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店主戯言040601  2004/6/1〜2004/6/15 "There goes talkin' MOMO"


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2004/06/15 (火)  
【北の国から二題】

午前6時10分起床。
浅草は、限りなき晴天。
今日は、ANA 621 東京(羽田)(09:30) - 鹿児島(11:10)で鹿児島入り。

広上伸二(砂子組)です。金曜日はお疲れ様でした。

反省メモ帳からの転記です。

20040611(金)平和建設・砂子組 IT交流勉強会

新千歳空港に師匠と平和建設さん御一行を迎えに部長と行った。

自分は師匠と長谷川社長とシーマで札幌へ向かい、部長は平和建設の職員さんと列車で札幌へ。

車中で何を話したらいいのか迎えに行く間考えていた。
師匠の最近の店主戯言を印刷して、読んで理解しようとしたが頭の中が整理できない。
愛、バースペクティブ、入れ子、秘すれば花、・・・難しい。

しかし、車中は長谷川社長の独演会状態及び師匠との熱いトーク。
自分だけの基調講演であった。
そこでの長谷川社長の感想は、社員をすごく大切にしていること。
イントラで書き込みの少ない人にはメールで励まして社員の底上げを自らやっている。
できる人のことは堂々と紹介している。社員のやっている活動を全てわかっており社長も社員も一体となっている。
だから社員は社長の指示をよく考え即実行し成長していると思う。

個は種のミームの中で育ち、また種は個の変化によるミームの変化を内包している。

師匠のいっていることをわかりやすく説明すると平和建設さんそのものです。

(ざっくり)

一つに戯言での平和建設さんと交流での平和建設さん、F2Fでやっと理解しました。
ここでも砂子組追い越されているぞ、負けられないから行動しないといけない。

ということでこれ以上書けないので今日はこれまで。

(ざっくり)

追伸、HP作成のスキルのない自分ですが若手社員の現場HPを作成しました。
今すぐ見て下さい。http://www15.ocn.ne.jp/~tonebetu/
これを機会に自分のHPを考えています。

『今すぐ見て下さい』というのは、ただ事ではないな。
命令なのだろうか。(笑)


おばんでした。
中野@神部組です。

北海道3ステージライブの最終日、早朝から夜までの
喋りっぱなしの4時間×2ラウンドの長丁場お疲れ様でした。

師匠のライブを聞くのは3回目ですが、やはりバーチャルな世界で聞く(見る)のも
よいのですが、やっぱりあの流れるような口調を直に聞き、空気と共に感じれた
時間がとても心地好い一日でした。

私はPCを初めて触ったのは約12年位前でまだOSがDOSの頃でした。
もっぱら社内のOA化(省力化)に取組みデータベースを使っては業務を
手作業からPCに乗せました。
確かにこの移行作業で現在も効率化には役に立っております。

しかし、一昨年頃より当社専務から師匠の事をよく聞くようになりまして
今まで思い描いていた「IT化」が間違っていたことにハットとしました。

それから桃組のみなさんのHPを巡回するようになり、なぜここまでみなさんが
桃知先生を師と仰ぎ続けているのか分りました。
師匠は常に進化し新しい情報&ミームを発信してくれる存在だからです。(きっと)

最近、社内という限られた空間ですが少し発信して文字による発信が
どれほど大変なことか切実に感じております。
この行為で情報を取りに行く。そして日々反省に繋がるのだと...

昨日の「勉強会」終了後より、何件かイントラへの書込があり
今日社内でも「先週までと違う空気を」感じました。
システムを導入した事で満足するのではなく、永続的に使い続ける
「社風」になればと思っています。

全国を飛び回っている師匠ですがお身体大切にご自愛下さいませ。
また、ももライブを聞ける日を楽しみにしています。

ありがとうございます。m(__)m

「おばんでした」とか、電話で「○○でした」とか、北海道の方々の中には、過去形で挨拶をする方々がおられる。

たぶん、秋田とか山形にも、同じように、過去形での方々がおられたので、ルーツは同じかもしれない。

「ことば」は、発せられた途端に過去になる、という、とても哲学的な表現、なのかもしれない。(笑)

まあ、そんなことはどうでもよくて、この二つのメールには、受信即思考、思考即行動が溢れている。

俗なことばでいえば、「感度」がよいのである。
「感度」こそが、人間の内臓アンテナであり、情報が見える力であり、係数aである。

そして『骰子一擲』の末尾の文章
「全思考は出発する骰子一擲を」(秋山澄夫の訳)なのである。

つまり、「いかなる思考も賽ころの一投を出発」(野中良三の訳)するのである。

骰子一徹は、
田邉元の翻訳では、「双賽一擲」であり、そして、こうなる。

『「双賽一擲」決して偶然を廃棄することがない』

秋山澄夫の翻訳では、こう。

『骰子一徹 いかで偶然を破棄すべき』

わたしは、今は、秋山の訳が好きだ。


そして、「種の論理」
すなわち、類−種−個 の関係を、理解しよう、と、するとき
我われは、我われにおいて、必要なものとは

個としての、実践、なのである。

それは、種に溶け込むことを否定する、わたしの意志であり
種が、普遍である、ことの、エネルギー源なのだ。

なので
動き出せ!
えぶり・ばでぃ!・・・なのだ(笑)

ということで、今朝は早いので、ここまで。

2004/06/14 (月)  
【主客合一】

7時30分過ぎに起床。
浅草は、まったくの快晴であるが、わたしといえば、昨晩、F1 をみていたりしたので、かなり、眠いし、脳味噌には、ぜんぜん火が入らない。

今といえば、いつも喫茶店で朝食中である。
小倉トースト。(笑)

さて、現場の画像をして、アートを感じる、とか、美を感じる、といえる経営者が、果たして、この業界に何人おられるだろうか。(↓)

これは勿論、土曜日の、葉月桃塾で拝聴させていただいた、平和建設の長谷川社長の講演からのインスピレーションであるが、昨晩、疲れた身体を深く沈めた、タクシーの後部座席で、いろいろと考えていた。



この感性は、まるで俳句の世界、客観写生の世界に通ずるのかもしれない。

長谷川さんは、自社のコア・コンピタンス(確立すべきものとして)を、公共工事の大切さを市民の皆さんに知っていただくこと、とおっしゃるのだが、そういえる背景にあるのは、この経営者の持つ、客観写生→主客合一の感性ではなかろうか、と思う。

それは「リアリティ」である。

俳句は、対象としてあるもの(客)と、思考し表現する者(主)の心の働きとが、主客合一にある、ハイブリッドの芸術である。

それは、対象的自然(村上泰亮のいう「自然」と考えてもらえばよい→法政の皆様)を、心の働きの中に吸収してしまったり、あるいは、観念的な主客合一の境地(ガイア仮説にようなもの)になどに入り込むことではない。

それは、『物質的な異質性や、心の働きに対する抵抗力などを「客観的」に認めて、それを正確に写し取る写生の実践を積み重ねることから』(中沢新一)はじめて生まれいづる主客合一という、態度である。

そのような態度から生まれるものが、たぶん、自らの職業に対する愛だろうし、現場に対する愛であろうし、技術に対する愛である、と思う。

そこには悲哀の情愛はない。
この現場は平和建設であり、経営者であり、一人ひとりの顔をもつ社員であり、我われをとりまく環境でもあるだろう。

この「現場」、「会社」、(ひとりひとりの)「社員」(社員からみれば社長もか)という「質料」(それは会社という種に溶け込んでいてはいけない)の認識こそが、俳句でいう「季題」である。→そして「環境」も。

俳句における「季題」は、質量的自然の抵抗力である。
長谷川さん(と平和建設の一人ひとりの社員もだな)は、『主観的な自由のかわりに、質量的自然の抵抗力を自分に課せられた束縛として受け入れる』(中沢)態度ができているように思う。

そして、長谷川さんの思考は、このような質量的な抵抗を受け入れることで、主客合一を形成しようとしているのだろう。

でなければ、現場を美しいと表現し、自社のコア・コンピタンス(確立すべきものとして)を、公共工事の大切さを市民の皆さんに知っていただくこと、などとは、とてもいえるものではないだろう。

