アンビエント・ファインダビリティ―情報リテラシとしてのみつけやすさ。

投稿日:

午前6時30分起床。浅草はくもり。

アンビエント・ファインダビリティ

アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅

ピーター・モービル(著) 浅野紀代(訳)
2006年4月24日
オライリー・ジャパン
1900円+税

情報リテラシ

個人が、情報が必要になる時点を認識し、必要な情報のあり方を見つけてそれを評価、活用できるようになるために必須とされる、複数の能力を組み合わせたもの。米国図書協会(『アンビエント・ファインダビリティ』:p10)

ファインダビリティ

find・a・bil・i・ty
a・設置特定可能な、あるいは進路決定可能な性質。
b・特定の対象物の発見しやすさ、あるいは位置の識別のしやすさの度合い。
c・システムまたは環境が対応している進路決定と検索のしやすさの度合い。

…ファインダビリティが必要とするのは定義、区別、差異である。物理的環境では、大きさ、形、色、位置が対象物を区別している。それに対してデジタルの領域では、言葉というものに頼る度合いが非常に大きい。ラベルとしての言葉。リンクとしての言葉。キーワードという言葉。(『アンビエント・ファインダビリティ』:p5)

ファインダビリティは、簡単にいってしまえば、「みつけやすさ」のことだろう。ウェブ上でのその基本は「ことば」にあることには違いなく、私が「ロングテール:検索ワードとアクセス数(2006年8月21日~26日) 」のような作業で確認しようとしているのは、「ことば――テクスト」による偶有性である。

そこでは対象物のレベル(コンテンツ、記事)とシステムのレベル(たとえば検索エンジン)が相互に関係することで、複雑性は増す。

更には情報リテラシ(情報が見える能力)側と、ファインダビリティ(情報を発信する能力)側のマッチングのずれもある。複雑性はめまいがしそうなぐらいに増大する。

そして、テクノラティ曰く、

現在、410万個のブログから、2.3億個の記事が登録されています。

なのである。こんな圧倒的な量の時代(「総表現社会」:梅田望夫)に、ビットの海に浮遊する情報をみつける(みつけてもらう)のは難しい。

私が「ロングテール:検索ワードとアクセス数(2006年8月21日~26日)」で感じたのは、このマニアックなキーワードしか使わないサイトに、検索エンジンを使って訪れてくれる方がおられるのは奇跡のようなものだなということだ。そして同時に、その奇跡のようなものも、ただ待っているだけでは起きなかったものだな、ということだ。

SEO:偶有性を楽しみながら蓋然性を少しだけ高める

情報リテラシもファインダビリティも、偶有性を前提とした、ちょっとした蓋然性向上の挑戦のようなものであり、人間はいつでも骰子一擲なのであれば、偶有性を楽しみながら、少しでも蓋然性を高めようとするのは、そんなにくだらないことでもない。

そこには何らかの法則性もみつけられるかもしれないわけで、そのノウハウがSEO(検索エンジン最適化)なら、SEOもくだらないものではない。このサイトをブログ化してから3ヶ月近いが、偶有性を孕んだ蓋然性(簡単にいってしまえばアクセス量である)は確実に高まっている。

情報が見える能力と情報を発信する能力

情報リテラシは、情報が見える脳力として解釈されてきたのだろうが、ファインダビリティ(情報を発信する能力)とは表裏の関係にあるのだろうなと思う。

情報が見える能力は、養老孟司氏の Y=aX  (『バカの壁』) の係数aで表現できるが、情報が見える能力を高めるためには、情報を発信する能力から高めなくてはならない。それはWebと現実(リアル)とのハイブリッドが進む時代――Web2.0 memeに、さらに意味を持つのだろうと思う。