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店主戯言0031201  2003/12/01〜2003/12/15 "There goes talkin' MOMO"


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2003/12/15 (月)  
【自分の顔】

午前5時起床。

昨年もそうだったように、昨日はうちの町内会の餅つき大会で、穏やかな天候に恵まれ、例によって春日野部屋の力士の方々も参加して、にぎやではあった。

しっかり餅も食べたし、すっぽん汁も食べた。

しかし、新宿の満艦電飾といい、餅つきといい、この時期に己のしていることは去年と同じだなぁ、としみじみ。
己の進歩がないのか、やっていることが同じ環境(町内)に住んでいるせいなのか。
まあ、どうでもいいやと投げやり。


さて、昨日いただいた小栗さんからのメールにはこうあった。

(ざっくり)

実は桃知さんが来たときに、正直なところ少し驚きました。
それは顔つきが普段の顔つきとしてはいままでみたことがないような厳しい顔つきをしていたからです。
また話し方も、最初の方はなにか仕事モードのような感じで相当身体や気持ちに疲れがたまって負担がきているのかなあ大丈夫かなあなどとかなり心配しました。

しかし呑んでいるうちに、自分の知っている桃知さんに戻ってすっかり安心しました。

(ざっくり) 

なるほどなぁ、自分がどういう顔をしているかなんて、気がつかなんだ。
小栗さん、教えていただいてありがとう。

たしかにこのところ働き尽くめで、モードは常に仕事中であったことを改めて思い知らされたし、それが顔に出ていたのだなと思う。

連日の移動、北海道から戻ったばかり、ということもあり、まだまだストレスが溜まったままだったのだろう。
確かにストレスは顔に出る。

『呑んでいるうちに、自分の知っている桃知さんに戻ってすっかり安心しました』

わたしの講演では、「お酒を飲まないとはなしができない人・・・」というフレーズが出てくるのだが、これはわたしのことじゃないか、と自己嫌悪に陥る、と泣きを入れるような玉ではな〜い、わたしは。

考えてみれば、やっぱり、わたしにとってお酒は大切なものであることを証明しているじゃないかと開き直る。
やっぱりお酒はよい。お酒は大切だ。(笑)

しかし、これじゃアル中のいいわけみたいじゃないか。(笑)


さて、昨日の養老先生による手入れ概念の入門編をご紹介。
スルメを見てイカがわかるか!』という本なのだが、これは茂木健一郎さんという方との共著のようなものになっている。

共著のようなものになっている、と書いたのは、例によってこれも口述筆記のようなものだからで、文章の緊張感はさらさらないが、「バカの壁」同様これも読みやすい。

茂木さんの「心をたがやす方法」もおもしろい。
というかこの人の方がおもしろいかもしれない。

無意識というものが、自分自身であることは薄々感じてはいた。
己の意識(思い)の通り物事はすすまない。

わたしはそうしたいのに、そうしない自分がいる。
自分がそうしたのに、しない他人がいる。

己の意識ではどうしようもない現実がある。

それを意識することからしか始まらないことは確かにあるのだと思う。
そして、それを少しでも自らの意に即していく方法は、間違いなく、ことばを鍛えることだとわたしは思う。

それが手入れであり、心をたがやす方法なのだと理解して実践しているわたしがここにいる。

『意識ではコントロールできない、無意識のうちに起こる脳内プロセスこそが重要であるという命題は、言葉に限らず、人生のさまざまなことについて該当する。

 自分が創造的になれるかどうか、
 そのような世界観を持つか、
 どのような人格を形成するか。
 人と、どのような形で接するか、
 何を目標にして生きていくのか、
 人生の危機にあたって、どように身を処するか。』(茂木、P179)


ということで、今日の私は岩手県宮古市日帰り。
移動だけで往復9時間はかかる。

2003/12/14 (日)  
【「晩学如夜灯火尚勝無之」】

昨日は、北海道から帰宅。
八木沢さま、向井田さま、熊谷さまより、大変結構なものが届いていた。

この場をお借りして御礼申し上げる次第。m(__)m


夕方は新宿へ出かけ、小関さん小栗さんとセンタービル別館の音音にてご一献。

しっかり飲んだ。楽しかった。
飲んだあとに、南口の満艦電飾を見て帰った。

わたしにしても、たまにしかいない東京は刺激に満ち溢れている。
情報に満ち溢れている、といってもいいだろう。

これがいいことなのかどうかかはわからない。ぼんやりと考えはあるが確信はない。(しかし、ここで書けばいいたいことははっきりするのは確かなのだが、今はしない)

ひとついえることは、人が(人の脳が)刺激を求め続けるものなら、たしかに今という時代に、東京は一人勝ちなのだろう。
東京という都市の情報量の多さは、人をひきつける。


さて、今日は平和建設の長谷川さまのメールのご紹介である。
長谷川さま、いつもありがとう。

しばらくご無沙汰しておりました。でも先生のご様子は毎日拝見している「店主戯言」からピシパシと伝わってきます。お元気で北国を駆け抜けているご活躍、先生のお風邪が治って??よかった・・・と思っています。

桃知先生の「店主戯言」は時々読むのと毎日読むのでは私は自分の理解に雲泥の差があることを感じています。毎日続けて読むと不思議と問いかけや回答が底を打つリズムのようにはっきり聞こえるのですね。そしてなんでしょうか?点と点がどんどん繋がり線になる・・・もうあと一歩のような手ごたえも確実に感じてくるようになるのですね。私にとっては何があと一歩かというと、書いてあることがより深く理解出来るようになることはもちろんなのですが、今はそれを超えて、先に見える灯、希望のようなものでしょうか?たぶん・・・。私の気持ちが私の内で感じている出口まであと少し、あと一歩なのです。だから今はしばしの我慢も出来るし、先生から元気をいただいて努力も出来るようになっていると思っています。

桃知先生の思考はいつも広くて深いので、一方ではわからないことも凄い勢いで増えるのも事実です。私にとっては知らなかった新しい言葉も次々と出てきますから、読みきるのも大変で??わからないことが多いので・・・混乱もあります、いや混乱だらけでしょうか?朝、読んでは、ふんふん・・・そして夜読むと、うん?何?となるから面白いこともありますね。

そして日光結構もう一度で、またまた、いろいろなことがわかってめちゃ面白いのですよ。先生は今、岩手県ですよね、宮城県?昨日は向井田さんとご一緒ですか?とか・・・先生の行動から始まって・・・食べたものや・・・会った人や・・・読んだ本(私も先生に近づこうと思ってアマゾン代引です。)・・・もちろん考え方も、仕事の内容も、よく知ることが出来てほんとにオモシロイですね。

(ざっくり)

今回、川上さんからご説明を受けて先生の依存リンクにも巡回してみました。皆さんは桃組?もの凄いですね、書いているんですね毎日、日々更新ですね(@-@!!ネットワークを全部を巡回しているのか、それぞれのHPに反応して書いているのもあるのですね。

私はわからないことも増え続けている毎日ですけれども、今は勉強することに燃えてきました。このところ「店主戯言」を毎日読み始めた私は難解な「桃論」の読解力もさらにアップ??しました。

