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店主戯言0030901 2003/09/01〜2003/09/15 "There goes talkin' MOMO"


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2003/09/15 (月)  
【茨城からのメール】

先週末の水戸での仕事に対して、メールをいただいていた。

まずは12日の仕事に対するメール。
12日の講演会、皆、相当、感銘を受けたようです。これをきっかけに、業界としての理論武装できるようになれば幸いと思っております。
まことにありがとうございました。
懇親会、楽しかったです。先に失礼させていただき、申し訳ございませんでした。
今度の役員会で、先生のお話について議論するのが楽しみです。
またのご来訪を心よりお待ちいたしております。

そして、13日の仕事に対するメール。
今日のセミナーでのイモリ、蕎麦の実の断面写真とだぶって後から想い出して笑いました。私はあのイモリがなんだかとても面白かったし納得だったのです。

イントラネットは他社事例にも学びながら、いつかうちの個性もしっかりと出てくるといいなぁと願っています。
とにかく楽しみながら続けていきたいと思っています。

反省、追体験をこつこつと書きながら・・・継続、継続ですね。
う〜私も自分のことを書くことを始めないと真実は何も見えてこないかもしれない〜考えさせられます。きょうは詰め込みました。
気分は爽快なのですが、頭はなんだか・・・todoなのです。

どうもありがとう、なのだ。(^O^)/

私は、ただ、たんたんとはなすだけだ、それをどう捉えるかは、聞き手のキャパシティ次第だ、などといいながらも、こうして、反応があることは、なによりも嬉しい。

これが私の活動エンジンでなのであり、全ての始まりなのだからだ。


さて、12日の講演は「自治体CALSの理解」という、比較的マクロな視点から見た、「公共工事という産業」のIT化についてのはなしであった。(これは、今の私の仕事の一方の柱である)

茨城県の公共建設政策におけるIT化の状況は、おせじにも建設業界にとっては、良い状況では進んでいない、と感じている。
従来型、上意下達型のスキームとはフォーマットそのものでしかない。


13日のはなしは、その対極のような、ミクロもミクロ、三胚葉の生成からのアナロジーなどという、IT化への進化論的なアプローチから(このアプローチはマクロ的だな)、個々の企業、個々の人間がおこなうIT化とはなにか、というはなしであって、これも今の私のもう一方の柱なのである。(最近の私のお気に入り、いもりの胚葉形成アニメーションは強烈だよね)

私の仕事は、建設業界におけるIT化のコンサルテーションと一括できるのであるが、具体的には大きくふたつに分かれている。
つまり、事業者団体ベースのIT化と、個々の企業がおこなうIT化に対するコンサルテーションである。

これは同じIT化でも、じつは戦略(目的)が違う。
なので、自ずと話す内容も違ってくるのである。

でも、最終的な位置は同じところにいこうとする。
それは、哲学が一緒だからである。


そして、最後にもう一通、水戸からのメールである。
13日のお昼に、お蕎麦をいただいた香月庵さんからである。

大変お世話になります
茨城県 水戸 創作そば料理 幸月庵です

先日は、ご来店頂き(HPでのご紹介も含めて) 誠にありがとうございます

機会がありましたら またのご来店を お待ちしております。
簡単ではありますが、御礼申し上げます。

今後とも 宜しく お願い致します
---------------------------------------------
創作そば料理 幸月庵
   店主 広瀬 喬 
HP: http://www.e-soba.jp/
E-Mail: kougetuan@e-soba.jp
----------------------------------------------

蕎麦屋からもらった始めてのメール、それも名詞もお渡ししていないわけだから、たぶん長谷川さんが気を利かしてくれたのだろう。

まあ、店主の薀蓄に比べれば、かなりあっさりしたメールではあるが、更級の素晴らしさと、このメールでこの店は私の記憶に残ることになるのだろう。

2003/09/14 (日)  
【言語定義】

今朝書いた文章を読み返していて、ああたぶん勘違いされるところがなるな、という言語定義の曖昧さに気付いてしまった。

それは、『「決める」は、他律的な意思決定であり、意思決定の場とは独立した意志決定者(デジジョンメーカー)が存在しており、一方「決まる」は自律的な意思決定であり、独立した意志決定者が存在しないか、若しくは存在していても、意思決定の場に従属している、という。』というところと、『決める国家としての米国と、決まる国家としての日本、決まる業界としての「公共工事という産業」』という部分のつながりである。

私は、不用意に「決める」を他律的な意思決定、「決まる」を自律的な意思決定と書いてしまったのだが、例えば、決める国家であるとした米国では、個人レベルでの意思決定は、逆に自律を重んじているのではないのか、という疑問が湧いてくるはずである。

つまり、「決める」と「決まる」は逆じゃないのか、という疑問である。

この疑問に答えるキーワードは、、「決める」を特長付ける、意思決定の場とは独立した意志決定者(デジジョンメーカー)という部分で、これはコミュニティからは切り離された連続性のない「絶対」の存在を想定としていることに気付けばよい。

つまり、絶対的な神であったり、科学の存在である。
それは日々の生活からとは連続性のない、つまり世間という概念から生まれる、しがらみや馴れ合いとは対極の価値観の存在である。

そのような「世間」からは連続性のない存在が、価値観を「決める」社会では、その価値観を前提(範疇)として個々の人間の意思決定がおこなわれ限り、ミクロ的には自律的に見える。

一方、「決まる」とは、独立した意志決定者が存在しないか、若しくは存在していても、意思決定の場に従属している場合である。

つまり、コミュニティ、若しくは一人一人の人間の中に、それぞれ勝手な神(八百万の神々)や、父親的な(血縁的な)意志決定者が存在しているのである。

このような社会では、絶対的な神は存在せず、科学的であるよりも、コミュニティ内での日々の生活から生まれるルールが重要視される。そのような意味で、これは(マクロ的には)自律的な社会なのである。

しかし、一人一人の人間の意思決定においては、世間という概念から生まれる、しがらみや馴れ合いというようなものが重要視されるために、個々の意見が尊重される必要ははない。つまり、ミクロ的には他律的な意志決定者としての個人が見える。

と、まあ、こんな感じかな。




【日曜の朝にうだうだと】

目覚めて、サプリメントを取りながら、水を飲み、世の中は連休なのだな、と気付くのに時間がかかり、今日はなにやるんだっけ、と考えては時間が過ぎてゆく。

最近の私の脳みそのキャパシティはかなりタイトで、それこそ失われた20年を取り戻そうとしてきたここ数年の、業務用掃除機のように、何でも吸収してしまうような、自分でも驚くような展開はなくなっている。つまり、思考が閉塞気味なのだ。

cover こんなときには、新しい刺激が必要なのだが、そんな中でも、最近、私の脳みそが面白がっているものに、問題解決型モデル(AHP Analytic Hierarchy Process)、があって、これはまだ、木下栄蔵さんの『成功と失敗の科学 −ゲーム理論からAHPへ−』という本を一冊読んだだけだが、ゲーム理論(というかその想定する人間観)に限界を感じていた私にとっては、かなり刺激的なものである。

