「憲法九条を世界遺産に」は精神分析のようなものか。

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午前5時25分起床。浅草は雨。

憲法9条を世界遺産に

憲法九条を世界遺産に

太田光・中沢新一(著)
2006年8月17日
集英社
660円+税

憲法九条を世界遺産に』を読んだ。

この本の狙いは「憲法を考えること」なのだろうが、私の印象は、それとは違ったものだ。

ここにあるのは太田光の芸人論――というか、芸人としての自己の葛藤の発露のようなものだ。

そこに中沢新一が芸能の神様の代理人(若しくは精神分析医)のように居る。

それはまるで、精神分析を受ける患者と精神分析医の関係なのであり、その分析主題は「想像力の欠如」じゃないだろうか。

…僕も含めてなんですが、今の社会全体が、感受性が鈍くなっている気がするんです。ホリエモンの話も、耐震強度偽装の問題も、彼らがなぜあんなことをしてしまうのかと言えば、感受性が鈍いからでしょう。想像力が欠如していますよね。こんな建物をつくったら、住む人間がどうなるのかという想像力がまるでない。(太田:p152-153)

これは、先の東京独演会の主題でもあった。

つまりPPTの中では、「小泉政権の5年間で、日本は常識を行動規範とする国から欧米型のルールを重視する社会に変わってきた。」であり、その中で、「日本人の創造力はむしろ働かなくなっているのではないだろうか。 」である。

つまり、私たちが護憲派でも改憲派でもかまわない。

ただそれを議論するには、想像力は必要だということなのだと思う。

想像力とは〈他者〉を想う心である。

私たちは、その部分に関してはもっと謙虚であってもいいのだろうと思う。