の方にも、講演を開放してくださることになったわけだ。しかも、無料で。(^O^)/

さすが鹿児島、薩摩隼人の国は芋焼酎も旨いが気持ちもでかい。

この講演3連発、その内容は、いつになく、実践的なIT化について、を予定している。効用は、IT化がなんだかわからない方、IT化でなにもうまく行っていない、建設業にIT化なんて入らない、というような、IT化不審病の解消という、いわば聴く薬的な講演を予定している。(つまり、目から鱗というやつだ)

詳細及び申し込み方法は、オープンセミナーのご案内を参照していただきたい。
尚、申込期日が迫っているので、思い立ったが吉日、お早めにお申込頂ければ幸甚なのである。

当然に、懇親会もオープン参加できるので、日本の夏を、暑い鹿児島で、芋焼酎を飲みながら、桃知と熱く語りあいたい(たぶん私の周囲はセ氏60度は越ええるだろう)という方は、お見逃しなく!なのだ。


■中年になったなぁ

お嬢・2号さまより

ももちさんへ

ご無沙汰です。
毎日、帽子をかぶり汗をふきふき、
中年パワーを炸裂させている旅姿(すいません・・よい表現だと思っているんです!)
ふと、想像してしまいます。

ももちどっとこむを読むたびに
どきどきする「言葉」がでてきて、ノドのおくがひりひりします。
(どきどきしたら、そうなります。)

今、「第一回パソコン講習」を行ないました。
資料はねえさんが、まとめてくれました。
参加者は、統括部長、部長、課長から
現場の方々も戻って来てくれて
かなりの人数になりました。

本当に、パソコンの起動から入るような「初級編」でしたが
みなさん、「これわかる」「これはわからん」と
質問してくれるし、あー、なんだか地味だけど、
ほふく前進してるんかなぁって。

そう、月曜日に支社長の机の上に
宇○美○の○田さんから頂いた「建設経営セミナー」なるビデオを置いて
メールいれておいたんです。

メールは「見てください」ぐらいしか書けなくて
でも、読まれたのか声はかけてくださりました。

で、もう今週おわっちゃんですが
まだ、「見た」ともなんとも・・・・。

でもよく考えたら、「支社長」!ですから・・
とんでもないことしてしもたんかなって。

ともかく、動かないと
なんもならんし、自分も変わらんし、
でも、地味ではあるけど、動いてきてるのかもって。

それは、一人でやってないからやと思っています。

まだまだ、まだまだですが、
止まらずやっていこうと、今改めて思いました。

では、これからますます暑くなり、プリン体の摂取も増えることと
思いますが、中年パワー☆炸裂で飛ばしてくださいね。

それでは股です。
がんばります。

あいかわらずの細腕繁盛記(なのか?)、ご苦労様なのだ。
銭の花は白い・・・ITの花も白いのかな?
あきらめないことはとても大切な成功の秘訣だと思う。

そういや、こう書かれてはっと気が付くと、私も立派な中年なのである。
いつの間にかに、そうなってしまった。

肉体は死に向かって常に変化しているから、四十五にもなれば、身体はいたるところにボロが出てきている。
その上、四十五年間、ただ生きてきたわけじゃないから、そりゃ、精神的にもだいぶくたびれてきている、っていうか強くもなってきた。

しかし、そういう身体的、精神的なしわが、顔にも出てくるようになったせいか、自分でもいうのもなんなのだが、最近、帽子が似合うようになった、と思う。

若い頃は、自分自身、とても帽子が似合わない顔だと思っていたが、いつの間にか、若さはないけれども(その上元気もない)、それなりの顔になって来たのだなぁ、と思う。


■そして帽子の噺

ちょっとしたウダ話を一つ・・・。

昨日,家族でデパートへ行って参りました。夏に向けていろいろ準備しておくものがあったので,店内をくまなく廻っていた時のこと。 夏用の帽子のコーナーがあり,やっと自分に合った帽子を手に入れることができました!
自分は帽子の似合う男こそ本物の男!という偏屈な持論があり,いかに自分が似合う帽子を探し出すか・・・・これがちょっとしたテーマでもあります。基本的に野球帽(キャップ)が好きなので,デパートなどに行ったときは,あれこれと試してみるのですがなかなか無い。TPOに合わせて被り分けたいのでいろいろと探すのですが,いざ試しに被ってみると心の底から湧いてくるため息・・・

どうして合う帽子がないのだろう・・・・

判りました。自分は単に頭がでかいのです。顔もでかいのです。

会社ではモアイ像・ダルマ落としのダルマさん・卓球のラケット・・・・など,好き勝手言われています(ショック)。

寸法で言えば61cmですか・・・・。

顔や頭がでかいと殆どの帽子は被れません。考えてみると幾つか帽子を持っていますが,その殆どはサイズ調整のアジャスターが目一杯開いています。  めちゃくちゃ気に入っている帽子も,いざ被ると頭に乗っかっているだけの状態。 わしゃカッパか・・・・?

話が長引きましたが,昨日手に入れた帽子は何と!キングサイズ! 通常,帽子のLサイズというのは55〜59cmです。自分は59cmにして被ってもカッパ状態・・・。 キングサイズは60〜63cmなんです。 それだと,ぴったりフィット! 何度も被っては鏡を見ています。
やっと手に入れました・・・・。メーカーやブランドはいいんです。こだわりません。自分の場合は先ずサイズ探しから始まります。

家に帰ってビールを飲みつつ手に入れた帽子を眺めながら・・・

店主戯言  2003/07/03 (木)  【帽子をかぶる人生】

を思い出しました。  たしか,ボルサリーノの帽子でしたね。 どのようなものなのか,自分では初めて聞くブランドだったのでインターネットで検索して・・・あぁ・・・こういう帽子のキングサイズは無いものだろうか・・・・。

気に入った帽子を手に入れたときの気持ちは,何とも言い難いものがあります。 しかし・・・帽子は帽子の大きさと,顔の大きさのバランスが合わないと何もかも台無しです。

今度,桃知さんと宴の席を設けるときは,参加条件として『帽子着用』としてみましょうか・・・帽子談義をしてみたいですねぇ。

ウダウダ話で失礼しました。ではまた!

大○さま、ありがとう。
大阪で、皆で酒飲みできる機会を、作らなくちゃね。

ちなみに、私の帽子のサイズは60で丁度かな。今のボルサリーノは61なのだけれども、ちょっとでかい。

2003/07/14 (月)  
【久しぶりの今週の読書】

雨は降るし、朝から、なにかさえない日なのである

これから知識社会でなにが起こるのか
『これから知識社会で何が起こるのか』
田坂広志(著)
東洋経済新報社
2003年7月17日
『これから知識社会で何が起こるのか』

久しぶりに田坂広志氏の著作を読んでみた。読みやすい、というか、構成そのものがスカスカの本なのでびっくりした。が、たぶんこれが、田坂氏のいう「言霊」的なものを意識した書き方なのだと理解してはいる。

内容的には、相変わらずブレがないし、私にとっても違和感のない展開であるが、まあ、その分新しい発見はないかもしれない。

しかし、本書を貫く重低音は、私の言葉で言えば、信頼をメタ情報とした技術のミーム論なのであり、『桃論』を読んだり、私の講演を体験された方なら、すんなりと田坂氏の言っていることは理解できるだろう。

例えは、序章『知識社会の「次なる常識」とは何か』で言う、(知識社会は)「常識」が急速に古くなる時代、であり、そして、『知識社会では「知識」が価値を失っていく」ことになる、と言うのであるが、それは、『桃論』のいう「正解の思い込み」のことである。

それでである、「知識」が価値を失っていく時代に何が大切なのかと言えば、それは「専門的な知識」ではなく、「職業的な智恵」なのだ、というのだが、この辺りの展開の巧さは、さすが田坂氏、としか言いようがない。