つまりは意思決定について論理的な考え方なのだ。
例えば、この本には、「決める」「定める」「決まる」という意思決定に関する3つのパターンの存在が提示されていている。

「決める」は、他律的な意思決定であり、意思決定の場とは独立した意志決定者(デジジョンメーカー)が存在しており、一方「決まる」は自律的な意思決定であり、独立した意志決定者が存在しないか、若しくは存在していても、意思決定の場に従属している、という。

しかし、個人の意思決定というのは、相補均衡論(山岸俊男)を持ち出すまでもなく、環境とか、他人の行動(意思決定)とかにも左右されるわけで、それを「定まる」と理解すればよいわけだが、この本は、その「定まる」の位置を、意思決定における独立性と合意性を同時に満足するもの、すなわち、独立した意思決定機構が存在し、「定める」ものと「定められるもの」が連続しているものとしているわけだ。

であれば、現状としての「定まる」には、その環境によりふたつのパターンがあることに気が付く。
(環境とは歴史的、地理学的に形成されてきた我々が存在する社会でありコミュニティである)

つまり、「決める」よりの「定まる」である「決める社会」と、「決まる」よりの「定まる」である「決まる社会」である。

そうすると、決める国家としての米国と、決まる国家としての日本、決まる業界としての「公共工事という産業」、そういうもののものの見方ができるようになってくる。

そして、それを限りなく、理想として「定まる」に寄せるための意思決定方法とはなにかを考えるヒントが、AHPにはあるように感じているし、ここからの思考は、脳みそ的にはかなり面白いわけで、退屈することはない。

経済活動にしろ、政治的な活動にしろ、個人的な日々の生活にしろ、私たちの日常は全て意思決定の連続でしかないのだからね。

ということで、今日は岩手建協さんでのイントラネット勉強会用PPTの作成をするのだ。
サイボウズOffice6のマニュアルは、まにあ・1号さんがつくってくれた大作があるのだけれども、もっと単純化する予定。

2003/09/13 (土)  
【水戸から帰る】

12日、未来協議会での講演、懇親会とF2Fの実践。
13日、平和建設さんで、イントラネットの勉強会。

ねずみの王国でストレス発散をしてからというもの、私の脳みそは結構過激なわけで、喋ると本音しかいえないような状況になってしまっている。
こういう時に、私のはなしを聞くのはたぶん面白いだろうなぁ、と思う。

人間って、なにか溜まってしまうと、喋れなくなるような気がする。
優しいことばを並べるときは、どこかで自分に嘘をついていたりするのものだ。

昨日、今日と、私の主張はフォーマットへの警告である。
人間は今の状況に適応するだけでは先はない。

過剰品質。
人間としての過剰品質こそが、次の状況への適応能力である。

それを私はキャパシティと読んでいるわけで、それはフォーマットされた人間にはない。

そのキャパシティを自らのものとする方法は、「反省」という行為にある。
自らの体験を追体験する、つまり、自分のことばで自分のことを書くとき、文字にならないなにかが身につく。

その繰り返し、つまり継続こそが力である。
ただ、フォーマットの継続ではならない。

それはキャパシティを大きくすることは難しいだろう。


今日のお昼は、長谷川さんと一緒に香月庵で蕎麦をご馳走になる。
ここの更科はうまい。

上野に降りると、熱風。

2003/09/12 (金)  
【今日は水戸へ】

浅草は、これから夏真っ盛りのような気配で、連日蒸し暑い。

今日は、茨城建協未来協議会さんでの講演のため水戸に向かう。
明日も、平和建設さんで勉強会をおこなうため、今日は水戸泊である。


さて、57万は、(仮称)いとうさまがゲットされた。

桃知さん、おはようございます。
おなじみの伊藤でございます。

昨夜、570000私が踏ませていただきました。
おバカかもしれませんが、子供のように、うれしいのです。51歳だというのに。

おめでとさん、そして、ありがとさん、なのである。

51歳は生きていれば必ず到達する通過点でしかないわけで、好奇心さえ忘れなければ、(仮称)いとうさまのように、心の中はいつも少年のようだ。

身体は滅びる。
でも必要なのは、いつも好奇心を持ちつづけることだろう。

自分自身に飽きていちゃ、こうはできない。


それから、ねずみの王国ネタは、やはり多くの方々の琴線に触れるとみえて、メールも多かった。

まずは、Mさま。
私がねずみの王国にいった時には、台風の影響で雨でした。
桃知さんは、天気にも恵まれリフレッシュ出来たみたいですね。
やはり日頃の行いの違いなんでしょうか?

かもしれません。(笑)
ねずみの大国で、台風の被害に遭う、というのは、このくそ暑い日に、満員電車の中で、相撲取りの集団にであったぐらいにほど悲しい。


そしてNさま。
私も8月の暑い日にねずみ王国へ行ってきましたよ〜
で、”エレクトリカルパレード”の事を”テクニカルパレード”と呼び店の女の子から”Nさん違いますよ〜”と笑われました。
まあ工業高校情報技術化卒の私としては何となくテクニカルと云う言葉の響きに慣れてしまっていて・・・
工業高校卒の者達の性でしょうか

このメールの要は、「店の女の子から」というフレーズであることに気が付かれただろうか。
ここから、この工業高校情報技術化卒の人はなにをしている方なのか、いろいろ模索してみると楽しい・・・かもしれない。

脳みそを飽きさせてはいけない。

それで、締めは、うどん星人1号さま。
「ネズミーランド」だーい好きです。
折しも、郡上桃塾の翌日「白川郷」での昼食時に「オリエンタルランド」の話題が出ておりました。
徹底的にお客様を楽しませる姿勢。巧くリピーターを作る。
ついのせられて行ってしまいます。
子供なんか連れてなくてもおじさんとおばさんで行けてしまいます。

何が好きって、師匠もお好きなよるの行進ですね。
初めて見たときに、もう鳥肌立ちました。
「小さな世界」も、初めて行ったときは感動しました。
何たって、我が家には古いバージョンのパレードのCD完備です。(大ファンの夫が購入)あのメロディーが流れると、ここはカバのとこだぁ・・・まで解るほど。
なんでしょうね。魅力あります。

