Buzan's iMindMapを試用していること。
Buzan's iMindMap
新年会の第一部(落語会&勉強会)で、八木博さんが紹介してくださった、Buzan's iMindMapをダウンロードして使ってみた。21日間の試用ができる。
また日本語も使えるのでマインドマップ※に興味のある方は使ってみてはいかがだろうか。
※マインドマップについては「マインドマップとは」を参照してほしい。
視覚化すること―トポロジー
マインドマップは、私の使っている三位一体モデル=ボロメオの結び目と(基本的には)同じような構造をもっているので私的には違和感は少ない。
右の図は「象徴の一部否定」を考えているときに書いたものだが、マインドマップと同じ手法を使っている。要は言語化とトポロジーなのである。つまり両方とも対象を言葉でデコードすることから始まるのは同じなのだ。
そして両方とも、(たぶん)どんな人でもそれなりに使える。ただしそれには、自分の能力に応じて、という条件がつくだろう。なぜなら、この両方の手法とも、デコードからエンコード(創造)に至る最低限必要な道具は、言葉でしかないからで、つまり語彙=自分が使える言葉の持ち合わせがなければ役にたたないからだ。
Buzan's iMindMapを使ってみて思ったこと。
マインドマップは、構造を解析するものというよりは、記述手法であり、発想の発端の道具であり、言葉によるデコードの日頃の訓練の為のツールであるように(私は)思う。
例えばそれは、バタイユの普遍経済学を書いてみて感じたことだ。
三位一体モデルとマインドマップの大きな違いは、「かさなり」や「交わり」の表現の〈やりやすさ/やりにくさ〉にあるように思う。
三位一体モデル(ボロメオの結び目)
三位一体モデルは、交わりの表現が非常にやりやすい。それがこのモデルの真価であると(私は)思うのだが、その理由は簡単で、三位一体モデルには「かたち」(トポロジー)があらかじめあるからだ。
つまりそれは、ラカンのボロメオの結び目や、バタイユの普遍経済学であって、それ自体は難解なものだけれども、その難解さを端折って、そういうもの(ものさし)として使ってしまえば、複雑性は嘘みたいに縮減される――つまり合理的なのである。
しかし三位一体モデルは、その「かたち」の存在のせいで、記述的、物理的空間は狭くなる――そのために、使う言葉は厳選される必要があるので語彙の少なさは致命傷になる。
マインドマップ
一方、マインドマップには「かたち」はあらかじめ準備されていない。それはリゾームのトポロジーのようなもので、記述の空間は、物理的にはるかに広いし、言葉を厳選する必要もない。
その自由さが、なにか創造性と結びつきやすいと思われる理由なのだろうが、その限界は先にも書いたように、自分が使える語彙にある。なので語彙を増やし使いこなす訓練を積んでいないと、これが創造性に結びつくことはないだろう。
つまりそれはまるでタグクラウドのような言葉の屑になってしまうことは覚悟しておかなくてはならない――だから精神分析医がそれ(マインドマップ)をみたら、ある程度は精神状態を分析してくれるかもしれない。
最初に言葉ありきだが
最初に言葉が屑であることは三位一体モデルも同じだし、語彙の豊富さは重要なのだが、それが創造にまで高まるには、言葉といった象徴的なものはむしろ邪魔になると(私は)思う。言葉は、なによりもまずデコードの道具である、と考えたほうがよいだろう――最初から表現の道具にはなりえない――。
つまり創造性には、(ロラン・バルトが)外的連関と呼んでいる原動力が働く必要があるのであって――つまりバイロジックでいう(無意識までを含んだ)流動的知性、対象性の論理、野生の思考が機能することで、デコードされた言葉はかたちを成すということだ。
その表現は、言葉というよりもむしろ絵に近いものだと(私は)思う――つまりトポロジックなものが最初に出来上がり、それを後追いで言葉や数式や記号で表現している。
マインドマップ+三位一体モデル
なので、デコードツールとしてのマインドマップを活用し、言葉を抽出し、そこでぼんやりしたイメージを捕まえて、それを三位一体モデル――という後追いで言葉や数式や記号で表現するツールでまとめる、というような使い方はどうだろうかと(今は)考えてはいる。
日常として書くこと―ブログ
しかし(私的には)、常日頃ブログを書くことで、対象を言葉でデコードする訓練は十分にしている――つもりなので、マインドマップの必要性をあまり感じていないのもたしかなのだ。つまり、マインドマップ的なことは、常日頃ブログを書くことで、十分に実現できるものだと(私は)思うし、書きながらイメージを膨らませることもできる。
なぜなら私の使う言語は、原初抑圧の弱い日本語であることで、創造性は機能しやすいのだからね。つまり、書くことをあきらめちゃいけないのよ、と(私は)主張したいのだが、それがいやな人はBuzan's iMindMapを日常的に使ってみることは悪いことではないだろうと(私は)思う。