ギャル文字の構造

「構造」なとどいっているテクストは疑ってかかったほうがよい。自虐的なものいいだが、そう思ってもらったほうがよいのは、本文を読み進んでいけば理解できるかと思う。このテクストは前述の「アール・ブリュット」の補足のようなものである。

ギャル文字

ギャル文字(ギャルもじ)とは、携帯電話のメールなどで文字を分解・変形させて文字を表現する遊び・手法、またそれらの文字そのものの呼称。 「へた文字」とも呼ばれる。 変形対象となるのは主にひらがなやカタカナであるが、一部の漢字も偏と旁を分解して表記したり、ラテンアルファベットも変換するなど、その表現は多岐に渡る。(Wikipedeia)

ギャル文字

(引用:「名探偵コナン 51巻」収録の「ロシアンブルー」)

この図中のギャル文字は、「おとーさんの誕プレかいに行くのつきあって」と読む。

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ギャル文字の構造

「ギャル文字」は、文字や記号はいったん部位にデコードされデータ化されるというデータベース化の文脈に忠実である。

そのデータは、ケイタイやパソコンで使える記号やギリシャ文字と一緒になって、日本語の象形としてエンコードされるることで「ギャル文字」となる。

これは日本語本来の原初抑圧の弱さに、戦後の国語教育の貧困がプラスされ、デジタルな記号によるコミュニケーションの時代に、生まれるべくして生み出されたものではないだろうか(というのが私の仮説である)。

松本国三のアール・ブリュット

下の図は日本の「アール・ブリュット」、松本国三さんの作品だが、この日めくりカレンダーにびっしりと書き込まれた「文字」は、まさに「ギャル文字」のようだと(私は)感じた――私は実物を見ている。松本国三(図:「芸術新潮 11月号」:p76:撮影=広瀬達郎)

作者の松本国三さんは、じつは読み書きを学んでいない。つまり象徴としての日本語の抑圧は弱いと考えてよいだろう。

しかし(それゆえに)「文字」をデータとした創造(芸術)が可能となっているのだと思う。松本国三さんにとって、文字は象形なのであり、その象形をブリコラージュすることで作品は生まれる。

野生の思考

つまり象徴が象徴として機能していないところに、ブリコラージュ(創造性)はある――「ギャル文字」も「アール・ブリュット」も、「象徴の一部否定(機能不全)」であるがゆえに、「野性の思考」が機能しているのではないのだろうか。

 ギャル文字の構造創造性の基本構造

つまり(当然のことでしかないのだろうが)、ギャル文字が生まれる構造(左図)は、創造性の基本構造(右図)と同じなのである。そこで私が注目するのは、このような創造性―外的連関が働きだす条件だ。

それは、偏差値が高いことではない。それは、当たり前を疑ってみること――つまりは象徴を疑ってみることである。であれば、今われわれの象徴界に居座るものを、われわれは知らなくてはならない。

それは斉藤環にいわせれば「世間」であり、ベルナール・スティグレールにいわせれば、「ハイパーインダストリアル社会」、「コントロール社会」ということだろう。(詳しくは「象徴の貧困」を参照してほしい)。

しかしわれられが円環モデルにいる限り、象徴を知ることも、疑ってみることもない。(つまり創造性が機能することはないだろう)。

注記

それはおたく的な創造性とたいしてかわらないだろうし、元々日本語は原初抑圧が弱いことは「日本語の構造。(縦に書け!)」に書いた。日本語の構造がハイブリッドであることでギャル文字は生まれるべくして生まれたものと(私は)考えている。