4歳の姪っ子が来ると、リクエストに応えてみんなで騎馬隊になって部屋をぐるぐる回ったりしています。

今朝、鳥肌が立ちました。
サイモン&ガーファンクル。目覚ましテレビで見たのですが、時の流れを感じました。
しかしです。サイモンはそれなりなんですよね。
ガーファンクルって、昔現役の頃からおでこ広くって「あぁ〜この人は、数年後にはかなりやばいことになるのでは?」と思っていたのですが、これがあまり変わっていないのには驚きました。
単純に、おでこの広〜い人だった。ってことでしょうね。

S&Gの歌。心にしみますね。ミームですね。

先日のセミナーのは事例発表は、受講者のココロを大きく揺さぶったと感じております。
次回も大変楽しみです。

お忙しい日々。まだ暑い日が続くようです。
美味しいお酒下飲めるよう、ご自愛下さい。

ねずみの王国は、禁酒法がまかり通っているので、自然と休肝日になってしまった。
お酒を止めたい人は、年間パスポートでも買って、毎日ねずみの大国で暮らすのもいいかもしれない。
断酒会なんていうよりも、まだ気が紛れるだろう。

S&Gについては、もう生きているだけでいいのであって、それはローリング・ストーンズも同じ。
往年の、全日本プロレス会場の売店で、サインを書いてくれていたジャイアント馬場のような存在でよいのだ。

あの存在こそが、全日の会場をワンダーランドにしていたのだ。
安心して遊べる・・・だな。


それで、総裁選ねたは一本だけ。

どうも、ご無沙汰しております。以前書きました
桃知さんへの失礼な表現に反省をしている
毎日を送っていました。本当にすいませんでした。
また、その間金子郁容氏の「新版コミュニティソリューション」を手に入れて読んでいたり、あと元気が出るかと思い司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み始めました。

今回の総裁選では、小泉支持の自民党議員でさえ地元の後援会から公共事業の陳情を受けてしまうという妙な映像をテレビで見ました。
それであっても、公共事業を減らそうという小泉氏を支持するその議員の心中とはなんなのだろうかと思いました。

高村氏の「マクロ経済の基本の基本・・・」という演説には説得力を感じたりするのですが、マスコミは必死に小泉有利と報道してます。
小泉氏を当選させようという風にも受け取れるほどに。

ここで思うのが、現実社会とIT社会との乖離です。
コミュニティには議論が起こるという必然があるのに、現実の社会では国中を巻き込むほどの議論がなかなか起きない。

この場合現実社会とは、日頃接する人々の中で起きていることまたは、その環境で、IT社会とはインターネットを利用し、情報の発進受信をして相互作用が起きること、またはその環境と考えています。

「バカの壁」なのでしょうね。
壁をもって、公共事業の本質を考えないということなのかと思います。

近々私の参加しているネットを利用したコミュニティの方々とF2Fをします。いわゆるOFF会です。
世間が持つその壁について話し合ってみようと思っています。

IT化とは、外肺葉(神経系)の変体促進作業じゃなのかな、と最近は考えている。
つまり、現実社会もIT社会もつながっているのだ、神経系で。

それはリアリティがあるってことだ。

たとえば、私が日々TVで見る映像のうそっぽさに比べれば、こうして、デジタルな世界でのコミュニケーションの方が、数段リアリティがある。

ただ、これにはしかけがあって、その仕掛けがF2Fなのだ。

2003/09/11 (木)  
【追記:57万】

今朝、自分のサイトを見てみたら、カウンターは、まもなく57万のようで、ここは恒例の切番祭りなのである。
景品は、ももち どっと こむオリジナルトレーナーというものを現在作成中で、これはまだ、景品未発表の方(秋野さんと桂さん)にもお送りする予定なのだ。

ということで、57万で遊んでやってください。
そして、あたったら、迷わず店主へメールだよ〜ん。

って、書いた文章を読み直すと、朝は言語が不自由なようで・・・。


【ねずみの王国】

■ねずみの王国

私が昨日どこに逃亡していたのか、というと、アメリカ生まれのねずみの王国で、満艦電飾夜間行進を楽しんできたのだった。

私は、あのねずみは嫌いだが、満艦電飾夜間行進だけは大好きなのである。

これは、飾り立てたら、結局は単純さを追求してしまったような芸能なのだと考えている。

それはまるで、歌舞伎のような感さえある。

これを発明した奴は、ものすごく偉い、と思うのだが、その昔、落語家で電飾して高座にあがった方がいる、とも聞いてはいるし、デコトラなんかもこの部類なのだろうから、発明者という表現はちょと不都合かもしれない。

正しくは、ショウビジネスとして、ここまで過剰を単純に昇華した奴は偉い、であろう。

くだらない、といわれるのは百も承知でいうが、私はこれが大好きだ。

だから、今回のストレス発散にこれを選んだのだのだが、この効果はとても大きくて、私は少々凶暴になっていたりする。(笑)

というわけで、今は日付も変わってしまっているのだが、昨日はメール・チェックもせずに、「イッツ・ア・スモール・ワールド」を鼻歌交じりに過ごしていたわけで、溜まったメールに今頃返信を書いている。すみません。m(__)m

その合間に、このページも更新してしまおうというわけで、今の時刻は午前1時25分なり。


■ヒエラルキー・ソリューションの終焉

自民党総裁選は、今という時代に起こるべくして起きている、ヒエラルキー・ソリューションの崩壊を象徴しているように思う。
野中さんの引退ばなしのことである。

私は、個人的には、野中さんは大好きだし、その理由だけででも藤井さんを応援したいとも思う。
彼(野中さん)は、自らの主義主張でものを語れる数少ない政治家だと思う。

ただし、今回の戦略(引退発表)はいただけない、というか、やっぱりだめか、とさえ思わざるをえないのだ。

たしかに、野中さんのいうとおり、青木さんは批判されるべきだと思うが、それをああして公でいってしまうようでは、野中さんも焼きが回ってきているとしか思えない。

戦術的には、藤井さんの応援にはならないだろうし、日本のヒエラルキー・ソリューションを牛耳ってきた橋本派の、その役目のまくひきを象徴しているだけでしかないのだろう。(つまり、第4象限にいる→どぼん)

一方、小泉さんも、菅さんも、小沢さんも、政治経済学的には新保守主義の方たちなのである。

新保守主義の特長は、経済政策は、新古典主義にその基盤を置き、マーケット・ソリューションを標榜していることにある。
つまり、第3象限にいるので、今という時代(インターネット社会)に居場所を得ている。