では、先生ごきげんよう。日光であったことを少しご報告まで。

寒い東北、くれぐれもお体ご自愛下さいます様に。

「ごきげんよう」

わたしは「ごきげんよう」ということばを何気に使える人にあこがれている。

ではまた、でもなく、さようなら、でもなく。
Good-by! でもなく Take it easy!でもなく Bon voyage! でもなく、ごきげんよう、なのだ。

長谷川さんのように、なにげに「ごきげんよう」と書きたいものなのだが、何気とは無意識なので、無意識が「ごきげんよう」をいうようになるには、常日頃脳を手入れしていないと難しい。

この脳を手入れする、ということばは、養老@「バカの壁」先生のものなのだが、これについては明日にでも本を紹介しておこう。

それにしても「今は勉強することに燃えてきました」というあなたは凄い。

「晩学如夜灯火尚勝無之」 (師曠)

これは晋の師曠のことばだけれども、年をとってから学問をするのは、灯火のようなものだが、それでも暗闇よりはよい、というような意味である。

長谷川さんを捕まえて、年をとった・・・とか書くと怒られそうだが、まあ大意はないのでお許し願いたい。

学ぶことは面白い。
それは脳の手入れなのだ、と思う。

学ぶことで、まずは己の馬鹿さ加減(無意識)があらわになる。
無意識は己がどうこうしようのない自然(偶然)のようなものなのだが、学ぶことは、その無意識という自然の手入れのようなものだと思う。

手入れを怠らなければ、自分の脳のお馬鹿(無意識)は少しはましになったかと錯覚する。
錯覚というよりも無意識を少しはコントロールできるようになったか、と思う感覚といったらよいだろうか。

それは「己を助ける」ことにもつながる。

わたしがそう思えるようになったのは四十を越えてからだから、わたしこそ「晩学如夜灯火尚勝無之」なのだし、所詮、それは灯火程度の努力なのかもしれないけれど、それでも暗闇よりはよい。

学ぶことは「己を助ける」。そう思えば、オルテガ・イ・ガセットの 「私は私と私の環境である。そしてもしこの環境を救わないなら、私も救えない」の実践は、己が学ぶことでしか始まらないことは十分に理解できよう。

2003/12/13 (土)  
【「洒落」と「張り」と「ときめき」で化粧した人生は素敵だ】

岩見沢のホテルにて6時に起床。
今は朝食を取りながらこれを書いている。

今日はNA 056 札幌(千歳)(1030) - 東京(羽田)(1200) で帰京するので、8時30分には、まにあ・1号さまが迎えにきてくれる予定なのだ。

岩見沢は雪がしっかりある。しっかりしすぎていて多くの路地は凍結している。
凍結した路面に対してわたしは素人でしかなく、昨晩は思いきり転んでしまった。

ちゃんと受身を取ったので、怪我はない。(笑)
転んだら起きればよいだけなのだ。ただ転ばないにこしたことはない。


昨日は、空知建協広報IT委員会のあと、夜は葉月会の忘年会に御呼ばれいただいた。
酔月という立派なお店の和室での大宴会であった。

わたしは一応来賓なものだから、上座に先日の選挙で当選された山下先生の隣に鎮座。
珍しく赤ワインを飲(や)ってしまい、今朝はしっかりと残っている。

ゲップするとなにか動物臭がするので、なにかと鈍い脳みそで昨晩を振り返れば、そういえば、最後に南大門(深川のではない、岩見沢だ)でホルモンを食べたことを思い出す。

なんで岩見沢は最後がホルモンなのだろう。
なにか最近はホルンモンづいている。


さて、昨晩の縁には、親会(つまり社団法人空知建設業協会)から、宮脇会長と岸本副会長にもお越しいただいていた。
これは大変よいことだと思う。

親会の皆さんは人生の玄人である。現場を知った強みもある。一筋縄ではいかない。
そういう方々とつき合わせていただくことで、若い衆の器量も高まるものだ。

「洒落」と「張り」と「ときめき」で化粧した人生は素敵だ、と木津川計がいっていたが、その通りなのである。
理想を失わない人は老いない。いつまでも素敵である。

そういうものを身体を張って教えてくれているのだなぁ、と思う。

考えるに、最近は若い衆に元気がない。
全国どこで酒飲みをしていても、おやじには絡まれるが、若者に絡まれた記憶はない。

最近、F2Fを好まない若者が増えている、というのは、全国どこの経営者も異口同音にいうことだ。
それは、若い衆だけの責任ではないと思う。

そういうものの大切さを、身体を張って伝えてこなかったわたしたちにこそ責任があるのではないかと考えている。

そういう意味でも、昨晩の空知の忘年会に出席して、葉月会のバイタリティのエンジンが何であるかを、少しはわかったような気がした。

ということで、いただいていたメールの紹介は明日にしよう。

2003/12/12 (金)  
【かまってくれてありがとう】

♪雨のせんだぁい〜・・♪
などと歌っている場合ではないのだ(そもそもこんな歌はない)。

ANA 721 仙台(1030) - 札幌(千歳)(1145)に間に合うように仙台空港へいかなくてはならいのだから。
仙台駅近くから仙台空港まではどのぐらい時間がかかるのか、と調べたらタクシーで40分程度らしい。

30分前に空港に着くとして、逆算するとわたしはここを9時20分に出ればよいのだが、20分余裕を見て9時に出ればまあOKだろう。

であれば、現在は7時40分になるところなのだから、これからシャワーを浴びて、自宅に送り返す荷物を荷造りして、朝食を食べて・・・残り、1時間20分、まあ、なんとかなるか、と高を括る。

昨日の勉強会の地、岩泉支部さまから。

本日は、長丁場のお働きに心から感謝申し上げます。
無理言って、申し訳ありませんでした。

参加者は、本日全員の予定だったのですが、
入札とビンゴ!になってしまって、大幅減となったのは
重ね重ね申し訳ありません。
少人数でのご講演は、イマイチテンションがあがらなかったのでは…、と思います。

また、こちらのキャパの状況を見抜いていただいて、
レベルを落としながらの講話だったかなぁ〜。
でも「ミーム論」については、『桃論』を再度勉強させていただいたようで
本当にわかりやすくて、ありがたかったです。

イントラネットの意義について、少なくとも参加していただいたメンバーは
十分に理解し、積極的に活用してくれるものと期待しています。
本日は、誠にありがとうございました。

また、近いうちの再会が叶いますことをご期待申し上げます。

こちらこそ大変お世話になりました。
感謝申し上げます。それから、3日間、道の悪い中長距離移動をしてくれた、事務局の越場さんにも感謝です。


さて、昨日は、盛岡にて向井田さんと下河原さんと打合せ。
当然のように盛楼閣で冷麺を食べ(わたしは盛楼閣が一番好きだな、やっぱり)、20:39発のはやてで仙台へ。

仙台へ到着後、桂さんとちょっと一献。
最後は珈琲を飲んで分かれた。

皆さん、かまってくれてありがとう。
毎日とっても心が嬉しいのだなぁ。

2003/12/11 (木)  ▲
【特別オーダー】

岩泉の宿にて午前四時に起床。
部屋が寒いので、備え付けの石油ファンヒーターのスイッチを入れた。

東京独演会のPPTをダウンロードのページへ置いた。
PPTを見れば、独演会に不参加の方々には、なんだいつもと同じだと感じるだろう。

しかし、参加された方々は違うはずである。そういうものなのである。
PPTなんぞで全てがわかるわけはない。わたしは朗読者ではないわけだ。

「反省」の材料にお使いいただきたい。


昨日の、いわて注文の少ない料理店ツアー二日目は雪がなかった。
久慈支部の勉強会は久慈工業高校を会場に使わせていただく。

これは学校側には感謝しなくしなくてはならない。
にしてもだ、回線の品質はあまりよくない。

はっきりいって遅い。これで学生さんがインターネットを体感しているのかと思うとなんとなく残念である。
岩手県がIT先進県を自己主張することはかまわない。しかし、足元をみることのない主張は滑稽でしかないのではないか、と思う。

