全国知事会が談合防止指針を採択、若しくは地方の終焉ということ。

午前7時起床。浅草はくもり。

ちょっと頭が痛く、朝から朝鮮人参茶を飲み続けていて、今朝の戯言は遅めの更新となってしまった。

全国知事会 談合防止指針を採択

全国知事会 談合防止指針を採択

全国知事会は十八日、東京都内で総会を開き、談合の温床とされる指名競争入札の早期廃止や、職員の「天下り」制限などを盛り込んだ談合防止の指針を採択した。あわせて「官製談合の防止策や入札制度の改革に全力で取り組み、自ら率先して範を示し、住民の信頼の回復に努める」とした「不正の根絶宣言」を発表。宣言には全都道府県知事が署名する。

指針は、一般競争入札の導入については原則、一千万円以上の工事に拡大。電子入札の三年以内の導入や、談合した業者を一年以上、入札参加停止にする罰則強化も打ち出した。

また、職員OBの働きかけを防ぐため、課長級以上の職員を対象に、退職前五年間の職務と密接な関係がある企業への再就職を制限した。(引用:Chunichi Web Press

解説

この記事には珍しく記者名付きで〈解説〉が附されている。

<解説>選挙のあり方 なお残る宿題

全国知事会がまとめた談合防止の改革指針は、入札制度改革などを盛り込む一方で、不祥事の背景に指摘される選挙での業者との関係については「透明性を確保する必要がある」と触れた程度。国民の不信感を十分に払しょくできる内容とは言い難い。

指針案を策定したプロジェクトチーム(PT)の議論は、談合防止の仕組みづくりに終始。「(福島、和歌山、宮崎の)三県とも選挙での貸し借りに問題があった」(増田寛也岩手県知事)などの意見は反映されなかった。

総会直前の四度目のPTの会合でも、古川康佐賀県知事が選挙について「『このままでいいということではない』と(知事会として)何らかのメッセージを」と求めたのに対し、知事会長の麻生渡福岡県知事は「官製談合と選挙のあり方は直接、関係ない」と退けた。

総会後の会見で、麻生会長は「(選挙のあり方の議論を)答えを出すことはできない」と説明。「選挙に踏み込めば選挙の形態などの議論にどんどん入る。(談合防止の)行動に移せなくなる」と述べたが、汚職事件にも発展した選挙に絡む知事と業者の癒着の構図に、メスは入れられなかった。

不祥事の温床をどう絶つのか。知事には重い宿題が残されたままだ。(中部報道部・平野誠也)

知事の責任逃れ

この〈解説〉のいっていることはある意味正しい。今回の福島、和歌山、宮崎の官製談合問題は、入札制度にあるのではなく「選挙での貸し借り」(贈与の関係・互恵的利他性の関係)にある、と考えなくてはならない。

そしてその貸し借り(贈与の関係)こそがヒエラルキー・ソリューションの基底なのである。しかし知事会の決定には、その問題の所在をずらそうとするような意思が働いている、といえるだろう。

つまり、『一般競争入札の導入については原則、一千万円以上の工事に拡大。電子入札の三年以内の導入』 はたいして意味がないばかりか大きな問題を抱えている。にもかかわらず、『官製談合と選挙のあり方は直接、関係ない』のであり、『選挙に踏み込めば選挙の形態などの議論にどんどん入る。(談合防止の)行動に移せなくなる』と麻生会長はいうわけだ。

(麻生会長) のこの発言にはふたつの意味があるだろう。

  1. まず、今回選択したマーケット・ソリューション(一般競争入札)は、彼ら(知事)の想像を超えて機能してしまう、ということを彼ら(知事)は知らない。
  2. 彼ら(知事)にとって重要なことは、(知事会)が「なあなあの関係」(種に溶けた個)でありつづけること。
    みんなが議論しはじめ、全員一致が条件となったら、ヒエラルキー・ソリューションは簡単に崩壊する。(そうさせないためのシステムとして民主主義)。

麻生会長は、会長として(2)には、直感的に気づいたのだろう。つまり知事の立脚しているシステムも、まだヒエラルキー・ソリューションを組み込んだものだ、というの自覚である。

それはさておき、問題は(1)なのである。これは談合・公共事業という産業をスケープゴートにしているに過ぎない、思考停止の賜物だろう。

談合というスケープゴート

今回の知事会の談合防止指針の採択は、自らの問題を、談合という「ことば」(象徴)に置き換え、あたかもその(談合=話し合い)のシステムが、すべての諸悪の根源であるかのような印象を与えようとしている。

システム的には、談合は話し合いのシステムでしかなく、全員一致を前提とする「組合・公界の原理」である。(それはコミュニティ・ソリューションでしかない)。

問題は、そこに贈収賄や官製等が入りこむことなのだ。(多くの議論はこの区分ができていない)。

では、なぜそうなのか、と考えればよい。それは今現在もあるヒエラルキー・ソリューションのシステム、つまり簡単にいってしまえば、選挙のあり方に問題がある、と考えるのが、少しはロジカルな思考なのだと(私は)思う。

そんな思考をされては困るのは、じつは(多くの)知事なのであって、今回の全国知事会は、問題解決法を安易にマーケット・ソリューションに転位させてしまっている。

地方の終焉 

それは地方自治の長としては議論が足りないといわれても仕方がないだろう――多くの方々はそうは思っていないかもしれないが――。

そしてこの選択は、地方にとっては、自らの存在基盤(贈与の関係と種としての役割)を失うことになることで、失策となるだろう。

なぜなら、一端マーケット・ソリューション(交換の原理)が導入されるや否や、間違いなく、贈与の関係は骨抜きにされてしまうからだ。安易なマーケット・ソリューションの選択は、地方自治にとっては、最もリスクの大きなソリューションでしかない。

そのことは、地場の中小建設業、そして彼らが支えてきたパトリの壊滅的打撃という形であらわれる。それはある意味、地方の終焉(つまり美しい国の終焉)でしかないのではないだろうか。