今回の自民党総裁選は、主義主張で分ければ、新古典経済学的な基盤をもつ保守主義の勝利はゆるがないだろう。
つまり、小泉さんである。

しかし、彼が、自民党を代表することで、民主党との違いはまったく見えなくなる。
自民党も民主党も、主義主張のレベルで、どこに境界線があるのかがわからなくなってしまうだろう。

ひとつ確かなことは、新保守主義が政権をとっている間は、「公共工事という産業」にとっては、あまり良い時代ではない、ということである。

それから、私が懸念していることとは、新保守主義者のいうマーケット・ソリューションが、じつは似非であり、新たなヒエラルキー・ソリューションを構築していくものでしかない、ということである。

まあ、議会制民主主義の欠点はそこにあるわけだけれども、それを否定すると独裁に近くなっていく。

なんだかやりきれない状況である。

ということで、今日の私は自宅で仕事。
途中、マッサージにでかける予定ではあるが・・・。

体が石のようなのだ。

2003/09/10 (水)  
【それなしでは始まらない】

今日はある時間帯から(たぶん午前11時ごろから)完璧に休みなのだ。
私は私のために私のストレスを発散に出かけるわけで、なので連絡は夜になるまで全然取れないかもしれない。

それにしても、こうして日本中をかけずり回っていて気付くのは、e-Japanとか、電子政府とか、IT先進県○○とか、どこもかしこも掛け声だけは立派なのだけれども、少しでも都市部を離れると、極端にブロードバンドユーザー率が落ちる、ということだ。

それは、地方における一つの特長のようなものになってしまっている。

極端なはなし、電子政府がどうしたとかいう前に、電子入札もできないような通信インフラしかないところは、いくらでも存在してしまっているのが、この国の現状なのである。

確かに、人口密度の低い地域(当然に面積だけはやたら広い)に、インフラの整備をおこなうことは、単純な算数的効率計算では、やらない方が合理的なのである。

その選択は、その一局面だけを見れば、合理的な意思決定といえるだろう。
意思決定としては、けっして間違いではない。

しかし、今この国が陥っている閉塞とは、この一局面、一局面における経済的合理性だけを重視し過ぎている結果なのだと感じている。
つまり、ケインズが指摘し、アローが数学的に証明した「合成の誤謬」に陥っている、ということだ。

都市部以外でのブロードバンドユーザー率の低さは、つまりはデジタルデバイドである。
これは個々の企業活動、つまり経済的な合理性の追求だけでは、永遠に解消できない問題であるばかりか、一個人の努力でなんとかなるようなものでもない。

つまり、これは社会資本なのである。

であれば、政府(地方政府)は、この時代の特性(インターネット社会の特性)を再確認し、自分の足下をもう一度みわたし、自らの役割を再確認すべきなのである。

さもなければ、都市部への人口の集中は避けられないだろうし、過疎化はさらに進むだろう。
それは政府のデジタル化が進むことによっての「強制」でしかなくなってしまう。

いみじくも、クルーグマンが指摘したとおり、インターネット社会は都市部への人口の集中化を加速している。
それは東京だけにはかぎらない。

例えば、札幌市の人口は既に185万人を越えますます増殖し続けているわけだが、これは北海道の人口の3分の1を越えているし、各地方においても、ミニ東京化した都市部だけの人口が増えていく。

もっとも、クルーグマンの指摘の理由は、人間は、デジタルコミュニケーションが発達すればするほど、F2Fを必要とする、というものなのだが(それはまったく正しい)、今、この国で起きていることの愚かさは、F2Fをベースとした地域社会のつながりを、経済効率という合理的な意思決定が破壊している、ということである。

そして問題は、ローカルやコミュニティを強くするはずのインターネット(環境整備、インフラの整備)が、その一端を担ってさえいる、ということだ。
それは、インターネット社会とは、まったく別物をつくりだそうとしている愚行としか思えない。

インターネットが、距離と時間を越えるものなら、経済合理を越えて、私たちは世界中とつながりながら、自らの思いのあるところに住処を求めることができるはずである。

そして、そこで営まれる生活が、「一人一人の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保される」ものであるなら、何者もそれを否定してはならないはずである。

本来、人間が何処に住むかは、本人が決めれば良いことである。
インターネットのない社会を選択するのも自由である。

しかし、インターネットを必要とする方々がいる限り、山の中でも、離島でも、過疎の村でもブロードバンドは必要なのである。

それなしでは始まらない。

昨日、盛岡と宮古の間を、谷を縫うように結ぶ美し風景の中を走りながら、そんなことを考えていた。

2003/09/09 (火)  
【@盛岡】

昨日、東北新幹線はやての車窓からみえる田園の稲穂は、直立したままで、実るほど頭をたれる稲穂かな状態からは程遠い状況であった。

盛岡の最高気温は20度にいたらず、雨模様の一日であった。
昔なら、飢饉の年として記憶されるような状況なのだろうな、と思った。

そんな中、岩手建協のイントラネット設定は一応終了。
今後は細かな修正と設定をおこないながら、勉強会の段取りを進めていく。

今回は、CWJのホスティングとサイボウズOffice6の組み合わせという、私にとってはもっともオーソドックスなスタイルを選択している。

このやり方だと、システムの構築に要するリソースは最低限ですむ。つまり、ほとんど時間がかからない。
これはとても大切なことなのである。

大切なのは、システム(ハード的)を構築することではなく、この後の勉強会から続くIT化への道なのであるが、やたらに構築に時間がかかるシステムなんぞを選択してしまうと、システムが出来上がったことで満足してしまう。

しかし、(特に事業者団体の場合)IT化の戦略(目的)とは、機器を操作する、というリテラシーの向上を通すことで、つまり体で覚えることで、情報が見える、情報を扱う、というリテラシーを向上させることにある。(多くの失敗事例はこの視点に欠ける)

システムは、その戦術に過ぎない。
つまり、フック、きっかけのようなものである。

今後、岩手県全県規模で、この機器を操作する、というリテラシーの向上を通すことで、情報が見える、情報を扱う、というリテラシーを向上させる、という取組みをおこなうことになる。

なので、勉強会では、岩手建協全ての支部におうかがいするつもりである。

体もきついし、スケジュール的にもきつい仕事となるのは必至であるが、これは提唱者である私自身がやらなくてはならない仕事なのである。
しかし、私一人でできる仕事でもない。当然に多くの仲間も必要なのである。