そんな中、久慈支部の皆さんからはお叱りのことばもなく、熱心に受講いただいた。
感謝なのである。


さて、今日の勉強会は岩泉支部である。
昨晩は、岩泉支部の歓待を受けた。

ご準備いただいた日本酒もおいしく、あわびの姿焼きなんぞ、生まれて初めて見た、そして食べたなのでる。
一昨日久慈で食べたアンコウ鍋といい、リアス式海岸が生み出す海の幸は半端ではない。
それから、昨日久慈支部の勉強会のお昼に食べた、磯ラーメン、めかぶラーメンもおいしかった(定食のほかに食べたのだ)。

本日の注文の少ない料理店ツアーの三日目はじつは注文が多い。
岩泉支部は午前午後とも同じメンバーでの受講のため、午前中はイントラネットとはなにかをはなせ、と熊谷IT特別委員からの注文がある。

特別オーダーなのだが、ご注文である。
心をこめ、丁寧にやらせていただこうと思う。

それは当然にミーム論である。
じつは岩手建協ではミーム論は一度もやっていないのである。


今日は、岩泉支部での勉強会終了後、盛岡へ向かう。
盛岡で向井田さんと会い、その足で仙台へ移動。本日は仙台宿泊である。

明日は、空知建協広報IT委員会に出席のため、ANA 721 仙台(1030) - 札幌(千歳)(1145)で飛ばなくてはならないのだ。

2003/12/10 (水)  
【グレーテスト・ヒット・エトセトラ】

岩手注文の少ない料理店ツアーの初日は雪が迎えてくれた。

早朝の新幹線の車窓から見える風景も岩手県に入ったとたんに白いものが目立ち始め、北上駅に降り立ったときには、降雪こそなけけれど、しっかりと積雪がある。

昨日の目的地である遠野は積雪しっかり、その上時々雪という状況であった。
遠野での勉強会終了後、本日の勉強会の地である久慈への移動。

と簡単に書いてはいるが、この移動距離は半端じゃない。
しかし、雪の中を、約3時間で移動をやってのけた事務局の越場さんには、本当にご苦労様なのである。


久慈に到着後、久慈支部のIT特別委員の方々の歓待を受け、髭という、わたしにふさわしき店名の店で、アンコウ鍋をご馳走になる。

寒い夜であることも重なり、暖かいこの鍋は、抜群のうまさであった。
そうなれば酒も進み、会話も進む。F2Fのすばらしさ。


さて、「グレーテスト・ヒット・エトセトラ」つまり、8日の東京独演会関連のメール。
まずは初めて参加された方々より3件。

12月8日の東京独演会を拝聴させていただきました。
正直に申し上げて、講演のスピードにこのおバカ頭がついていけませんでした。
しかし、得る物が多く、講演時間も”あっ”という間に過ぎてしまった感じです。
まさにミーム体感の時間でしたし、楽しい時間でもありました。
会費無料講演に報いるべく、帰り道に三省堂書店に直行し、著書を購入しました。
東京地区での講演会があれば、また是非参加させて頂こうと思っています。
ありがとうございました。

まずは、『桃論』のご購入ありがとうございます、なのである。
出版して1年を過ぎているのたが、こやつアマゾンではまだまだ元気である。

それから、東京での講演だが、2004年新春講演会&新年会の講演会は、だれでも無料で受講できるので、是非おいでいただきたい。新年会への参加がなくとも受講は可能なのである。

ただし、これ、わたしが喋るとは限らない。
まにあ・1号さまに場を提供しようとか、わたしの関与先さまに場を提供しようとか、まあ、色々と考えてはいる。


仕事の関係で会社に戻らなくてはならず、懇親会に参加できず残念でした。
実は、私は懇親会が最も参加したい対象で、これを目的にしていたのに・・。

昨日の講演では、マリアビリティやバルネラブルなど大変興味深い言葉の洗礼を受け桃知さんの背景を感じました。

「業界のIT化で活性化を・・・・」的な上滑りの言葉や対策ではなく、建設業の根幹を揺るがす所のIT化という感じがしました。

(ざっくり)

そう、わたしの講演会、懇親会が付いている場合、懇親会までが講演会なのだと思ってもらった方が誤解がなくてよい。

それは別に酒が飲みたいわけではなく、終了後すぐにやる「反省」の行為のようなものであって、なにかしら刺激を受けることで、自らの思いの輪郭が鮮明になったりするものである。


昨日、独演会及び懇親会は非常に有意義でした。
独演会の内容について、昨日のメモを改めて読み返しました。
その場で理解したように思っていたことが、実はわかっていなかったと感じました。

都はるみが「ただ、歌を歌うことだけを続けてきた」ということが、「ITを使って自分自身のことを飾らずに書いていけばよい」につながっているのでしょうか?

ありのままの自分を表現していくことが、個々のキャリアを大きくしていくことになり、それがミームを受動しやすい組織文化、社風を作ることになり、そして、消費のミームの編集能力を高めていき、競争力のある会社になっていく(コアコンピタンスの確立)と理解しました。

独演会および懇親会で多くのヒントをいただきました。
他の大手ゼネコンが気づく前に、早くしくみを構築したいと思います。
しかし、社内のネゴが最も大変です。誰に話をしていけば実現できるかに骨をおります。

今日、「桃論」を購入しました。自分の感性を広げたうえで、ご教授をお受けしたいと思います。
桃知先生および懇親会にてお会いできた方々に感謝いたします。

都はるみが「ただ、歌を歌うことだけを続けてきた」ということが、「ITを使って自分自身のことを飾らずに書いていけばよい」につながっているのでしょうか?について。

わたしの使い方はこの解釈とはちょっと違う。
Y=aXでの係数 a 、つまり、現実の重み、キャパシティに関しての説明に用いている。

「わたしは、ただ淡々と語るだけである。それが理解できるかできないかはあなた次第、つまりあなたのキャパシティ次第である」という比喩での引用なのである。

都はるみが「ただ、歌を歌うことだけを続けてきた」というのには続きがあって、それは、聴衆を感動させてやろう、などという気持ちで歌っても相手にはとどかない。人それぞれの感じ方があってよいのである。