つまり、これは技術のミーム、それもメタ情報に近い部分のことなのだが、田坂氏の慧眼は、その「職業的な智恵」の習得方法にある。

例えば、「経験」から「智恵」を学ぶには、「反省」と「感得」がある。
また、例えば、「師匠」から「智恵」を学ぶには「傾聴」と「体得」がある。

ここでは、「反省」についてだけ、簡単に書いておこう(自分で本を読む努力は絶対に必要である)。

「反省」は、『「経験」を振り返り、徹底的に「追体験」することによって、そこで学んだ「智恵」を可能な限り言葉にしようとする方法』(p54)だ、と田坂氏は言うのだが、問題は次である。

つまり、『「反省」を通じて、そこで学んだことを言葉で表そうと極限の努力をするとき、「言葉で語れる知識」だけでなく「言葉で語れない智恵」も掴みやすくなる』(p54)

その通りなのである。私が日々(バカみたいに)行っていること(本当の反省、この戯言もそうだ)とか、私のIT化のコンサルテーションにおける「現場状況報告」とかは、このことでしかない。

つまりは、「自分自身で自分のことを語ろう」ということに過ぎない(私は、IT化においてこれをしようとしうない方を信用できない)。

この繰り返しだけでしか、「言葉で語れる知識」を越えて「言葉で語れない智恵」を身に付けることはできない。それは私自身の経験でもあり、それが私のいう「身体で覚えるIT化」なのだ。

IT化とは、その「反省」の共有、協働の繰り返しのようなものでしかない。
でなくては、単なるデータを越えた、「知恵」の共有などできるはずがないのだ。

時代はナレッジ・マネジメントなどという概念を超えてしまっていて、サラリーマン的な「知識」ではなく、職業人的な「智恵」を要求してきている。

しかし、それは今に始まったことではなくて、私たちの先達がとうに理解していた生き方なのである。

それを私たちが忘れてしまっているのは、ある時代に、それらを断層的に否定するような経営が流行したこと、つまり正解の思い込みの弊害でしかないのだ。

2003/07/13 (日)  
【いっぷくしようぜ】

■立川志の輔

昨晩は、常盤ホールにて、快楽亭ブラック師匠プロデュースの、浅草名人伝説2があって、今回はなんといっても立川志の輔が生で聞ける、というミーハー根性だけで、疲れた身体に鞭打って出かけたわけだ(といってもね歩いて一分なのだが)。

志の輔に惹かれたのは、昨年の何月だったかのANAの機内番組、つまり全日空寄席で聞いた「ハンドタオル」という噺がきっかけで、この時(恥ずかしながら)初めて志の輔落語のさわりに触れてしまい、その理不尽さのようなものに、すっかりとりこになってしまった。後にも先にも、全日空寄席でここまではまって聞きまくった噺は志の輔しかいない。

それでお目当ての志の輔、昨日の演目は、「みどりの窓口」(あなたの日本語、通じてますか?)でした。これは当然に新作モノなのだが、高座では古典も新作もなく、現実味と非現実味のバランスがおりなす理不尽ワールドに爆笑させてもらった。

それは、私もみどりの窓口でやってみよかな、とか、そうそうこんなやついるなぁ、と思わせるような現実味であり、でも、こんなやつは現実には絶対にいない、という非現実さの織り成す空間的なバランスなのだが、志の輔は見事にみどりの窓口を高座に作り出していた。

やっぱり好きなのである。志の輔の理不尽ワールドは、心の奥底にある疲れを開放してくれるような気持ちよさがあるのだが、これはなぜなのだろう。ああ、癖になる。

ということで、志の輔の前は、ブラック師匠の三番弟子のブラ汁による「子褒め」。
変な緊張感のある高座であった(笑)。

中入り前は、談志師匠の「堪忍袋」。
うちの餓鬼が、大師匠の噺中にくしゃみを4発ほどやらかしてしまって、案の定、大家が夫婦を諭すはなしの中に、「会場でくしゃみがしても怒らねぇ」と入れられて、わたしゃ一瞬背筋が寒くなる。

トリは当然にブラック師匠で、演目は「名字なき子〜道具屋」。
まくらで、名字なき子を始めたら、横浜でお客さんが4人ほど帰られた、と振っていたが、私の左前におられた上品そうなご婦人も見事に帰られた。

この噺、客が突然帰る噺として、そのステータスが確立されるのだろうか。
当然に内容はここでは「怖くて」書けないのだが、ブラック師匠らしいといえばらしいのあった。

一方道具屋といえば、松竹道具屋なわけで、ブラック師匠得意の映画ネタになっている。下げは「君の名は」の真知子と春樹が道具屋で買物中、M女の真知子が愛用のロープを忘れたので、道具屋がそれを届けてやって一言、「君の縄」。爆笑。

と、いうことで、たまの息抜き。


■わたしゃまだ生きている

A木です。
桃知さんこんにちは、というより二死満塁さん、こんにちわでしょうか。(この展開は反則のような気がしますが…)
桃知さん、ごめんなさい。

>>信頼を得られる談合システム(配分システム)など構築できると思えないのですがいかがでしょうか。
既にソ連などで、計画的に配分するという社会実験は行われており失敗したと多くの方が思っています<<

確かに、落札者が入札参加企業に分け前(入札コスト)を支払う“談合合法国”(?)のオランダでも建設疑獄が起こり、談合の是非が問われているようです。
http://home.planet.nl/~naokonet/bn6.htm#建設業界の不正疑惑国会喚問の結論

ただ、談合が発覚するたびに「必要悪だ」「いや税金の無駄遣いだ」と、同じ議論が繰り返され、最終的には「臭いものはフタ」式でムヤムヤになってしまうことを、そろそろやめにしませんか?という話でございます。

そして、桃知さんが書かれていたように『本音の議論をしようとするために、思考をあきらめないこと』なのです。

例えば、長野県の変動最低制限価格制度は、最低価格者5社の平均値の80%となっていますが、なぜ5社なのか、3社じゃダメなのか、なぜ80%なのか、といった点についても合理的な理由はまったくありません。しかし、現実にはそれが問答無用の「正義」として、まかり通っています。

その反論として建設業界は自らの言葉で自らの存在を熱く語り、痛いときには痛いと大きな声で叫ぶことが大切なのではないでしょうか。

そして、それをコーディネートできるのは、『大きなことを言うようですが、いまやわが国では桃知さん一人でありまして』…となるのです。

『大きなことを言うようですが、いまやわが国では・・・』というのは、先ごろ亡くなった春風亭柳昇師匠の十八番(おはこ)でして・・・合掌、って、わたしゃまだ生きている。

ということで、今日はいっぷくしようぜ。

2003/07/12 (土)  
【明石にて】

明石のホテルにて、今日の戯言を書こう。

二死満塁です。
桃知さんこんにちは、というよりA木さん
こんにちわでしょうか(^_^)

>>
建設業界にとって「談合の合法化」というのは、実は非常につらい作業・試練であり(信頼関係がズタズタになった後で信頼を築いていくことのつらさ…という意味で)、制度疲労を起こした現行の秩序をどう立て直していくかという視点がなければいけない。
<<<

法律は間違っている事多々あると思うので「談合は違法」という事自体間違っている可能性あると思います。
新古典派のように、競争すればなんでも均衡するとも思いません。

が、信頼を得られる談合システム(配分システム)など構築できると思えないのですがいかがでしょうか。

実際建設業界の中でも既存の談合に不満を持つ人が沢山いるわけですし、談合に伴って搾取的な事(外郭団体、丸投げ、OBなど)システムを維持するためには莫大な予算が必要など沢山の問題がでていますよね。

既にソ連などで、計画的に配分するという社会実験は行われており失敗したと多くの方が思っています。

その上でどういうシステムを作ればよいのか考えないと信頼にたるシステムにならないと思うのです。

思考方法で大切なことは、決め付けないことだと思う。

例えば、『実際建設業界の中でも既存の談合に不満を持つ人が沢山いるわけですし、談合に伴って搾取的な事(外郭団体、丸投げ、OBなど)システムを維持するためには莫大な予算が必要など沢山の問題がでていますよね。』を、どう考えるかで、方向性はどうにでもなるということだ。