つまり、岩手建協IT特別委員の皆さんには、これからますますお世話になることになる。
むしろこれからが本番なのである。


ということで、今日は新里村へ。
午前8時30分には向井田さんが迎えに来てくれるので、今朝はなにかとばたばたしている。

なので、ほな、股。なのである。

2003/09/08 (月)  ▲
【郡上桃塾 その2】

なぜか2時半に目覚めてしまったので...。

郡上桃塾の狙いは、郡上建協の皆様に(つまり、建設業を生業としている自分にとって)IT化とはなにか(つまり、情報社会に生きるということはなにか)、ということを再確認していただくことにある。

そういう意味で、事例発表に関しては、郡上建協の皆様により身近な事例として、大規模ではなく、比較的小規模建設業の方々にお願いしている。
その意味でも、今回の吉谷さん八木沢さんの事例発表は、とてもよかったと思う。

事例をはなすとき、大切なことは、自分のことを自分のことばで語ることである。
それは難しい理論でもなく、高尚な理想でもない。

ただ、たんたんと自分自身のIT化を語ることである。
それは、情報社会で生きようとする自分を語ることである。

自分はIT化を通じてなにをしてきたのか、どう変化してきたのか。
IT化というものが、情報の機器やそれをを操作するものだけではないと気が付いている方々は、たぶんに、そんなことしか話せないものなのだ。

しかし、それでも人の心は動かせるのである。
そして、語る己も自分自身を(少しだけだろうが)知ることができる。

今回は、ふたりともそれをやってくれたのだと思う。
うれしいと思った。

そして、それを郡上の皆さんはどう感じたのか、である。
どう動き出すのだろうか。

寺田さんからのレポート。

吉谷さん、八木沢さんの講演は初めてでしたがふたりとも個性豊かな独特なIT活用されてらっしゃるので、とっても刺激になりました。
ありがとうございました。

また、桃知さんのお話も久しぶりだったような気がします。
酒の席で聞くこととダブってしまってますが。(笑)

吉谷さんの取り組みは以前から聞いていましたが、具体的なことは昨日はじめて知りました。

そもそものスタートが役所の方の業者に対する満足は何なのか?
担当者が役所の中で上司から何を求められているのか?
そんな発想から、自社のイントラへ入ってもらった経緯や、役所内での、中傷などなかったのかなど直接、聞けたことはとってもいい刺激でした。

普通で考えれば、民間企業のイントラに入って何かを発言したり、書き込んだりすることは、第三者からすればなんらかの憶測が生まれて当然だと思います。

役所の中では、そんなことをやってると他の業者から勘ぐられるぞとか、同業者からは、何コソコソやってるんだとか、誹謗・中傷・非難はあっても、褒められることはないでしょうから。

そんな疑問を吹き飛ばしてくれるような、自信に満ち溢れた講演に素直に感動をしました。

八木沢さんも、独特なカラーですね!
民間建築事業はまだこれから山あり谷ありでしょうが、がんばってほしいものです。

ご自身の歴史の語りは波乱万丈で楽しかった。
そして、IT化については素直に疑問点を語られていて、しっかりと問題意識を持ってITを活用されている。

以上、長々と書きましたが、次回も楽しみにしています。
どうもありがとうございました。

寺田さん、ありがとう。

ということで、今日は、盛岡へ。
岩手県建設業協会さんのイントラネットを今日一日で仕上げてくる。

今晩は盛岡泊。

2003/09/07 (日)  
【休み】

朝7時のバス。名古屋は9時20分発ののぞみ。
11時に東京駅。そうして4時間、郡上から帰ってきた。

今晩も、昨晩と同じ方々と東京で晩飯を食べる予定であるが、あいにくの日曜日、やはり考えていた店はやすみ。
遅くまでやっている、きのおけない店を探しておこう。郡上からお越しの方々も疲れているはずだから。

郡上桃塾第2回目に関しては、とてもGOODだった。
でも、詳しくは後で書こう。

今日は、とにかく休みである。

2003/09/06 (土)  
【郡上へいってくる】

■根性なし

昨日は、久しぶりの休肝日にする予定だったのだけれども、確かに夜は飲まなかったが、お昼に生ビールをグラス3杯ほどいただいてしまって、私の体内アルコール濃度は下がることはなかった。

私は、自慢ではないが、根性なしである。

先日の「ももちどっとこむ」にて↓

「こんちくわ〜」って、この会社では、
日頃こんな挨拶でメールのやり取りしているのだろうか、と思うと・・・


・・・この疑問にお答えいたします。

みんなに対してではないですが(当たり前ですね)
ある一部分(お嬢・2号とか・・・)間においては、
もっとひどいかも知れません(笑)
擬音語炸裂です。
「ふが〜っ」「どば〜っ」etc

追伸1・・・「こんちくわ」がメジャーになった今、
「こんにゃくわ」が日の目を見る日も近いはず(笑)

追伸2・・・飲み過ぎ&夏バテには気をつけて下さいね♪

こんにゃくわ、って、おでんダネか。(笑)

追伸2に関しては、本当に気を使っていているのだ。
でもね、そうもいかないのも実情なのだ、って、本人次第なのだろうな、たぶん。(だから根性なしなのである)


■郡上桃塾

さて、今日は郡上桃塾の二回目で、吉谷さん八木沢さんに事例発表をしていただく。
二人とも、法政大学エクステンションカレッジの第一期生であり、長い付き合いの同志のようなものだ。

お二人と、初めてお会いした頃の主張といえば、動いている奴が一番ステキだ!ということに要約できるのだけれども、この二人は、私から発信された情報をキャッチし、自分なりに解釈し、動き出し、そして変わってきた方々なのである。

そういう意味では、『桃論』の実践者でもある。
郡上の方々は、この二人から何を感じる取るのだろうか。

感じるのも感じないのも受ける側のキャパシティ次第でしかないとすれば、「郡上の方々は、この二人から何かをを感じ取っていただきたい」とはあえて書かない、というか書けないのが今の私なのだ。

ということで、今日は以下で岐阜へ。
上野 8:02 京浜東北・根岸線 東京 8:10
東京 8:20 のぞみ 47号 名古屋 9:59
名古屋 10:10 東海道本線特別快速 岐阜 10:28

岐阜からは寺田さんにお世話になって郡上へ移動する。
早めについて、吉田屋でうなぎを食べる予定である。


■都市化と信頼の構築の相関関係

さて、新参者を受け付けないお話しでしたが、
私も覚えがあります。

現在の職に就く前、静岡と盛岡で営業マンとして仕事をしておりましたが、
新規開拓で個人宅を訪問すると、
両方とも非常に人当たりが良さそうな感じがするのですが、それは玄関までの話で、
玄関から先はそう簡単にはあがらせてもらえない。
そんな感じなんです。