それを認めて歌う、ということ。というようなものだったと記憶している。
つまり、Y=aXなのであり、都はるみの歌は 淡々と流れる情報 X なのである。


浅桃の岩田です。昨日のセミナーありがとうございました。

お題の「グレーテスト・ヒット・エトセトラ」そのもののセミナー(めちゃ濃い)を無料で受けられ得しました。

マリアビリティ (可塑性)「良い社員を、ITを使って育てられるか」「デジタルコミュニケーションによって人はいかに変わるか」という課題設定から、この課題に対して、「公共工事の問題」、「現在の経済学の2つの問題解決策 マーケットソリューションとヒエラルキーソリューション」、「生活者の視点が無い新古典経済学派への痛烈な批判」、「2元論的問題解決から3次元論への提案 コミュニティソリューション」、「共感とコミットメントの連鎖 ソーシャル・キャピタル」、「バルネラブル(飾らないこと)の強さ」、「薄くて広い紐帯(デジタル)と濃くて狭い紐帯(アナログ)「安心」から「信頼」へ」と一気に課題の背景を描き、そして核心の「ミーム論」へ。

まるで、スパイラルに落下するジェットコースターに乗ったような、ほとんど息もつかせぬ展開に私の脳みそはオーバーヒート。

後半のケーススタディからは、スピードを落とした展開でしたが、1段2段と掘り下げて行くことで、現場の情報化の意味が、最初の課題マリアビリティに結びついてくる。

企業のコアコンピダンスは、アイディア・スピード・実行力+ソーシャルキャピタルという広い意味での技術のミームでしかない。

このミームを育成するためには、「優れた個の集合体としての組織・個性ある個人の育成のための場のマネジメントが必要である」
ウーム!企業のIT化をここまで掘り下げるとは。

そして、根底に流れる、「人」や「文化」を大事(活かす)にする思いに、強い共感をおぼえた3時間でした。

さすがに浅草桃塾生ともなると、「反省」の行為も堂に入っているものだなと感心。
これもキャパのなせる技なのだろう。

わたしのIT化論は、きちんと理解しようとすると、ある程度のキャパが欲しい。
それは確かである。→わたしのIT化論を理解し、実行すること自体がキャパが大きいと考えてもよい。

しかし、わたしはそれを強要するつもりもなく、わたしの情報発信を、それぞれの方が、それぞれのキャパにおいて理解できればよい、と考えている。

その自らが感じたところが己にとっての現実なのだと思うし、その現実を等身大で実感することができればそれでよいのだと思う。

そしてなによりも大切なことは自ら動き出すことである。→それがあたらしい現実になる。
自ら動かなければ理解していないことと同義でしかない。→現実の重みは己に身に付くとことはないだろう。

その現実を経た方々が、またわたしに遭遇したとき、わたしのはなしはまた違うものに感じられるかもしれない。それがわたしのIT化の狙いでもある。

2003/12/09 (火)  
【東京独演会は盛況でも失敗?】

昨日の東京独演会は、わたしのヨミの甘さから、本当に満員御礼になってしまい、すし詰めでの受講に深謝、そして感謝なのである。

昨日の講演、わたしのいわんとすることの根底にあるのは、短絡的な新古典主義経済学的思考批判である。
たとえば、自立ということばを軽々しく用いる方々には正直うんざりしてる。

じゃないにかい、あなたは@の右側を捨てて自立できるのかい。
課税が60%を越える世界で、ビジネスモデルを構築する、つまり生きる術を考えることのつらさを知っているのかい。

と、お尋ねしたい方が沢山おられるのがこの時代なのだ。

自立ということばを軽々しく使う方々の多くは、自分が高見にいることを前提としてものをいう。
しかし翻って考えてみれば、所詮、そこそこ稼ぐ(つまり、そこそこのプライスが刻まれた値札が付いている)生活に困らない程度のサラリーマンか、そこそこの金を持っているが品のない自営業者のようなものでしかないのが己である。

なにかしらのドメインに守られている方々も多い。そういう方々が自分は自立しているという。
足元をみておはなしなさい、といっても、こういったところで、愚かしきは自分の愚かさに気が付かない。

問題は違うのである。
自立したくても自立できない、なのである。


自立とは己の中にある。
それは、他人(ひと)を理解することで自分を理解することでしかない。

それを理解するようなキャパもない方々が軽々しく自立をいっている。

わたしは自分を市場原理主義者だという(大阪3人会ではなしたが、この意味は深い。市場の本当の原理を知ろう、とするから市場原理主義者なのであって、新古典主義的な仮説を市場とは思ってはいないし、そういう意味での市場原理主義者ではない)。

しかし、わたしのようなリスキーな生き方を、私の関与先に薦めることは絶対にしない。
わたしのような生き方をしなくて済むのなら、その方が絶対にいいのだ。

悔しかったまねしてみろ、とでもいえばよいのだろうが、勧める気もさらさらないのが今のわたしなのである。
それはあたりまえだ。

わたしの生き方はだれもできるものではない。
わたしとは偶然の産物であり、それは他律の賜物でしかないからだ。

他律とはコミュニティ・ソリューションなのであり、その推進エンジンこそが、ソーシャル・キャピタルなのである。そして、ソーシャル・キャピタルというものは、ある程度の安定性がなければ生まれないのだ。

わたしはすくなくともこのことを知っている。
本当に自立しているといわれている方なら、多かれ少なかれそれは感じているだろう。

そうでなければ彼の自立もまた短命なのである。

わたしたちは生かされている。
生かされていることを理解することこそが自立なのだと思う。

危機を目の前にぶら下げて、ほら自立しろ、というのは愚かしきことである。
ソーシャル・キャピタルというものは、ある程度の安定性がなければ生まれえない。

だから、わたしは長野県の田中知事を軽蔑しているのだし、短絡的なマーケット・ソリューション信奉者を軽蔑しているのだ。→われわれはアニマルではないのである。

以上のことばは、昨日の東京独演会にご参加者の皆さんは、なんとはなしにでも理解できるはずである。

東京独演会、参加された全ての方々に感謝をこめて。>Give Thanks!


ということで、午前6時10分上野発の新幹線で北上へ。
岩手建協遠野支部さまで勉強会。終了後、なんと久慈まで移動。たぶん、これは大変。

2003/12/08 (月)  
【今日は東京独演会】

まったりと目覚めた浅草の朝、今日もかなりの寝不足ではある。
昨晩は、2004年新春講演会&新年会の案内状を準備したりしていた。

個人商店はなにからなにまで個人商店なのである。
家内制手工業(というか家内制主商店か)は、なにからなにまで自分の身体で稼ぎ出さなくてはならない。

IT(情報の機器)はフル稼働させているのは当然なのだが(だから個人商店が可能なのだ)、その以前のITが仕事をするまでの仕事はわたしの身体を酷使したものである。だから身体が楽になることはない。

その新年会なのだけれども、まだ案内状も出していないのに、Web告知から約1週間、既にメールにて44名さまから参加申込みをいただいている。またにぎやかになりそうだ。

にぎやかなのはいい。魂が高揚する。
F2Fが大切なコミュニケーション手段であることは、人間が人間である限り変わることはないのだろう。


そんな中、本日はめでたく東京独演会【僕とミームと東京で】である。
これもF2Fの実践の場である。

ご案内の通り、お申込みは既に満員御礼状態ではある。じつは定員もオーバーしている。
これもデジタルなコミュニケーションあってのお申込みである。でも実践はF2Fなのだ。この妙がわからないと、わたしのいっているIT化は理解できない。