2004/06/13 (日)  
【@岩見沢】

岩見沢のメープルロッジにて6時起床。
ここは、インターネット環境はだめ。
かろうじて、ケータイが使えるぐらいだし

7時30分には、滝川の神部組さまに向かい、でかけなくてはならないので
今日はここまでか・・・。

そうそう、平和建設の綿引さんからメールが届いていた。

桃知先生、お久振りです。平和建設の綿引です。
空知からのライブを見まして益々身近に感じました。
会社でPCを使い始めてまだ日が浅い私ですが何とか覚えるように努力しています。
こちらはちょうどお茶コミニケーションのときに拝見しましたが、興奮やらで大変盛り上がっていました。これからも素直な自分と反省の心で頑張ってまいります。
今後とも宜しくお願いします。
疲れは空知に置いて無事にお帰り下さい。
おやすみなさい。

今日は、夜遅くのフライトで帰京予定。

2004/06/12 (土)  
【8時30分】

札幌は、爽やか、である。
まったく、じめじめしていない。

なめくじ人間であるわたしも乾燥している。

たぶん、北都は、(人間にとっては)一年でいちばん
よい季節を迎えているのだろう。

昨日は、砂子組さまと平和建設さまの、合同勉強会に同席させていただき
それぞれの、表現を拝見しながら
その感想のようなものを、即興で、PPTにまとめ
短いはなしをした。

「競う(きそう」)
そして
「まだ一度もモダンだったことのない」


現実界(ジャック・ラカン→おっぱいの世界→ほんとうの私)と
現実→私たちが文化(ミーム)によって育つのであれば、私は常に他者の中にいる→それはほんとうの私ではない
→その軋轢・分裂・矛盾から生まれる欲望(ほんとうの私が欲しがっている)

→情愛、悲哀を基底にもつ愛
+種の持つ、テリトリー性
=「イエ」社会

のメタファーとしての→開発主義→「公共工事という産業」
は、明治から始まった、官製のモダンの私生児である。
官製→そこには、モダンの最低必要条件である、「市民」がいない
→ソーシャル・キャピタルの濃度
→官製で生まれた北海道
→江戸を引きずる水戸
→微妙な両社のミームの差異

ソーシャル・キャピタルの濃度
競う、ことをわすれた子供たち
官製のモダンが生み出してきた「はいぶりっど」

その「はいぶりっど」を貫く、私たちの態度(哲学)
「ハイブリッド」

たしかに現実界は無意識の域にあるのだろう。
しかし、わたしは、それだけが、ほんとうの私、だとは思わないし
そこから生まれる愛(情愛・悲哀)を利用して人を結びつけること→ファシズム


しかし、文化(ミーム)によって、常に他者の中にいる、他者のことばを使うことでしか私を表現できない私

私はどこまでいっても、本当の現実界の私ではなく、内部分裂・矛盾している私

しかし、文化に規制され翻弄され、日本語で考えるわたしも
わたしなのだ。

そういうものも含めて、その全てが、生きてから死ぬまでわたしなのだ。
そして、こう考える
そういうわたしの、日本語での思考と表現
→剥き出しの魂(足りえているのか)
それは、悪も善も含めて、信頼する態度である、受け入れる態度である。
であるための
「ハイブリッド」
そして今日という日の「骰子一擲」
そして、情愛、悲哀を基底にもつ愛を越えて、つながる魂
→愛

その後、ふじ田にて、一献。
焼酎を、たらふく飲んで、いつもの、おいしいものを、たらふく食べた。
今朝は、ちょっと頭が痛かったのだけれど、海鮮粥を食べたら、一汗噴出してかなり楽になる。

今日は、岩見沢にて葉月桃塾第3回目。
ゲスト・スピーカーは、平和建設の長谷川社長である。

ちょうど、8時30分
FTP転送

2004/06/11 (金)  
【電車の中で化粧する女性】

午前5時50分起床。
乳白色のもやがかかる浅草の朝である。


昨日、銀座線に乗ったとき、同じ車両の、女性の方、おふたり
座席に座るなり、化粧を始めた。

今や、別に、珍しくもなんともない風景なのだが、
近くで、二人に同時にやられると、流石に、暑苦しい。

そして、なんともいえぬ違和感が、わたしの内に、充満する。

その違和感とは、
おい、おい、ちょっと、わたしを無視しないでくれよ〜
おじさんはちゃんとここにいて、あなたをみてるのに(ホントにじろじろみていた)
というような
無視された、おじさんの、悲哀のようなものだ。

この悲哀は、行儀がいいとか、悪いとか、というよう次元のはなしでははな〜い。

なにせ、
彼女たちにとって、私たち(たまたま同じ車両に乗り合わせた方々)は
本当に、たまたま、その辺にころがっていた、かぼちゃか、スイカのようなもので
ここで、化粧をしたら、この人たちは、どう思うのだろうか
などと考える(パースペクティブ)対象外、なのだからして
かぼちゃやスイカが、いまさら何をいっても、はじまらないのである。

これって、やっぱり、ひきこもりなのじゃないのか、と思う。
だんだん、わたしだけに、なる。

化粧って、自分の顔を、他者(自分以外の人)に対して、見苦しくないように、他者を思いやって(つまり、相手に不快な思いをさせないために)おこなうものじゃ、ないのだろうか、本来。

(したことがないので、よくはわからないけれど)

その意味で、化粧は、自分以外の、他人の目を気にしておこなう、ものだろう。
化けて、めかす、のだもの。

それは、他者とのコミュニケーションを意識した行為には違いないのだが、しかし、その途中の行為を、(電車の中で)人前でやる、というのは、化ける途中、めかす途中の、「さらし」のようなものだ。

このとき、化粧は、本来の意味での化粧ではなく、たぶん、自分のための、わたし自身への、化けて、めかす、なのだろう。

わたしが大好き。
そして、へんし〜ん。
新しい、わたし登場。→どこに登場するのだろう。

しかし、その変身の途中を見せられるのは、キューティ・ハニーならまだしも
わたしは、ちっともうれしくない。

ヘンだよなぁ、絶対!
ということで、頭の中が、ヘンだよなぁ、絶対!モードになってしまっていて、止まらない。

ああ、迷惑なことだ。
こうならないためには、無視するしか、ないのだけれども
それじゃ、電車の中で化粧する女性と
同じじゃないか。

ということで、今日のわたしは、梅雨の東京を逃げ出して、北海道じゃ。
本日から三連戦。

2004/06/10 (木)  
【変な犬のいる国】

浅草寺の境内を、歩いていると
変な犬に、であう。

多くは、洋服を着ている。
帽子をかぶっていたり、する
ものまで、いる。

しかし、変なのは、犬ではなく
変な犬に、している、飼い主、なのだろう。

山岸俊男は、今や、子供は、家畜からペットになった、という

では、
ペット(犬)は、子供というか、子供以前の、前人間
にでも、なった、のではないだろうか。

犬の自主性など、知る由もない、し
犬に
選挙権と、国籍を与える法律を、つくれ、とは
だれもいわない、ところをみると、やはり、
変な犬は、犬である

でも、変な犬はいる
わけだから、それは
子供
というよりは、子供以前の存在
ことばを喋る前の、前人間的なもの(の代替物)として
存在している、のだろう、と思う。

犬と一体化している、ことで、再生産される
死ぬまで尽きることのない、情愛の
発散

逆立ちした、情愛の
表出 変な犬


わたしは、犬を飼ったことがない、ので
飼い主の、その心理は、憶測で書くしかないし
たぶん、自分が犬を飼うことになっても、その心理は、よくは、わからないだろう。
(ついでに書くと、わたしは、犬も猫も、嫌いではない)


さて、昨日、国家、について、書く、などとと
柄にも無いことを、宣言してしまった、ものだから
今朝は、この戯言を書くのが、億劫になっていて、つい
変な犬、に話題をふってしまった。

たぶん、国家について書く、といっても
そもそも、わたしの興味の対象は、種(→類)の持つ、テリトリー性(占有の物理的領土を持つ)と、IT(インターネット)による、その領土性、テリトリー性への影響
にある、のであって、
なにか、国家、と書いてしまうと
なにか、が違うのだし
なにか、うろたえて、しまうのだ。

そもそも、わたしには、国家を語る覚悟も
能力も無いのは、自覚はしている。

(それは、政治に、言及しない、というのとは、違う
国家と、政治は、違う)

