経済学は合理性の仮定の上に成り立っている。自分の行動の理由を勝手にでっち上げている人間にとっての合理性とは何だろう。

@新千歳空港でANA便の空席待ちなのである。便の予約をしないでも大丈夫だろうと、なめた態度で空港に来たら、修学旅行の特異日なのか、東京行きの便はどれも予約で満席だったわけだ。

仕方がないので、ANAのラウンジで、煙草を吸いながら、今日の空知建設業協会広報IT委員会で仰せつかった宿題に取り組んでいた。つまり11月14日に岩見沢で開催される地域再生セミナーの開催趣旨を考える、である。

社団法人空知建設業協会では、地域社会はわれわれの依って立つ大地であり、わたしたちひとりひとりのこころの拠所であるとの考えに基づき、社会資本整備というハードの面だけではなく、ソーシャル・キャピタルとでも云うべき、ソフトとしての社会資本の構築のお手伝いとして、2003年度より市民参加型イベントである「地域再生フォーラム」を開催している。

今回の地域再生セミナーは、過去三回の地域再生フォーラムとは若干名称は違うのだが、まあだいたい同じようなもので(笑)、土木の日(11月18日)の記念行事として、11月に開催することになった。

ゲストには第1回目の地域再生フォーラムで、われわれを魅了した北海道大学の山岸俊男先生をお招きする。山岸先生の最近の研究内容は、

経済学は合理性の仮定の上に成り立っている。自分の行動の理由を勝手にでっち上げている人間にとっての合理性とは何だろう。

と云うようなもので、それはほとんど行動経済学と呼んでもいいのじゃないのかなと思う――その一部は10月20日の東京独演会:2.0的社会の歩き方(その2)でもご紹介する予定――。

それがどう地域再生とかかわるのは、「利他性」と云うキーワード(人間は利他性を持った唯一の動物である)にある。

と云うことで先は長い(ような気がする)ので、しっかりと仕事をするのである。