『「1千万以上」一般入札へ 指名競争の原則廃止も視野』という記事のこと。

「1千万以上」一般入札へ 指名競争の原則廃止も視野

相次ぐ官製談合事件を受けて再発防止策を検討している全国知事会のプロジェクトチーム(座長・上田清司埼玉県知事)の改革指針案が15日、明らかになった。談合の温床ともされる指名競争入札を原則廃止することも視野に、当面は予定価格1000万円以上の工事を一般競争入札にするよう全都道府県に求めている。

(中略)

また、入札参加者の事前把握が難しく談合防止に効果があるとされる電子入札について「3年以内に全面導入することを目指す」と明記。入札談合に関連して違法、不正行為を行った業者は、「少なくとも12カ月以上」の入札参加停止とするなどペナルティーの強化も提案している。(引用:Chunichi Web Press ) 

いまだにこの国では、問題解決方法(ソリューション)を〈ヒエラルキー/マーケット〉のバイナリーコードでしか考えることができないようだ。

福島県、和歌山県、宮崎県の官製談合事件は典型的なヒエラルキー・ソリューションでしかなく、その対立概念であるマーケット・ソリューションが選択されるのは当然のことでしかない、とでもいうのであろうか。

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全国知事会のプロジェクトチーム(案)は、私が『桃論』で電子入札の導入と同時に起こる問題として引用していた「マーケット・ソリューション」のことである。

これはバイナリーコード(二項対立)での選択でしかないのだが、それ(その選択方法――私はこの案もそうだが、その選択方法自体に問題を感じている――)のなにが問題かといえば、この選択方法が失うものは、官製談合をする自由や、贈収賄の自由ではない、ということだ。

今回の選択方法が失うものは、今後の制度設計にもよるだろうが、自治体がなぜ自治体であるのか、という自らの未規定性を克服しようとする回路そのものであるだろう。

つまり今回の案は、地方の公共事業が持っていた、地場経済の活性化と雇用の確保、という贈与的性格をまったく無視してしまっている。

06110902.jpgでは、なぜそんな大事なことがないがしろにされてしまっているのか。(だから選択方法がよくない、と私は思う)。

今回の案には、自治体はなぜ自治体なのかへの自己言及がない。

自己言及とは、自治体における純粋贈与――それは郷土や自然や、自然として人間、つまり市民でありパトリであるだろう――発見のための回路である。

今回の選択に、そのような自己言及はあったのだろうか――つまりパトリへの視点はあったのだろうか――。私は疑わしく思う。

自己言及のないところでの、バイナリーコード的選択は、システムがシステム足りえていない証でしかない。つまり自治体が自治体足りえていない。

それは「種」(「共」の原理=贈与)としての自治体の未規定性を、一層曖昧にしてしまうだけで、地方分権や、美しい国など、お笑い種でしかないだろう。

しかし、ますます中景=贈与の原理=共同体性は、交換の原理によって崩壊していく。これを悲しんでばかりはいられないのだろうが、かといって(腹を据えて)一緒に闘う仲間もまた少ないのも事実だ。