まあ、「種の論理」からの、国家観とは、
それは「類」の理解、では、ある。

個は、種のミームの中で育ち、また種は個の変化によるミームの変化を内包している。

しかし
個が
いくら自由に動こうとも、種が、個に働きかける無意識の束縛性
(レヴィ=ストロースが「構造」と呼ぶもの
私たちのことばでいえば、慣習というような、無意識の次元のミーム)が
個、の自由との間に
拘束即自由の、均衡を、保つ、とき
種は
個の、自主自由な活動によっても、それ自身のトポロジーを
変えない。

『このような、自主自由な「個」によって、「種」に内在する不平等性が否定されていくとき、「種」は自身で「類」に飛躍していくことが可能となる』(中沢新一,『フィロソフィア・ヤポニカ』,p159)

つまり、『国家はトポロジーでなければならない』(中沢,p158)

ついでに、「種」に内在する、不平等性
の最初の、ものは
種の持つ、テリトリー性に、起因する。


cover 『日本人の忘れもの』

中西 進(著)

2001年7月28日
ウェッジ
1470円(税込)





『まずわたしは、あまり個性個性というのをやめようではないか、といいたい。孤独な思い上がり族を生むにすぎないからだ。』

『むしろ、近代以前がもっていた、良質の全体主義を思い起こすべきではないか。良質の全体主義とは、個々人の自由なこころの判断のなかで、全体への誠実な配慮をもつ、ということである。』

『いままで帰属意識といってきたものは、それこそ、自分を自分とする―アイデンティティ―をつくり出すものだ。会社でも役所でも学校でも家庭でもよい。そしてまた国家でも社会でもよい。自分がその一員であることを自覚することは、昨今の人間にぜひ必要ではないか。』(中西,p60−62)

中西進先生の、詩のような、文体を借りれば、国家は、こうなるだろう。
この考え方は、「種の論理」的である
と感じる。

「良質な全体主義」とは、近代が輸入される、明治より前の時代(つまり江戸時代)まで
日本人が、持っていたものの、ことだが
江戸時代に戻れとか
江戸はよかった
というような
懐古趣味を、持ち出す、ものではない。
(そもそも、そんなぁことは、無理)

「個々人の自由なこころの判断のなかで」
というとき
それは、国家は、個人に対する
束縛の力や
なにかを施す力や
そいいう、外延にある力の束、というようなものではなく
「個々人の自由なこころの判断のなかで」生まれてくる、ミームを内在している
―配慮― (たんぶん、それが信頼の基だろう)
と、読めるだろう。

そして、もう一つ、付け加えておけば、オルテガ・イ・ガセットのいう、ある態度を
わたしたちに、要求している、のだと、思う。

『国家というものは、人間に対して贈り物のように与えられる一つの社会形態ではなく、人間が額に汗して造り上げてゆかなければならないものなのだ』(『大衆の反逆』ちくま学芸文庫

ということで、この場は、逃げを、打とう。(^^ゞ

今日は、銀座へ。

では、
ごきげんよう。

2004/06/09 (水)  ▲
【剥き出しの魂】

午前4時30分起床。
最近の、要睡眠の時間は、六時間
のようだ。かつて、より、一時間ほど伸びた。(笑)

さて、昨日書いた
田邉元のいう「愛」が、少しだけ、わかった、ような気がした。
ということについて、書こうか、と思う。


私たちは、まだ一度も、近代(モダン)であったことは、ない。


「愛」というものについて
わたしは、学生時代に、嫌というほど読んだ、デ・グレーシアの
『疎外と連帯』にて知った
ラン・スティーの「分離−不安」(separation-anxiety)を基にした、理解を
それこそ、二十数年間も、持ち続けてきた。

その理解は、西田幾多郎の
悲哀、家族的情愛としての、愛の理解であり
わたしの理解してきた愛とは
我われが、人間という生物として、生まれてきたときに、避けることのできない
あの、ことばを覚える前に経験する、なにものかに抱かれている、という経験
前人間的な、己でもなく、母でもなく
いやむしろ
母(のようなもの)と一体化した、なにものか、のときの幸せの、脳への刻み
そんな、無意識の中へ、深く染み込んだ、なにものか
を深淵にもつもの、であった。

母と子の絆(ポール・サイモン)→ちょと違うか?

この理解は、フロイトやラカン的でもあり
我われ日本人(の旧タイプ)の多くは、この、いわば、家族的な情愛に、比較的簡単に
合点して、しまう、だろう。

わたしは、この理解で
個をみていた(悲哀の情動によって立つ西田的個体)
そして、その情愛の実存として種を理解していた。
そして、私たちの「つながりたい」という、欲望の、本質を(自分なりに)とらえては、いた。
そして、そこにおいて、村上泰亮の反古典の理論と、それは、矛盾することはなかった。
「イエ」
→開発主義は家族的な情愛の表現である

そう、私たちは、まだ一度も、近代(モダン)であったことは、ない。
でも、そのままで
村上泰亮は、読めるのだ。
日本の資本主義の理論として。

しかし、開発主義は、もはや、挫折してしまった、魂である。
魂を抜かれた、日本の資本主義の理論である。
そして、難しい日没に、直面し、喘ぐ。

わたしの理論も、その日没の遅延の、一擁護者のごときにしか
理解されていないところもあり、ちょっと悔しい、というか
諦めに似た、気持ちにさえ、落ち込む。

なぜ、そうなって、しまったのか。
イエ的な基体をもつ魂は、いまや、どこにいってしまったのか。

そんな悶々とした苦闘に喘いでいる時
そこに、田邉元の「愛」が、あった、のかもしれない。

田邉的愛は、西田的愛とは、違う、のだ。

それは、ライプニッツのごときであり
モナド的であり
いや、その、もっと、先〜に、ある、ことで
わたしの理解を、遥かに超えて、存在して、いた。

私たちは、まだ一度も、近代(モダン)であったことは、ない。
けれど、田邉哲学は、近代(モダン)さえ、悠々と、超出してみせる。

それは、マラルメの「骰子一擲」のように。
(「骰子一擲」は、モダンからの、超出の、こころみ、である)

つまり、それが、「種の論理」にある、個、なのだ。
種の、フラクタル的存在としての、個
完備概念としての個
そして、その完備の本質は、矛盾、である。
それは、種概念に、包摂されることの否定によって、確立する、個、である。

その個には、西田哲学にあるような、悲哀とか、家族的情愛は、な〜い。
他の一切から、何かが出入りできるような、窓は、ついていない、のである。

このような、個がもちえる愛、とは、ただ、個の内包的な矛盾から、生まれる。

これを、どう、理解する?>えぶり・ばでぃ。

田邉にしても、ライプニッツにしても、子供がいなかったから
こんな風になってしまった、という、まことしやかな、説もある。(笑)

たしかに、子の親でありながら、子と離れて暮らす現実を表現している
浪花節的人間のわたしには、どうしても
田邉的な、個、の理解には、違和感がある
どころか、反発してしまったほうが、楽だな
とも思った。

なので、理解するには、たくさんの、時間が、費やされる。

そもそも、このような、個が、どうやったら、「愛の共同体」などというもので
つながるのか。

こんなことを、考えていたおかげで
わたしの馬鹿は、ますます、拍車が、かかってしまっていた。

しかし、読みきれれば、これが、意外と、簡単なのだ。

それは、個人の魂が、徹底的な、個体性として、剥きだされたとき
同じように、剥き出しになった
多くの魂と、向かい合う、から、である・・・・・・らしい。

(このとき、個性とは、種に反発する、なにかである・・・養老猛司はどうなる)

しかし、まあ、以外に簡単で・・・
とは、書いてみたものの、この実践は、とても難しく思える
というより、難しい。(悲)

この難しいことを、やれ、と田邉元は、いうのだ。
その哲学は、実践の哲学なのであり、非哲学でさえ、ある。

資本の理論が、隅々までいきわたり
ネットワーク化した社会を生きる人びとは
小さな、自己意識の周辺に集まる無数の前対象を
反省に送り出すこともなく
イメージ化して、現実の表現をおこなっている。

わたしの望みとは、裏腹に
家族的な情愛の紐帯はますます薄くなり
「イエ」という種的基体は、ただ砂漠化する

主体でもなく対象でもない
社会でもなく自然でもない
人間であると同時にモノであり
愛であると同時に量子的現実であり
グローバルでありながらローカルでもある

『ハイブリッドな前対象の氾濫が私たちの世界に危機をつくりだしている。』(『フィロソフィア・ヤポニカ』,p365-366)→ハイブリッド→わたし的には「はいぶりっど」

