江弘毅さんと打合せ(北新地)

午前7時10分起床。浅草はくもり。

06101302 (12).JPG12日の夜は『「街的」ということ』の江弘毅さんと12月9日に大阪で予定しているイベントの打合せで、広島から大阪へ向かった。

打合せと云っても、1時間ぐらい街的なおはなしをお願いしますね、それから私との対談をお願いしますね、ぐらいなわけで、それは5分もあれば終わってしまう。

(写真がぼけているのは、撮影者が酔っ払っていたからで私の責任ではない)。

江さんは私と同い年だし、世界観も同じようなものだし、違うとすれば江さんのパトリは岸和田で、私のパトリは浅草であることぐらいなのであり――まあそれは大きな違いなのだが(笑)――、そして私は『「街的」ということ』を信頼しているわけで、信頼をベースにしたはなしがはやいのはあたりまえなのである。

つまり「解釈(アンテルプレタシオン)は、貸借(アントルプレ)を満たすために、快速でなければなりません。」(ジャック・ラカン)なのであって、信頼を潤滑油にしたこういう関係は心地よし。

しかし快速はここまでであって、あとの打合せと称した酒飲みときたら、だらだらの鈍行列車のごとき、私たちは北新地で午前2時過ぎまで飲んでいたわけだ。

江さんは、由緒正しき(純正)の岸和田のおっちゃんであり、溢れる知性をその風貌と太いだみ声で覆い隠し、岸和田パトリで世間を威嚇している(だんじり祭りの若頭を務めておられる)。それは岸和田パトリを守る戦士のようなもので、たぶんそんなことは誰に頼まれたのでもないのだが、そう云う遺伝子(と云うかミーム)に寄生されてしまったおっちゃんなのである。

それは腹が据わっていると云うことなのであり、足場を持っていると云うことなのであり、だから江さんはパトリがなにものであるのかが身体的にわかってしまっているのだろうなと思う。

さて、12月9日は、この強烈なおっちゃんとのコラボである。プロレス的展開を私は画策しているわけだが、私の受身はこのおっちゃんの攻撃に耐えられるのだろうか。それが問題だ。(笑)

江 弘毅(著)
2006年8月20日
講談社
720円+税