どうも「城下町」というのがキーワードになっているのではないか?と思います。
お殿様の住んでいる場所に、我々も一緒に住んでいるというプライド?
なのかどうかわかりませんが、なかなか踏み込ませてもらえないところが共通点かも
しれません。

それにしても、20年前の静岡市は、どこも玄関が開けっ放しで
まさか玄関が開かないだろうなって手をかけると「ガラガラガラ…」「えっ?!」
ドロボウがきたらどうすんねん!って感じでした。
今は、もう状況が変わっているでしょうけど、
大阪出身の私としては、とても信じられませんでしたね。
それだけ、おおらかというか、和やかだったんでしょうね。

今の日本では、私の田舎あたりしかない情景でしょうが…。

それでは、また。

ふむ、成る程なのである。

先日、桃熊会のメンバーと飲んでいたとき、家に鍵はかけていない、という方がおられたが、それも熊本市内のはなしで、そのおおらかさに私はあきれ果てた、というか感心さえした。

台東区浅草ではこれは自殺行為に等しい。
熊本市が持っているものとはなんなのだろうか。

お城の件は、ちょっと違うように思う。
郡上にも人吉にもお城はある。熊本市内にも立派なお城はある。

問題は、都市化によるソーシャルキャピタルの欠如と信頼感の構築の間にある相関関係のように感じている。
信頼はどうしたら生まれるのか、生まれやすいのか、そのプロセス。

そういうものが違うのだろうか。
そして、そこにその地の地理学的な背景がラップしていく。

つまり、アルコールで犯された脳みそで考えるには、荷が思い話題なのだ。
・・・・・・・

では、いってくる。

2003/09/05 (金)  
【今日は休肝日である】

昨晩は、小田原の小関さんと飲んだくれていたら、最後の新幹線はいってしまっていて、仕方がないので、タクシーで浅草まで帰った。

タクシー代は、今まで私が払った中では一番高くて、37,130円である。
運転手→(^O^)/。私→(T_T)

ということで、今朝は当然に二日酔いである。
そして、小関さん、ありがとう、なのだ。m(__)m


なんだか「大阪三人会」の話題で随分盛り上がっていますが・・・・自分は決して,ハシャイだりしません・・・・
当日は何を着ていくか,どの帽子を被っていこうか,どのような話が出るのか,質問はできるだけたくさんしよう! はたまた,開催日までにこの胃痛を何とかして治し,うまい酒を飲めるよう準備しておこう・・・・ただそれだけです・・・・。(充分か・・・・)

実は,大阪二人会の時は桃知さんという人物のことは正直知らず,講義を聴くよりも,どのような人物かを観察するのに懸命でした。あの日以来,大阪二人会のビデオを繰り返し見て,毎朝の週間になった桃知商店のHPアクセスを繰り返すことにより,桃知論をかみ砕き 桃知さんという人物を自分なりに理解して参りました。
さてさて,これで大阪三人会では講義の方に集中できますし,宴の席でも遠慮することなく質問もできるかと思います。覚悟して頂くようよろしくお願いします。

桃知さん!決して関西は鬼門ではありません!新参者を受け付けない民族なだけです!(これがあかんのか・・・)
二日酔いの準備をして,深い深い話をしましょう!  楽しみにしています。

○盛さんありがとう。(^O^)/

確かに、関西は(というよりも愛知以西の都市部は)新参者を受け付けない民族のような気がする。
岐阜の郡上や、熊本の人吉はその逆である。

東はよくわからないのだが、岩手県の方々もものすごく人間性がよい。
(ただし、盛岡市は?だが・・・盛岡のヒトごめん。一般的なはなしとして理解してほしい。)

どっちがいいっていったら、郡上や人吉や、岩手県の方々の方が私は好きである。

ということで、今日も出かけるが日帰りである。
なので、今日は飲まない。

つまり、夜は出かけないつもりだ。
そろそろ肝臓が悲鳴をあげている。

2003/09/04 (木)  
【速攻 こんちくわ♪】

ももち@ひかり152号である。
速攻でメールが届いたので速攻で載せてしまうのである。

先日、砂子組さんHPの管理人日記に
≪どうも本州方面の方には
「北海道はどこにでも熊がいるんですよね?」みたいな
イメージが多少あるようです。≫と載ってました。

この逆バーション。
どうも関西以外の方には
「大阪ではみんな漫才やってるんですよね?」みたいな
イメージが多少あるようで・・・いやぁマジで。

たしかに、笑いのレベルは高いです。
そこらにいてるおばちゃんでもノリ・突っ込みは当たり前やし。
多分普通に環状線(大阪市内を走ってる電車)乗ってても、
周りの話聞いてるだけで、相当笑えるはず。

関東の視聴率リサーチでは笑点が20%で
ベストテンに入っているようですが、
関西ではそんな事はありえません。
生活の中に笑いが、いや笑いの中に生活があるからなのかも知れませんね。

そんなこんなで、もし大阪に来られることがあったら、
わざわざ吉本新喜劇を見に行かなくても、
ひぐまより高い確率で、漫才師のような一般人に遭遇できます。
中には引込み思案でノリの悪い大阪人もいますが、
そういう人は極少数派です。多分出世もしません(笑)


で、ですねぇ・・・本人が目視確認する前に、
今朝は「ももちどっとこむ見たで〜!」とか
いきなり「こんちくわ〜」ってなメールが来ておりまして・・・
ホント情報の速さにビックリしました。

そうそう言い忘れておりましたが、
私は大阪でも少数派の自称「引込み思案でノリの悪い大阪人」です。
間違ってもお嬢・2号とセットにはせんといてくださいまし〜(汗)
彼女は天然です。
私は養殖です・・・たぶん(笑)

ほな股〜!

まだ決まってもいない大阪3人会ネタで、これだけのメールを書いてくれるのだから、大阪人は侮れない。
わたしゃ好きだ。

望むべきは、関西は鬼門という私のジンクスを今度こそは覆したい、ということなのだが、笑点のあのつまらなさの奥にある本当のつまらなさがウケない地域である。

しんどいのは百も承知でごちゃごちゃと考えよう。
しばし待たれよ!なのである。


【@三宮%こんちくわ〜】

午前7時起床。
今日は小田原経由で浅草へ帰る。

新神戸 10:18 ひかり 152号 静岡 12:26
静岡 12:39 こだま 408号 小田原 13:27

小田原では、小関さんと一緒に、湘南建設業協会青年部会さんで講演である。
私の枠は2時間。

たぶん、たんたんと講演するだろう。
ただ、私のたんたんは、私のたんたんなのであり、貴方の思っているたんたんとは、わけが違うかもしれない。

だからといって、それがどうした、というものでもないのも確かではある。


こんちくわ〜。ねぇさん@大阪です。

先ほど、私の目の前をお嬢・2号が通りすぎながら、
微妙に手を振っていたので、「ん?どうした?」と聞くと、
「大阪に来るみたいだね〜」とのこと。
(主語なしでいきなり始まる会話)
「あぁ見た見た!」
そこからまるで希少動物でも発見したかのような
興奮状態の会話がしばらく続きました(笑)

Welcome!大阪!!
阪神優勝フィーバーで大阪もかなり盛り上がってます。
いつになるのかキリンのように首を伸ばして楽しみにしております。

ほな、股!