明治の始まりと同時に、官主導で輸入された、近代(モダン)は
官主導−そのこと自体、既に矛盾を、孕んでいる。
(近代は、市民社会の目覚め、である)

しかし、その魂の抜けた制度は
しかし、制度(環境)としては、働きはじめる。

そして、まだ一度も
近代(モダン)であったことは、ない、私たちに
覆いかぶさることで
近代(モダン)であったことは、ない、私たちをつくりだす。

人間的なものと、モノ自体を、分離することで
分離と純粋化(密画的世界)を、推し進めることで
その結果として、「はいぶりっど」というパラドキシカルな、現実を生み出す。

そしてインターネットは、まだ一度も
近代(モダン)であったことは、ない、私たちに
近代と前近代の、「はいぶりっど」が生み出した、そのパラドキシカルな「はいぶりっど」を
さらに、さらに、上塗りしていく。

そんな時代、であれば、こそ
わたしは、剥き出しの魂、を、実践をしたい、と思う、し
たぶん、そうしようとしてきた、のだ、とも思う。
→ハイブリッド
→出力を伴う反省の行為
→表現

なぜなら
わたしが、種に溶け込むだけなら
(それはまるで、母に抱かれた子供のように)永遠に
わたしは変化することもなく、わたしを生み出した種もまた、変化することもなく、
種を媒介として、わたしは他者に対する、本当の愛情を持つこともなく
(信頼)
ただ溶けている、だけ、だろう。
しかし、それだけが愛であるならば、やがて、種は、その実存を
放棄してしまうことに、なるだろう。

→ESSの矛盾(しかし、脳味噌は喜ぶ→刻まれた記憶)
→他者に対する一般的信頼(山岸俊夫)
→愛

ESS的に安定しているだけでは
「公共工事という産業」も、そのフラクタル的存在の
中小建設業も
またそのフラクテル的存在の、建設業を愛する方々も
種的実存の基盤を、失う。

つまり、わたしは、溶けているものを、失う。
→溶けたまま、どこへ、いくのだろう。

種の論理は
それは、今という時代の、つがる、哲学だから、こそ
中沢新一は、どこかに、置き忘れられていた、田邉元の哲学に、凄まじいばかりの、現代性を見出し
『フィロソフィア・ヤポニカ』に、それを、復活させようとしたのだろう。

その、中沢の
そして、中沢を媒介して表出する西田哲学の
その剥き出しの魂に
わたしの魂は、共振、したのだろう。

なぜか
これが、ミームであり、表象であり、今という時代の、つながる、だから、である。

剥き出しの魂、の、実践
→ハイブリッド

ということで、
このような考え方から、導かれる
国家観については、また、明日の、こころだ。

2004/06/08 (火)  
【郡上から、もどる】

浅草へ戻ったら、蒸し暑く、蒸し暑く、蒸し暑い。
わたしは、ナメクジ、なのである。

A木さまより。

おはようございます。
店主戯言の「骰子一擲」を読んで以来、
わたしの頭の中では吉田拓郎の「落陽」(作詞・岡本おさみ)が
鳴り続けております。
24年間のサラリーマン生活の中で、わたし自身が「エィ、ヤー」と
サイコロを振ったことがあったのかと自問自答していますが、
思い当たりません。せいぜいかみさんと結婚するときに
振ったくらいです(笑)
「今という時代」を切り開くための「骰子一擲」は、山岸先生の言う
ところのリスクティキング(腹をくくる)にも通じると感じました。
しかし、「ふりだしに戻る」ことの恐怖に立ちすくむ自分がいます。
八木沢さんや長野の熊谷さんを見ると、北海道組にはない「失うことの
恐怖」に立ち向かう、ぶっといモノがありますね。

骰子一徹は、
田邉元の翻訳では、「双賽一擲」であり、そして、こうなる。

『「双賽一擲」決して偶然を廃棄することがない』

秋山澄夫の翻訳では、こう。

『骰子一徹 いかで偶然を破棄すべき』

微妙に違う。が、
違っていても、べつに、わたしはかまわない。

破棄することがない、でも
破棄すべきでも。

それは、偶然を、否定しては、いないのだ。


サイコロの一振りは、それは、全体(わたしの)なのだと思う。

『サイコロの一振りはモナドなのだ』(『フィロソフィア・ヤポニカ』 p296−297)

わたしとは、種が、種的基体の中に、振り出した
サイコロなのだ。

ただ、わたしは、わたしなりの理解をしながら
「骰子一擲」について
6月6日の、戯言を、書いた。

なので、みなさんも、皆さんなりの解釈で、「骰子一擲」を、理解、すれば、よいだけであろう。

ただ、それには、田邉元の「種の論理」の、ある程度の、理解は、必需である。

「骰子一擲」が
己の、外部からやってくる、変数のように感じられる、時
それは、種的基体を、個の外延に置くからである。

種的基体とは、社会、であり、
わたしとは、個、で、ある。

個は、種の、フラクタル的な存在である
ことで、わたしの「骰子一擲」は、内包的な、もので、しかない。

『「種的基体」には、ヘーゲルとは異質な意味で田邉元が「自己否定」と呼んだ強度の場が張り渡され、形態生成の情報(エイドス)をはらんだカオス状の運動体の様相をなしている。そのカオスの貯水池から滝が落下するようにして「個」は生成される。「種」という多様体をつくりなしている力場の構造(それは強度軸と繰り広げ軸という二つの軸にそって展開していく、二重の自己否定の構造をしている)は、「個」の中にそっくりそのまま移される。しかも、「種」の状態のままでは、未規定で、潜在的なものに過ぎなかったものが、「個」を生成することによって、初めて現実化されるのである。』

『「個」と「種」の間のもっとも大きな違いは、この自己否定的な強度のあり方にあらわれる。「個」は「種」を現実化することによって、「種」のはらむ矛盾まで実現化する。それまでは、「種」は有無を無限葉層に折り畳み込んだ、前存在の(フラクタル)の多様体の様相を持っているのだけれども、「個」はその有無の矛盾をそのまま肯定して、現実化してしまう。有無の間の絶対的矛盾が、「個」の内部ではそのままに現実化され、保存されることになるのだ。そのために、あらゆる「個」は生まれ、死ぬ存在となる。「種的基体」の多様体上で微分として張り合っていた諸矛盾が、「個」において、生(有)と死(無)の絶対的な矛盾のかたちに激化されて、現実のものとなるのだ。』

(以上、『フィロソフィア・ヤポニカ』 p148)

フィロソフィア・ヤポニカ』における、
中沢新一の論理的なことばは
(そもそも田邉元の難解さもあって)理解は、容易ではない。

が、

この「種の論理」
すなわち、類−種−個 の関係を、理解しよう、と、するとき
我われは、我われにおいて、必要なものが、なにかは、直ぐに理解できよう。

それは、個としての、実践、なのである。

それは、種に溶け込むことを否定する、わたしの意志であり
種が、普遍である、ことの、エネルギー源なのだ。

なので
動き出せ!
えぶり・ばでぃ!・・・か(笑)



【@郡上】

郡上にて5時20分に起床。
天候は、相変わらず、かんばしくなく、雨。

cover 『フィロソフィア・ヤポニカ』

中沢新一(著)
2001年3月10日
集英社
2600円(税別)






あいも変わらず、この本と闘っている。
「第十一章 哲学から非哲学へ」

これが、少しだけ、読めた。

つまり、田邉元のいう「愛」が、少しだけ
わかった、ような気がした。

西田幾多郎は、田邉元を、人間の根本感情である、「情愛」のようなものにたいして
深い体験も理解も欠いている
人のように、思えたらしい。

それは、それでも、わたしは「つながりたい」という
人間の、こころの深淵にあるものの、基体とは、なにか、という問いである。

と、これから、そのことについて
あれこれ、と、書こうとしたのだけれども、
わたしは、7時発のバスで、帰路に着く。

なので、とり急ぎ。

ごきげんよう。

2004/06/07 (月)  
【法大EC R4 補足】

6時起床。
浅草は雨。

今日は、郡上建協さんにお邪魔して、IT委員会。
午前9時13分の のぞみ で、名古屋まで。
その後は、JRと高速バスを乗り継いで行こう。

しかし、どうやら梅雨入りしてしまったようで、多湿の空気は、
ナメクジ体質(汗っかき)
を誇るわたしには、ちょとつらい。

毎日目覚めれは、身体は、かくじつに枯渇していく。
つまり「若さ」は、もはや、望むべくもなく
ただ、わたしは、栄養学的合理性の究極のかたちであろう「サプリメント」で、
欠乏(しているだろうと思うもの)を補充し、身体に空いた、隙間、を埋めているタイル職人のようなものだ。


