午前7時起床。浅草はくもり。

昨日、雨の山鹿で、宗左近氏が亡くなられたというニュースを目にした。

『表徴の帝国』 ロラン・バルト

表徴の帝国

ロラン・バルト(著)
宗 左近(訳)
1996年11月7日
筑摩書房
1000円+税


宗左近と表徴の帝国

私が、宗左近という人を知ったのは、ロラン・バルトの『表徴の帝国』でである。それはその翻訳者として、というよリ、巻末につけられた「解説」の著者としてだ。

そしてそれは忘れられない名前となった。

なぜなら、私が現在使っている創造性のトポロジーは、この「解説」を読んだことで、生まれたものだからだ。

ロラン・バルトは明確に答えている。すてべての表徴は、三つの連関作用をもっている。
バルトによれば、その三つとはこうである。

[A]内的連関作用。これは、表徴するものと、表徴されるものとを、結びつける。
この連関作用は、一般に象徴と呼ばれているもののなかに、明瞭にあらわれでている。たとえば、十字架の例でもわかるように、パリコミテンの兵士たちの壁は革命的自治共同体を、赤は通行禁止を、《象徴》する。
この連関作用は、象徴のなかに見られるだけでなく、表徴のなかにも見られる(おおまかにいえば、世間の多くの人々が慣習上象徴とみなしているものが、表徴なのであるが)。これを《象徴連関》と名づけることにする。

[B]外的連関作用。これには(1)と(2)とがあり、前の内的連関作用とあわせて、三つとなる。

(1)は潜在的な力、としてあるもの。この連関作用は、ある表徴を、それ以外の表徴の貯えられている一群と結びつける作用である。人は、それらの一群から切り離してその表徹を一つの文章表現のなかに挿入するわけである。
この連関作用の働くところには、ある形体のつくる一群の《記憶》がある。一つの表徴がその一群の《記憶》と少しでも相違すれば、ただちに叙述体のすべてが意味をかえてくる。赤は一つの体系のなかで青と黄とに対立するかぎりにおいてのみ、禁止を表徴するが、もし赤以外に別の色のないばあいにも、赤は色の欠如というものと対立する。
この連関作用の場は、したがって体系の場、言語学的にいうと、パラディグム(語形変化=並列)である。だからこれを《並列連関》と名づけることにする。

(2)は顕在的な力、としてあるもの。この連関作用は、ある表徴を叙述体のなかの、その表徴の前後にくる別の表徴に結びつける作用である。
この作用の働くところでは、表徴はもはや、その《兄弟たち》(潜在的なもの)に係わるものとしてではなく、その《隣人たち》(顕在的なもの)に係わるものとして、存在してくる。たとえば、スエーターと革の上着をきることは、スエーターと革の上着とのあいだに、一時的ではあるが、しかし何かを表徴する連合をつくりだすことである。一つの文章のなかで、ある二つの単語を結合する場合と似る。この連合の場は、言語学的にいうと、サンタグム(統合)の場である。だからこれを《統合連関》と呼ぶことにする。(『表徴の帝国』:p210-211)

創造性の基本構造私はこれを、ボロメオの結び目に落とし込むことで、左図のようなトポロジーとして再構築している。 

今朝、改めて「解説」を読んでいた。

宗左近氏の潔い文体が心に染み入る。

ご冥福をお祈りしたい。