こんちくわ〜。
ぎゃははははぁ:::::はぁ、はぁ。。。


大阪3人会には、沢山メールをいただいてしまって、後戻りできないなような感じもあるので、必ずや実現したい、と己に誓うのであるが、昨晩は、三宮にてボケの逸材を発見してしまい、大阪3人会でやろうかと考えていた新ネタで、ボケをやっていただこうかと、事前打合せに熱が入り、つい遅くなってしまった。それにしても、淡路の皆さんには、大変お世話になりました、というかご迷惑をおかけいたしました。m(__)m

しかし、こうして考えてみると、お嬢・2号もねぇさんもおられるじゃないか、と思うわけで、「こんちくわ〜」って、この会社では、日頃こんな挨拶でメールのやり取りしているのだろうか、と思うと、この二人を聴衆の面前にひきづり出したい衝動に駆られる。

2003/09/03 (水)  
【@岐阜%二日酔い】

昨日、岐阜羽島駅に降りた私の感想は、暑い!のひとことである。
案の定、道端の温度計は35度を示し、私が出かけてきたときの上野の29度に比べれば、6度も高い。

それに、岐阜特有の湿っぽさが加わって、暑い空気が強烈に肌にまとわり付く。
遅れてきた夏である。

が、そんなことはどうでもよくて、昨晩は、久しぶりが沢山重なって、嬉しかったものだから、ついフルコースになってしまった。
締めは、本当に久しぶりの山本屋の味噌煮込みうどん。

どんなに暑くても、ああ、うまいなぁ。なのである。

久しぶり。薄くて広い紐帯。F2F。ソーシャル・キャピタル。私。あなた。ひとりひとり。ただ存在すること。
二日酔いの頭では、単語しか思い浮かばない。


ところで、関西方面のお二人(ジオさん西原さんね)に、そろそろ大阪が恋しくなってきた、というメールを出した。
答えは「!」である。

大阪、たぶん次は三人会である。
それも極力個人的なはなしに終始しようかと考えている。

例えば、起業とか、独立とか、お金儲けとか、まあ、そういうはなしだ。

そしたら、ジオさんからこんな返信。

1)清水の舞台から飛び降りる方法
   足を踏み出せば重力で墜ちる。思うほど難しくない。

2)起業して破産を怖がる人へ
   大丈夫。あなたにお金を貸す銀行はない。だから倒産したくでもできない。

3)準備ができていない、お金が貯まっていない、なら永遠にできない

4)華麗な自転車操業の薦め

5)運はどこにある?

,etc.

ぎゃはははは・・・である。

私は、かねてからスライダーズのようなものをやりたい、と考えていたのだけれども、一人でぼけと突っ込みをやるのも無理なはなしだから、なにか新しい芸を考えようかと思っていたりする。

この思っていたりする時間が実に楽しかったりするから、この仕事は楽しいのだ。
(でも、実際は、思っていたほどうまくいかなかったりするので、自己嫌悪に陥る)

というところで、本日は洲本(淡路島)で会議。
夜は三宮だぁ。(^O^)/

2003/09/02 (火)  
【今日は岐阜】

今日は久しぶりに大垣の建設CALS/EC研修センターへお伺いして、関与先の方々の岐阜研修の段取りをして、そのまま岐阜に宿泊し、夜はプチ岐阜桃組の懇親会である。

懐かしい方々、というか、私のこの仕事の原点のような方々とお会いできる。
広くて薄い紐帯を実感できる。それだけでも素晴らしいことである。

さて、今朝は時間がないので、某MLに書いたものと、某社のイントラネットへ書き込んだものを掲示しておしまいとする。


■裏開発主義(某MLへの投稿)

裏開発主義が建設業に重点をおいたのは、農業政策と密接な関係があってつまり、工業化に伴う農業の縮小化→兼業化→同じ土を扱う産業→建設業→複製しやすいミームとして、比較的容易に農業からこぼれた雇用を束ねること(人を養うこと)が可能だったからだ。

裏開発主義のキーは「複製しやすいミーム」とその産業がもつ器量なのだが、建設業は全国津々浦々で「複製しやすいミーム」であり、雇用を束ねることが可能だたわけで、これはある種のセイフティ・ネットとしても機能してきた。

他の産業が潰れても、未亡人になっても、最後は建設業がある。
山谷は最後のセイフティネットだった。
他の産業は潰れても、建設業だけは潰せなかったのはそのせいである。

その上、社会資本は整備されてしまうわけで、その経済効果は大なり小なりでてくる。農家には現金収入がもたらされ、国民の総大衆消費者化は進み、国内産業はそれで大きくなってきた。そのスキームに建設業に代わる産業はなかった。

今でも、建設業に代わる「複製しやすいミーム」をもち、かつ器量を持った産業なんか存在しない。

この産業(「公共工事という産業」を語るときには、歴史的な視座が必要だと思う。
ねたみそねみ的な、「どうして建設業だけが・・・」という言葉が出ること自体、そういう視座にいないことを物語っているのではないか、と思う。

その上で、政治献金が・・・を考えればよい。
それは建設業の問題ではなく、官僚化の問題なのだ。


■自分のことを自分のことばで書く(某社イントラへの投稿)

大切なことは、自分のことばで自分のことを語ることです。
ここはその訓練の場のようなものです。
この世界、ニセモノはすぐに化けの皮がはがれます。
自分のことばで自分のことを語ることは、自分自身を考えること、そして「反省」 という行為を通して、ことばであらわせないことを感じながら自分自身のものにしていくことです。
これからの「強い」ということは、社内とか建設業という狭い紐帯を越えて、自らが通用するのか、ということだと思います。
自分のことばで自分のことを語ることで、それを知ることになると思います。


ということで、ほな、股。(by お嬢・2号)である。

2003/09/01 (月)  
【情報はただ発信されるだけである】

■根性はない

さて、今日は1日ではあるが、実質的な月末なわけで、支払いとか納税とか、そういう仕事もこなさなくてはならず、面倒だな、とは思うのだが、これも社会生活の一部だと思えば、ようやく私も社会生活をしているのか、と考えられなくもないが、それもたいして楽しくもない。

