明治という国家(下)

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meiji02.jpg「明治」という国家〈下〉

司馬遼太郎(著)

1994年1月30日
日本放送出版協会

午前8時起床。浅草はくもり。最近司馬遼太郎 を読んでいる。あたしは国家という概念に疎いのであって、それはこの国の歴史に疎いと云うことでもある。国家観というものがあれば、それは国の歴史の認識なのだと思うけれど、あたしにはそれが欠けているのだ。

あたしは戦後の生まれであり、右肩上がりの時代が生んだ「ボンクラ」であって、国家等という面倒なものを考えないように、ただ産業化の歯車になるように、忠実な消費者であるように、と教育されてきたのだから、日本の歴史に関しては学校では教えてもらっていないのである。

そんなあたしの日本史の知識は、高校時代で止まっている。高校のときの日本史の先生は、バリバリの日教組の人で、その授業は大変面白く、生徒にも人気があったけれど、しかしなかなか授業は(つまり時代は)進まないかった。

その授業は、弥生―飛鳥時代で一学期が終り、一年経っても、まだ江戸時代にもなっていないというべらぼうで、当然受験用の補習が準備されていたりしたわけだ。あたしは日本史で受験をしようなんて気はまったくなかったので、その面白い授業を、のほほんと聞いては、笑っていただけというお気楽さ。日教組的とは云へ、その授業のおかげで、私の歴史認識は笑いと共に消えてしまっていたのだわね。

そんなあたしが、少なからず日本の歴史に興味を持ったのは、日本語について考え始めたからで、例えば「法大EC用メモ―日本語の構造」は、日本の歴史認識そのものだ、と思っていたりする。

司馬遼太郎は(名前は当然知っていたけれど)『日本語の本質』という本ではじめて出会った(あたしの読書の偏りの賜だわね)。

日本語の本質日本語の本質―司馬遼太郎対話選集〈2〉

司馬遼太郎(著)

2006年4月10日
文芸春秋
 

そこで彼の日本史観、日本語観にはじめて触れたのだけれども、平安時代は日本じゃない、というくだりで、なぜか波長があってしまい、それで今回、ようやくあたしの日本史は、(司馬遼太郎を通じて)幕末から明治時代までたどりついたのだ。

古代は中沢新一の『アースダイバー』で学び(笑ってやってください)、中世は網野善彦の「悪党」で学び、戦後は村上泰亮の「開発主義」で理解し――そこから後は結構得意だと思っているけれど――、しかしまだ、室町―江戸は穴埋めできちゃいない。

幕末―明治―大正―昭和(戦前)とつながる日本の歴史は、特に戦前の昭和は、どこかに断層があるかのように異様に見えるけど、その断層がなにかは、残念ながらこの本には書かれてはいない。

けれどその異様さの、キアスム的展開としての戦後の日本を考えれば、なにかしらその異様さを生み出したものがなにかはわかるのかもしれない。つまりトリックスターは「敗戦」。

でもあたしは、国家を語ることなどまったく考えてもいやしません。愛国心という言葉を使ってよいのなら、あたしのその対象はパトリでしかないわけで、それはあたしを生み育ててくれた郷土でしかないそれは類―種―個の〈種の論理〉で云うならば、「種」であり、「モスラの繭」とあたしがが比喩しているもののことだ。