例えば、それがなぜに起こるのかを考えれば、議論はさらに深く、本質的なものとなろう。
しかしそれを、例えば、単純な人間性悪説などで説明(理解しようと)してしまえば、乱暴な結論にしか持ち込めないだろう。

少なくとも私たちは、本音の議論をしようとするために、思考をあきらめないことになる。
それは生活者の視点でものごとを考えようとする努力であり、ゆえに身体性を伴うので乱暴さを極端に嫌う(痛いのは嫌だもの)。

例えば、長野県や明石市で行われている入札制度(これは双子のようによく似ている)を非常に乱暴なものだ、と私は言っているが、この入札制度の正当性など、(為政者としての)当事者の方々は実際のところ説明はできないだろう。

なぜなら、その発祥は、特定の為政者による、特定の業界への嫌がらせ、つまり私怨を根底にもつようなものだからである。市場原理云々による透明性や公正性の確保等は、後からの貼り付けた意味づけに過ぎない。

つまり乱暴なのである。
それは、思考停止していることと同義である。

2003/07/11 (金)  ▲
【ばたばた】

ああ、野田岩のうなぎが食べたい。


さて、今日はこういう(↓)按配で、兵庫建協明石支部さんでの講演に、明石へお伺いする。

東京 9:20 のぞみ 51号 新大阪 11:53
新大阪 12:10 東海道/山陽本線新快速 明石 12:49


昨晩は、盛岡 20:39 はやて 30号 上野 23:02 で帰ったのだけれども、当然に全行程爆睡なのであり、仙台と大宮にいつ停車したのかは全然知らないわりには、奇跡的に上野駅直前で目覚めたりするものだから、動物的、などといわれる。(まあ、東京駅まで乗り越してもたいした問題ではないけれども・・・)

帰宅後から、異様に野田岩のうなぎが食べたいのは理由がある。
が、まあ、そんなことはどうでもよいのだ。

問題は、まだ今日の講演用のPPTができていないことで、行きの新幹線でなんとかしなくてはならない。

3時間30分用。
ご要望は、
・CALSとは
・中小建設業のIT化について
・CALSの進行度合い

う〜ん、意外と難しい。

2003/07/10 (木)  
【今日は盛岡出張です。若しくは、アイデンティティ(同一性)について】

浅草寺は、昨日今日と、四万六千日で、ほうずき市がたっているので、昨日は、私もちょっと出かけて、これでなにをしようというわけではないのだが、ほうずきを買ってきた。

市は、なかなかの人出であった。NHKの「こころ」との相乗効果もあるのか、この垢抜けしない浅草も、今年はなかなかの賑わいがあって、こころなしか元気のように見えるのである。

昨日(きのう)松本から戻った私は、久しぶりの自由時間をもらったような嬉しさと、温泉に行きたいとの思いが重なり合って、そういえばロックスに、温泉じゃないけれども、でっかいお風呂(まつり湯)があることを思い出し、足を運んだ。

昼下がり、タダでさえ人出の少ないロックス、その中のまつり湯だもの、お客は極端に少ない。
おかげで、私は広々とした浴槽で、のびのびと一風呂(ひっとぷろ)浴びることができたわけで、ついでに、本当に久しぶりにマッサージをしてもらって、すこしだけ、身体がほぐれた。


さて、松本講演に絡んでA木さまからメールが届いた。

A木です。
松本講演の反応を、店主戯言で興味深く読ませていただきました。
そして、わたしはふと、こんなことを考えつきました。(↓)
    お題は「入札・契約制度における三位一体の改革」です。
 地方公共団体における入札・契約制度の在り方が問われているが、真の入札・契約制度改革は、
 @「行政改革(発注者)」
 A「業界改革(受注者)」
 B「市民改革(納税者)」
 の三位一体の改革が必要であり、こられ3つの改革のうちどれが欠けても、まともな制度改革にはならないというお話。

わたしは以前、これら3者の関係を、落語の「三方一両損」にたとえたが、そのとき業界の皆さまからは「不平等だ」(業界は二両損、三両損…だ)と不評だった。

今回の「三位一体の改革」は、入札・契約制度の問題点を真正面からとらえ、本音ベースで議論していかなければ「公共工事という産業」では何も解決しない(むしろ、悪い方向に行きつつある)との認識に立ったものです。

そこで、考えたのが「入札・契約制度における三位一体の改革」。
それぞれの改革をさらに説明すると、以下になる。

 1、行政改革=役所の技術力低下(そもそも技術力なんかあったのか?という意地悪な見方はとりあえずなし…)という現実に目をつぶらない。従来の指名競争入札の上に成り立っていた公共工事の監督・検査システムと企業の評価システムを抜本的に見直す。

 2、業界改革=既得権益にしがみつき、市民社会に情報発信しない業界体質を改め、真の顧客である「地域住民」「納税者」に目を向ける。

 3、市民改革=建設業界を色眼鏡で見ない。地域経済と雇用の確保という地場の中小建設業の役割を等身大で評価した上で、「購買」「納税」「雇用」という切り口で具体性のある議論を行う。

…以上の改革を同時に進めていくことが真の入札・契約制度であり、いいとこ取りのつまみ食い施策が似非マーケットソリューションを生んでしまう。

さらに、もう1点おまけ。

地場中小建設業にとって「談合は必要悪」なんかじゃなくて、必要なのだというスタンスを、わたしも明確に示したい。

なぜ談合が悪いのかという根本的な議論がないまま、現実には税金の無駄遣いという「幻想」に封じ込まれている。ただ、こう言うと、業界の方々が「わが意を得たり」と喜ぶのがもっと怖い。

建設業界にとって「談合の合法化」というのは、実は非常につらい作業・試練であり(信頼関係がズタズタになった後で信頼を築いていくことのつらさ…という意味で)、制度疲労を起こした現行の秩序をど
う立て直していくかという視点がなければいけない。

市民社会が納得する談合とは、突き詰めれば「随意契約」であり、合理的な理由と徹底した情報公開がなければ成り立たない話でもある。


…なんて、ことです。こんなことを思い付いたのも、養老孟司の「バカの壁」(新潮新書)を読んだからです。この本を読んだら、久しぶりに頭の中の霧が晴れました。
2001年11月に桃知さんの講演(岩崎フェア)を初めて聴いたとき、以来の感覚です。

ありがとうございます。m(__)m

『本音ベースで議論していかなければ「公共工事という産業」は何も解決しない(むしろ、悪い方向に行きつつある)との認識』こそ、「公共工事という産業」に必要なのは間違いないところである。

しかし、理想論者としての私は、三位一体の改革を支持しなくてはならない、と頭ではわかっているつもりなのだが、現実主義者としての私は、それは無理だろう、とも考えていたりする。

このあたりの自己矛盾は、私自身が、「市民社会」というものを、きちんと理解できていないからであり、それは、私が想定する個人(人間)観に、まだあやふやな部分があるからだ。

私は、「公共工事という産業」や「市民社会」に存在するであろう理性を信じていたい、と思う。
しかしその反面、そのような理性など、本当に持ちえるのだろうか、という不信感もある。それが正直なところだ。

それは、理性はどこから生じるものなのか?という疑問なのだ。

しかし、私は、基本的には、裏切られても信じ続けていたい、とおうおめでたい奴なのである。
せめて、「公共工事という産業」との間では、常にそういう関係でいたいと心から思っているし、実践もしているつもりなのだ。

しかし、そうすることが、市民社会と「公共工事という産業」との溝を生み出しているのではないか、という思いがある。

アイデンティティ(同一性)の合理性。

それは、A木さまのいう、『ただ、こう言うと、業界の方々が「わが意を得たり」と喜ぶのがもっと怖い。』に通じる。

まあ、このあたりを、本来はもっときっちりと書かなくてはならないだろうが、今日の私は、上野 8:02 はやて 3号 盛岡 10:22 で盛岡へいく。今朝はその移動準備でばたばたと、かなり忙しいのだ。