この写真は、またまた新潟の小川さんが、29日横浜でおこなわれた建行協さんの総会懇親会で撮ってくれたものだが、新潟県の誇る綺麗どころの行政書士さんと一緒におさまりご満悦である。

こうして写真でみるのは初めてなのだが、ブルックスのグリーンがかったコットンのジャケットもなかなかいいな、と自己満足。

今回は三日間同じジャケットだったのだけれども、暑かったせいで、羽織っている時間が短かったせいか、しっかりしている。

しかし、相当疲れているのは顔に出ているし、それよりも、私の右手にあるものが、私の根性なしを物語っている。

つまりだ、禁煙終了。
(本人にいわせれば、それは禁煙ではなく、すえなかったのだ、そうだ。)

たぶんそのうちまた煙草をすわなくなるのだろうが、すったりすわなかったり、煙草のみは、勝手なのである。
そしてその都度勝手な理由を並べるのだ。

つまり、本当に身勝手なのである。


■15000

(仮称)いとうさまから。

先日は、ありがとうございました。

ところで、どうでもいいことですが、私のホムペが15000を越えました。
素直にうれしいのです。
なので、ホムペを開設したきっかけを与えてくれた、桃知さんに報告です。
砂子組のひぐま部長が15000、内藤建設の村田さんが15001を数えてくれました。

15000は、私にとっては凄いことです。

ほんと、どうでもいいことで、申し訳ありませんでした。失礼します。

ということで、私の15000はいつ頃だったのか、と探してみたところ、1998年12月3日頃だったようだ。
その時、こんなことを私は書いている。

【15000アクセスに寄せて】 12/03/98 22:46:25

毎度、ご来店、誠にありがとうございます。
ここのところ、このHPへおいでになってくださる方々もだんだんと増えてくださっているようで、10月に10000アクセスを記録したと思いましたら、あっという間に15000アクセスを数えることができました。
内容的には「非常に地味な」サイトですので、このようにたくさんの方々に訪れていただけることが、いまだに不思議なぐらいなのです。

特に最近は、「店主戯言」中心の更新ですから、内容的には自分でも「?」だったりしていますが、この作業によって(インターネットを通じて自分の考え方を伝えようとする作業によって)、どの組織にも属さない「僕自身」が「生きている」という実感を感じれるのもまた事実なのです。
この感覚は、同じくインターネットを使うといっても、サラリーマン時代に感じたものとはまた微妙に違うのでありました。
二日間更新が行われなかっただけで、ご心配のメールをたくさんいただけるということを、非常に幸せに感じることができるのも、そのひとつだと思えるのです。心配メールをお送り下さった皆様、ありがとうございます。

さて、桃知のこのHPでのアクセス数の特徴は、平日が多く、土日は極端に少ないということです。
皆さん会社からアクセスなさっている方が多いのでしょう。内容的にも、そのようなアクセスを十分に考慮して(僕のサラリーマン時代のネットサーフィンの仕方を意識して)開設したサイトですので、平日沢山の方々(多分サラリーマンの皆様)にご来店いただけることをとても嬉しく感じています。

今後とも、「ただひたすら更新を重ねるだけのホームページ」を目指し、「ただひたすら更新を重ねていきたい」と思いますので、より一層のお引き立てをいただけましたら幸甚でございます。

私は、このサイトを立ち上げた頃の自分の文章が嫌いである。
青臭い、というか、気取りがある、というか、はっきりいってバカである。

しかし、あのころ書いたように、「ただひたすら更新を重ねるだけのホームページ」を目指し、「ただひたすら更新を重ねていきたい」を実行していたら、私のサイトはいつのまにか56万を越えていたわけで、その上、私は今の職業で飯を食べることができている。

継続は確かに力なのだろう。

ということで、56万ヒットは仙台の桂さまでした。

桃知さん、こんばんわ。桂@仙台の技術士でした。

先ほど、ふとアクセスしたら560000番でした。\(^^)/(PDFファイルを添付します)

ところで、メールの本題は、まったく別のことでして、
先日、日本技術士会の東北支部の機関紙に寄稿を依頼されて、

「インターネット時代の「個」としての技術士のあり方を考える
  〜 ネットワークコミュニティの事例をもとに 〜」
(【PDF(102KB)】
   http://petko.s21.xrea.com/20030825network_communities.pdf )

という文章を(桃論などから大部お知恵を拝借しながら)書きました。
「原稿料はないけど、その代わり自分の宣伝をしても良い」、ということで書いた(書かされた?)のでした。(本当は本業のPRをしたかったのだけど・・。)

この原稿のなかで、「桃論」、「今日の戯言」から、大変お知恵(言葉)をお借りしましたし、桃知さん(と太田@太田ジオさん)のお名前を文章中にちらっと出しておりましたのでご報告いたします

私の文章表現力が乏しい上に、締切り前日に徹夜で仕上げたため(苦しいいいわけ(;;))、非常に稚拙な文章で、推敲不足でうまくまとまってないのですが、技術士の世界にも少し波風が立てばいいなと思いながら書きました。

以上、ご報告まで。

56万の景品は、新しいものを考えているのでしばし待たれよ、なのである。


■情報はただ発信されるものである

昨日も書いたように、今の私の関心は、ホームページは廃れない、ということにある。
インターネットの世界で、廃れたものがあるとすれば、それは弱いミームに過ぎない。

情報を発信し続けることは、時代の片隅に引っかき傷をつけているようなものかもしれない。
それは、避けられない身体の終わりに伴い、その行為そのものはいつかは途絶えてしまうだろう。

しかし、ミームは、適合淘汰を繰り返し生き残れる可能性があるのだとすれば、私に宿るミームの意向は、私にこのサイトの更新を続けさせることなのだろう、と思う。

情報はただ発信されるものである。
その後がどうなるのかなんていうのは、その情報の受け手が決めることでしかない。

今の私は、ただたんたんと情報を発信できるようになりたいと思う。
小細工や、戦略もいらない。関心させようとも、納得させようとも思わない。

それは情報の受け手が決めることでしかない。
自分のできることでたんたんとものを書き、たんたんとはなしをしたいと心から思う。


ということで、今日は夕方に歌舞伎座あたりで打合せ。
明日は、久しぶりの岐阜。

明後日は、淡路島。
その後は、小田原で講演。

そして、6日は郡上桃塾第2回目。

私に宿るミームは私に乗って旅を続ける。

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