キラー・キーワード。(法大EC用メモ)

はてなダイアリー

「はてなダイアリー」を試用している。使っていて思うのは、ブログではキーワードは大事だね、という当たり前のことだ。それはアクセス数に如実に反映する。

例えば、最近で一番アクセスが多かったのは、「mixi vs はてな」という記事で、それは一日で390ほどのアクセスがあった。ここ3日程のはてなのアクセス数が60前後であることを考えると飛びぬけた数値だと思う。

キーワード

この時埋め込んだキーワードは「カンブリア宮殿」であり、「笠原健治」であり、「近藤淳也」であった。いってみれば、それはその日の「キラー・キーワード」であったわけで、まあ、狙ってみたわけである。

(その日の)「キラー・キーワード」は、(その日の)話題性の言語化であり、社会システム理論的にいえば、各機能システムを主導するシンボル(象徴)的に一般化されたコミュニケーション・メディアである。それは、(ルーマンによれば)メディアに主導されたコミュニケーションは非連続的である。たしかに翌日以降のアクセスは微々たるものでしかなくなる。

ブログ検索

ブログに対しては様々なブログ検索システムがある――(MTを用いなかった)旧店主戯言はほとんど対象外であってそれが引越し(ブログ化)の大きな理由である――が、その検索結果は殆どが新着順に並んでいるため、過去の日記は他者の目にとまりにくい。

そのため、(その日の)「キラー・キーワード」が(今日の)「キラー・キーワード」であっても、(その日の)ブログが(今日の)ブログとなる可能性は低くなる。それは他者の目に届く可能性が低くなり、つまり偶有性も低くなるということだ。(それを高める工夫がSEOだろう)。

時点化

それは、デカルトの「連続的創造」のように、時間が分割され、時点化しているような感覚にちかい。

……なぜかというに、私の一生の全時間は、無数の部分に分割されることができ、しかもおのおのの部分は残りの部分にいささかも依存しないのであるから、私がすぐまえに存在したということから、いま私が存在しなくてはならないということは帰結しない。そのためには、ある原因が私をこの瞬間にいわばもう一度創造するということ、いいかえれば、私を保存するということがなければならないのである。 (『意味の歴史社会学』,p146)

デカルトの場合、その時点化された現在の継起――もう一度創造する――には神による補償が必要なのだけれども、そのような象徴の不在こそが、この国の、私たちの時代の特徴であって、神の補償はない。つまり神の手によって勝手にもう一度創造されることはない。

神なき創造

しかし「ある原因が私をこの瞬間にいわばもう一度創造するということ、いいかえれば、私を保存するということがなければならないのである」は、神なき時代にこそ有効である。

このとき「神なき創造」とは「私」自らの創造でしかない。「私」自らが機能分化と自己準拠――分化→自己言及→情報を発信する――によって、複合性水準(分化→リンク)を高めなくてはならない。つまり地道に書いて、現時点(コンテンツ)を増やしながら、瞬時にもう一度創造し(また今日も書く)、私を保持していくしかないのだろう。

時間ゼマンティク

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(図:『意味の歴史社会学』,p148)

この時、「時間ゼマンティク」として機能しているものが、(陳腐なものかも知れないが)「キラー・キーワード」なんだろうね、と思う。

pingサーバー

そして、複合性を高めるためかのように機能するものたち。
たぶん、はてなダイアリーから自動的にpingが飛んでいるもの。

たぶん飛ばないもの。

参考図書