安倍政権とWeb2.0バブル。

午前5時40分起床。浅草はくもりから雨へ。

Web2.0はバブルか

TechCrunch Japan のちょっと古い記事(9月3日付け)に、動画全訳:We、b 2.0 トップ討論会「Web 2.0はバブルなのか?」という記事があった。

今回は成立したばかりの安倍晋三内閣の政策がらみでWeb2.0バブルについて書いてみたいと思う。

バブルは金融市場のことば

Web2.0はバブルなのか?という疑問(心配)は、ネット上ではよくみかける話題だ。

しかしバブルという語彙は、そもそもが金融市場のものであり、私はその関係(IT)筋への投資はまったくしていないし、投資家でもなければ(今のところ)起業家でもないので、Web2.0がバブルであろうがなかろうが、どうでもよい、というのが本音である。以下、そんな私が書いていることをご理解の上、呑気に読んでいただければと思う。

結論から書けば、Web2.0(に限らず多くのIT株)は――つまり金融市場は――バブルだろう(と思う)。特に米国では。

買収で頭一つ抜けたいと考えている企業は多いんですが、実際に買収される企業は少ないし買収額もかなり低い。Web 2.0はWeb 1.0と経済状況が全く違うので根本的に異なるんですが、バブる要素があるとしたら、それは主に金融市場だと思いますね 。(前掲記事より)

ミクシー 株はあえてやっているバブルだ

たとえば(Web2.0企業かどうかは別として)mixiの株価はバブルである。PBRが254.86倍(昨日の終値)だなんて信じられるかい。mixiのユーザー数なんて私の知る限り100人もいないのだ――マイミク数は300人もいるのだけれども。(笑)

このバブリーさは、小泉政権が「規制緩和」でつくり出した産業がなんであったか考えてみれば、なんとなく納得できるだものだと思う。

つまり小泉さんの5年間で伸びた産業?といえば、規制緩和の名を借りたのっとり屋と、人材派遣会社と、介護サービス会社でしかなく、エンジェル制度整備やベンチャー支援といったことにはあんまり注力してこなかった。

「格差解消には税による所得の再配分しかないと考えれば、そういう議論になる。しかしそうではない。例えば、地方や中小企業が頑張って経済のパイ全体を大きくしていけば解決できる」(竹中平蔵氏のことば

すべては自助努力任せで、ジャパニーズ・ドリームは、結局のっとり屋しか生み出せなかった。そしてそれは今、司法の裁きを受けている。そんなところに降って湧いたようなmixiなのである。

ミクシーがバブルであるのは、皆がわかっていてやっていることであり、最後のババをつかまないようにゲームしているだけのことだろう。そんな方々に警告もなにも必要はないのである。ただお金はだぶついているだけであって、つまりやっぱりバブルなのである。

安倍政権でのイノベーション戦略

安倍政権は、政府の歳出削減(小さな政府)を目指し、結果的にはリバタリアニズム-新自由主義的経済政策を小泉-竹中内閣から継承するだけだろう。

根拠のない前政権の「個人への頑張り(自助努力)強要政策」への反省を含めて――勿論自助努力はいうだろうが――、経済成長の柱として、イノベーションへの投資を推奨しようとしているのは評価できるが――つまりは、公共投資による相乗効果には期待していないのであって、公共事業は確実に減る

それには米国のWeb2.0的な動きを模倣しながら取り入れてくるのは確実であって――それがバブルだとわかりきっていてもだ――、今後、Web2.0を名乗る企業家――ハッカー精神に溢れた才能ある起業家とは限らないことに注意しなくてはならないが――は、米国に一足遅れで日本でも沢山生まれてくる(のかもしれない)。

その手法が米国経済の活力元であることは確かで――日本でそれが可能になるならそれはそれでおもしろいと思う。しかしそれも所詮バブルだと(私は)思う――。今後は米国と同じようにエンジェル制度が整備され、ベンチャーへの投資にインセンティブが与えられるのは(安倍政権では)確実だと思う。

つまり日本におけるバブル2.0(Web2.0バブル)はこれから起きる。しかしそれはWeb1.0バブルとは確実に違っていて、Web2.0の特徴は、アイデアとそれに対するVC(ベンチャー・キャピタル)の投資額の小さななのである。

ビジネスモデルは二の次のようなところがある。(このことに関しては以下のインタービュー記事を参照していただきたい)。YCombinatorのベンチャーキャピタリストPaul Grahamインタビュー

パトリとWeb化する社会

そこで生まれる企業やサービスは珠玉混合であるのは当たりまえであろう。

生き残る会社もあれば消えてしまう会社もある。

ただ、消費者が便利だとか、おもしろいと感じた技術やサービスは確実に残るだろうし、それはどの会社が生き残るのかではなく、ただ大衆に支持された技術は、ミーム進化的に淘汰を生き続けるということだけだ。

このバブルが(本当に起きるのか、そして)いつこけるのかはわからない。 けれど、先に書いたように、私はそんなことはどうでもよいのである。

技術的にWeb2.0であろうがなかろうが、何時もの様にメールが使えて、Webにアクセス可能であればそれでよいわけだ。

そんなことよりも、いまの私の関心は、パトリとWeb化する社会の関係にある。

Web2.0を支える精神(それはどこかでリバタリアニズムと親和性が高い)は、もはや普段の環境となりつつある――ことの方が大問題なのである。

僕は、ひとことで言うと、特定の技術が特定の思想を体現することがあると考えています。技術は価値観に対して中立だと考える人もいると思いますが、僕はそう考えない。とくに、情報技術は、特定の社会観や価値観――それを「カリフォルニア・イデオロギー」と呼ぶにしろ「未来学」と呼ぶにしろ「ハッカー倫理」と呼ぶにしろ――のとても強い影響を帯びている。しかも情報技術がおもしろいところは、いままで思考実験だったものをすごく世俗的なかたちで露呈させてくれるところです。(東浩紀:『波状言論S改』p335-336)

すすむリバタリアニズムのOS化

今回の安倍内閣の人事は、ある意味、リバタリアニズムのOS化は更に進むことを意味している。

それはパトリの消滅と引き換えにである。

そこでは相変わらず「頑張る」ことがいわれるのだろうが、「頑張る」ことに疲れた多くの若者たちは、(子宮としての)中景(パトリ)無き時代に、Webにパトリ(子宮)をみつけるのだろう。

mixiの強みは、大衆の感情を受け入れるシステムとしての擬似パトリを、Web上で提供したことだろう(と私は思う)。

つまりmixiは子宮なのである。