つまり、表題の「若しくはアイデンティティ(同一性)」については、また後日ってことである。

2003/07/09 (水)  ▲
【昨日の質問者さまより】

先日はお疲れ様でした。大変勉強になりました。

日頃よりこちらのHPを見ており、昨日は社長と同行していたので、遠慮したのですが、
本当は握手してもらいたかったです。
当社でも今の業界の中でどうするべきかを考えているので、強引に社長に同行願ったため、握手をしてしまうと、私個人の熱さで見誤っているのかと社長に思われるのが嫌だったので泣く泣く我慢したのでした。

私の会社は○○市の測量会社です。
講演会主催の日立建機様には申し訳無いくらい重機とは無縁の会社です。
しかしながら、この機会を逃したくなかったので、講演に伺わせて頂きました。

長野県では当社は入札すらしたことはないのですが、2年おきにする入札参加申請はしていました。
今年も今月15日がネット申請の期限なのですが、今回は見送ることになりました。

それにしても昨日は過激でしたね。いつも歯に衣着せぬ言い方されるのですか。談志さんの漫談かと思いました(笑)。私は社長がふざけるなといつ怒るかヒヤヒヤしながら、時にはニヤニヤ(笑うところを)しながら拝聴させてもらいました。
その社長も講演後は良かったといってくださり、「桃論」を読みたいと言うので、今まで読んで欲しいと言っても手にとってもらえなかった本を渡すことができて私自身嬉しかったです。

質問したこともそうですが、「桃論」でわからなかったことが、講演を聴くことによって理解が広がりました。
まだ完全には理解はできていないので、それはまた店主戯言を毎日読んで勉強していきたいと思います。

ちなみに「桃論」を読み解くのに、養老孟司著「バカの壁」が役に立ちました。
しかしながら私の心情は山本周五郎の「樅の木は残った」を読ませるのでした。

では全国行脚でお忙しいかと思いますが、お体にお気をつけ下さい。

今朝は、
松本 7:58 スーパーあずさ 4号 東京 10:52
東京 10:58 京浜東北・根岸線快速 上野 11:03

で帰ってきた。正直疲れた。

いつものように、道すがらメールチェックをしながらの移動なのだが、昨日の質問者さまよりメールが届いていて、とてもうれしくなってしまって、こうしていただいたメールを速攻で掲示してしまった。

デジタルな関係と、ヒューマンモーメントによるコミュニケーションは、確実に私たちを、インターネットの精神文化の方向に開放してくれることを実感するのだ。

それだから、私はこんな仕事をつづけられるのだと思う。
「公共工事という産業」は閉塞した業界かもしれないけれど、自ら変われる人間は沢山いるのだ。



【談合について、若しくは信頼について】

桃知@松本%二日酔い*午前5時30分起床である。

昨日の講演は、今の長野県政に対する「なんでだろ」と、建設業界に対する「なんでだろ」のようなものを、今の私の理解の範囲で展開してみたような形になった。当然長野県スペシャルである。

早速、こんなメールをいただいていた。

やっと桃論が判ったと講演終了後社長が帰社しました。本を抱えて顔を紅くして・でも判ったけど・・・な訳で 終了後ゼネコンの幹部さんたちがブツブツいいながら背中を丸めて帰って行ったと申していました。たった半年ですよ長野で桃知さんがアジってから。 私は入札で残念ながら参加できませんでした。 長野にも温泉いっぱいありますよ、上田の別所温泉とか蝉はたぶんすごいぞ。なんにもないぞ。まるでどっかの業界みたいだ。

このメールにもあるように、とても深い理解をされていて、講演後、お声がけくださった方が何人かいらっしゃった。反面、なんだかわからなくて「ブツブツ」の方もいようだけども、それはいつものことなので、しょうがない。

それにしても、なによりも昨日に講演が私にとって凄かったのは、質問があった、ってことだ。
それも『桃論』の内容についてであって、それは凄く嬉しかった。

それは、ソーシャル・キャピタルとしての「談合」についてだったのだけれども、あんまり嬉しくて上ずった回等をしてしまた、すみません。m(__)m

私は、『桃論』でこう書いている。

 たとえば、ここでは「談合」を例に考えてみましょう。批判を覚悟でいいますが、私は本来の意味での「談合」を「コミュニティ・ソリューション」のひとつの形態と考えています。

そもそも談合は、極めて不確実性の高い要件を前提として成立しています。それは、談合が成立するには、談合参加者が決定事項を必ず守る必要がある、ということです。つまり、談合の成立自体が全く信頼のおけない構成員同士の「信頼」を前提としている、という矛盾を抱えていることで、最初から社会的不安を内在しているのです。しかし、そこになんらかの信頼関係が形成され、構成員の合意によって仕事の均等な配分をおこなう談合のシステムが正常に機能しているとすれば、ここには「ソーシャル・キャピタル」が存在していると理解してもいいのだろうと考えるのです。

 つまり「ソーシャル・キャピタル」とは、ブラウがいうところの「社会的交換」のようなもの、つまり『何らかの将来のお返しの一般的期待はあるけれども、その正確な性質はあらかじめ確定的に明記されない』の文脈上に存在する「信頼」と呼べるようなものをベースにした、人と人との関係性の財産と理解すればよいでしょう。(※P・M・ブラウ,『交換と権力』,間場ほか訳,新曜社,1974,第4章)それであれば、昨今問題となっている官製談合や、あっせん収賄などといった政官との癒着の必要など本来存在しないはずです。

 しかし、談合のシステムに政・官が加わることは、談合が本来持っている「コミュニティ・ソリューション」がその機能を失い、その代替策としてコミュニティの秩序を形成するために「ヒエラルキー・ソリューション」が機能していることを意味します。それは、本来の意味での「談合」における信頼を構築するシステムがなんらかの理由で機能しなくなっている、ということですが、私はこのような状況を「ソーシャル・キャピタル」が欠如した結果だと理解するのです。

 つまり、本来の談合のシステムさえも正しく機能しないコミュニティでは、そもそも信頼関係が成立していないがために、権限と強制力による「ヒエラルキー・ソリューション」が必要とされてしまいます。その意味では、このコミュニティには最初から「ソーシャル・キャピタル」は存在していない、ともいえるのですが、逆説的には「コミュニティ・ソリューション」が機能するためには、「ソーシャル・キャピタル」は不可欠であることも意味しています。

 このことは、談合というシステムが持つ本来の機能への批判と、政治家や行政との癒着といった不正行為への批判は、本来違うものであることを意味しています。つまり談合というシステムは、必ずしもルール違反として批判されるだけのものではないと私は考えています。私は「コミュニティ・ソリューション」の効用を語る立場として、本来の談合が持つ機能は、これからの社会の問題解決方法として十分に研究に値するものだと考えています。しかし、このことは、昨今批判の対象となっている建設業と政治家や行政との癒着といった、本来の談合の機能を歪める不正行為に対しては、徹底的に批判する立場に私がいることを意味していることもご理解いただけるかと思います。

執筆時点で、私は、本来の意味での「談合」は、コミュニティ・ソリューションの一形態である、としているのだが、これも所詮、閉じた世界でのことでしかない。つまり、市民社会とのソーシャル・キャピタルの共有がないことで、市民社会に認められることはないだろう。

であれば、このソーシャル・キャピタルが、市民社会にも認知されたものである必要がある。というのが私の今の立場である。

それは、談合というコミュニティ・ソリューションが、市民社会から認知されている、ということを意味しているし、談合の合法化というところまで進んでしまうかもしれない。

確かに、談合といえば、政官の癒着や、官製談合のようなヒエラルキー・ソリューションが、ネガティブな印象を与えてしまっているために、現実的な話ではないように認識されてしまうかもしれないが、それは、地場型中小建設業が行う公共事業を、どのよに考えるのかという視座(視点)の違いにしか過ぎないのだ。