一昨日の法大ECでは、いろいろなことを、喋りまくっていたはずだ。
しかし、自分自身でも、ああ、あんなことも喋っていたなぁ
と後で思い出すわけで
己は脳軟化症かと、自責する。

今朝は、その喋ったものが、脳味噌の片隅に姿を見せているので、
それを、思い出しながら
喋っていないことまで、書いてみよう。


村上泰亮は、技術のミームは、消費のミームを、つくりだす、大きな要因である、としている。

が、今という時代に、わたしには、とても、そうとは、思えない。

確かに、技術というものが、信じられていた頃、
例えば、初めて、家にTVが備え付けられたとき、冷蔵庫も、洗濯機も・・・。

そういう時代に、まだ、子供だったわたし、でさえ、
なにかうきうきするような、こころの、高揚のようなものを、感じていた。

その高揚が、なにもなのか、を、今となっては、思い出せるわけもないが、
貧しかったあの頃には、感じることができた
なにかが上昇している
というような、空気の、家庭内(いや日本全国津々浦々)での、充満か。

そして、その後、いままでに、何が、家に、きたのだろう。
電話、車、新しい家、エアコン、パソコン
・・・そしてWin95・・・そしてケータイ、だろうか。(笑)

家の中は、たしかに、モノで、一杯になった。

今や、家庭には、何か(本当に)、必要なモノは、あるのか。
わたしんちは、別に、なにもいらない・・・。日用雑貨と食料を除いては・・・。(笑)


こうして、家の中に、モノが充満すると同時に
なにかが上昇している
というような空気は、わたしの家からも、どこかに、漏れ出てしまったようだ。

であれば、なにかが上昇している、という気持ちは、消費の中にあった、のだろうか。

あったかもしれない。
買えることは、かつて、幸せであった(開発主義)。

でも、わたしは、そればかりではない、と考える。

それは、我われは、今や
生産の多くをも放棄している、ということの逆説としてだ。

自国に、生産拠点をもたず、中国や、東南アジアへ、生産拠点を移した、日本企業は、珍しくもない。

そんな状況で、我われは、この国において、なにを、生産しているのだろうか。

かつて、我われが、紐帯の基底としていたものは、たぶん
「生産することでつながる」
「生産することで上昇する」
という、共同幻想ではなかったのか。

そして、そのような共同幻想さえも、もはや持つことのできない時代が、今という時代ではないのか。

そして、「生産することでつながる」ことを喪失した今
私たちは、「つながりたい」という気持ちだけを、宙ぶらりんにひきづり、生きている。

生産者(それは工業的な、という意味の範疇を越える)であることを止め
そこでの付き合いを、その宙ぶらりんを、消費をすることに転換したとき
ただ、ただ、いつも満腹の消費者であろうとしている
かのように、せつない。

消費は、己の属するトライブの確認行為として意味を生み出す。
しかしそれは、孤独を上塗りしているのじゃないか。オタク・・・。(笑)

しかし、それはまるで、クーラーの室外機で暖をとるように、倒錯していなだろうか。

技術は、消費する側が、意味を与えてくれるまで、沈黙してしまう。
沈黙が反転しても、それはまた、あっという間に、また沈黙へ逆戻りする。
つまり、すぐに、飽きて、しまう。

今という時代の消費のミーム。
・・・技術だけではつながらない。

だから、この時代に、「公共工事という産業」の持つ「技術」(それは、とても模倣しやすく、ある環境−開発主義−下で、爆発的に繁栄した)に、その技術の持ち主が、意味を与えることは、もはや、難しい。

むしろ、消費のミームが
(倒錯した)意味を、与えている、だけなのだろう。

そこには、技術というものに対しての、愛(愛着)を与える哲学がない(はいぶりっど)。

そこで、働くものが生み出す、愛
働くことへの愛を感じることができない。はいぶりっど。

そこで、「公共工事という産業」もまた、本業を忘れた倒錯を始める(ミーム間の相互作用)
曰く、ボランティア。(笑)

それもまたクーラーの室外機で暖をとるのに似ている。


かつて、村上泰亮は、技術のミームは、消費のミームをつくりだす、といった。
そこには、技術革新や、シュンペーターのいう「創造的破壊」も、企業における開発主義も、内包できた。

その時代、我われは、技術に向かうことで、自己実現できた。
「生産することでつながる」時代であればこそ、だ。

たしかに、そういう時代(開発主義の時代)を経て、「公共工事という産業」はミームシェアを拡大してきた。

しかし、今や、市場のミーム間の相互作用の天秤は
確実に、傾きを変えている。

いや、むしろ、インターネット社会という新しいフレームは、消費のミームが、自らの宿主を変更してしまうには、十分なほど、大きな役割を果たしている、といった方がよいだろう。

その単純な理解(はいぶりっど)は、消費をすることで、しか、つながらない、市民社会という、幻想を
上塗りし、極大化している。

傾きは、そこで再生産されている。

それは、わたしの興味の対象としてのIT(その正体はインターネットという二進法の、記号の世界)の存在を、フレーム化して、我われの、身体を伴う、実世界に、重ね合わせたとき
見えてきたものなのだ。

つまり、それは、ITは、技術のミームと、消費のミームに、どのような影響を与えているのか
そして、その相互作用の関係にも、どのような影響を与えるのか
それを考える基底を
ようやく見つけ出したのかもしれない、ということだ。

我われは、ようやく、ここで、村上泰亮の思考の先に、進めるのかもしれない。


インターネット社会の象限を、土台として、消費のミームの存在位置に重ねるとき(レイヤー)、我われは、自分の居場所と、消費のミームの位置を、知ることができる。

そこに、市場における、ミームの相互作用の研究として、マーケティングがあるだろう。

そして、ようやく、わたしは、相互作用の始まり(始点)として
いかに、わたし自身が、技術のミームの(と同時に、消費のミームの)宿主となれるのか
を考えることができる。

そして、そこに、
重低音として流れる信頼の存在を知る。

骰子一徹 いかで偶然を破棄すべき。

それは、実践を伴う、覚悟の連続
のようなものかもしれない。

そしてそれが、マネジメントとか経営論とかいう
そいう技術論的な確率の大きさを求める行為を
超えてわたしの生き様そのものとなるとき、それは表現となる。

(つまり、技術論は、不要というわけではない
ただ、それだけでは、足りない、というだけだ)


そこで、我われは、消費することでつながる、ことを超えて
つながる、ことが、できる。
今という時代に。

だからこそ、そこには、愛が、必要であることを、感じることが、できるのじゃないだろうか。今という時代に。

そして、ミームは、今日も、勝手に
飛び、まわる。

2004/06/06 (日)  
【法大EC R4】

法大エクステンションカレッジ第4回目は、八木沢さんのプレゼンテーションから。

わたしが八木沢さんを今回の presenter に指名したのは、その生き方に「骰子一擲」を、感じるからだ。

それは、「生き様」 のようなものである。

「骰子一擲」とは、マラルメの有名な詩なのだが、わたしはこれを、中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』で知り、秋山澄夫が1966年に翻訳し、50冊作成した私家本を入手して、それで初めて目にした。

その最初の頁にはこう書かれている。

『骰子一徹 いかで偶然を破棄すべき』

わたしはこの詩の原文を知らないし、ましてや原文を見たところで、フランス語など読めるわけもない。

だから翻訳で読むしかない。
そして、わたしなりに解釈しようと努力している。

そして、今現在のわたしの解釈は、凡そ以下のようなものである。

サイコロの一振(骰子一擲)を考えると、そこででてくる賽の目は、確かに、偶然に左右されているだろう。

例えば、サイコロ人生というとき、でてきた賽の目に己の人生を委ねる、というような偶然や「運」任せの人生を、多くの方々は想像されるだろう。

しかし、わたしの考える「骰子一擲」は、ちょっと違う。

骰子とはわたし自身のことなのだ。
わたしが生きているとは、空中を浮遊するサイコロなのだ、と思う。

それは「これでもある、あれでもある」というような同一性的自由の空中かもしれないし、いやむしろ、「これでもなく、またあれでもない」という純粋差異による自由の空中なのかもしれない。