まあ、今回のような無償の仕事というのは、ドタキャンが多いのも確かで、本日は、20名さまの歩止をいただければ幸甚だなと考えている。

ところで、今日の講演のお題は「グレーテスト・ヒット・エトセトラ」としてみた。
つまり、わたしのここ五年間の活動のいいとこどりのような内容だ、ということである。

このお題は、本当は土曜日の日豊工業さんでの講演用にと考えていたものなのだけれども、あいにくとミーム論と相補均衡論を入れる時間がなかったので、本日フルセット版を試してみることにしている。

グレーテスト・ヒットというのは、つまり音楽関係での「ベスト盤」である。
それはコンセプトアルバムにはなりえないので深い理解は無理だが、そのアーティストの入門編としてはよいものである、とわたしは思う。それで気にいれば関係は続くだろうし、気に入らなければそれもまたよしなのである。

そのあたりを今日の講演は狙ってはいる。
つまり、今回の東京独演会【僕とミームと東京で】は、つまり桃知利男の「ベスト盤」であり、「入門編」でなのである。それを今回は試してみるのだ。

試してみるというのは、明確なお題がない、ということだ。
なので、たとえば自治体CALSがお題であれば、それを掘り下げたはなしをするのだが、そこまではいけない、ということだ。だから物足りないかもしれない。

こんなふうに、今回の無償の仕事というのは、わたしの実験のような意味合いが強い。
だから本日の講演時間は3時間を予定しているのだが、もしかしたら4時間やっても終わらないかもしれないし、2時間30分で終わるかもしれない。

はなしのプロとしては、枠内に収めるのは実は簡単なのだ。
しかし、今日はそうは行かないかもしれない。実験とはそんなものだ。

ただ「グレーテスト・ヒット・エトセトラ」と名付けたからには、これはわたしの十八番(おはこ)は揃うのである。
単品的に、独立したそれぞれは、それなりのものにはなるだろう。

わたしの危惧はそれがちゃんとつながるのか、なのである。

本日の使用PPTは明日にでも掲示したいと思う。

2003/12/07 (日)  
【ケーキと餃子、なにか嬉しい宇都宮】

宇都宮で一泊して浅草へ帰ってきた日曜日である。
今日の浅草は曇りなれどあたたかくて過ごしやすい。

昨日のことを書こう。
昨日は、日豊工業さんの安全大会で、その記念講演にお招きいただいた。つまり、宇都宮へお邪魔したわけだ。

講演内容は「人を育てるIT化」。これはイントラネットを利用したIT化とはなにか、というようなもので、最近のわたしの興味の対象である、「公共工事という産業」のマリアビリティ(可塑性)と信頼の向上にIT化はどの程度まで貢献できるのか、ということを、ミーム論抜きで2時間強はなしをさせていただいた。

マリアビリティが高い
↓↑
どんな職にでもすぐ転職できる(ありえないはなしだが・・・)
→ある程度の融通性がある、程度の解釈のほうがよいだろう。
↓↑
キャパシティが大きい
↓↑
結果的には企業にとってもよい社員?

誤解を覚悟で書けばこのような仮説を前提として、これにIT化、つまり、「反省」という行為を主体としたイントラネットの活用方法を重ねていくいような作業についてである。

この仮説を実現しようとするとき、大きな壁は「バカの壁」なのである。

自分を利口だと思っている方ほど厄介なものはないのだ。
芥川龍之介曰く、馬鹿は絶対に自分のことを馬鹿だとは思わない。

しかし、自分をバカだといっている方も、本当はそうは思っていなかったりするので厄介なのだ。

わたしがいう「わからない」は開き直りではないのである。
「わからない」から考えるのである。それも地を這う方法で。

それは「わからない」がわからないとできないのである。

それが橋本治のいうところの「わからないという方法」の真骨頂なのだが、懇親会でお話をさせていただいた方々でも、この辺りまでの理解はできていないような気がした。(わたしの講演内容がその部分を十分に説明しきれていないのだ)

講演会終了後は懇親会にてしっかり飲んでしまった。
わたしは、社長さまの隣にいたものだから、皆さん社長にお酒をつぎにくるわけで、ついでにわたしにもついでくれる。

それをまじめに受けていたら、すっかり酔っ払ってしまい、最後の締めは、無理やりわたしが三本締めをやらしてもらって、気持ちよく終演とあいなった。

その後栃木組の方々と懇親会。わたしはその前にすっかり出来上がっていて、ぼろぼろ状態。
二次会(通算すると3次会)では、眠った。(笑)

栃木組に皆様、ごめん。m(__)m

今朝は、ホテルに轟さんがむかえにきてくれて、クイーンという洋菓子やさんへ家族ごと連れていっていただいた(今回は家族連れでの宇都宮入りなのであった)。

ケーキをたくさん買って、その後宇都宮駅にあるみんみんで餃子を食べて、浅草にはお昼頃に帰ってこれた。ケーキと餃子、なにか嬉しい宇都宮行きであった。

轟さま、ありがとう。そして、栃木組の皆さま、それから昨日講演会に参加していただいた皆さまにも、ありがとう、なのである。

2003/12/06 (土)  
【ホーム】

寒い冬の土曜日、久しぶりに浅草で目覚めてみれば、この忙中にでも己のエネルギーが腹の底から湧き出てくることを感じる。ここはわたしの生まれ故郷ではないけれども、今のわたしのホームであることは間違いはないなぁと感じる瞬間がこれである。

先日岩見沢でご一緒した放送作家の久間さんに、あんたは浅草を愛しすぎている、といわれたけれども、この街の風景、音、におい、棲んでいる人とびと、そういうものがかもし出す雰囲気がわたしは好きなのだ。

今でもこの街に残っている、猥雑さというか、いかがわしさというか、鼻持ちならなさというか、そういう人のにおいのするものに惹かれているのだろう。それがどういうものかをことばで書くことはできない。わたしにはその才はない。

浅草も、昔とはだいぶ違うとはいわれてはいる。わたしもその昔にも興味がないといえば嘘だし、現実に昔の江戸にも憧れはあるけれども、でもわたしが好きなの今の浅草なのある。昔を懐かしがっていたってはじまんないじゃないか。そもそもわたしには昔の実体験は皆無なのである。

昔はできる限り知っていたほうがよいに決まっている。経緯は時間軸上の変化でしかない。しかし、昔を懐かしむよりは、今を受け止め、それを糧として己の明日につなげることができれば、つまり後ろ向きにならなければ、人はそれでいいのだろうと思う。

今の現実を受け止めるだけの器量を持ち、それを知り、それを明日につなげる。それだけである。好き嫌いは今の現実に対してだけなのである。

わたしはプロジェクトXという番組を世間一般がいうほど評価してはいない。たまに見ることはあるけれども、あれは昔話である。疲れたときの癒しである。

あれは、団塊の世代の鎮魂歌だと感じている。番組自体は応援歌のつもりなのだろうが。

我々のできることは数少ない。昔を懐かしむのは老人に任せておけばよい。わたしのいう老人とは実年齢ではなく、精神年齢であるのだが、そういう言い訳じみたことをいうことはめったに口にしないので嫌われる。

