宮崎県知事選―そのまんま東は差異と戯れである。

午前6時40分起床。浅草はくもり。

「討論おもしろい」…そのまんま東、まさか「当選圏」

官製談合事件での前知事辞職による出直し知事選となった宮崎県知事選で、元タレントのそのまんま東氏(49)が善戦している。15日の朝日新聞朝刊には「大接戦」、読売新聞朝刊には「3氏競る」の見出しが躍った。出馬表明時の「あり得ない」との評価から、勢いは急上昇。このまんま「まさか」はあるのか-。

政治評論家の有馬晴海氏は「東氏は宮崎の数少ない有名人で、『いつか政治に』という県民の思いはあった。また、対立候補は役人出身で、『談合知事の後継』というイメージがあり、そこを『素人』の東氏がうまくつけば、さらにスムーズに行く。当選確率は3割。あとは支持してくれている無党派層に投票に行ってもらえる戦略が必要だ」と分析する。(ZAKZAK

なるほどね、と思う。

リゾーム

差異と戯れ

そのまんま東は差異と戯れである。

ある秩序が崩壊した後は、ある意味リゾームのようなもので、ここで強調されるのは差異と戯れでしかない。

差異を差異として肯定し享受する。戯れとしてのJeu。(図:浅田彰:『構造と力』:p236)

リゾーム宮崎

つまり「対立候補は役人出身で、『談合知事の後継』というイメージがあり」差異が見えにくく戯れもないだろう。

それに比較すれば、そのまんま東は、まだ差異と戯れが見えやすい――彼の場合、まじめにやればやるほどそれは顕著になるだろう。

しかしそれが、知事としての機能を遂行する能力とイコールでないことはあたりまえだろうし、選挙というゲームが戯れであっていいわけでもない。

しかし、そんなことはおかまいなしなのが、リゾームとしての今の宮崎県だということなのだろうか。