つまり、効率性を追求する社会資本整備なのか、開発主義の流れを汲む、地場経済の活性化と雇用の確保なのか、である。

ということで、時間がないので結論だけを書いてしまう。

つまりは、市民社会からの「信頼」なのだよ。
「信頼」がベースになっていれば、コミュニケーションは可能なのだ。

「信頼」を構築しようとしないものが、談合の正当性をいくら主張したところで、それは旧来のヒエラルキー・ソリューションの温存をいうだけのことであり、そこには市民社会とのソーシャル・キャピタルの共有はない。

つまり、なんだかわからなくて「ブツブツ」の方は、それが理解できないのだ。
そして、今の時代にいう「信頼」がなにものなのかが理解できていないのだ。

長野県の「公共工事という産業」が失ったものは、「信頼」なのだ。
それは、田中知事が誕生する、ずっとまえから起きていたことなのだよ。

2003/07/08 (火)  ▲
【温泉に行きたい】

■温泉に行きたい

今日はこれから松本講演に向かう。
こういう旅程である(↓)。

上野 8:46 あさま 503号 長野 10:20
長野 10:52 *(ワイドビュー)しなの 10号 松本 11:41

昨日は、予定よりも少しずつ早めにものごとが進んで、鹿児島空港からは、一本前のANA便で帰ることができた。

久しぶりに窓側の席に座って(最近は、仕事をしながら移動することが多いので、好んで通路側に席を取っている)、狭い窓から、ほんとうに青い空と眼下に広がる雲海を、ただボケーっと眺めていたら、なにか救われたような気分になった。

じつは、その感傷というのは前兆があって、昨日の朝、人吉のホテルの大浴場で、一人でぽつんと広い浴槽につかっていたら、やっぱりね、とても救われた気分になったのだ。

そして思ったのだ、「そうだ温泉に行こう」。

バカみたいなのだけれど、本当に、そして単純に、温泉に行けば救われるような気持ちになったのだ。
毎日旅ばかりしていると、いつもの狭いユニットバスにいるわけで、それじゃ身体も心も開放されないのだろう。

ああ、温泉に行きたい。
それも、山の中の温泉がいいな。

暑い日、ぐわんぐわんというような蝉の鳴き声を浴びながら、山の中で手足を伸ばしたい。
ああ、温泉に行きたい。


■まにあ・1号さまによる法政大学エクステンション・カレッジレポート

私はこの戯言をいつも早朝に書いている。
今朝は当然浅草の朝、自宅の朝なのだが、ベランダにおいてあるカサブランカの鉢が満開状態になっているので、めずらしく窓を開けて、その香りを楽しみながらこれを書いている。

なんとなくだが気分がよい。

私の家は、言問い通りに面しているせいもあって、窓を開けると自動車の音が結構うるさい。そのため、普段はめったに窓を開けることはないのだが、まあ、こういう朝もなかなか乙なものだ。

さて、恒例のまにあ・1号さまによる法政大学エクステンション・カレッジレポートである。

【法政エクステンション第五回】

建設業IT化外部要因研究

・SGS:大月氏・郡上建協:平井理事・行政書士:小関先生・長野:トライネット熊谷氏


●SGS大月市:審査登録機関が顧客満足をITで考える<発表概要>

ISO審査会社である「SGS」大月氏による、ISO審査会社としてのIT化概論。 建設業を中心とするISO9000Sの認証取得ブームもひと段落の局面を迎える。94年度版の有効期間は今年12月いっぱいなのだが、まだ6割以上の企業が 2000年度版への移行をすませていない。このままでは相当数の企業が認証を継続しない可能性がある。つまり、審査会社でも「競争と淘汰」の状況が迫りつつあるという認識が必要。

このような「背景」の下でどう「生き残り」を図るか? 従来は審査会社は「顧客」という意識は全く持っていなかった。審査をしてやるという意識の下、 ・顧客がISOに何を求めているか? ・顧客が審査会社に何を求めているか? など全く省みていなかったというのが実情であった。

また、審査会社は審査が終わってもいわば「審査のやりっぱなし」で次のサーベランスまで顧客との接点(コミュニケーション)が全くないという現実もあった。

このままでは、深刻な顧客離れと競争審査会社に顧客の奪われが起きる。そこで、審査会社として「顧客満足」と「顧客とのコミュニケーション」 を提供するため「イントラネット」を構築。 顧客に対し、良質な情報を提供する事で顧客との結びつき「コミュニケーショ ン」を目指す。具体的には、ユーザー会員顧客から「会費」を徴収し、会員のみ に対する各種情報提供サービス(規格の解釈、会員企業の宣伝、会員からの意見 吸収)などを行い、「会員が求めるサービスを提供できる」審査会社をめざす。

取り組みはまだ始ったばかりだが、審査会社の取り組みとしては前例がないだけに、正直なところ手探りという点は否めない。

<所感>

審査会社にも「競争と淘汰」が起こっている現状の厳しさには少々驚いた。今年度で期限が切れるにもかかわらず、6割以上が更新を済ませていない現状にも ISO取得の意義と効果について迷っている企業が多いことを実感。今後のこの取り組みがどう推移するか注目!


●郡上建協:平井理事、協会IT化とISOのグループ取得

<発表概要>

郡上建協における、グループ認証取得(9000S)の事例紹介。 IT・イントラネットを利用、活用して「効率よく」認証取得を果たす。16社によるグループ取得。イントラネットの「電子会議室」にて、コンサルと勉強会を実施。経費、時間を大幅に節約する事に成功。また、イントラ内で「規定」などを公開・共有する事による効率化も図る。さらに、審査時の「審査員に何をどう指摘されたか?」などをイントラ内で瞬時に情報として共有することにより、後で審査を受ける会社がよりスムーズに審査を受けることが出来た。

現在はISO14000の協会としての取得に挑戦中。。富士ゼロックスの「Docuworks」 というソフトを用い、印刷禁止、上書き防止電子印鑑などを採用。こちらは文書類 の完全電子化を目指す。

<所感>

上手にISOを取得されている様子に感心。特に協会の武器でもある「イント ラ」を非常にうまく利用されており、教育、訓練、コンサルの良いツールになって いる。ただ、これは「ITリテラシー」の高さと「良質な会員間のコミュニケーショ ン」が底流にあることを見逃してはならないと思う。ITを利用するために必要なベ−スが出来ていて初めてなせる業であろう。


●行政書士:小関先生、最近の建設行政の動向

<発表概要>

行政手続実務のプロの立場からの最近の建設行政について最新動向をレクチャー。昨今の発注者は地域住民、NPOなどを容認促進しなければならない時代に変化しきている。「どのように行動したら自分たちが後ろ指さされないか?」といういわば保身的な考えが行動の基本思想になってしまってきている点も現実といえる。

昨年末成立、本年2月施行の「行政手続オンライン三法」があり、これは電子申請を 中核とした行政「手続き」の電子化を進めるものである。 ただしこれは、入札の電子化とは全く別物。電子入札は周知の通り統一を欠き、発注者の種類が増えれば増えるほど、認証システムの端末が増えるという皮肉な 結果になっている。

経審の経営状況分析機関が登録制になる。つまり行政はY評点につき責任をもたない事になる。経営状況(Y評点)の公表は各分析機関にゆだねられる。そして、総合評点(P評点)は原則として公表されないことになる。(要求があれば教える) つまり、他社のP評点がわからなくなるという事である。これは重大な問題を含む。それは、意としない格付けのランクアップが起きてしまう可能性があることになるという事である。 

<所感>

 経審にはど素人のわたしなので、今ひとつピンと来ない点もあったが、この「変更」 は零細「三ちゃん」的な企業の結果的排除につながってしまう恐れもある。という解説には少々寒いものを感じた。行政と溝を作るな!という桃知さんの言葉が改めて頭をよぎった。ここはもう少しきちんと勉強すべき必要を痛感した。


