「ニッケル・アンド・ダイムド」 バーバラ・エーレンライクを読む。

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ニッケル・アンド・ダイムド

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実

バーバラ・エーレンライク(著)
曽田和子(訳)
2006年8月10日
東洋経済新報社
1800円+税

私が小泉内閣中最も嫌った人物である竹中平蔵氏が、政界引退を表明した。それに対しての感想を書くつもりはないが、結局、小泉・竹中路線とは、アメリカ型の格差容認社会をモデルにしていただけであり、おかげで、日本では――たぶん二度とつくれないであろう社会資本である総中流体制が崩壊してしまった。

世間では「勝ち組/負け組」、「下流社会」が流行語のようになり、年収150万円未満の20代が2割を超えるような国となった。

ニッケル・アンド・ダイムド』は、米国のワーキング・プア(働く貧困層)潜入ルポとでもいえばよいだろう。働いても豊かになれない人々の物語であり、つまり日本も格差社会である(向かう)のならば、この本の内容は決して他人事ではないとうことだ。

日本には格差はない、という意見もあるが、そんなことはない、「格差」はある。しかし、日本のフリーター(ニートもか)が決して貧困層に見えないのは、親と一緒に暮す(パラサイトする)ことで、家賃や食費の問題を棚上げしてしまっていることが大きいのだろう――米国のワーキング・プアにとって家賃の問題はとても大きな問題であることは本書を読めばわかる。

それは悪いことではないだろうが、それが中流社会の遺産の食い潰しでしかなのであれば、やがてそれは食いつぶされてしまうものであり、何時まで持続可能なのかは(私は)わからない。

そして厄介なことに日本経済はマクロ的には好景気なのである。そんな中で格差を容認する意見もけっこう大きい。しかしその好景気が私たちに実感としてないのは、そして私が格差を容認しないのは、その好景気が「リストラ景気」であるからだ。バーバラはいう。

私たちが持つべき正しい感情は、恥だ。今では私たち自身が、ほかの人の低賃金労働に「依存している」ことを、恥じる心を持つべきなのだ。(『ニッケル・アンド・ダイムド』:p290)

そう、われわれにとって「恥を知る」ことは、今一番必要なことだ。スティグレールもそういっているじゃないか。と、社会問題としてこの本のことを書くときりがない。

なので、この本を読んで思い出したリンダ・ロンシュタットの「ブルーバイユー」という曲を紹介してお仕舞いにしよう。このフレーズは、学生の頃から忘れられないままだ。

Saving nickels saving dimes
Working til the sun don't shine
Looking forward to happier times

ニッケルとはアメリカの5セント硬貨、ダイムは10セント硬貨のことである。YouTubeにビデオがあったのでembedしてみた。興味のある方は聴いてみてほしい。