前を向いて進んでいたとき、ちょっと疲れたり傷ついたりしたとき、身体を休める、そしてエネルギーが湧き出るようなホームがあればよいのである。それれがわたしにとっての浅草である。


しかし、今という時代に、自分は前を向いて進んでいると実感できている人はどのぐらいいるのだろうか。
簡単に前とか前進とかいうけれども、今という時代は、そもそもそれがあいまいな時代なのである。

その昔、といっても20年ぐらい前々では、「前」は社会が決めておいてくれた。(今でもそうなのだけれども→構造改革)
いい学校を出て、いい会社に入社して、結婚して、家庭をもって、無事定年退職、年金生活。

一般男子が社会の祝福を受けたのは、大学への入学、就職、結婚だけの時代であった。それだけが人生のイベントなのであって、全てはレールの上である。レールの上であれば進む方向は決められていた。レールから外れた人々はドロップアウトと呼ばれた。

わたしは一昔前なら、というか今でもドロップアウトと呼ばれるものなのだろう。
しかし、今の時代のよいところは、ドロップアウトにも「前」がある、ということである。それは、レールの上に戻ることだけではない。一昔前の成功とか呼ばれるものにしがみつく必要はない。

「前」は自分で決めればよい。誰かに指図されて決めるようなものではない。それがわたしのここ5年間の思考の結論である。それだけである。

しかし、わたしの思考好きは、今という時代に、「前」とはなんなのだろう、と己に自問させる。それがわたしの日々であり、そのこと自体が仕事の一部になっているのも確かではある。

そしてわからない。

ただ、わたしの中の楽天的な己には「こたえ」があって、それは、なんでも「前」だ、ということである。
日々これ、すべてが「前」なのである。

「前」とはあらかじめ予定されているものではない。
だから、わからなくてもよいのである。そしてわからないことが、己のエネルギーなのだ。時々わかったようなことをいったり書いたりしている方々がおられるが、そういう方々でさえ、明日の自分のことなんかわかっちゃいないのである。

失敗も成功も全てが「前」なのである。
だから後戻りするわけがない。したらつまらい、とわたしの中のなにかがだだをこねるに決まっているのだ。

時々休むことはあるけれど。ホーム。

ということで、今日は宇都宮のとどさんのところで講演。安全大会かなにか(しっかりしてくれ>己)。
終了後に懇親会。懇親会終了後にまた懇親会。なので今日は宇都宮に泊る。

2003/12/05 (金)  
【今日は名古屋経由で帰京】

午前5時にサッポロルネッサンスホテルにて起床。
結構期待したホテルなのだけれども、お尻を洗う便座がついてないじゃないのとひと不満。

昨日の岩見沢以北は雪で高速道路は使えない状況。当然下道は渋滞。
ゆえに桂沢湖経由での芦別行きを選んだわけだが、そこは峠越えであり、白銀の世界であり、まにあ・1号さまはいつになく緊張しながら運転。わたしは天城越えなんぞを鼻歌・・・。

東北建設さまでの勉強会はいたって順調に進む。
IT化の哲学を理解しながら、基本的なスキルをきっちりと身に付けていくこと。そして繰り返すこと。

繰り返すことで、脳はべき乗で理解する。
身体で覚える。繰り返すことだ。>ALL

勉強会終了後、みんなで一献。かじかの鍋を始めて食う。
すさまじい出汁のでる魚である。

スープばかりをなんばいもお代わりし、いくらと鮭の身をたたいたもので作られた親子丼を食べる。
福井の地酒もおいしかった。

とすっかり出来上がっているわたしを横目に、運転手は君だ>まにあ・1号さまは、帰路を考えてかお悩み中。

案の定、帰りの時間(午後8時ちょっとすぎ)も、相変わらず外は白銀の世界であり、高速道路は岩見沢まで通行禁止。

ということで、帰りもふたたび下道を、てくてくと帰ってきた。
しかし、夜の桂沢湖経由の峠越えは、いくらなんでもリスキー過ぎるので(携帯も通じないのよ)、ノーマルな道を選択。

さすがに遅い時間のせいか渋滞もなく、でも道路は凍結してつるつると滑りながら、なんとかぼちぼち帰ってきたわけだ。
さすがに疲れただろう>運転手は君だ>まにあ・1号さま。ご苦労様&感謝である。

岩見沢からは高速道路に乗る。
札幌尾が近くなると雪は次第になくなり、札幌は雪は皆無。

それからススキので飲んでおられた方々にちょっと顔を出し、ホテルに入ったのは午前0時過ぎ。

それで午前5時にサッポロルネッサンスホテルにて起床。
今日は、JL 0850便 8:15発 → 名古屋 10:00着で名古屋へ向かい、名古屋で打ち合わせを1件。
終了後浅草へ帰る。

6時20分にはお迎えが来るので、今日はここまで。
お迎えはは君だ>まにあ・1号さま。

2003/12/04 (木)  
【まにあ・1号の反省という行為】

昨日雪がないなどと書いてしまったためか、岩見沢は昨晩からしっかり雪が降っている。
はっきりいって、じゃんじゃん降っている。あげくに今日は真冬日らしいし・・・。

今日は芦別まで移動する予定なのだが、運転手は君だ。>まにあ・1号さま。
その、まにあ・1号さまからの昨日の岩見沢建設協会さんでの勉強会レポート。

いや〜しびれました!
今回の岩見沢建協勉強会は最高でしたね。

勉強会に参加できなかった方々のために、ごくごく簡単にご紹介しましょう。

まず、放送作家の久間さんと岩手建協の向井田さんのジョイント講演からスタートです。

「岩手建協がこれまでやってきた事、そしてこれからやろうとしている事」を非常に熱い語りで聞かせて頂きました。

まず、久間さんから「東北六県は基盤整備事業があったからこそ、発展があった」という語りだしです。そしてこの発展を支えたものは紛れもなく「公共事業」そのものである。とされます。

たとえば、東北日本海側各地では「ツツガムシ・ダニ」が多く発生し、ひどい場合は死に至ることも多かった事実がありました。それを、土木作業員の皆さんが作業をおえるやいなや、熱いお湯に飛び込んで自らのダニをのけるなど懸命の作業を重ねて護岸を整備し、いつしかダニをほぼ撲滅してきた事。

あるいは、高血圧の方の割合が日本一多く、平均寿命が日本一短いとされる秋田県で、逆に長寿日本一の地域が生まれた。
五作という村で非常に小さい山村である。ここで老人に万一のことがあった場合、救急車もスムーズには走れないのでは困ると、道路を整備し医療体制を確保しようとしてきた事。

また、日本で一番水道水のおいしいとされる地区は青森で、土木業者のみなさんが一本100円で「ブナの苗木」を市民に買ってもらい、十和田湖の水源にボランティアで植林を長い間し続けてきていること。などなどの事例をご紹介いただき、

・公共事業がどれだけ我々(市民)を豊かにしてくれたか?
・我々の生活を変えてくれたのは何だったのか問うてみよう!