●長野:トライネット 熊谷氏による戦略的M&Aの取り組みと長野県の現状

<発表概要>

公共事業100%依存の3社が集まり「合併」し、民間に進出。町内近隣を中心に営業を開始。比較的順調に滑り出した。様々な紆余曲折を経て、いくつかの難問も何とか 乗り越えてやって来つつあった。経営者として何とか思ったとおりの企業変革が出来ている実感もあった。

しかし、田中知事の登場、脱ダム宣言に始る公共事業改革により、今までの「努力」が一夜にして雲散霧消してしまうほどの衝撃を受けている。

・指名競争入札から一般競争入札へ ・15ブロックあった発注単位がわずか4ブロックへ ・土木8000万以上はAクラスによる全県一区へ ・過去実績あり物件でも参入できず ・低価格による失格 ・全建による総合評価の提案 ・予定価格の事前公表のとりやめ ・悪循環の飛び火

一夜にして本当に自分たちを取り巻く環境が劇的に変化した。 この変化により

・旧来の制度にしがみつく弊害 ・恐怖心による必要以上のダンピング ・下請企業の元受志向 ・中間搾取業者、不良不適格業者の淘汰 ・変化に対応する訓練不足の露呈などの状況が現れてきた。状況は厳しいを通り越し「悲惨」ですらある。

しかし!

●厳しい状況だからこそ、「企業を変革するんだ!」という強い意志を持ち続け、たゆまなく成長しようとする手段として、M&Aや持ち株会社は有効な手段である事を再認識している。 また、

●厳しい時代だからこそ、「差別化する」という戦略を持たなくてはならない。つまり「競争」するまえに「あそこ(トライネット)とはケンカにならないから、ここはオリよう」という方向にもって行く(ケンカしない戦略)。そのためにカネを使おう!

この前向きさで、時代を乗り切っていこうとしている。

<所感>

熊谷さんの話を聞くのは初めてではなかったが、いつに無く覇気のない話し振りが 気になった。長野の入札改革に「今までの自分の努力が全て水泡に帰した」と話されて、その理由がわかり、悲惨な状況を肌で感じる事が出来た。 しかし、最後に「このままでは終わらない、差別化戦略・けんかをしない戦略で生き残る、その為にお金をつかうんだ!」と結ばれたところは物凄い力強さとしたたかさを感じた。

前向きな気持ちだけは絶対に失ってはいけないんだ!という勇気をもらえた。 結果としては今までで一番深い印象をもてた講演であった。

講師の皆さん、ありがとうございました。m(__)m
そして、まにあ・1号さま、毎回のレポートありがとうなのだ。

2003/07/07 (月)  
【@人吉】

桃知@人吉なのである。

■えびチャン

以前こんなメールをいただいていた。
ところで、2月1日の店主戯言の中の今後のスケジュールで2月7日に人吉にお泊りになるそうですので、おいしいものをご紹介します。
人吉はおいしい焼酎(球磨焼酎)が有名ですが、これによくあうものがあります。
お店の名前は、「えびチャン」と言います。
オススメは鶏のタタキで、ユズゴショウを醤油にといて食べると絶品!!です。
添付しましたURLにある通販の他に飲み屋も営業しておりますのでお時間があればお立ち寄りください。

・・・実は私の実家のお店なんです。(^^ゞ

ということで、(だいぶ遅れたけれども)昨晩は、人吉のお隣、錦町の「えびチャン」に、福元さんと松下さんと一緒に行ってきた。「えびチャン」(http://www.spanet.co.jp/ebichan/)

午後6時半ごろ、既にご町内の方々が何かの集まりらしく、十人ぐらいの方々が、焼酎を飲んでおられたわけで、なんとも球磨らしい(?)雰囲気。わたしゃこれは嫌いじゃない。

「えびチャン」は、テーブルに炭火、その上に網を置いて、自分で鶏を焼くスタイル。
これは初めての経験で、ほかではみたことはない。わたしゃこれも嫌いじゃない。

それにしても首の部分の肉(名前は忘れた)とテールはうまい。
そして確かに球磨焼酎によくあう。わたしゃこれは大好きだ。

昨日は「えびチャン」の社長が、「松の泉」の少なくとも17年は経っている(はっきりわからないそうだ)ものを出してくれて、それをロックでやっつける作業をしたのだが、仕事はかなりはかどった。しかし、はかどり過ぎて、ホテルに戻った私はあえなくダウン。F1をみれなかった。


ということで、今日の私は、熊本建協人吉支部さんで仕事。
本日は七夕の夜間飛行で帰京だ。


■「7・8松本講演」〆切迫る

2003年7月8日 長野県松本市での講演に参加〆切は、本日12時までです。
定員までには、まだ若干の余裕があるようですので、皆様お誘いあわせの上、おいで頂ければ幸甚なのでした。

そして講演用PPTもダウンロード可能としました。

○ダウンロードのページ
 → http://www.momoti.com/data/down.htm

「7・8松本講演」は、なぜ長野県はマーケット・ソリューション側に振れるのか?というところから始めるつもりですが、その理解を用意にするための工夫を(若干ですが)しています。

講演では、田中知事ご自慢の「建設産業構造改革支援プログラム」についても触れる予定ですが、それはPPTにはありません。当日の喋りにご期待を。

○2003年7月8日 長野県松本市(松本市勤労福祉センター大会議室)
「公共工事という産業」の生き残り策後援会
【日 時】 平成15年7月8日(火)13:00〜17:00 (会場:12:40〜) 
【受講料】 無料
【会 場】 松本勤労者福祉センター 大会議室
【主催等】 主催:日立建機株式会社
【案内文書(申込書付)】
 セミナー案内(申込書付き)は以下のURLからダウンロードしてください。
  → http://www.momoti.com/gyoumu/semi_annai.html#030708

2003/07/06 (日)  
【今日は人吉へ】

目覚めれば二日酔いというか、なにか身体がだるいわけで、記憶の断片を拾い集めれば、昨晩も、しっかりと飲んでいた。

しかし、今朝の状態は、飲みすぎというわけではなく、たぶん疲れが溜まっている状態なのだな、と思う。

2003年7月8日 長野県松本市での講演も間近に迫り、PPTをまとめなくてはならない。
それから、11日に兵庫県明石市で行う講演のPPTもまとめなくたはならない。

今日は、JAS 579 便 羽田 15:00 発 → 鹿児島 16:40 で、熊本県人吉市へ移動する日なので、午前中に仕事をやってしまおうと思う。

2003/07/05 (土)  
【ちょっとだけ生まれ変わった】

昨日は、大分(1115) 東京(羽田)(1245) ANA 194で帰京。
東京駅地下街で面談をして、3時30分には日本橋三越へ移動し、ちょっと一服して自宅に戻る。

事務的な仕事をしていたのだが、ちょっ一服と、スカバーで、F1の予選を見ていてたら眠ってしまった。
やはり疲れている。


■大分独演会についてはここを

大村さん  →http://www.office-egg.com/
いとうさん  →http://www.geocities.co.jp/WallStreet/6950/

どちらも大分県外の方なのだが、九州での私の活動を語るときには欠かせない方なのである。
それぞれに強烈な個性の持ち主であって、その個性的な存在感は私をはるかに上回る。

そういう個性を私は認めている。そして認めよう、と言っているわけだ。
とても素晴らしい方々なのだ。

それから、いとうさんのTOPページも飾っていましたが、植木さんには、貴重なきのこをいただいた。
植木さんも、いつもこそっとやってくるのだな。


大村さんが書いているように、「独演会」と名前がついた私の講演会の特長は、後援会→懇親会と続くヒューマンモーメント(F2F)のダイナミズムにある。

簡単に書けば、これは相互「理解」なのである。

村上泰亮が言うように、自由とは、インテグリティ(筋道)を確立した一人一人の人間が自由に考え、行動するということ意外にありえない。

それは、一人一人の人間がそれぞれの思想をもち、互いに「理解」しあうことなのだが、中小建設業IT化論に関するその最初の理解の機会を、独演会は設けようとしていわけだ。


