商業(あきない)。

午前6時30分起床、浅草は晴れ。

ひできさんからのコメント

水門談合70億ムダ使い…公取委調査。」に対してひできさんからコメントを頂いていた。

最近私のまわりで、商売は効率ではない、合理性でない、と言う人が増えています。

「ない」ということに対しては、「だけではない」でしょうね、というようなコメントを書いたけれども、私が個人的に気になったのは「商売」という言葉の意味である。そんなことを今更気にしてどうなるものでもないことぐらい分かってはいるが、気になると、そのままにもしておけない性分なので、『常用字解』で「商」を調べてみた。

商業(あきない)

【商】 「あきなう、商業(あきない)」の意味は、もと賞を受けること、償うことと関係があり、賞として与えられることから、おそらく償いとしての報償(弁済)という行為が、のちに取引のような関係と理解されるようになって、商行為の意味に使われるようになったものと思われる。(白川静:『常用字解』:p314)

商いと交換の原理

白川静先生の解説を読めば、「商」が経済的交換というよりも、社会的交換――やられたらやり返すというような「贈与の原理」――を色濃く持った言葉であることがわかるだろう。つまり中国生まれの漢字の意味を紐解けば、そもそも商業(あきない)が、社会的交換(贈与)の一形態であったことがわかる。つまり商業(あきない)はそもそもは資本主義の言葉ではないのである――つまりそれは交換の原理という狭い範疇を意味していない。

資本主義の精神

商工業の発展は、中国の方が西欧よりも歴史は古い。中国では宋の時代には商工業は活発化し貨幣経済は進歩していた。それは(たぶん)11世紀のことである。それと同じことが西欧で起こるには18世紀までまたねばならない。

しかし中国では本格的な資本主義は生まれなかった。経済学では、生産力(技術)が進歩し、資本(資金)が蓄積され、商業が発展すれば資本主義に至ると教える。しかし、そんなことはないのである。現に中国はつい最近までそうではなかったではないか。

中国ばかりでなく、高い生産力と巨大な資金と発達した商業をもつ経済は、古来、エジプト、メソポタミア等数多く出現した。しかしそれらは資本主義には至らなかったのである。16世紀に資本主義が発生したのは、イングランド、北フランス等西欧である。なぜそうなのかは、「資本主義の精神が生まれたから」としかここでは書きようがないが、詳しくは『プロ倫』(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』:マックス・ヴェーバー)とか、中沢新一の、『愛と経済のロゴス―カイエ・ソバージュⅢ』でも読んで頂戴というしかない。

  • 資本主義の精神
    1.労働それ自身を目的として尊重する精神
    2.目的合理性の精神
    3.利子・利潤を正当とする精神

バイナリーコード

普遍経済学さて、私が「交換」というときは、それは経済的な交換――資本の理論のことを指して使っている。それは限定経済学――資本主義のことを言っている。資本主義は全日常生活を合理化しようとする運動である。

しかし私は普遍経済学主義者(?)である。つまり私は経済活動にさえ非日常を持ち込むわけだから、経済は〈合理/非合理〉のバイナリーコードをもつ。それはつまり、合理では「ない」のではなく、合理「だけではない」ということだ。合理は勿論「ある」。

常用字解

常用字解

『常用字解』

白川 静(著)
2003年12月18日
平凡社
2940円(税込)