その空中にて、わたしは、ただ偶然に身を委ねるだけではなく、
「もがく」、のだ。

そのもがきが「生き様」というものであるとき、
わたしは単純に、遺伝子的表現型としての生物ではなく、
ミームを宿した
人間として存在している。(村上泰亮曰く、思想の自由)

しかし、ここで、『・・・いかで偶然を破棄すべき』というのは、
偶然を認めないのではなく、
それはむしろ、積極的に偶然を受け入れる、態度、なのだと考えるべきだろう。

偶然を受け入れるとは、
それは挫折を知る(挫折の自覚)ということだ。

偶然を受け入れる、つまりは「挫折の自覚」を自らに内包することで、
個は変わりえる。

→とすると、サイコロが浮遊する空中とは、「これでもある、あれでもある」という同一性ではなく、「これでもなく、またあれでもない」という差異の空中なのだろう。

そしてそこにある微分。

我われは、(経営においてさえも)偶然を肯定がするがために(否定しようとしているのだろうが、それゆえに、それは肯定しているに過ぎない)、計画し、用意し、制御することによって、偶然を排除するさまざまな努力を実行しようとする。

つまり、もがく、のである。
(そしてその努力さえも、骰子一擲においては、無力かもしれないが・・・)

これが、種と個の間にある均衡を、打ち破るときの、我われなのではないだろうか。
→複雑系・フラクタル。

つまり、個は、種のミームの中で育ち、また種は、個の変化によるミームの変化を内包する。

ここに我われの、行動を伴う思考(つまり、出力を伴ったハイブリッド)の意義がある。

それは、ただ偶然に身体を委ねるだけではなく
もがき なのだ。

しかし、偶然の微分は絶え間ない。

村上泰亮は、『反古典の政治経済学要綱』の第五章で、技術の文化子と消費の文化子という眼鏡を我われに与えてくれた。

市場は、ミームから見れば、たしかにこの二つのミームの相互作用の場として形成されている。

村上泰亮は、この二つの眼鏡を我われに呈示したのである。
しかし、それが何ものなのかの考察はおこなってはいない。

つまり、桃論は、ここからの考察を始めようとして、それを今も継続的におこなっている、思考の流れのようなものなのだ。

であれば、技術のミームとはなにか、消費のミームとはなにか、と。

ミームは人間の文化を扱う。
それも遺伝子のアナロジーとしてである。

しかし、そのアナロジーは、自己複製子としての性格においてであり、遺伝子とミームは多くのところでかなり違う。

それは、たぶん、我われが、「骰子一擲」を理解できる生物だからだろう。


次回は、『反古典の政治経済学要綱』の第六章、「開発主義」について。
これは、「公共工事という産業」の出生の秘密である。

そして、「コミュニティ・ソリューション」(金子郁容)と「信頼の構造」(山岸俊夫)にも当然にふれる。

法大EC R4使用 PPT
DBHELP0404.zip


ということで昨晩も飲んだ。
最後は浅草へ移動して「杉」にて一献(10名さまもおられた)。

たしかに、もっと、もっと、もっと、私たちはお喋りしたいのかもしれない。

2004/06/05 (土)  
【トライブ】

桃知@盛岡%二日酔である。

しかし、わからない。
なにが・・・って、例の長崎の事件である。

事件の引き金がホームページの書き込みにあるのじゃないのか、という報道もあり、わたしのこころは穏やかではないのである。

それで、ず〜っと気にかかっていて、いろいろと考え続けていた。
しかしわからない。

はっきりいえば、はやくからIT教育を受けた小学校6年生(それも一学年一クラスという狭い世界)がつくりだす部族(トライブ)の性格が理解できていないのだ。

例えば、わたしの中小建設業向けのIT化コンサルテーションには、ちゃんとトライブ設定がある。

それは(かなり一次的な)声の文化としてのトライブ設定であり、わたしはそこにIT化を持ち込むことで、文字の文化としての反省(自我といってもよい)の浸透、つまりテクストと声のハイブリッドを狙っているわけだ。

なので、今年おこなった空知建協さんでの新入社員教育で感じたわたしの戸惑いは、わたしの想定しているトライブとは異なった性格をもったトライブの方々に面した戸惑いだったように思う。

つまり、同じ土建屋とはいえ、普段わたしが接している土建屋のオヤジさんとは、かなりわけが違う方々だったわけだ。

さて、今の小学校6年生のITリテラシイというかリテラシイ(文字の文化)は、建設業のオヤジさんのそれとは、比べ物にならないほど高いのじゃないだろうか。

それはIT教育のおかげであろうが、テクストに早くから触れている彼女たちは、たぶん自我というか、(というよりも)普段のわたしとは違う「本当のわたし」とかいうものの存在を、かなり小さな頃から(小6もまだ十分に幼いと思うが)感じていたにちがいない、と考えるのだ(これが第二次声の文化の特徴である)。

それがITを使うことで確認できる。

被害にあわれた方の作文が報道されているが、こんな感じである。

「顔も姿も見えない人たちと仲良くできるのだろうか、と正直そう考えていました。もし、相手が変な人だったらいやだなぁ」とパソコンを覚え始めたころの印象を記す一方、「逆に顔や姿が見えないからこそ相談に乗ったりできるんだなぁ」と、ネット上の友人からメールで相談を持ちかけられて気持ちが変わったという経験にも触れた。最後は「PCを通しての友達はいい人だけではないだろうけど、(中略)仲良くしていきたいと思いました」と締めくくっていた。 (以上、朝日新聞から)


しかし、わたしの小6時代を振り返ってみても、その紐帯はかなり部族的なもので、声の文化的なものであったわけで、30年以上のギャップはあるけれども、今の小学生の紐帯もたいして変わってはいないだろう(それは物理的、生物学的な活動範囲によって決められれているだろう)。

それが部族−トライブなのだが、つまり、彼女たちの基底は声の文化的な紐帯なのではなかろうか。

じゃ、そこでITを使っておこなわれるコミュニケーションとはなにか、と考えると、それはその部族的な“つながり”の上塗りなのだと思う。

つまり、彼女たちの早熟なリテラシイも、例えばチャットや携帯メールで使われるのであれば、それは声化した文字であり、本来のテクストのもつ意味とは違うものなのである。

ここには狭い紐帯の上塗りとしてITの存在を認めることができるだろう。
それはいつもつながっていたい、という「本当のわたし」である。

こうして、つながりの上書きにITを使うことで、彼女たちは、いつでもどこでもつながってしまう。

そしてますますその部族的なつながりに「溶け込んでいく」わけだ。
→自我は、テクストはどこへいってしまったのだろう。


たぶん、今回問題になっているホームページの書き込みも、声化した文字でしかなかったのではなかろうか、と思う(現物を見ていないので憶測である)。

今回の事件の背景にあるのは、ITの特徴とされる、つながりの浅さや、匿名性、カオナシ性などではまったくない。

むしろ、つながりの深さゆえ、というかつながっていたいという欲望ゆえに、おこった事件ではないだろうか。

自分が溶け込んでいたつながりから排除されるという精神状態、つまり分離−不安のようなものが、引き金ではないだろうか。

というのが今の時点でのわたしの「憶測」である。
つまり、真相とは違う。真相はわからない。

ただ、上記の考察は、わたしのいう「はいぶりっど」の正体でもある、ということも理解していただければよいかと思う。

2004/06/04 (金)  
【お茶の時間について】

まずは、オープンセミナーのご案内に、2004年7月7日 神奈川中小企業センターを掲示したので、お知らせいたします。

これは、神奈川県内の中小建設業の方限定なのですが、かなり濃い2時間を予定しておりますので、お近くの方は是非においでくださいませ。


さて、昨晩10時過ぎなのだけれども、ようやく予定していた仕事を片付け、リビングにて一服しようと移動してきたところ、家人がわたしの頭上(つまり天井に)にチャバネゴキちゃんを発見した。

わたしは反射的に近くにあった雑誌を片手にとると、あまり鋭くないスイングで的を狙った。

しかし最初の一撃は致命傷には至らず、挙句、鬼ごっこをするはめとなってしまったのだが、ばったんばったんと、何十年ぶりかに追い掛け回し、なにか疲れた。(チャバネさまは昇天された)

