ブロゴスフィアつまり象徴界の機能等価物。

午前6時40分起床。浅草はくもり。

島宇宙の中の日本語

先日、お客様とこんなはなしをしていた。ウェブの世界には国境はないのだろうが――特にデジタル化されたマネーにとっては――、しかし言語はあるカテゴリーの基底として最後まで機能するのではないだろうか。ウェブという宇宙に、言語は最後まで島をつくり続けるのではないだろうか。

これに関して、CNET Japanが8月8日に配信した「世界のどこかで毎秒2件ずつ誕生」--テクノラティのブログ調査という記事は興味深い。

ブログ検索サービスなどを提供するTechnoratiが行った最新の調査によると、ブロゴスフィア(ブロガーやブログで作り出されるコミュニティ)の規模はこの3年間、半年ごとに倍増するペースで成長しているという。これはつまり、世界中で1日あたり17万5000件の新しいブログが生まれていることになる。Technoratiがチェックするブログの数は2006年7月31日、5000万件に到達した。

この増幅のスピードは宇宙の広がりにも例えられそうだが、まあ、これはよいとして、私が興味を持ったのは次の部分である。

6月の時点で、英語がブロガーの間でもっとも良く使われる言語(39%)となっている。これに第2位が日本語(31%)、第3位が中国語(12%)と続く。

この日本語のシェアは、まあこんなものかと思った――じつはもっと大きいかと思っていたのだ――。私の勝手な定義だと、日本人とは日本語で考え、整理し、話す人である。であれば、日本語のシェア31%とは、ブログにおける日本人の占める割合のことだ。

とするとTechnoratiがチェックするブログの数は、2006年7月31日現在、5000万件であるので、日本語(人)のブログは1550万件になり、それは日本の人口比率では約12%にあたる。

その年齢構成は不明だが、多くは若い人たちだと推測できるだろう。私の興味の対象は、ではこれは何を意味しているのだろうかである。

象徴界の機能等価としてのブロゴスフィア

バロックの館私は、日本の多くの若者の「中景」(バロックの館の一階部分)は、いまや(機能等価的に)ウェブの世界に転移してしまっていると考えている。当然のようにもっと若い世代は後続するだろう。
参考:「IT化講座メモ‐「中景」あるいは「象徴界」の衰弱(引用+図解)

人間のこころから象徴界(中景)がなくなることはない。ただそこを埋めるものは換わり得る 。象徴界とは「私」が世界とつながる依って立つ大地である。世界とつながる方法はその時代によって変わり得る。

いまやウェブにおけるブロゴスフィアは、リアルな世界における象徴界(中景)の機能等価として――依って立つには少々頼りないが――機能しているのだと思う――これがスティグレールのいう「象徴の貧困」であってもかまわない。(…ところで仏語ブログのシェアは?)――。

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「中景」の衰退の問題になると、若者の起こす理解不能な事件が起きるたびに、ネット的なものをナイーブに批判する爺さんが多いのだが、それはあまりにもナイーブ過ぎる態度だろう。

この状況を作り出したのはネットではない。それはリアルな世界での「中景」の衰退である。つまりリアルな世界で近所づきあいや、仕事仲間との交流や、友達付き合いがうまく出来ている人は、たぶんウェブの世界に居場所は必要ない。

その可能性を崩壊させたのはネットではない――その原因は「ハイパーインダストリアル社会」であり、ジル・ドゥールーズの云う「コントロール社会」にある「象徴の貧困」――。「中景」なき世代に、たまたまそこに機能代替的にネットがあったということだ。

私は、これがよいことなのか悪いことなのかはよく分かっていない。たぶんその両方の面を持ち合わせている。だから判断は右往左往してしまう。

ただこの状況は後戻りすることだけはないと思う――ただキアスム的には、なにかの要因(たぶんリアルな社会の出来事であろう)でひねられることは確実にあるとは思う。

しかし、象徴界の機能等価物は――例えば、天皇やメディアや新興宗教のように――ちょっとやそっとでは消えはしない。

その位置にいまウェブ上でのコミュニケーション(ブロゴスフィア)があるという認識から、時代をそして将来を考える必要があるだろう。