「野生の思考」 (クロード・レヴィ=ストロース)

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野生の思考

ここ数年この時期になると、なぜか『野生の思考』を読んでいる。その周期性に例外はなく、今年もそれを読んでいた。Webと社会のこと――つまり人間の営み――を考えているにしても、私の眼鏡(方法)は、『野生の思考』を必要としている。

それは時々はそこに戻ってそこから帰る一つの中心である。そこを夢み、そこへおもむきそこから取ってかえす、一口にそこで己を発見する一つの完全な場所である。つまりこの本は(私にとっては)子宮的構造の中心なのである。

野生の思考

野生の思考

クロード・レヴィ=ストロース(著)
大橋保夫(訳)
1976年3月30日
みすず書房
4800円+税

La pensee sauvage

すみれ野に咲く一輪のスミレを、フランス語では「La pensee sauvage」という(正確には penseeの三番目のeにアクセント記号がつく。つまりパンセであり、penseeは三色スミレだろうが)。それはまた『野生の思考』の原題でもある。

「La pensee sauvage」は二重の意味を持つ。
      = パンセ・ソバ-ジュ
      = 野生の三色スミレ = 「野生の思考」である。

ボロメオの結び目「野生の思考」がなぜに、「野生の三色スミレ」なのかは、三幅対のトポロジー、「ボロメオの結び目」を、180度回転させてご覧いただければわかるかとは思う。

「野生の思考」には、きめこまやかな網目のような目を必要とする。

それを日本人は情緒と呼んだ。情緒とは、日本人における「野生の思考」である。

そういうものを必要とすることで、この眼鏡は硬直的な科学的が支配するこの国では少しだけ不人気である。しかし私は生涯この眼鏡をはずすことはないだろう。なぜなら、人気のある眼鏡よりも、私の目にはよくあうからだ。つまりよく見える。

構造主義

その使っている眼鏡のことを、先に「桃組のこと」では「神話のアルゴリズム(レヴィ=ストロース) 」と書いた。それはもっと包括的に、そして端的に言えば、「構造主義」のことである。(PPTにはその旨書いておいたが)。

構造主義は思想ではない。単なる方法である――それはレヴィ=ストロースが力説するところだ――。そしてそれは存在としてすでにそこにあるものを発見する方法でしかない。構造は存在論的なレベルにある。存在論的なレベルにあるということは、構造は自然の内にあるということだ。それも人間の自然にである。であれば人の営みを見るにはそこにある構造を見れるにこしたことはない――つまりこの意味で私は唯物論者なのである。

情報を見る目

私たち(桃組)は情報を見る目を高めようとしてきた。そのためには思考の眼鏡(方法)が必要だというのが基本的な態度である。そしてそれは思考の訓練を必要とする。その基本的態度を(私は)『野生の思考』から学んだ――だから時々はこの本を顧みる――そこでまた新たな発見があるのは読書の常であり醍醐味でもある。