現在の建設業の経営者の先代、先々代が「汗と力と智恵」があったからこそここまでこれた、現経営者のみなさんも、もっともっと「汗と力と智恵」を出して見よう!と説かれます。

そして、胸を張って「地域に貢献」していることを主張して欲しい!と激励をされました。

きわめてクールな語り口から紡がれる言葉に、何とも表現のしようのない「力」を感じさせて頂けました。

続いて、向井田さんからです。
県下13支部430社が足並みを揃えていっせいに「小中学校」へ土木作業の実演を「授業の一環」として紹介してきた取り組み、を紹介されました。あくまで「授業の一環」にこだわり、授業時間中に、重機の操作、GPS測量、鉄筋施工などを実演。

いいところだけでなく、大変なところも「生」で体験してもらう事を実施されてきたとの事。小中学生だけでなく結果として先生、そして、児童の親へと「真の公共事業の姿」が伝播されて行ったと胸を張られます。

当初は、なかなか受け入れてもらえなかった事をこつこつ時と回をかさねて地道に「営業」する事で徐々に広がりを見せ始め最近では、「生きた(実践的な)授業につながる」とあちこちで「引く手あまた」状態になりつつあるとの事。「地域とともに」とうたう以上、1年、3年、5年と腰をすえて取り組み、受け入れてもらえるよう頑張れないで何が「地域とともに」か!と強烈なメッセージを伝えられます。

タテマエでは見透かされてしまうので、地域の建設業として強い志と熱い思いを主張せよ!と言われます。

そして、行政・市民から逃げることなく、同じ土俵の上で議論しなくてはダメなのですと締めくくられました。

そして、桃知さんの講演です。
最近の「何かを学べるか否かは私のせいではない、受け取る方のキャパと姿勢にかかるのである」という、たんたんと喋るスタイルではなく、「何とかわかってもらおう!」という、丁寧さと、サービス精神あふれる「桃知・超入門編」。珍しく2時間喋り続けることができずガス欠されてしまったあたりに、どれだけ「聞き手に理解させられるか?」に突っ走った講演でした。

ミーム論もなく、相補均衡論もなく、情報的相互作用論もなくひたすら、
「現在の経済学の思想的・理論的限界」
「新しい時代への適応用件(マリアビリティ)」
「信頼の構築」
に的を絞った、非常にわかりやすい講演でした。今日の受講者はトクをしたなあ・・・・と思えます。

三人のお話の底辺に流れるものは、「閉塞した時代だからこそ、心をこめた取り組み」が必要なのだという意識だとうけとめました。

とにかく、事業者団体として「新しい取り組み(イントラ構築)」にスタートされようとしている岩見沢の皆さんにはこれ以上なくタイムリーな内容の勉強会だったと思います。
岩見沢の今後が楽しみになってきました!

これはmomoSORACHIというMLに投稿された内容なのだが、まにあ・1号さまは、こうして「反省」という行為をしているのだ。

講演内容をこうしてまとめることは大切なのだ。牛じゃないが反芻しているようなものだがら、それは理解は深くなるのはあたりまえ、その上、こうして文章にすることで、文字に表せないものがあることがわかってくるはずである。

2003/12/03 (水)  
【事業者団体ベースのIT化について】

岩見沢で早起きして雪が降っていないかな、と外を見れば、雪はない。
昨日、旭川空港からは日成建設の千葉さんにお向かいいただいて芦別まで移動したのだけれども、12月だというのに、雪はほとんどない。どうしたんだ北海道。

昨日の芦別建設協会での講演は、多数の芦別市役所の方々の参加を得て盛況のうちに終了。
「公共工事という産業」がこうして一緒に集まってなにかしら得ようとすることはすばらしいことだと思う。

芦別市役所は、聞くところによれば既に一人一台体制も確立されているようなので、わたしのいう事業者団体ベースのIT化も、案外スムーズに行きそうな雰囲気があって、なにか非常に前向きにさせられるのであった。

事業者団体における「組織的なIT化への取組み」は、具体的には、事業者団体イントラネットの構築による、事業者団体と会員間のネットワークインフラの整備と活用(インターネット、電子メールの活用を第一義とした)を中心とした活動となるのだが、それは、会員へIT化の扉を開けることと同義である。

この取組みは次の二つのスキームの同時進行で始まる。

1.システム構築(ホスティングを利用した事業者団体イントラネットの構築)
2.会員のIT化対応を前提とした啓蒙活動と教育(哲学と教育の必要性)

事業者団体イントラネットは、IT化の視点からいえば、会員がIT化へ踏み出すためのフックでしかない。
ゆえに、この運用を効果的にするために組織的な活動をおこなうことにこそ意義がある。

事業者団体イントラネットの構築とは、インターネットを活用した事業者団体と会員とのネットワーク化を意味しているのだが、ここで欲をだしてはいけない。始めてのユーザーでも簡単に利用できる敷居の低いシステムを提供することこそが重要なのである。

イントラネットの成功は、メンバーの情報リテラシイと密接な関係がある。
時折見られるイントラネットの導入失敗例は、初期段階から高度過ぎるアプリケーションをスタートさせ、利用者のスキルが追いつけず、プロジェクトが立ち往生するケースがほとんどである。

問題は、建設業の場合、いまだに問題は「技術以前の問題」にあるのだ、ということである。
そしてこの問題をクリアできたら、発注者とのデジタルコミュニケーションの準備は出来上がりなのだ。(発注者側のリテラシイの問題はさておいてだが・・・)

つまり、重要なことはシステムを構築することではなく、全ての会員の参加を目標に、イントラネットへの積極的な参加を促しながら、段階を踏んで情報リテラシイを育てていくことなのである。

そのためには、このプロジェクトの必要性と重要性(哲学)を全会員に対して啓蒙し、手厚い教育活動を継続的に行うことが重要となる。

この活動がスムーズに遂行されるには、IT化委員会やサポートチームの献身的な働きが必要であることは言うまでもない。そのためには事業者団体幹部自らのIT化に対する前向きな姿勢が必要であることは、企業ベースのIT化となんら変わることはない。

ということで、本日は岩見沢建設協会での勉強会。第4回目である。
岩見沢の地に、向井田さんと久間さん登場。画期的というか、企画したわたしでさえわくわくしてしまう。

2003/12/02 (火)  
【北海道に桃毒を散布にいってまいります】

一お連カウンターはまもなく62万。
61万は告知忘れ。60万も59万もまだ景品も作成していないのだけれど、「新年会」までには何とかするから許してほしい。

昨日は支払日というよりは納税日で、なにして個人事業主ってこんなに税金を払わなきゃいけないんだろうと深く考え込む。

しかし、自分で確定申告するようになると、税の使い道に対して関心が高まるのも確かで、もっと公共工事に税金を使え、といいたくなるのも確かだ。

それから、「2004年新春講演会&新年会」の呼び付けやらなにやらの準備をし、溜まっていたメールの返事を一生懸命に書いていたら、一日はあっという間に終わってしまう。

気が付けば、習志野の方々が打ち合わせに浅草へおいでになったので、清司で一献。
久しぶりに日本酒を飲んだらやたらに効いてしまった。ウコン利もかずか。


さて先週の九州シリーズから打って変って、今週は本日から北海道シリーズである。
今日は、芦別建設協会さまで講演。行政関係者多数参加予定。

3日は、岩見沢建設協会さまの勉強会。
ゲストスピーカーは、ご存知、向井田さん+久間さんというHELP2003でのラインアップ。

半年ぶりにお二人の話を聴くのは楽しみである。
久間さんは、ここの読者の方々はほとんどしらないだろうが、放送作家であり爺(じじい)である。

爺は体制に屈しない。
爺は義憤する。そして爺のはなしはなによりも海馬を刺激する。(わたしにとってのじじいとは、山本夏彦のようなひとをいう)

