ホリエモンとはなんだったのだろう。

ライブドア事件

ライブドア事件で堀江被告に懲役2年6月、「見せかけの成長を装い」実刑(ロイター)

[東京 16日 ロイター] ライブドア事件で、証券取引法違反の罪に問われた前社長、堀江貴文被告(34)に対し、東京地裁(小阪敏幸裁判長)は16日、懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡した。判決によると、裁判所は検察側主張をおおむね認め、「見せかけの成長を装い、一般投資者の判断を誤らせた責任は重く、実刑をもって臨むのが相当」と判断した。昨年1月の逮捕から約1年2カ月で、初公判から約半年での判決。

率直な感想

率直な感想としては「重いな」なのであるが、世間はどう思っているのだろうか。「一般感覚に近い量刑」というのが、大方なのだろうか。

東京地裁がライブドア(LD)前社長、堀江貴文被告に下した懲役2年6月の実刑判決は、証券取引法違反のみで起訴された過去の事件と比較すると異例の厳罰といえる。しかし、堀江被告の犯行が一般投資家を“踏み台”にした利潤追求であり、一貫して元部下らへの責任転嫁を繰り返したことを考慮すれば、一般感覚に近い量刑ともいえるだろう。( 【視点】堀江判決 投資家「踏み台」に厳罰 :Sankei WEB)  

ホリエモンという象徴

本間正明氏はかつて、「時勢がホリエモン、村上ファンドのようなものを求めていて、それがサービスの裾野を広げていく」と言ってた。それはみごとにズレた発言ではあったが、ホリエモンが経済成長至上主義者にとって、ある時期シンボル的な存在であったことはたしかだ。

しかし経済学などどうでもよく、経済成長の功罪などを考えたことがなくとも、多少でも交換の原理にかぶれてさえいれば、ホリエモンは同じように機能した――それを後押ししたのが小泉流の改革バブルだ。つまりホリエモンは小泉がつくりだした象徴だったのだろう。

経済合理的主体

若い人たちにホリエモンを慕う方々が多いのは、彼らが経済合理主体として自己を確認しようとしたからだ。それは小泉流改革バブルの中で社会に出ようとするなら避けられないことだった。なぜなら合理的主体であることは、自分自身に自己責任を強要するからだ。しかしそのリスクヘッジのない生き方は、じつは見習うべき前例がほとんどなかった。その漠然さや曖昧さを多少なりとも具体的に見せてくれのがホリエモンだったということだろう。

しかしそのような経済的合理主体は、ホリエモンを見捨てるのもまたはやい。つまり彼と同じようにやることは、リスクが大きすぎるということを合理的に考えるからだ。ホリエモンは「一般的感覚」――時勢が、あるシンボルをつくりあげもするが、また一般的感覚がそれを葬り去るという、ぶれない軸としての大衆の表徴だったのだろう。