多選(町長選挙)

今朝ほど書いた、「マーケットソリューション再び」に関連して書くけれども、なんとも腹立たしいのは、建設業(地場の中小建設業である)の種的信頼は、こんな事件で一挙に低落してしまうことであって、地域再生には、公共事業という産業が必要だとする私の立場からみれば、なんともやるせないし、私でさえ再び信頼を得ることなど可能なのだろうかと考えてしまう。

こうしてみると、知事(や首長)に関して云えば、多選はよくないのだろうなと思う。それは種(自治体)がひねりのない円環と化してしまい、個が種に溶けてしまうようなもので、佐藤福島県知事は五選であるし、岐阜県裏金問題の梶原元知事も多選であったことを考えると、強力な対立候補のいない首長を持った行政(自治体)は、内的な牽制装置が効かないことで腐敗しやすいのだと思う。

むしろ奥田英朗の迷作『町長選挙』のように、町内が二派に別れ、町長が変われば町役場の職員の序列も変わるような、札束飛び交う激しい選挙――万事死人がでなければ成功なのだ――をしているようなところの方が――私はかつて鹿児島でその手のはなしを散々聞かされたが――、それはいつでもお互いに弱みを探しているようなもので、その牽制のおかげで、種は健全でありフレキシブルなのかもしれない。

その意味では自民党の派閥政治と云うのは、ある意味種的基体を維持するには最善の装置だったのかもしれないし、アメリカや英国の二大政党制というのもよくできていると思う。(最近の大勝する自民党には腐臭を感じる)。

日本人はどちらかと云えば、縄張り争いは好きなわけだが、『町長選挙』のような狭い範囲にしか興味がないもの事実であって――一番大きな種である知事選でさえ(最近の長野県を除けば)どうでもよいことになってしまっている――、こんなことを繰り返しがら、気が付けば法律(規制)だらけで身動きがとれなくなってしまうのだろう。そして地方と云う中景はヘタレ(依存)の粋から永遠に逃れられないままだろう。

  • 町長選挙町長選挙
  • 奥田英朗(著)
  • 2006年4月15日
    文芸春秋
    1238円+税