「他人の子供を叱ろう、褒めよう」キャンペーンのこと。

「他人の子供を叱ろう、褒めよう」キャンペーンというのを産経新聞社がやっている。

「他人の子供を叱ろう、褒めよう」キャンペーン

ほんの数十年前まで、日本は3世代、4世代同居が当たり前でした。子供たちには、親だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんの目が注がれていました。また、地域とのつながりも密接で、「近所のご隠居さんに叱られた」「お友達のお母さんに御飯を食べさせてもらった」などの思い出を持つ方も多いことでしょう。

しかし、核家族化が進み、人間関係も希薄になった現在、子供たちをとりまく環境は大きく変化しています。それが、昨今取りざたされている様々な問題を引き起こす原因の一つになっていのではないでしょうか。(キャンペーン趣旨より)

私はその昔不良だった頃、ファミレスで走り回っている餓鬼は容赦なく足を引っ掛けて転ばせた。そして静かにしろと叱った。

躾の悪い餓鬼が大嫌いだった。

しかしそんなことをしても文句を言ってくる親は少なかった。その理由は、その昔の私の容姿にあったことは自覚していた。(笑)

しかし今は親同士が知っている間柄――つまり子供同士が友達である場合を除いては、「他人の子供を叱ろう、褒めよう」なんてことはしない。

なぜなら、そんなことをしたら、間違いなく「変なおじさん」として警察に通報されるのがオチだからだ。

子供を叱ったり褒めたりできるというのは、じつは親同士が顔見知りであること、そして少なくとも子供たちが、この口やかましい親父を、ある程度身近な人として認識していることが必要なのだと(私は)思う。

それが「中景」が機能しているということだろう。

この「他人の子供を叱ろう、褒めよう」キャンペーンは、私のいう「中景」を再生させようとする試みであることは認める。

しかしだ、むやみに「他人の子供を叱ろう、褒めよう」なんてことは今はできやしない。

相当勇気がいる。

なぜなら、先に書いたように、知らない子供に声をかけようものなら、不審者扱いされるのがオチだからだ。

「他人の子供を叱ろう、褒めよう」ができるためには、まず自分にとって、携われる地域コミュニティは必要だろう。

地域コミュニティには、地域の人たちが携われる「街的」があること――それは祭りでも店でもよい。

そして遠くからでもいいから、親同士、子供同士が顔見知りであること。

それが機能することで、親も子供も家族という円環から一歩でることが可能となる。

それを構築しようとする運動が同時になくては、「他人の子供を叱ろう、褒めよう」キャンペーンは絵に描いた餅にしかならないだろう。