『行動経済学 経済は「感情」で動いている』

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午前6時起床。浅草はくもり。

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行動経済学 経済は「感情」で動いている

友野典男(著)
2006年5月20日
光文社
950円+税



最近、『行動経済学 経済は「感情」で動いている』を読んでいて、桃組がやってきた、経済学への社会心理学的なアプローチって、けっこうイケているよな、と再確認している。w

反新古典学派

私はそもそも新古典経済学派(たとえば竹中平蔵)が嫌いなのだ。それは、そこで想定される「経済人」が性に合わないことから始まる。「経済人」、そんなのいるわけないないだろう、チッチキチィなのである。

経済人というのは、超合理的に行動し、他人を省みず自らの利益だけを追求し、そのためには自分を完全にコントロールして、短期的だけではなく長期的にも自分の不利益になるようなことは決してしない人々である。(『行動経済学』:p10)

反経済人

昼間っからホッピー通りで酒を飲み、禁煙は何度も失敗し、不健康なものを喰い続け、成人病に蝕まれ、お金はあればあるだけ蕩尽しては悔やみ、頼まれると嫌といえない、かと思うと、人の嫌がるようなことをしては喜んでいるような私からしてみれば、「経済人」はまったくうらやましい人々だ。

――というのは謙譲表現でしかなく、そんなのうらやましくもなんともない。経済人のようなヤツがいたら、私は友達にはしたくはない。なぜなら一緒にいるだけで酒が不味くなるからだ。

まあそんな「経済人」を前提とした新古典経済学派の経済理論や、それをベースにした政策を支持しろといわれても、無理だ、というのが私の立場で、それはずっと変わらない。

ケインズの方がずっとまし!

だからといって、「経済人」仮説に反論するのは恐ろしく難しい。なぜなら、経済学では「経済人」になれと教えこまれるからだ――でもその刷り込まれた理想と己の現実のギャップに心が疲れちまっているのが現状だろうね――。

そして認知心理学と経済学のハイブリッドである「行動経済学」はまだ若い学問であるが故に、まだ一般的なミームにはなっていない。

でもね、私的には、「ミーム」や「信頼の構造」まで戻って「桃論」を再構築しているのだけれども、『行動経済学』のような反「経済人」本が、多くの方々に読まれるようになれば『桃論』が読まれるよりも嬉しい。

合理性が非合理性であり、非合理性が合理性でもある、このろくでもない素晴らしい世界なわけだ。