みんなで作り上げるWeb 2.0。

Web2.0とキアスム。 午前6時起床。浅草は晴れ。私は、Web2.0をキアスム交叉図式を用いて理解してきた。それはWeb化する社会であり、社会化するWebである。そのひねりの交点にあるのがインターネットを支える技術であって、これがトリックスターのように場をひねっている。だからWeb2.0は、技術が人間に与える心理的な変化なのだと理解してきた。

みんなで作り上げるWeb 2.0」(TechCrunch)

Kansas州立大学文化人類学助教授、Michael Weschによるクールなビデオ(記事の最後に埋め込まれたプレーヤーで見てほしい)。

このビデオは10数年前のウェブと、現在のソーシャルウェブ(Web 2.0)の違いを幅広く概説したもの。HTMLが構造や様式の特徴(「フォーム」)の定義に使われ、XMLがフォームとコンテンツを分離した結果あらゆるマッシュアップでデータ交換を可能にしてきたことに焦点を当てている。

Michael Weschの指摘はかなり面白くて、今や、ブログは日々増殖を続けていている――毎月200万以上のブログが作られている――のだけれども、そこでは技術に対する信頼のようなものが機能しているように(私は)思う。

Michaelのビデオは、「これだけのデータを誰が整理するのか」と問い、それは「私たちみんな」であると答えている。Michaelは、リンクをクリックするたび、サイトを訪問するたびに私たちは機械に学ばせているのだということを明るみに出している。

映画の「I, Robot」や「The Matrix」を思い出す。人間が「人」のためではなく「機械」のために働く。「I, Robot」で、ロボットはついには感性を持ち、人間を支配する。

人工知能(AI:artificial intelligence)が今どうなっているかは知らないが、毎月200万以上のブログが作られていることは知っている。そのほとんどが自由な日記スタイルで書かれた人生のひとりごとだ。AIならいずれ、この情報を洗い出し、方法的に分類し、理解し、学ぶことによって自身の思考と感情を持ち、人間に取って代わるのではないだろうか。

どこかに裏付けるデータもあると思うが、10年前と比べて今インターネットははるかに使いやすくなり、プライバシーの問題も減ってきている。特にインターネットと共に育った若い世代はあまりプライバシーの心配をしない。だから、思ったことはウェブを通じて全世界に吐き出す。

これがWeb2.0のいうRadical Trust(過剰な信頼)の正体なのじゃないのかと(私は)思う。

それじゃ、お前は、『AIならいずれ、この情報を洗い出し、方法的に分類し、理解し、学ぶことによって自身の思考と感情を持ち、人間に取って代わるのではないだろうか。』という意見を支持しているのかと聞かれれば、

動物化の究極のかたち――つまり、ミームがビークルとしての人間を見切ったときには(それはミームがデジタルになることを意味しているのだけれども)、そうなるのかも知れない、と答えるのが今は精一杯だ。

私も毎日Web技術を利用し、特にSEO的なことを考えているときは、GoogleやYahoo!のサーチエンジンのアルゴリズムのことを考えている。

それはまさに『人間が「人」のためではなく「機械」のために働く』ような感覚に陥る。

だからせめて、私が吐き出すテクストは――それは『自由な日記スタイルで書かれた人生のひとりごと』に過ぎないものでも――、私がのりうつるかのように書きたいのだ。

それは人間が生み出した究極のアナログ技術としての「言葉」を使って、反省の次元を経由して、ということだ。