こちらは市会議員さま多数参加とのことで、わたしといえば、当然にきわめて政策論的なはなしを準備している。

4日は、芦別の東北建設さまで3回目の勉強会。

わたしの講演という仕事は、言霊によるフォーマットされた脳みその破壊である。
これが脳の襞にも引っかからないと、わたしの言霊というウイルスは破壊活動もできないままになってしまう。

であれば、わたしのことば自体にひかかる棘(とげ)が必要なのである。
不快だろうがなんだろうが、ひっかからなくては意味がない。→桃毒→海馬を刺激する。

そして毒は毒をオブラートする。
なのでやっぱり、たんたんと喋るのだ。

ということで、今日はANA 4731 東京(羽田)(0905) - 旭川(1040) で飛ぶ。
出発の準備やらなにやらで忙しいので今日はここまで。

2003/12/01 (月)  
【デジタルとリアル、どちらのコミュニケーションも大切なのよ】

上にも掲示したが、2004年新春講演会&新年会 2004年1月24日(土)開催決定、ということで、皆様にWebでご案内申し上げる手はずがようやく整った。

詳しくは「2004年新春講演会&新年会開催のお知らせ」をご覧いただければ幸甚なのである。

山と山とは会えないけれど、人と人とはまた会える。袖触れ合うも多少の縁、苦しいときこそ人の知恵でございます。浅草でF2Fを満喫しましょう。というコピーを考えたけれどもちょと長いか。

関与先さまには、別途案内状をお送りする予定でいるが、Webで申込みできる方は是非Webでお申込みいただければ幸いなのである。

そして新しい出会いもまた楽しいものであるからして、是非今回は、全国各地に棲息する隠れ「桃組」の方々にもご参集いただき、皆様方のソーシャル・キャピタルをつくりあげていただきたいと思う。なので、都合上うちにも案内状を送って欲しいという方がおりましたら、メールにてご一報いたただければ、豪華(?)案内状をお送りしたいと思う。


日々桃知さんのことを師匠と書き込まれるのは芸人と認識されていることが最近やっと理解できました。そうでないと師事しているのでは一緒に考えていないということですものね。やっと意味がわかった次第です。

(ざっくり)

前フリが長くなったのですが、毎日見ていますと全国至る所で歓迎を受けているようで、自分のことのように嬉しいです。
それこそ桃知さんのご人徳がなせる業という風に感じ入っています。・・・ということで、本題なのですが、以前ネットによって人間関係が薄れるという論文に否とするメールが続きましたが、もっとはっきり言わないので、歯がゆく思っていました。

ただ単にネットを検索していたのであれば、薄くなります。
それは単なる情報収集でしかないのだから。
もっとはっきりいって、「ネットコミュニティ」が情報化社会において新たなる人間の厚い関係が築けるのではないかということです。
桃論で、十分に書かれていたことではありませんか。
匿名性の無いコミュニティこそ現代においての「コミュニティソリューション」になりえると思うのです。

そのような意味においても、こちらの店主戯言は私自身に勇気を与えてくれたり、揺さぶられ自信を無くしたりしています。
刺激的なものに私は応えています。でも必要なのです。

桃知さんは、どれだけ自覚されているかはわかりませんが、このHPに刺激を受けている人は、実際会う人以上に多く存在しています。私もその一人です。

プレッシャーを与えるつもりでも、過分な期待をしているつもりもありませんが、私も独りの考える人として毎日読んでいます。
どうか体調に気をつけて、お元気にお暮らしください。
では、いずれまた。

Thanks!である。

『もっとはっきりいって、「ネットコミュニティ」が情報化社会において新たなる人間の厚い関係が築けるのではないかということです。』だが、この部分は結構悩ましいのだ。

人間の厚い関係の構築にはデジタルだけでは無理なのだ、というのが今のわたしの見解なのである。

そもそも私達が強い紐帯(ストロング・タイ)と感じているものは、それは信頼ではなく安心で構築されたものでしかない(山岸俊男)、とすれば、我々は、いかにしてこの薄っぺらな時代に、人間らしいぬくもりや、優しさやを感じ、喜びや悲しみ、そして社会的交換の重低音である信頼を共感できるのであろうか。

わたしはそれは五感のなせる業だと思う。

人間の五感でいえば、デジタル・コミュニケーションを支配しているものは、視覚がほとんどであって、せいぜい聴覚がそれに加わる程度でしかない。

たしかに、「ことば」の持つ力は大きい。(言霊だもの)
それは口から発せられたもの同様、書かれたものにも宿るだろう。

しかし、yosshaさん(←このリンクは必ず読むように)がいうように、わたしのコミュニティにしても『毎日サイトは拝見させていただいてますが、やっぱり「生が一番」ですね。ごちゃごちゃ説明は不要。一度あの語り口を聞いてみてくだされ。いいですよー。私がもし独身だったら、たぶんどこまでも追っかけてついていくかもしれません。(笑)』なのだ。

「生が一番」と感じるのは、身体で感じているからなのだと私は思う。

わたしの喋り方(声の大きさ、調子、口調 and etc.)、表情、身振り手振り、会場を支配するエネルギーのようなもの(つまりこれらがミームなのだが)、そして私の体調までを、書かれたことばだけから感じ取るのは難しいだろう。

書かれたことば(視覚)が主体であるデジタルなコミュニケーションは、関係構築のきっかけと、本当の信頼関係を構築後に有効なコミュニケーション手段なのだとわたしは考えている。

デジタルなコミュニケーションが円滑であるための、本当の信頼関係を構築しようとするなら、そこにはヒューマンモーメント(F2F)は欠かせないものなのだろうとも思う。

つまり生身(等身大)の人間が発する力が必要なのである。(この「等身大」という意味は深い、時間があれば後日書こう)

デジタル・コミュニケーションが、安心だけの強い紐帯ではなく、信頼に基づいた薄くて広い紐帯をつくるものであるためには(これがわたしがIT化に求めている可能性である)、できる限り、一度当事者同士が会ってみることが大切なのだ、生身の人間に会うために外へ出てみることが必要なのだ、と今のわたしは、経験的にではあるが、そして、少なくともではあるが、いいきることができる。

わたしがこの5年間、実際に日本各地におじゃましたことで、わたしの思考は限りなく変化し続けている。

だからこそ、昨日も書いたように、分離不安が根底に存在する人間は悩ましいのだ。

その生物学的な壁を越えて我々が生きようとするとき、ITはなにができるのだろうか、そして、この効率性と合理性(それはある意味脳の要求でもあるのだから悩ましいなんてもんじゃない)の世の中で、私達が少しでも人間らしい生活を送れるために、ITは何ができるのかを考えているのが今のわたしだ、というだけのことである。

ということで、難しいことは抜きにして、新しい出会い、そして海馬も喜ぶF2Fに皆さんもおいでください。

2004年新春講演会&新年会

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