仕事は芸術―ダカーポで中沢新一の連載が始まったこと。

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ダカーポ

dacapo-600_s.jpg新千歳空港の書店で「ダカーポ」を購入。

お目当ては中沢新一の新連載「仕事は芸術」。

私はダカーポの熱心な読者であるわけもなく――年に2,3冊買う程度だ――、その雑誌としての性格(対象とする読者層)もよくわからないのだけれども、中沢新一が連載をするような雑誌ではないだろう、というのが正直なところだった。

仕事は芸術

しかし読んでみれば、この見開き2ページのテクストに手抜きはない。

日本人にとって働くことは、喜びであり生きがいであり、また「奉納」でもあり、単なる苦役ではありませんでした。こうした意識や感覚のベースとなっているのは、古代からこの列島に住む人々に脈々と受け継がれてきた思想です。世界的にみても、きわめてユニークな文明形態をつくってきましたが、それは、新石器時代にこの列島に栄えた縄文文化と、それをつくりあげた人々の思想が、堆積物に覆われながらも、根底にはずっと途切れることなく息づいているからです。(p74)

と書き出しは快調であり、これは中沢の思考であることがすっとわかる。そして今後の連載の主題となるだろうものが次に示される。

しばしば外国の人から「日本には思想がない」と言われることがあります。たしかにこの国では、思想を言語化、論理化することを好みませんでした。それよりもさまざまな芸能や歌、物語、庭や仏像、日用品をつくることで表現してきました。つまり、職人や芸人と呼ばれる人々が、思想をかたちにあらわしてきたのです。

挙句の果てに「テクネー」と「ポイエーシス」まで言及してしまう。

芸術とはなにか、ドイツの哲学者ハイデッガーは、次のように考えました。芸術という行為のおおもとを探っていくと、古代ギリシャの人々が「ポイエーシス」と「テクネー」と呼んだ、2種類の力があるらしい。ポイエーシスとは、ポエムの語源で、植物の種が発芽してやがて花が咲くように、自発的にあらわれてくる働きです。「自然」そのものの活動と言えます。一方、テクネーとは、テクノロジーの語源であって、人間がさまざまな挑発や狡知を駆使して内在するものを外側に引っ張りだすことを言います。

たぶん中沢新一ファンにとってはわかりきったことの再生産なのかもしれないが、そのことをどこまで簡単な言葉で表現していくのか、ちょっと楽しみな連載だ。