しかし、どこから入り込んだものか、家人はバルサンを焚くといっているが、トイレの住人をどこかに移動しないと、彼らも一網打尽になってしまうじゃないか、と心配である。


さて、ロラン・バルトはこういっている。

『食べ物とはなにか? それは単に、統計的、栄養学的研究をおこなうべき生産物の総体ではない。それはまた同時に、コミュニケーションの体系であり、種々のイメージの集まりであり、慣用と状況と行動とに関する儀礼集(プロトコル)でもある。』(バルト,『現代における食品摂取の社会心理学のために』)

バルトにいわれなくとも(これは普通、バルトの指摘を待つまでもなく、と書くのだろうな)、食べ物は、単なる栄養摂取という合理性を越えて、社会的な意味を持っているわけだ。

まず、それは(民族の過去に分け入ることで)歴史的な回顧という意味をもつ。

例えば、飯田でおたぐりを食べるとき、絹の道と塩の道を思う。
→たぶん、おたぐりを食べなかったら、わたしは宮本常一の『塩の道』という本を買うことはなかったろし(美濃太田のキオスクで買ったのだ)、それがなければ宮本常一の民俗学に触れることもなかったろう。

例えば、岩見沢の三船で鳥を食べ、雷電食堂でホルモンを食べるとき、日本国有鉄道華やかし頃を思う。

盛岡で盛岡冷麺やじゃじゃ麺を食べるとき(じつは今日も冷麺は食べる予定でいる)、この変態(冷麺が盛岡冷麺に、ジャージャー麺がじゃじゃ麺に)の過程にある歴史的な背景を思う。

つまり、食べ物は人の文化の所産であるがゆえに物語を含有しているのだ。

そして、お茶の時間である。
一昨日、わたしは平和建設さんで3時のお茶の時間を社員のみなさんと楽しんだ。

これは、我われ業界用語でいう「一服」であるが、わたしは勤め人の時代、長いこと、この一服を自分の机でひとりで過ごしてきた。

しかし、平和建設さんは、そのとき事務所におられた方々は、一緒に同じテーブルでこれをおこなうのである。

そういえば、宮澤組さんにお伺いしたときにも、同様にみんなでお茶をしたなぁ、と思い出した。

そして、これは意外とよいものじゃないのか、と再確認したのだ。

そう感じた理由はいまさら書く必要もないだろうが、この時間は仕事は一時中止して、それからパソコンからも離れて、「おはなしをする時間」なのである。

このとき「お茶」(まあ、それは「珈琲」でもなんでもよいのだが)は、単なる経済学的な生産物ではなく、消費する側が意味をつくりだしている象徴なわけだ。→消費のミーム

長谷川さまより。

今、店主戯言を読みましたら、当社の「お茶の時間」??に感動したと書かれていましたのでこのメールを書いています。

当社のお茶の時間(午後3時〜3時15分)の特徴は、社内に全員集合をかけて、全員が仕事の手を止めて、1Fの大テーブルに集まって一緒にお茶を飲むということかなと思っています。

これには理由があって、以前PCのキーボードにコーヒーをこぼして、修理にもの凄いお金がかかったことがありました。以来、机の上には飲み物を置かないという約束をして、お茶を自分の机に運んで飲むという習慣を止める事にいたしました。

さらに、社内ではパソコンを使っての作業ばかりですから、社員の健康も考えて、無理やりにパソコンから目を引き離すということも考えています。

また、当社では積算室と合材の事務室は3Fにありますので部門を越えて社内に「ミニコミの場」を作りたかったということもありました。

わずか15分のお茶の時間でありますが、いろいろな人が自由にいろいろな話をしていますので、それは様々な話題が登場して限りなく楽しいし、聞いているだけでも面白いものがあります。私が社内にいる時には、私が話していることが多い??かもしれませんね。(笑

当社に出入りの業者さんや同業他社の皆さんも、来訪した時間がお茶の時間にかかれば、社員と一緒に大テーブルでお茶を飲んでいただくようにしています。

定期でコンサルタントをお願いしている講師の先生方にも一緒にお茶の時間を共有していただいています。くつろいだミニコミからは、講習中とはまた違った当社の雰囲気や社員の顔が見えてきますから、普段着の当社を知っていただけるよい機会だと思うことがあるからです。

社員もいろいろな先生方とのミニコミ交流が楽しいようですよ。昨日、桃知先生が話された北海道のホルモン焼きと焼き鳥と玉ねぎの話は凄く面白かったと総務の女子が言っていました。(笑私が「ねぇ、○○食堂のホルモン焼き、食べたい?」と聞きましたら、一同笑って「・・・・・?」無言でした。(爆

お茶の時間は、どうやら?会社内のF2Fのコミュニケーションの活性化に大きく寄与しているようでございます。

1日15分のミニコミも積もれば大きな時間となり、平和ミームがより強く鍛えられるかもしれないと感じている私なのです。

では、ごきげんよう。


ところで、一昨日の戯言【微分的】に唯一反応してくれている方を発見。
それは八木沢さん。嬉。

ということで、今日のわたしは盛岡出張である。
帰りは明日。

明日は法大ECの第4回目だ(はやいものだ)。

2004/06/03 (木)  
【朝型的もしくは「まくら」だけ】

6時30分起床。
浅草はぼんやりとした曇り。

わたしは、可能な限り、朝に、このサイトの更新をしているわけで、そして8時30分前後にFTP転送すること標準的な行動(つまり習慣なのだな)としている。

理由をあえて書けば、まあ、次のようなものである。

・夜は飲んでいることが多く、死んだようにあっという間に寝付けるわたしは、就寝前の更新は100%無理である。

・朝に指を動かすと、なんとなく脳味噌が温まってくる。

・本当になんとなくそうなってしまった。

この朝の習慣は、二日酔の朝のポカリスエットのようなもので、確かに脳味噌に火は入ることは実感しているわけだ。

といっても、これをなにか集中して書いているのか、といえば、全然そんなことはなくて、かなりいろいろなこと(朝のNewsをみたり、メールの返事を書いたり、朝食をとったり・・・)をしながら書いている。

今日も、昨日届いていたたくさんの本に簡単に目を通し、そしてそれに関連している書籍を机に並べながら。

そして、本当は今日は、「お茶の時間」について書こうと思っていたので、ロラン・バルトの『現代における食品摂取の社会心理学のために』という小論を読みながら、この戯言をここまで書いていたのだが、だめだ、バルトにはまってしまった。(笑)

つまり、今まで書いたものは本当は、「お茶の時間」に繋げる「まくら」なのであったのだけれど、今日はまくらでおしまいなのである。

これから観音様(浅草寺)に挨拶をして、いつも喫茶店で遅めの朝食を摂取(笑)予定。。
PCはもっていくけれども、バルトも同伴なので、この続きの更新はできないだろう。

であれば、明日こそは「お茶の時間」について書こうと思う。
わたしは昨日、水戸にて、お茶の時間に感動してしまったのだから。

2004/06/02 (水)  
【微分的】

昨日の続きを書こう。

わたしは最近、趣味の領域なのだけれど、算数なんかを勉強をしていて(いまさらなのだが・・・)、中でも微分の面白さにはまっていたりしている。

なぜそうなっちゃたかといえば、「わたしは他者とどうつながっているのか」を考えていたら、そのつながりは、とても微分的なもののように思えるからなのだ。

(自称)一番弟子さま(つまり熊谷さんである)とはなしをしていて、いくら(自称)一番弟子とはいえ、棲んでいる環境にしても、姿形にしても、考え方にしても、わたしと熊谷さんは、そこいらじゅう違うわけで、たしかに、どうにか(笑)つながってはいるけれども、そのつながり=(の)接点さえも、非常に小さなものであることをお互いに確認していたわけだ。

つまり、わたしと熊谷さんは、違う部分のほうが圧倒的に多くて、つながりをつくりだしている接点は非常に小さいものなのだと思うのだ。

イメージ的にはこんな感じかね(ちょっとシンプルすぎるけれど)。

まあ、これは感覚的なものなので(数学的な反省なんてわたしの能力では無理)、まだよくわかっちゃいない(だから微分して遊んでいるのだけれども・・・)。

ただ、人と人とがつながる、というとき、その接点は限りなく無に近いというか、そもそも無であって、それが有に生成していくような(始)、そして、いつかそれがまた無に戻るような(終)、そんなとらえ方をしているわけだ。