「しかしその課題は、改めていうまでもなく、極めて重い。」(村上、反古典の政治経済学 下 P541 )と村上が言うように、この理解のやり方は、長い道のりなのだ。

でも、私は、小泉内閣も、田中長野県政も、思想的短絡症候群に陥っているように思うのだが、それはどちらも、「理解」が足りないからだ、と感じている。

だから地を這うように生きていかなくてはならない。

2003/07/04 (金)  
【45歳だ】

桃知@大分でR。(嵐山光三郎先生風)


■53万

53万ゲッターは北海道の長谷川さま。
+1は、前回に引き続き岩手の菅原さまなのだけれども、ご本人から、次回の景品に回してほしい、という申し出がったので、そうすることに決定。

おめでとう&ありがとう、なのである。


■大分独演会

初の大分独演会は、とても楽しかった。
そして、私が福岡で独演会を始めたころの、あの時代の空気を感じた。

それは、まだまだ小さな点のような状態ではあるけれど、やがて、この点が、大きな輪になる。
そんな希望を、講演、懇親会と感じることができた(つまり、例によって沢山飲んだ・・・★\(^^;)。

こんな素敵な独演会を企画してくれたシャロームの佐藤さんに感謝しよう。
そして、いろいろと面倒をおかけした西原さん、ありがとう、なのだ。

へろへろになって戻ったホテルの、16階の部屋で、アミノ式を飲みながら、ついでにねぎワンタンも食べながら、そして大分の夜景を望みながら、こう思った。

また来るぞ!大分。


■Happy 45th Birthday!

おめでとうございます!

・一昨年は旅から旅に追われていた中で、
・昨年の今頃は執筆に追われて肉体的より、
 精神的にしんどかった中で
・今年は一転して、また移動の中で

誕生日を迎えられましたね。

慌しさは加速度を増し、毎年毎年「時間に追われる思い」も加速されていらっしゃるのではとも思います。
帽子をかぶる旅芸人は、今日は九州から一旦帰京しまた来週は九州に戻られ、長野、岩手、兵庫とめぐり
さらに再来週は北海道と巡業ですね。

誕生日のお祝いの言葉には、ふさわしくないかもしれませんが

「ご自愛ください。」

今年は、この言葉につきます・・・・。

まにあ・1号さま、ありがとう。

今日は誕生日だから、というわけではないが、東京へ戻って打合せを1件こなし、そしたら休みにしたいのだけれども、7月8日の松本講演用PPTをまとめなくてはならない。今日の夜にはアップできるかと思う。

そして、明日明後日(明日は、法大がある)の夕方には、鹿児島空港経由で熊本県人吉市へ行くのよね。
あー、いそがし。

2003/07/03 (木)  
【帽子をかぶる人生】

気が付かないでいた・・・
まもなくお一連カウンターが53万になるのだな、なのでお知らせ。

今回の景品は、ももちどっとこむポロシャツ(グレーにピンクの刺繍入り、サイズはLだ)。
現在2枚の在庫があるので、ぴったしと+1の方にあげましょう。

店主へメールを忘れずに。


さて、昨日は、野村建設さんで、午後1時近くまでイントラネットの勉強会。
それから、飯島のそばをご馳走になったのだが、伊那谷は何処へ行ってもそばはうまい。

それから、飯島 14:39 → 新宿高速バスターミナル 18:15という高速バスに乗るために、野村社長にバス停まで送っていただいたのだが、その途中、家人から電話がきた。

曰く、中央道(飯島)の事故のため、高速バスが飯島のバス停に寄れないので、違うところで待っているようにと、バス会社から電話があった、とのこと。そして、バスはいつ着くかのかはわからない、とのこと。

ということで、急遽指定された場所に送っていただき、私はそこでバスを待つことになったたわけだが、そこはただの交差点であって、周りは田んぼで、つまりは、なにもない。そこに、梅雨の合間の夏らしい強烈な日差し。

最近の私は、ボルサリーノの帽子を愛用していたのだが、先週の北海道シリーズの際、某K社長にあげてしまったので、ここ数日はなにもかぶっていなかったのだけれども、つまり、こんな日に限って、太陽は脳天直撃!その上、近くには自販機もなく、喉は渇くわ、バスは30分ほど遅れてやってきたわで、移動する前にかなりばてばてになってしまったのである。

というわけで、東京に戻った私は、(かなりくたびれていたけれども)その足で、浅草は新仲見世のトラヤへ、ボルサリーノのパナマ帽を買いにいってしまったわけだ。

まもなく閉店という時間帯だったのだけれども、最近は、少し帽子にも慣れていたので、たいした時間もかけずに購入することができた。これで、今日の大分行きも一安心なのだなぁ(なにが?)

この帽子をかぶる人生というのは、なにかと楽しいもので、そして、一度この人生を体験してしまうと、頭になにかないと異様に不安なようになってくるものらしい。

当然、このなにかないと、という部分はなんでもよい訳ではない。

野球帽や麦我帽子では、いくらカジュアルでもネクタイ姿にはにあわない(そうそう、最近の私はネクタイをすることが多いのだ。なんでだろう?)。ましてや、ちょんまげの被り物ではバカ殿になってしまうだろうし、仮面アライダーやガッチャマンの鉄兜では病院行きだろう。この夏はボルサリーノに限る、というのが、最近の私の気分なのだ。

その昔は、ボルサリーノなんて聞いたら、キザの象徴のように感じていたのだが、考えてみれば、これは、若い頃には絶対に無理なものなんだな。

こういうものを身に付けても、自分自身が恥ずかしく思わなくなった歳になったことを楽しまなくてはならない、と思う。そういえば、北海道の某K社長は、ボルサリーノがよく似合っていた。


さて、昨晩は、ついでなので、そのまま家人と待ち合わせして、公会堂横のなんじゃもんじゃで、もんじゃ焼きを食べながらビールを飲んだ。乾いた身体にビールが染み入った。

ということで、今日は 東京(羽田)(0830) 大分(1000) ANA 191で大分へ飛ぶ。
久しぶりにホーバークラフトに乗る予定だ。

2003/07/02 (水)  
【@飯島】

■長野ネタ

山下達郎曰く、

雨は斜めの点線
僕たちの未来を切り取っていた・・・

窓の板ガラスへと
自由ってことばを書いては消した。

昨日の飯島町は、雨がじとじとと降るばかりだったものだから、昨晩書いたこの文章は、こんな書き出しになってしまっている。

昨晩、ボビーJという(失礼だが飯島町には場違いのような)お洒落なお店で、ビールをたらふく飲んで宿に戻るころは、まだ雨が降っていた。

しかし、今朝目覚めれば、日差しがまぶしいとてもよい天気なものだから、こうしてこの文章は一部改修工事をしなくてはならないわけで、突然、それよりも問題は、せっかくの温泉宿なのに、浴場が工事中で使えないことだ、などと出てくるのは、うまいツナギが見つからなかったからなのである。

そんなわけで、話題はがらりと変わるが、せっかく長野県にいるので、長野県のネタでも。

建ソネット 2003.06.30 県が発注機関で無くなる条件 (CALSのキーワード - 編集部後記)
http://www.shinkenpress.co.jp/kensonet/news/cals_0306301.html

まずは(↑)を読まないことには始まらないので読んでください。


・・・読みました?

