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緑資源「廃止含め検討」=談合防止で安倍首相表明―開発主義の終焉と新たな贈与の必要性について。

緑資源「廃止含め検討」=談合防止で安倍首相表明(Yahoo!ニュース-時事通信)

安倍晋三首相は30日夕、独立行政法人の緑資源機構が官製談合事件で摘発されたことに関連して「談合を行った組織は緑資源(機構)だけでなく、廃止も含め厳しく対応しなければならない」と述べ、組織の解体も含めて抜本的に見直す方針を表明した。同時に「官製談合は根絶しなければならない」と強調した。/政府の規制改革会議が同日決めた第一次答申に、同機構の主要事業である林道、農用地整備の廃止が盛り込まれたことを踏まえ、談合の再発防止に取り組む強い姿勢を示したものだ。首相官邸で記者団の質問に答えた。


贈与的なものの根絶

官製談合については何度も書いてたので、改めて書くことはしない。例えば「緑資源機構、別の2事業でも大型談合…一両日中に捜索」をご参照ください。

普遍経済学ただ、私の主張は、談合を根絶させようとする動きが、贈与的なものを根絶やしにすることになってはならない、である。

なぜなら、贈与的なものの存在(そして純粋贈与の存在)こそが、経済的交換のインフラであり、メタ情報である「信頼」を生み出す装置であるからだ。

しかし安倍首相の「官製談合は根絶しなければならない」という発言には、いよいよ(先送りにされてきた)開発主義も終焉のときが来たのだな、と思う。

官製談合とは開発主義が生み出したシステム(鉄のトライアングル)でしかない。そしてそれを否定することは、開発主義的なものは全てが否定される、ということに気付かなくてはならない。(もう後戻りはできないだろう)。

今回は、『桃論』から引用的に、開発主義について(簡単に)まとめておきたいと思う。

つまりここに書かれているものは、安倍首相の「官製談合は根絶しなければならない」という発言において、否定される対象でしかない、ということだ。(どんなにそれが素晴らしい世界であってもだ)。

そしてそのことで、地方の中小建設業も、官主導の産業政策も否定される――ことで、地方は、今までのスキームでものを考えるなら、衰退は避けられないものでしかない、ことが決定的だ、ということでもある。

開発主義

村上泰亮による開発主義政策のプロトタイプ・モデルは次の8項目からなる。(村上泰亮, 『反古典の政治経済学 下 二十一世紀への序説』,中央公論社,1992,p98-9)

  1. 私有財産制に基づく市場競争を原則とする
  2. 政府は、産業政策を実行する
  3. 新規有望産業の中には輸出指向型の製造業を含めておく
  4. 小規模企業の育成を重視する
  5. 配分を平等化して、大衆消費中心の国内需要を育てる
  6. 配分平等化の一助という意味も含めて、農地の平等型配分をはかる
  7. 少なくとも中等教育までの教育制度を充実する
  8. 公平で有能な、ネポティズムを超えた近代的官僚制を作る

開発主義は産業化の裏側で、農村部の変化を最小限にするような仕組みをもっていた。そのひとつが、地方へ公共事業の形で配分をおこなう配分政策であり、実際に配分をする役目を担ってきたのが中小建設業である。これを次のようにまとめることができるだろう。

  1. 地方への公共事業投資は、産業化が生み出す急激な社会的変化――地方の農村部から都市部へ人口が大量流出する――の中で、地方の衰退を最低限に止めることに成功した。
  2. さらには、農家は建設作業員として兼業農家になることで、同じ土を扱う仕事としての雇用の確保を実現し、所得を確保することを可能とし、開発による地価の上昇は農家の資産価値の上昇をもたらした――ことで地方の資産価値を増加させた。
  3. そして彼らは「新中間大衆」として国内需要を支えたことは事実でしかない。

開発主義的な政策のおかげで、日本国中とりあえずみんな豊かになった(国民総中流の時代)。豊かになったおかげで、車も、電化製品も売れたのだ。「新中間大衆」は国内需要を支える形で国内産業の発展に寄与することもできた。

この流れのなかで、中小建設業は配分の機能の一端を担ってきた。それは戦後のすべてが貧しい時代からの出発では決して誤りではなかったと思うし、地方に対する公共投資も、結果の平等を目指す中では、決して誤った政策ではなかった。

つまり、中小建設業は、このような「ヒエラルキー・ソリューション」(開発主義は典型的なヒエラルキー・ソリューションである)の文脈において、地方への資源の再配分(それはわが国の元気の素であった)を担う機能のひとつとしてその存在を確立してきた。それはまるで人体の隅々まで栄養分を送る「毛細血管」のようにであり、この意味で私は「中小建設業は政策的に生み出された産業でしかない」といってきた。

普遍経済学的=新たなる贈与

われわれは今や、毛細血管の無い身体のようなものになろうとしている。しかしそれは死を意味するだけだろう。つまり今の課題は、金銭的な贈与(毛細血管)を失うなかで、如何に毛細血管を張り巡らせることができるのか、なのである。

それは、お金ではないもの、なのではないか、と私は考えている――というか、お金は後からついてくる、と考えないと、この変化の前ではただ立ちすくむだけになってしまうことで、われわれは、なす術を失うだけだろう。そしてそれは「贈与の対象を交換から純粋贈与へ置き換えること、でしかないのだと思うのだが、これを制度的にどう構築できるのかは試行錯誤を繰り返すしかないだろう。

なにせ、開発主義は終焉させたが、それに代わる贈与モデルは、まだないのである。

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