これって不思議だと思う。

人と人とのつながりの始まりだけを考えてみても、無が微分的接点をもって有に変化していくわけだから。

ただ、有に変化していく、といっても、物理的に出会うだけじゃなにも始まらないのもたしかで、例えば、わたしは毎日、浅草寺の境内で(笑)、移動機関でも、それこそたくさんの方々との接点を持っている(それはほとんど偶然にである)。

けれど、それだけじゃなにも始まりはしない。
無のまんまである。

それじゃ、その無が有になるエネルギーはどこにあるのか。
たぶんそれは無に内包されている何ものなのかなのだろう。

では、無ってなに?
わははは・・・なのである。

こんなことを考えていると、ミームにしろ表象にしろ、既に有となっているものを扱っているわけで、わたしが情報と呼んでいるものは、つまりは接点後の世界じゃないのか、とも思えてくる。

それは有が有であり続けるためのものじゃないのか、と疑心が湧き上がるが・・・いや、そうともいえないだろう、と気を取り直す。

人と人とがつながる、というとき、始まりは微分的接点にあることは間違いない。
接点がないことには、なにも生まれやしない。

しかし物理的な接点があったとしても、それからだけじゃなにも生まれないじゃないか。

では、その接点が、有となってつながり、尊敬や友情や、親愛やそれこそ愛となることがあるのは、どうしてなのだろうか。

まずは、さいころ一擲だろう。(笑)
わたしがこのサイトを開設したのも、さいころの一擲でしかないし、毎日の更新もさいころの一擲なわけだから。

そして、始まりは無とはいうが、それは有になるエネルギーを内包しているはずである(前対象とでもいうのか)。

そして、その内包のされ方がフラクタル(入れ子)じゃないのか、と考えている。
つまり、外的にであり内的にである(その外的とは、後で書くが「種」としてでであり、ここで表象とかミームの存在がクローズアップされる)。

そしてなによりも、今ここに、インターネットがあることはなにか。
(あなたは、なぜに、このサイトにおいでになったのだろうか)

インターネットは、人と人とがつながる、というときの接点をつくりだしていることは明らかだろう。

そして、インターネットは、なによりもミームプールなのである。
やはりミーム(文化といってもよいだろ)がここにある。

わたしは、ここに「種」を感じているのだ。
ミームは基本的には種のものなのだもの(例えば日本語を考えてみよう)。

そして、種的な情報(ミーム)がなければ、接点も生まれないだろうし、無が有となるエネルギーも存在しえないだろう、と考えている。

つまり、つながりをつくりだしているものとは「種」そのものなのだ、と考えいる。
そしてその基底にあるミームだ。

つまり、人と人とがつながる、というとき、その微分の場とは、「種」ではなかろうか(類でもよいかもしれない。つまり、ここで「種」というとき、それを短絡的に会社や自分が所属している組織や職業だけに結び付けてはならない。我われはさまざまな種に同時に属する多様な存在であり、ホモ・サピエンスという類に属している)。

そして無が有となろうとするエネルギーとは、そもそも種が内包する個のもつ矛盾なのだろう、と考えている。

その個の変化こそが、単なる物理的な接点ではなく、魂と魂との接点というような、ダイナミックな人と人とがつながりを生み出しているのではないだろうか。

そしてその個の変化の質が、結局は種の質を変化させるのだろうし(主流のミーム)、接点から生成される有の質を左右している。

そして、その接点のあり方も、じつはいつも違うのかもしれない。
なぜならわたしは変わるし他人さまも変わるからだ。

(けれども、そうとばかりともいえなくて、じつは、変わらない何かでつながっているのかもしれない)

であればだ、つながりをつくりだしているものとは、結局は、日本語で考えるわたしの己の生き様そのものではないのか・・・。

こんなことを考えながら、微分して遊んでいるやつを、世間は「馬鹿」とか「変わり者」とか呼んでくれているわけだけれども、まあ、間違いではないな。(笑)

ということで、今日のわたしは、水戸へ日帰り出張である。

2004/06/01 (月)  
【さいころ一擲】

雨の浅草である。

昨晩は、(自称)一番弟子さまと杉にて一献。
ゆっくり飲むのだったらやはり杉がよい。


cover『成長と人材―伸びる企業の人材戦略』

佐藤博樹・玄田有史(編)

勁草書房
2003年2月10日
2800円+消費税






昨晩は、酒の席ということもあったけれど、お互いに、じつにさまざまなことを、4時間近くはなし続けていた。

今朝は、その昨晩の酒の席から、「さいころ一擲(いってき)」について、書いてみたいと思う。


例えば、上の本で、脇坂明は、わたしが勝手に「右腕の仮説」と呼んでいるものを呈示している。

これはかなり面白い分析なので、時間があれば是非読んでいただきたい。

例えばこんな風・・・。

『・・・4社に3社右腕が存在するが、右腕のいる企業は、いない企業よりも、売上や営業利益に貢献し、事業拡大も強く、競争力にも自信を持っている。』

『とくに右腕が親族以外の社員のときに効果があり、文系大卒の右腕がよい。年齢は若いほどよく、はじめから右腕として中途や出向・転籍で採用したケースで経営パフォーマンスがよい。右腕のいない企業でも、事業拡大意欲の強い企業ほど右腕を望んでいる。』

確かに、わたし自身が外からぼんやりとみていても、「いいなぁと思う企業」には、右腕と呼ばれている方々が必ずいる。

いなくても、「いいなぁと思う企業」も当然にあるが、それこそ4社に3社はそうだ、ということだ。

それで、そこにわたしの仮説を付け加えるならば、その右腕にに向くのは男性であっても「母型」とか「母性型」とわたしが呼んでいる方々なのだ。

それは長谷川真理子の「おばあさん仮説」(詳しくはネットで調べられよ)からのインスピレーションでもあるが、つまりは、家を守る母、家族を経営する母のイメージ、メタファーである。

わたしは、経営が守りだけですむなら、経営には女性の方が向いているのかもしれない、と本気で思っている。

しかし、そこに「さいころ一擲(いってき)」なのである。

これは、これが男だ、というような瞬間を経営者は持たなくてはならない、ということだ。

経営者が経営者であるのは、つまり右腕と違うのは、彼らは自ら「さいころ一擲」をする存在だからだ、ということだ。

つまり、よい右腕がいると、経営者は「さいころ」が振りやすい、と。(笑)

これは本当である。

だから、『右腕のいる企業は、いない企業よりも、売上や営業利益に貢献し、事業拡大も強く、競争力にも自信を持っている』わけだもの。

(「母性型」と「これが男だ」を同時に内包している経営者も稀に存在していることも確かだが・・・)


わたしも含め、多くの経営者は、メネジメントを学び、科学的な経営というものの可能性を追求してきた。そして、その有効性も認めているだろう。

でも、それだけでは、どうしても越えられない一線があることも、経験的に理解しているはずである。

それが「さいころ一擲」である。

例えば、F1第7戦ヨーロッパGP決勝、BARの佐藤琢磨がフェラーリのルーベンスを抜きにかかった瞬間を考えてみればよい。

F1はご存知の通り、データだらけで走っている。(カワイちゃん(笑)は、かなりの確率でガソリンの補給時間から周回数を言い当ててしまう。)

最後のピットストップを終えた時、データの答えは、新品のタイヤに交換した→グリップは非常に良い、である。

つまり抜くならこの周回しかない、ということだ。

ここまでがデータである。
しかし、データだけでは勝てない。

勝つために、46周目の1コーナーで、佐藤琢磨は、さいころを振ったのだ。
彼はその瞬間、「自分で」さいころを振ったのである。

それは絶対無に触れた瞬間でもあろう。
彼は、自ら神(F1のだね)に会いにいったのである。

でてきた賽の目は、決してよくはなかったかもしれないが、わたしは十分に感動させてもらった。

あれが男だ。

「さいころ一擲」は、たかだか偶然の論理かもしれないが、その一擲にかけられた「生き様」がみえる・感じられるからこそ感動を生むのだろう。

そして、経営者もまた、「自ら」さいころを振る存在なのである。
そして、その一擲にかけられた、己の生き様とは、なにか、なのであろう。

というようなことを飲みながらはなしていたわけだ。(笑)

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