書いた人には悪いが、はっきり言って、その想いが伝わってこないのである。
なんだか支離滅裂なのである。地域通貨の話を強調するのに、

『米などの社会資本整備は、こうした社会理念などがベースになり、民間が事業主体として行われているものが多数ある。社会資本整備は役所がやらなければいけない、という概念を持っているのは、先進国では日本くらいだろう 』

と突然つなげる必要があるのだろうか。
こういうとっぴな展開が理解できない。

この手の(突然飛ぶ)理論展開は、確かに新聞記事に多い(特に特定の事象を批判するためのに)のだけれども、あんまり感心できるものではない。

地域通貨そのものの話はOKなのである。
現代は米国流のマネー資本主義が幅をきかせている。

今、世の中には、大量の貨幣(ドル)が流通しているが、それは実際に(決済等に)必要な資金量の何倍(何十倍)もの量なのであり、そして兌換(金と交換)できないものなのである。

つまり、実態経済から乖離した金融経済がマネー資本主義なのである。

このシステム化で貨幣が求めているものが、効率性であり(ここが大切&問題で、だれのための効率なのか、と考えないと、人道的なものがなくなってしまう)、利益の根源としての差異なのである。

差異とは、実態よりも低い評価のことをいう。

その差異に貨幣は集まる。
これが国境を越えて行われることに、グローバリズムの本質がある。

そしてここで、このマネー資本主義に対抗するような主旨で、地域通貨の考え方がでてくるのである。

なので問題は、ここからの展開であるわけだ。

私であれば、たとえば、金子勝のいう、地域経済再生のためには、今後10年間、小さな公共工事をなるべく地元に発注する、という考え方を持ち出してくるだろう。

この場合の、今後10年間、小さな公共工事をなるべく地元業者に発注する、ということは、つまり、地域通貨と同じ働きを期待されているわけだ。

なので(私であれば)、今回の建ソネットの記事の落としどころは、地場経済活性化のための継続的な小規模公共工事は、地域通貨と同じ働きを期待されている、という展開にするだろう。

それがCALS的な視座から見るということだ。

CALSは真性のマーケット・ソリューションであり、マネー資本主義の背景にある新古典主義的な原則に従う。

その理解があれば、『米などの社会資本整備・・・云々』の展開も、なにか不自然なものであることが理解できるだろうし、

『実は、こうした官尊民卑の発想は、官側(役人)より大衆の方がより強く持っているように感じる。実際、民間企業(具体的には建設会社)が、イニシアティブを握って、公的な仕事をやろうとすると、すぐ「不正」の二文字からなる色眼鏡で見る。民間(建設会社)=不正(汚い)、行政=公正という先入観だ。その辺の意識から変えないと、公共事業改革など絵に描いた餅のように感じられる。』

という結末にはなりえなかったろう。

長野県でおきていることは、『民間企業(具体的には建設会社)が、イニシアティブを握って、公的な仕事をやろうとすると、すぐ「不正」の二文字からなる色眼鏡で見る』ことではない。

長野県でおきているのは、過剰なネポティズム官僚主義に対する県民世論の嫌悪であり、その文脈における「公共工事という産業」(これには官も民も含むのだよ)に対する県民世論の嫌悪である。

さらに言えば、当事者に「公共工事という産業」という自意識がない故の、県民世論との共感とコミットメントの喪失、つまりは信頼の崩壊なのである。

田中知事の存在とは、この県民世論の表出なのだと考えれば理解しやすいだろう。
(もしくは、田中知事は、この県民世論をうまくコントロールしている、といっても良いが)

問題は官と民を切り分けることでは解決できない。
問題の本質は、「公共工事という産業」の信頼の崩壊なのである。

ということで、もっと続きを書きたいのだけれども、今朝はここまで。
続きは7月8日 長野県松本市(松本市勤労福祉センター大会議室)で聴いてほしい。

7月8日はこんな話が、(たぶん)沢山でてくるはずだから。


■早めのお祝い

タロサです。

「7月4日に生まれて」なんて映画もありましたが。独立記念日でしたっけ?
なるほどなぁと妙に納得したりして。

で、たぶん当日はお祝いメールするの忘れちゃうと思うので(爆)先に言っておきます。

お誕生日おめでとー!(^o^)/

さて、年に1回、乗るかどうかわからないし、しかも大抵はツアーなので航空会社も選べないから、マイルなんて全然関係ない私ですが。

カード時代というのは1枚のカードで全て用が足りると思っていたのに、実は統一されないのでとんでもない枚数を常時所有していないと何の役にもたたないというのはすでに経験済みでして、私の財布の中は、紙幣がカード枚数を上まったことがないという状態で、いつもパンパンに膨れ上がっているのはカードのおかげです。見栄えはいい。

そんなこんなでカードの特典というのを享受していなかった私ですが、先日、外付けHDDなどをビックカメラで購入した際に(現在、私のHDDの総容量は380GBになってしまいました。来月には500GB突破しそう)、ポイントカードを作りまして、これが気づいてみたら1万円弱ものポイントが付いているじゃあ〜りませんか。ラッキー。

今まで気にしてなかったんですが、こうやって塵も積もれば山となると、消費者心理としては、リピーターになっちゃうもんですね。

問題は、一番近くのビックカメラが高崎なもんで、片道1時間弱かかっちゃうってことなんですけどね。

んではまた。

タロサ、お祝いありがとう。
といっても、嬉しさも半分ぐらいの誕生日ってところだろうか。

生き延びることに喜びを感じれるようになるのは、いったい何歳(いつ)なのだろうか。

2003/07/01 (火)  ▲
【7月だ】

■夏風邪注意

家人が夏風邪にかかってしまい、医者に全治1ヶ月と診断されてきた。

症状は私が○本SARSと呼んでいたもので、最初発熱し、その後セキが続き気管支炎か肺炎かのような症状になってしまい、それがかなり長引くというものだ。

私は、4月中旬にかかったこの風邪のせいで、煙草がのめなくなってしまったのだが(おかげで今日から値上げされても全然大丈夫)、これはかなりひどいのだ。

それで、この風邪、私の知り合いでは、北海道で、お二人がただいま闘病中。
皆さんも注意されたし。


■現在実践モード

今日は、長野県飯島町の野村建設さままで、イントラネットの勉強会にお伺いする。
今日の旅程は、8:00新宿高速バスターミナル → 飯島 11:36 である。

朝8時のバス出発時刻に間に合うように、新宿へと向かわなくてはならないので、朝は何かと忙しい。
朝ごはんは、バスの中でおにぎりを食べようと思うので、風邪をひいているにもかかわらず、家人は、朝5時に起きて、おにぎりを握らなくてはならない。(感謝)

バスの中で食べるおにぎりは、じつに美味しいのだよ。(笑)

さて、今日は、午後からイントラネットの勉強会(第1グループ)を行い、初めて飯島に宿泊する。
宿は温泉らしいので、少しはのんびりできるかもしれない。

明日も朝から勉強会(第2グループ)を行い、終了後、お昼ご飯を食べ、午後の便(飯島 14:39 → 新宿高速バスターミナル 18:15)で帰京する。

飯島までは高速バスでの陸路移動しかない(JRもあるが現実的ではない)、信州伊那谷への移動は、とにかく時間がかかる。

それで、2回の勉強会が二日がかりになってしまうのだが、私はこういうのは嫌いではないし(もう若くないので、体は大変だけれども)、なによりも、私のIT化理論へコミットしていただき、「動き出す」方々を目の当たりにできる喜びは、何物にも代えがたいものなのだ。

ブラウザの「お気に入り」、関与先のホルダには、私がかかわった関与先さんのイントラネットのURLが、ひとつづつ増えていくのだが、これらをみていると、なによりも、これが私が生きてきた証なのだ、と感じてしまうのは、歳をとったせいだろうか。

ということで、今の私の活動は、かなり高密度に「実践モード」なのであるが、問題は、この「実践モード」は、F2F(リアルなコミュニケーション)をベースにしなくてはならない点である。

最初からデジタルだけでは人は動き出さない。
→じつはこれがとても大切で、意外とこの点を忘れているIT推進論者が多いのも事実だ。

なので、私は、F2Fのために旅を続けなくてはならない。

でも、こうして個々の企業(というか、そこで働く方々)を、インターネットの精神分化に向かって開放する実践を行えていることを、私はなにものかに(それがなにかは、いまだにわからない)感謝したいのだ。

私を生かしてくれてありがとう、なのだ。


ところで、amazonでの桃論』、なぜか昨日は好調だったのだが(久しぶりに1000番台)、何があったのだろうか?

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