(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニー。
午前6時起床。盛岡は晴れ。
セレモニー
昨日は、(社)岩手県建設業協会の新ホームページ運用開始セレモニーに出席した。
「セレモニー」などというと、なにかものものしい感じがするだろう。
たしかに西畑雅司岩手県県土整備部長をはじめとしたご来賓の方々もおられたわけで、「ホームページ」という言葉のもつ概念からは、この「セレモニー」は、想像のつきにくいものかもしれない。
しかし協会という共同体には何事にも儀式が必要なのである。
ツイスト―ブログ
そしてこれは、閉じた円環が、自ら情報を発信することで、ツイストを行う場を動かしはじめるための儀式なのである。
しかし儀式というわりには、つくろうとしているものは堅苦しいものではない――つまり大胆にもブログ化に取り組んでいる。各支部単位で、情報を自ら発信することに取り組み始めた。
これの意義については、私は、「イントラネット後の協会IT化(ブログ化)の意義」と題して、少しお話をした。
バロックの館―モナド
その内容は別に書くけれども、つまりは(↓)のトポロジーの実践でしかない。(以下「バロックの館―モナド」からの引用)
(図:中沢新一:『芸術人類学』:p91)
〈私〉がかけがえのない〈私〉であるということは、〈私〉はトーラスとしての円環である。しかし〈私〉が仕事や表現を通じて〈私〉であるとき、〈私〉は外とつながっている。その外とつながる窓のある一階部分がメビウスの帯である。
つまり〈私〉が〈私〉であるというとき依って立つ大地としての一階部分はなくてはならないものだ。そしてその一階部分は、外とつながるための窓をあけておく必要があるだろう。その窓のトポロジーはメビウスの帯でありキアスムでありひねりである。
であれば、窓をあけるのは〈私〉でしかない。つまりキアスム的なひねりは〈私〉がおこなうものだ。そのことによって〈種〉(会社、協会、地域社会)もまた窓をあけることが可能となる(つまり変化する)――であれば経営者の仕事は社員にひねりための環境をつくりだしてやることでしかない――。